穹の刻
再会 1

(斎藤×千鶴)

 最愛の土方を亡くし、生きる意味も失くしてしまい、千鶴はただ息をしているだけのような生活を半年程過ごしていた。島田が土方と千鶴の行方を知り、魂の抜け殻のようになった千鶴を京や江戸に戻すわけにもいかないと、親切な診療所の主の元に残し、降伏後、謹慎生活になり、そのまま別れる事となった。どんな時でも笑顔を絶やさなかった千鶴が何も話さず、食事もとろうとしないやつれた姿の彼女を残して行くのは忍びないとは思っていたが、綱道も他界し、身よりのない千鶴をどうしてやる事も出来ず、せめて永倉や、斎藤、原田等に連絡を取る事が出来ればとは思っていたが、自由な行動を取る事が出来ない島田は小さな診療所を営む老夫婦に千鶴の面倒を頼みこんでいたのである。
 暫くは本当にただ「生きているだけ」の千鶴ではあったが、哀しみから立ち直り、まだ「空元気」ではあるが、笑みが戻り、食欲も少しずつではあるが戻り、漸く自分の生きる道を見つめられるようになっていた。何をすればいいのか、どう生きていけばいいのか、医者の元で、家で綱道と生活をしていた時のように炊事洗濯をし、助手として患者を診ている内に、ずっと帰っていない家の事を思うようになっていた。何度か江戸に戻ろうとしたが、その度に「まだ時世が安定していないのだから、今江戸に帰るのは勧められないね」と、止められた。
 実際、戦争が終結したとはいえ、すぐに平和になるわけではないのは解っていた。新選組と行動を共にしていた頃のように、沢山の情報が入ってくる事がなく、今何が起きているのかどこが安全なのか解らずにいたのも確かだ。一体いつになれば本当の意味での平和になり、江戸に戻る事が出来るのか、誰にも解らなかった。
 だが、やはり江戸の家が気になるというのもあった。半年、また半年…時を重ね、いつまでも優しい老夫婦の世話になっていてはいけないと、江戸に戻る事を決意し、なんとか説得をして、蝦夷地から南下するべく、江戸から京に出た時のように男装はしなかったが、同じように蝦夷…今は北海道と名を変えたこの土地を出たのだった。同じく江戸から東京と名を変えた千鶴が、綱道と過ごした家のある場所へ向かった。何度も何度も、世話になった老夫婦に頭を下げながら。

 北海道で過ごした数年。その間、全く情報が入らなかったわけではない。どうしても、新選組の隊士の行方、特に幹部達がどうなったのか、生きているのか、無事なのか、それを知りたいと思っていた。島田が謹慎処分になったのは知っていた。謹慎生活とはどういうものなのか、いつ出られるのか、出られた所でそれからの暮らしの保証はあるのか解らないが、それでも生きてさえいれば、島田ならばきっと幸せをつかむのではないか。あの優しい笑顔が浮かぶ。永倉、原田はどうしただろう。会津で別れた斎藤は戦死したという話を耳にし、まさかあの強い斎藤が…とは思ったが、会津での戦いは過酷になると聞いていたし、あの時約束はしたが、約束をしたからといって、必ず生き残れるわけではない。それは千鶴も解っていたが、近藤が捕まった時、沖田が戦死した時の土方の震える背中を知っていただけに、その事を土方が知らずに済んで良かったと思っていた。

 海を渡り、千鶴は集落をふらふらと歩いていた。空腹ではあったが、何とか泊まる場所はないかと、探していたのだが、近くにそういう場所はないらしく、もう少し歩かなければならないと解り、腰をかけて休んでいた。
「……雪村?」
 千鶴を氏で呼ぶ人は少ない。新選組から離れて…戦争が終わってからは当たり前だが「千鶴」と名で呼ばれていた。まさか…と、顔をあげるとそこには戦死したと聞かされていた斎藤が立っていた。
「さ、斎藤…さん?」
「こんな所で何をしている」
 互いに驚きを隠せなかったが、相変わらず斎藤は冷静で、目の前のその人は千鶴が知っている斎藤一だった。
「戦死したと…聞いていました」
 斎藤の質問に答えず、信じられないといった顔で斎藤をまじまじと見つめた。
「情報が混乱していたのだろう。それに、会津の戦いは過酷なものだったのでな」
 千鶴の隣に腰をかけ、以前と変わらない真っすぐな眼を向ける。
「そう…ですね。でも…生きて…良かったです」
 涙を浮かべる千鶴に指で涙を拭ってやると
「すみません」
「構わぬ」
 斎藤は土方がどういう結末を迎えたのか詳細は知らなかったが、戦死したのは知っていた。それは間違った情報ではなく、確かな筋からのものだったので、きっとその時、千鶴も傍にいたのだろうと考えると、その涙の意味も自然と理解出来た。
「斎藤さんは…ご存じ…なんですよね?」
「土方さんの事か?」
「……はい」
「あぁ。聞いている」
 淋しそうな笑みを浮かべる千鶴に、かけてやれる言葉が見つからず、ただ以前のような笑顔が失われているような気がしていた。土方を亡くし、この数年どこで何をしていたのか。斎藤はここ斗南に来てからも…いや、会津で戦っていた時から千鶴の事が気になっていた。それは土方が戦死したと聞いてからは特に頭から離れずにいた事である。
「斎藤さんは…どうしてここに?」
「俺は…会津藩士としてここに来る事に決めた」
 会津藩士として。袂を分かつ時、斎藤が言っていた言葉を思い出した。会津藩に恩があるからと、だから斎藤は会津に残る事となったのだ。
「戦争が終結して、暫く俺は謹慎生活を送っていたのだ」
「……島田さんも謹慎処分になったと仰ってました」
「あぁ、聞いている。島田君は俺よりも早く謹慎処分は解かれたらしい」
「一緒に謹慎生活をされていたのではないのですね」
「あぁ。俺とは違う藩士として謹慎処分を受けていたのでな」
 違う藩士…同じ新選組に所属していても、全く違う道を行くのが不思議だった。それは袂を分かつこ事となったというのも大きいのは解っていたのだが。
「先程も聞いたが、ここで何をしているのだ」
「あ、泊まる所を探そうと思っていたのですが……」
「泊まる場所?」
「はい。蝦夷から海を渡って来たばかりなんですが、江戸の家までの旅になるので……」
「やめておけ」
「えっ?」
 立ちあがると、千鶴の手を取り、そのまま歩き始めた。
「あ、あのっ…斎藤さん…?」
 何度斎藤を呼んでも、振り返る事すらせずただ、千鶴の手を握り行動は強引ではあったが、千鶴に合わせて歩き続けた。
「ここは…?」
 斎藤が連れて来たのは小さな家だった。
「俺の家だ。ここに泊まるといい」
「えっ…?」
「江戸に行くのはやめておけ」
「どうしてですか?」
 居間に通して、座らせると
「戦争は終結したが、旧幕府側にいた人間が京や江戸で安心して暮らせる状態ではない」
 蝦夷地にいたから、遠い京や江戸…いや、京都や東京の情勢や事件等は千鶴の耳に入っていなかったので、斎藤の言葉の意味を理解出来ずにいた。
「ですが、家を残したままにしているので、住む場所はありますし……」
「俺が言っているのはそのような意味ではない」
「どういう…意味ですか?」
「おまえの父は確かに、薩長側にいたが、それを知っている者よりも、新選組に所属していたと思われていただろう。今は旧幕府軍の家族…特に女子供が襲われる事件が多発しているようだ」
「でも、私は男装してましたし……」
「それが通用するとでも思うのか? 確かに、男の着物を着ていた。しかし、見る者が見ればおまえが女だと解る事だ。日に日に娘になっていったのだから、女だと気付いている者の方が多かっただろう」
「そんな…!」
 幹部が常に傍にいたし、土方の小姓として傍にいる事も多かった。末端の隊士達の声が千鶴に届く事はなかったのだが、実際は年を重ねる度に娘に成長していく千鶴の男装は無理があり、土方の女だと噂する者も少なくなかったのである。
 土方の傍を男装して歩く千鶴は一体どのように思われていたのか。当時を思い出すと、全く考えもしなかったとはいえ、男装しているからと安心して土方の傍にいた事を今更ながらに恥ずかしく思った。おそらく、それは土方も気付いていた事だろうが、千鶴には何も言わずにいたのは千鶴を思っての事だと知った。醜聞を耳にしないよう守っていたのである。それは土方もそうだし、新選組の幹部達全員がそうしていたのだろう。
「すまぬ。男装をさせていたのは俺達新選組なのに、おまえには嫌な思いをさせてばかりだったな」
「いえ…そんな……」
 しかし、蝦夷地に向かったのは千鶴の意思なのだ。土方は千鶴の事を考えて傍に置かなかったというのに、わざわざ男装をして追いかけたのは土方でも、新選組の隊士達でも誰でもない千鶴自身なのである。だから「嫌な思いをさせた」と斎藤は謝ったが、一概に新選組が悪いわけではないのだ。元はといえば自ら望んで男装をして江戸を出て、蝦夷地に行く時も望んで自ら男装をしたのだ。
「女子ひとりで江戸に住むのは危ないからやめておけ」
「そう…言われましても……」
 他に行く場所等なく、いや、千を頼れば何とかしてくれるかもしれないが、迷惑をかけたくないという気持ちもあったし、もし頼ると言ったとしても、同じように「京はもっと危険だ」と言われるだろう。新選組が生まれたのも、有名にしたのも京であり、その場所で隊士達と一緒に行動をしていた千鶴を知る者は少なくないのだから。
「暫くここに住め」
「……え?」
 何を言われたのか理解出来ずにいると
「ここだと安全だ」
 つまりは斎藤と住むという事である。
「でっ…ですが…迷惑になりますし……」
「構わぬ。幸い部屋も余っている。俺ひとりではこの家は大き過ぎる故、何も問題はない」
 問題はないと言われても、夫婦でもない男女が一緒に住む方が問題ではないのだろうかという視線をやるのだが、何故斎藤がここまでしてくれるのか疑問を感じてしまい
「あの…どうして、ここまでしてくれるのでしょう?」
「危ない場所に行こうとする者を放ってはおけまい」
 ただ、それだけの理由とは思えなかったが、真面目な斎藤ならば考えられると納得をせざるをえなかった。だからといって「ではお世話になります」と言える程千鶴は図々しい性格ではなかった。

 「碧血録」の最終回は土方×千鶴BAD ENDなのではないか…と思わずにはいられなかったのです。
 はじめは納得出来ずに…といいますか、一番好きなのは斎千なのですが、やはり千鶴には幸せになって貰いたいといいますか、なので…いや、もう勝手に脳内変換されていました(笑)
 今だから思えるのは土方さんの最期を「どっちなの?」と考えさせられるような物にしたのは史実の彼らの生きた道を尊重したかったからなのでは…と思ったのです。
 原田さんも戦死したとしなかったのは史実でも本当にどうだったのか解らない曖昧な部分があるからでもあるし、斎藤さんは確実に大正まで生きたから「会津で戦った」としか表現しなかったのだろうと。それらをにおわせながら「そうだ」と確定させなかったのはあくまで主人公は「薄桜鬼」である土方であり、土方さんと千鶴の物語だからなのだと、思うようになりました。
 なので「碧血録」の続きではありますが、あくまで捏造です。