蒼穹の刻
再会 3
(斎藤×千鶴)
思わず朝餉の用意をする約束をしてしまったので、ここに泊まるハメになってしまい、千鶴は更に居心地の悪い気持ちになっていた。それでも、久しぶりに口にする斎藤の料理は千鶴の心を落ち着かせた。
「ふたりきりですが、何だか昔を思い出しますね」
「そう、だな」
大人数で食べていた頃、とても賑やかでたまにおかずを奪われる事もあったが、それでも千鶴は楽しかったのだ。京に行くまでは父とふたりで、綱道が京に出てからはひとりで食事をとっていた千鶴にとって、大人数での食事は初めての事で賑やかな食事がこんなに楽しいものなのだと感じるようになっていた。男装をしたままで、もし新選組の闇を深く知ってしまったら殺されてしまうかもしれないという怖さがなかったとは言わない。それでも、段々とまるで家族の様な気持ちが少しずつ生まれて行った。規律に厳しい土方でさえ一緒に食事を取る事を渋い顔をしながらも許可してくれた事も思い出していた。
「皆さん…どうされているんでしょうか」
「山南さんと平助の最期におまえもいたと聞いたが」
千鶴の問いに、斎藤は生き残った隊士ではなく、最期を迎えた幹部の名前を出した。
「は、はい。土方さんと、一緒に」
土方、その名前を呼ぶ時に胸に手を当てて一瞬苦しそうな表情を浮かべたのを斎藤は見逃さなかった。
「辛いか」
「え? あ、いえ。山南さんや平助君は自分達の寿命を知っていて、覚悟が出来ていたようで、とても満ち足りた顔をされてましたが、それでも…もっと生きて欲しかったと思うのは私の我儘でしょうか」
「我儘かもしれぬな。ふたりとも自分が進んだ道を全う出来たのだ。しかし、俺が聞いたのは山南さん達の事ではない」
「え?」
ふたりの話を持ち出したのは斎藤だというのに、どういう意味だろうと箸を置いた。
「土方さんの名前を言うだけでも辛そうに見えた」
「あ…」
「土方さんも悔いはなかったのではないか?」
「それでも、生きていて欲しかったです」
斎藤さんのように。その言葉は飲み込んだ。言っても仕方のない事。土方も最期は笑っていた。笑って「千鶴」と呼んだ。とても穏やかな顔で。斎藤の言う通りきっと悔いはなかっただろう。それでも、共にいたいと思うのは贅沢な願いなのだろうか。
近藤に惚れて惚れ抜いて、新選組の事だけを考え、自分の夢でもあった武士の道を走り続けた土方が千鶴という宿り木を見つけた。生き続ける事は出来なかったが、それでも斎藤の眼には満ち足りた人生だったように映っていた。
「もし、土方さんが生きていたら、武士が消えて行くこの国をどう感じ、どう動くのか。俺も知りたいと思う。しかし、土方さんはもういない。ならば、それを受け入れて生きて行くしかないのではないか」
「解って、います」
だが、淋しさが、哀しさが溢れてしまうのだ。もう大丈夫だと、江戸にある家に戻ろうとしていたのだが、斎藤と再会し、まだ全然その傷が癒えていなかった事を知った。斎藤の前で泣く訳にはいかない。ぐっと、眼に力を込めていると
「我慢する必要はない。すまない。最期に立ち会ったあんたとそうでない俺とでは気持ちが違って当然だ」
「……え?」
「風呂場でも泣いていたのだろう」
きっと赤くなっていたであろう眼を見られていたのだから、否定をするつもりはなかった。言葉を失い俯いてしまう。
そのまま会話もなく、ゆっくりと夕餉を済ますと「洗い物は私がしますね」と、斎藤の返事を聞く前に勝手場に向かった。決して逃げたかったわけではないが、泣いた事を指摘され、恥ずかしさからその場を離れてしまったのだ。咎められたわけではない。寧ろ、その場所を作ってくれているように感じたのは気のせいだろうか。千鶴の存在を知っていた幹部隊士の中で、斎藤が一番淡々と千鶴に接していた。しかし、それは冷たいという印象はなく、自分の立場を理解し、信じる道をわき目も振らず真っすぐ進んでいるように映っていた。いつか、千鶴に話したようにただ微衷を尽くす為に。土方の命のまま動いていた斎藤だったが、決して感情を抑えたままで人形のように行動していたのではない。言葉は少なく、物言いも単調で、冷たく感じる事もある。だが、千鶴は斎藤を冷淡な人間だと思った事は一度もなかった。土方を想うようになる前、出逢って間もない頃から、さりげなく千鶴に向ける気遣いに気付いていた。綱道探しに行きたいと願い出た時に剣術の腕を見たのも斎藤だ。もし町で刀を交える事態になった時、剣術を少し習っていたといっても実戦経験のない千鶴の腕が役に立つとはとても思えなかった。きっと、斎藤も見抜いていただろう。それでも土方に掛けあってみようと、言ったのだ。斎藤が負担を負うと解っていて。勿論、その場に一緒にいた沖田もそうだろう。実際沖田には迷惑をかけてしまったのだが。
油小路の、伊東が近藤を暗殺する計画を企てているという情報を斎藤が持ち帰り、藤堂を呼び戻すのは今しかないと直接千鶴に話し、手助けをしたのも斎藤だった。
「よく考えると私って、いつも斎藤さんに助けて貰ってばかりだったかも……」
洗い物をしながら、土方を亡くしてから新選組にいた頃を極力思い出そうとしなかった。忘れたくなかったし、決して忘れられるものではないが、世話をしてくれた老夫婦をこれ以上心配させたくないと、廃人のようになっていたあの頃に戻ってしまうのが怖かったから考えないようにしていたのだ。現実に戻りたくないと、自ら廃人になった自覚があったからである。なのに、今は現実逃避をする為ではなく、ただ自然とあの頃が浮かんだ。顔がほころんでしまう程に。
何故、土方が斎藤を信頼していたのか、今になって漸く解った気持ちになっていた。
「あんたの独り言は変わらぬのだな」
振り返ると斎藤が後ろに立っていた。
「さ、斎藤さん…」
また独り言を聞かれてしまったと、今度は恥ずかしさから言葉を失ってしまった。いつも、独り言を斎藤に聞かれているような気がする。先程もそうだったが、屯所に、新選組にいた頃から。
「すみません」
「あんたが謝る必要はない」
相変わらず単調な物言いではあったが、懐かしいものを見るようなその眼はとても優しく輝いていた。
「もうすぐ洗い物が終わります」
「そのようだな」
手伝いに来たのかもしれないと思っていたが、そうではないと悟ると「お茶、淹れますね」顔を上げて微笑んだ。
「あぁ、頼む」
正座をして千鶴を待っている後ろ姿が眼に入ると、斎藤もまた以前と変わらないと目じりを少し下げた。
「お待たせしました。お茶です」
「すまない」
千鶴の口元が緩んでいるのに気付き
「何を笑っている」
「わ、笑ってなどいません。ただ……」
「ただ?」
「斎藤さんも変わらないですね」
湯飲みを置いて、斎藤の向かい側に座った。
「何の話だ」
「斎藤さんは家に、自宅にいらっしゃる時でも正座なんですね」
いつでも、どんな時でも礼儀正しい斎藤らしいと、自分よりも、斎藤の方が変わらないのではないかと、何気ない仕草ではあったが、それは何故か千鶴を安心させた。
「堅苦しく感じるか?」
「いえ、斎藤さんらしいです」
そうか、と返事をすると茶を飲み、斎藤もまた口元を緩ませた。
「同じ茶葉だというのに、俺が淹れた茶とあんたが淹れた茶はまるで違うものだな」
「茶葉の量、蒸らし方等、癖が出るものですから。あの……」
不味かっただろうかという心配そうな顔をする千鶴に「美味い」そう言って、唇の端を上げたが、すぐに元に戻し「あんたに聞きたい事があるのだが」と、真っすぐに見つめた。
「何でしょう」
千鶴もまた、真っすぐな眼を斎藤に返すと
「袂を分かってからの新選組の事を…土方さんの事を話してくれないか」
「え…?」
「あんたにはまだ辛い事なのは解っている。聞いた所でもう何も変わらぬ。誰かに話すつもりもない。俺は新選組を離れた身だ。だからこそ、知っておきたいと思っていた。だが、自ら新選組の生き残りと関わり合おうとは思っていない。しかし、あんたと再会したのは何かの縁だろうと、感じている」
きっと、斎藤も生き残った隊士達がどうしているのか、安否が気になっているに違いない。しかし、新選組は負けて、謹慎を経てここにいる。だから自ら動いてはいけないと感じているのが伝わった。
「私が知っている事で良ければ、お話します」
「すまない」
「いえ。誰にも話をするつもりはありませんでしたが、私は土方さんと同じ志を持っている人と話をしたかったのかもしれません」
少し冷めた茶を一口飲み、ぽつぽつと記憶を辿るように話し始めた。
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