蒼穹の刻
時を綴る 1
(斎藤×千鶴)
時折言葉を詰まらせ、涙しそうになりながらも、斎藤と別れてからの土方と歩んだ道をぽつりぽつりと話した。千鶴が辛そうな表情を浮かべる度に「無理して話す事はない」と言われるが、決して無理はしていない。寧ろ知って欲しいという気持ちが強く「大丈夫です。無理は…していません」と、答えた。
迎え合わせに座っていたが、千鶴が涙を浮かべた時に思わず隣に寄り添い、華奢な背を撫で、頼りなさげな姿を支えるべく隣に腰かけた。
「そうか」
藤堂、山南、そして土方の最期を聞き終えると、表情こそ変えはしなかったが、袂を分かったとはいえ、やはり江戸の頃からの仲間の最期を耳にするのは辛いようで、少し声が低くなっていた。
「それで、千鶴はどうしていたのだ?」
「……え?」
「暫く蝦夷地にいたのだろう?」
「はい」
「島田君もすぐに謹慎生活に入った故、おまえひとりだったのではないのか?」
「ひとりではありませんでした。島田さんが、とても優しい方を紹介して下さって、そこでお世話になっていました」
優しい方と聞いて、少し顔を歪ませたが、土方を亡くした後の千鶴がどうだったのかを考えると、その後の千鶴の生活が気になっていた。
「大丈夫だったのか?」
「何がですか?」
きょとんとした顔でじっと間近で斎藤を見つめ、真っすぐな眼を見つめ返す。しかし、きっと絶望の中だったであろう日々を聞き出す等、むごい事は出来ないと、言葉を飲み込んだ。
「いや、何でもない」
「???」
元々口数は少ない上に、何を考えているのか簡単に読み取る事が出来ない。一体何を意図としているのか解らず、口を閉ざして、斎藤の言葉を待った。
千鶴が自分の言葉を待っているのに気付いていたが、もう高く結う事のなくなった髪を撫でた。
「斎藤…さん…?」
まさか頭を撫でられるとは思わなかったが、意外と優しい手の感触が心地よく、その意味を求めるべく上目遣いで斎藤を見つめる。
「おまえの男装以外の姿を見るのはこれで三度目だなと思ってな」
三度目、と聞いて男装を解いた時があっただろうかと思いを巡らせると、一度目はまだ少し穏やかな日だった頃に「千鶴に似た女を見た」という原田の言葉から、角屋で何故か芸妓姿になり、二度目は新選組を狙う会合が同じく角屋で行われていると、千鶴が潜入した時である。
「そう、ですね」
一度目の時はあまりにも皆がからかうので、逃げるように部屋から出ると、窓から外を眺める土方とほんのひと時であったがふたりきりになったし、その前には君蝶がとても綺麗でそれと比べて自分は同じように芸妓姿をしても君蝶のように綺麗にはなれないだろうと落ち込んだのだ。横に並んでいる土方ととても似合っていて、普段眉間に皺を寄せて怒鳴っている事、難しい顔をしている事が多い為、意識しなかったのだが、とても整った顔をしていたのだと再確認したのだ。
なんて綺麗な人だろう。
まるで絵を見ているようだと、言葉を失い、見とれてしまったのだ。もっと、見つめていたかった。芸妓姿ではなく、ちゃんと女物を着た姿を見せる機会はなかったな…と、改めて感じた。男装は自分から始めたものだから、仕方はないとはいえ、女心は簡単に消せるものではないのである。特に、恋を覚えてしまってからは。
しかし、斎藤は千鶴に眼をやる事も、気にする事もなく、ただ酒を呑んでいただけのように映っていたが、何故か二度目の時は動揺を見せ「雪村…なのだな」と確認までされ、敵に囲まれたというのに、千鶴に大切な話があると頬を染めて必死で何かを言おうとしていたのを思い出した。一度目の芸妓姿と何か違っていたのだろうか。今それを聞いた所できっと斎藤は覚えていないだろうと思いつつも、芸妓姿とはいえ、娘姿…というわけではなかったが、綺麗な着物を纏いお世辞でも皆から「似合っている」と言われて嬉しかったのだ。土方に見て貰えて嬉しかったと、娘姿の千鶴を見せられなかっただけに、今となってはいい思い出である。
「そういえば…女姿、というのはおかしな言い方ですが、この姿の私が解りましたね?」
髪を高く結い、淡い色の着物ではあったが、袴姿の千鶴ばかりを見ていた斎藤が、髪の結い方を変え、娘姿の千鶴は初めてだというのに、一瞬で千鶴だと見抜いた事に改めて驚いた。
「姿は変われども、あんたはあんただ。間違える事等ある筈がない」
真っすぐ見つめるその眼は以前と何ら変わりがなかった。
「そういえば、斎藤さんは暫く洋装姿でしたが、短髪で和装姿というのは少し印象が違ってきますね」
新選組時代、和装での…甲冑姿での戦は動きにくいと、洋装を取り入れ、その際に髪も短くしていて、驚いたのを今でも鮮明に覚えている。永倉は元々髪は短かったが、それ以外の皆は髪を結いあげていた。今では短髪にする者も増えており、この時、まだ断髪令は出ていないものの、月代を入れている者を始め、長髪の男は少なくなっている。
「楽だからな」
そう言っても、元々斎藤は月代をいれてのまげ姿ではなく、結い紐で右に纏めていただけなのだが。
「髪を洗って乾かすのに時間がかからなくなった。この極寒の地では便利だ」
千鶴の頭の中を読んだのか、聞き返す前に答えた。
「元々斎藤さんは井上さんのように月代を入れてたわけでもないですし、短髪にするのも抵抗はなさそうでしたね。あ、斎藤さんだけではありませんでしたけど」
「そう、だな」
もうその頃から「武士」というものがなくなってきていたのだろうかと、思ったがそれは言葉にしなかった。武士とは姿形ではなく、志であるという新選組の信念を千鶴もよく理解していたし、その通りだと思っていたからでもある。だが、洋装を取り入れた時から時代は武士の終わりを告げていたのかもしれない。
「でも、斎藤さんの月代姿は想像がつきません」
「月代にした事はない故、俺にも想像はつかん」
「元服の時はどうされていたんですか?」
髪型の事等どうでもいい話になってはいたが、先程までの沈んだ表情は消え、笑みを浮かべ話をする千鶴に、一度に全部を聞く必要はないと、漸く見る事の出来た千鶴の笑顔を曇らせないよう、他愛もない話をして、昔を懐かしむ事にした。
「久しぶりに笑ったような気がする」
おそらく斎藤の妻…いや、元妻が使っていたものだろう布団の中に潜り込み、長旅で疲れている筈だというのに、中々眠りにつけずにいた。戦死したと聞かされていた斎藤が生きていた。新選組はもうない。それでも、土方が生きたその証は消える事がないのだと斎藤と話をして確信をした。勿論斎藤が新選組の事を語り継いでいくとは思えないし、きっとそれは許されない事でもあるかもしれないと解ってはいたが、誰かの心の中に新選組は生き続けるのだと、漸く安心出来たような気がした。
隣の部屋で、斎藤もまた眠れずにいた。まさか千鶴と再会するとは夢にも思わなかった。おかげでずっと気になっていた新選組の最期を…いや、土方が戦死してからも新選組は新しい局長の元、戦ってはいたのだが、斎藤の知る新選組の…土方が指揮を取っていた新選組の最期を知った。元より人づてでどうなったのかは耳にしてはいたが、実際にそこにいた者の話ではなく、噂話に近いものだった為、確かな情報ではなかった。確かな所からの情報で、信じざるを得ない状態ではあったが、無理だろうと解りつつもその地に、共にいた仲間からの言葉を聞きたいと思っていた。試衛館時代の斎藤が心から信じられた仲間の最期を。
会津に残ると決めたのは斎藤の意思だ。土方には前に進んで貰いたいからだ。本当は世話になった会津に新選組全員で残るのが理想だとは思ったが、会津での戦いに勝機はなかった。だが、会津藩への容保公への恩義があるからこそ、斎藤はひとりで残る事に決めた。その事に後悔はない。だからこそ、会津藩士として今、ここ斗南にいるのだから。
後悔はない。
何度も自分に言い聞かせた。生き残ったのも何か意味があるのかもしれない。今自分に出来る事をしていくしかない。名を変え、新選組三番組組長であった斎藤一はもういない。これからどうすればいいのかも、まだ先が見えずにいるのも事実。昔に縋るつもりはないが、敗者である自分達の明日が見えずにいる。それでも、今はただ穏やかに過ごせればそれで良いと考えるようにもなっていた。あまりにもの激動の時代にもしかすると斎藤は疲れていたのかもしれないと考えてしまうのは長い謹慎生活のせいだろうか。今もまだ武士である誇りを持ち続けられているだろうか。誰にも答え等見つけられずにいる。そんな中、千鶴の存在は仲間…いや、同士なのではないかと思えてならなかった。
朝、斎藤が起きるよりも前に千鶴は眼が覚め…いや、本当はあまり眠れずにいたのだが、朝餉を用意するという約束を守るべく、勝手場にいた。どこに何があるのか昨日聞いていたからか、てきぱきと仕度が進んでいた。久しぶりに聞く勝手場から聞こえてくる音が、漸く眠りにつきそうだった斎藤の耳に届き、布団から出て勝手場に向かった。
「おはよう、千鶴」
「あ、おはようございます、斎藤さん」
斎藤に千鶴と呼ばれる事が何とも気恥ずかしく感じたが、これが普通なのだと何でもないように振り返り挨拶をした。
「手伝おう」
「いえ、もう少しで出来ますから、待っていて下さい」
「解った。楽しみだな」
未だ眠気の覚めない意識をハッキリさせるべく井戸に向かい、顔を洗った。新選組時代は毎日のように見ていた姿だったが、違和感があった。原因はそれまでは袴姿だった千鶴が、すっかり娘になった…いや、娘に戻った女姿だったからである。
本来の姿を目の当たりにし、袴姿とはいえ、どうしても斎藤の眼には(他の者も勿論だが)女にしか見えずにいたが、実際に女物の着物を着ている千鶴は斎藤には少し眩しかった。
居間に戻ると既に朝餉は用意されており、千鶴は「ご飯を粧いますね」と、桶に入った飯を椀に粧った。
「美味そうだな。いただこう」
「お口に合うといいんですが……」
「千鶴の料理の腕は知っている」
控えめな態度を取る千鶴に笑顔で答えると、材料が少なく、ささやかな朝餉ではあったが、美味しそうに食した。
「懐かしいな」
「そうですね」
昨日千鶴が感じたように、斎藤も同じだったのだろう。綻ぶ顔がとても嬉しそうな気がして、大喜びで食べていた永倉や藤堂達と違うが、きっと同じように喜んでくれているのだと和やかな気持ちになっていた記憶がよみがえる。
「あの…今日のお昼にでも、出発しようと思います」
黙々と食事をしている途中で、本来の目的である江戸の実家に帰るべく、今日中にここを出たいと申し出た。昨日止められたが、やはり戻りたい気持ちはあったし、ずっと気にしていたのだ。空家になったままで、薬はもう使えないだろうけれど、新たに調合すれば良いし、綱道のような治療は出来なくとも、軽い病気や怪我等ならば千鶴にも看れる。長年帰っていないから、もう近所の人は困ってはいないだろうし、今更なのかもしれないが、蝦夷で診療所の手伝いをしていて、千鶴の生きる道はこれなのだと感じていた。
誰かの役に立ちたい。
それは江戸で父と暮らしていた頃から思っていたが、新選組で、屯所で過ごしていた頃に特に思うようになり、そして蝦夷で、更に強く感じるようになったからである。
「昨日、江戸に戻るのはやめておけと言った筈だが」
「でも、父様ももういませんし、何年も帰ってませんから」
夕べ、山南と藤堂の話をした時に、綱道の最期も聞いていたので、家が気になる気持ちを理解出来ないというわけではないが、それでも今の江戸がどれだけ千鶴にとって危険な場所なのか、諭したいがもう仕事に行く時間が迫っていた。
「俺が帰るまで待て。話をしよう」
「で、ですが……」
「いいな。俺が戻るまでここにいろ」
有無を言わさない物言いで、千鶴を見ると観念したのか
「……はい」
納得は出来ないものの、自分を思っての言葉であるし、今の江戸はどういう場所になったのか知る必要もあると、素直に待つ事にした。
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