穹の刻
再会 2

(斎藤×千鶴)

 幾ら昔共に生活を送っていた相手だったとしても、集団で暮らすのと、こうしてふたりで暮らすのとでは全く違ったものである。それは斎藤も解っている筈なのに、何故このような申し出をしてくるのか、千鶴はまだ理解出来ずにいた。
「江戸に住むのは危ない」
 その言葉は本当だろう。確かに千鶴は新選組に所属していたように見えて当然だった。男装をしていたが、千鶴を男だと思う者は少なかったかもしれない。現に、出逢ってすぐに土方、沖田、斎藤、原田等は千鶴が女だと見抜いていた。自覚はなかったが、数年経てば自分の貧弱な身体もとても男だと誤魔化せるものではなくなっていたのだろう。そんな彼女が女の格好で、いや、本来の姿で江戸に戻ったとしても新政府側の、面識のある…もしくは見かけた事のある者が見ればすぐに「新選組に男装していた女」だと知る事になる。だが、そう簡単に新政府側の人間と遭遇する事があるのか。静かに生活をしていれば見つかる事はない筈だと、女の自分に一体何を…と思わなくもなかった。

 所在なさげに居間に座っている千鶴に
「これを」
 渡されたのは女物の寝間着だった。
「ともかく、今日はここに泊まれ。風呂を用意した故、入ってくるといい。長旅で疲れただろう」
 まさか風呂の用意をしてくれていたとは思わず
「あ、そんな…先に斎藤さんが入って来て下さい。お勤め…されていたのでしょう?」
「構わぬ。先に入れ」
「ですが……」
「いいから、入って来い」
 有無を言わぬ物言いをされると、それ以上抵抗するのも意味がないと
「では、お先にいただいてきます」
「あぁ、ゆっくり浸かってくると良い」

 日が暮れると寒さも増す。千鶴は冷えた身体を湯船で温めながら、思いもよらなかった斎藤との再会に驚きを感じていたが、それ以上に嬉しかった。戦死したと聞かされていた斎藤が生きていた。あの戦の中、よく……そう思うと自然と涙が流れていた。他の隊士達はどうだったのだろう。生きているのか、それとも……
 ひとりひとり探して回るわけにはいかないが、そうしたい位に皆がどうしているのか知りたくなった。もう戻らない屯所での少し穏やかだった日々が頭の中を廻る。考えないようにしていた土方の顔も浮かび、涙が浮かんだ。泣き過ぎてもう枯れてしまうのではないかと泣く度に思うのに、変わらずこうして流れてくる。もう泣きたくはないのに。泣いても土方が生き還るわけでもないのに。この哀しみから解放される事はない。寧ろ、解放される事を恐れるかのように、涙が溢れて止まらなかった。

 流石にずっと湯船に浸かっていたので逆上せてしまうし、斎藤が心配するだろう。泣いて、少し頭痛のする頭をすっきりさせようと、水で顔を洗ってから出たのだが、その眼は少し赤く、鼻の頭も赤くなっており「泣いてました」という顔になっているのは自分でも薄々気付いていたので、斎藤と眼を合わす事が出来ないでいた。
「お先に、いただきました」
「あぁ」
「それと…この寝間着は……?」
 何故ここに、斎藤の家に女物の寝間着があるのかふと気になり、泣いていたのを誤魔化すように聞いてみたのだが
「それは妻が着ていた物だ」
 妻が着ていた。その言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「えぇぇええぇぇぇぇえぇえ!?」
 飛び上がって驚く千鶴に、相も変わらず表情を少しも変えずに斎藤は驚く千鶴を見ていた。
「何を驚いている」
「ちょっ…あ、あの…これ、脱ぎます。や…やっ…宿を探します。え…と…す、すみません。図々しく押しかけてしまいまして……」
 押しかけたも何も、斎藤が半ば強引にここに連れて来たというのに、申し訳なさそうに何度も頭をさげ、寝間着を脱ごうとする千鶴に、流石に慌ててその手を止めて
「脱ぐ必要はない。それと、出て行く必要もない」
「で、ですが…奥方様がいらっしゃるのに……私がここに泊めていただくわけにはいきませんから」
 今度は寝間着のままで出て行こうとする千鶴に
「千鶴、落ち着け」
 初めて斎藤に「千鶴」と呼ばれ、驚いて大きな眼を更に大きくさせてじっと斎藤を見つめていると
「俺は妻が着ていた、と言った筈だが?」
「えぇ。だから、寝間着を借りるわけにも、ここに泊まるわけにもいきません」
「俺は過去形で話をしている、と言っている」
「え?」
「妻がいたのは確かだが、離縁して、今はひとりだ。気にする必要はない」
「り、離縁……」
「そもそも勧められて婚姻しただけの話だ」
 そう言われても、納得出来ず、言葉も出て来ない。暫く黙って見つめ合ったままでいたが
「とにかく、腹が減っているだろう。夕餉も用意した故、そこに座って待っていてくれ」
 斎藤との再会はとても嬉しいことではあったが、あまりにも衝撃的な事が多すぎて、いつもの千鶴ならば「手伝います」と、一緒に勝手場に行った筈なのだが、ちょこんと、言われた場所に居心地悪そうに座った。
「斎藤さんが…結婚……」
 想像もつかない話だった。新選組にいた頃は女っ気がまるでなく、島原通いもしていなかったのではないだろうかと思う程の人物だ。新選組と刀。斎藤にとってそれだけあれば充分だった。千鶴の眼にはそう写っていたのである。
 しかし、新選組はもう存在しないし、刀の時代も終わった。
「こんな寒い場所にひとりで暮らすのは淋しいもんね。人肌が恋しくなって当たり前かも」
「別に人肌が恋しかったわけではない。さっきも言ったが勧められて婚姻しただけの事だ。勧めてくれたのは上司で、断る理由も特になかった故、承諾しただけだ。特に珍しい話ではなかろう」
 振り返ると膳を持った斎藤が立っていた。
 確かに珍しい話ではない。寧ろ、上司に勧められて断る方が珍しい。それだけの理由がないのならば、当然である。
「あ、すっ…すみません。何から何まで……」
「構わぬ。おまえは客人だからな。ゆっくりしているといい」
 いただきます。手を合わせて味噌汁を啜ると、懐かしい味がそこにあった。新選組にいた頃、斎藤達幹部も食事当番で料理をしていた為、料理はお手の物だった。勿論、食事当番をしていたからといって皆が皆、料理が上手くはなかったのだが、食に拘りがあるようで、斎藤の作るそれはとても美味しかった。
「ですが……」
「妻がいたといっても、半年程だ。気にする必要もあるまい」
「は、半年ですか……?」
「あぁ、俺はこのように朴念仁だ。愛想をつかしたのだろう」
 てっきり相手に不手際があって、離縁したものだと想像していただけに、まさか斎藤の方が愛想つかされたとは思いもせずに
「えぇ! どうしてですか?」
「どうして、と言われても、俺にも解らぬ」
 朴念仁。斎藤は普段から表情が豊かな方ではない。自分に厳しく、だからこそ相手にもそれを求める。だが、それだけの人間ではない。細やかな所に気付き、さりげない優しさを持っている。恐らく、こうして料理を作る事もあっただろう。
「斎藤さんは決して朴念仁ではないですよ。とてもお優しいですし、尊敬する部分も沢山あります」
「優しい、か。そのような事を言われたのは初めてだな」
 驚いて斎藤の顔を見ると、僅かではあるが、微笑んでいるのが解った。藤堂のように「解りやすい」表情を浮かべる人物ではないが、笑顔を何度も見て来た。
「皆さん、言葉にしなかっただけですよ。斎藤さんはとても優しいです。今もこうして、お風呂を用意して下さったり、夕餉まで用意して下さいました」
「すまないな、気遣わせてしまったようだ」
「いえ! 気遣ったわけではありません」
 思わず力説してしまったのが恥ずかしくて、俯いて「とても懐かしい味がします」そう言うと
「そうか。では、明日は俺がその懐かしい味を食べたいものだな」
「あ、はい。朝餉は私が用意しますね」
「よろしく、頼む」
 流石にそう言われてしまっては「出て行く」とも言えなくなってしまい、今日はとりあえず、斎藤の好意に甘えようと決めたのだった。