めてが、欲しい

(斎藤×千鶴)

 土曜日、千鶴がどうしても観たいと思っていた恋愛映画を斎藤と一緒に観に来ていた。
 元々、千を誘ったのだが「そういう恋愛映画こそ、斎藤さんと行きなさいよ」と、言われたのだ。恋愛映画だからこそ恥ずかしかったのだが「いちゃいちゃする為に、恋人同士で恋愛映画を観るんじゃないの」と、ウインクされてしまうと、反論出来なくなってしまったのだ。
「いちゃいちゃって……」
「恋愛映画なんて、そういうものじゃない?」
「違うと思うよ、お千ちゃん」
「違わないの! 私とじゃなくて、斎藤さんと行って、いちゃいちゃしてくるの!」
 解った? と、強気な眼で言われ、千鶴はもう頷くしかなく、斎藤とは互いに趣味の合う映画を選んで観ていたのだが、今回は千鶴が観たい映画という事で、申し訳ない気持ちが残っていた。

「すみません」
「何故謝る」
「だって、あまりこういう内容の物は好きじゃないですよね?」
「自ら好んで観ようとは思わぬが、千鶴は観たいのだろう?」
「はい……」
「だから、構わぬ、と言っている」
 でも、と、やはりすまなそうにしている千鶴に
「ならば、次は俺が観たい映画に行く、というのでどうだ?」
 だったらあいこだろう? と、嬉しそうに笑った。
 付き合いだして一年。互いに初恋という事もあり、未だに少し「遠慮」が残っていた。それをどうすれば取り払えるか、斎藤は考えていたのだ。
 もっと我侭になってもいいのに。
 いや、なって欲しい。
 もっともっと、素の千鶴を知りたい、甘えて欲しいと、願っていた。
「恋人同士なのだから、遠慮は無用だ」
 と、言ったとしても、千鶴は簡単に「はい」とは言わないだろう。そういう部分も好ましいとは思っているが、甘えてこないのは自分がそれだけの器を持っていないのではないか、と考えてしまう事も少なくは無かった。だから「観たい映画があるんですけど、先輩はあまり好きじゃないかも……」と、誘われた時は漸く甘えてくれるようになったのではないかと感じられとても嬉しかったのに、やはり千鶴はどこかすまなそうな表情をしていた事が引っかかっていた。そのような仲ではない筈なのに。
 ただ観たい映画を一緒に観よう。というのは我侭でも何でもないのに。
(俺は遠慮しているつもりはないが……)
 しかし、言っていない事はある。それは遠慮というよりも、千鶴を大切にしたいが故、言っていないだけだ。千鶴もまた斎藤を大切に想っているからこそ、言っていないのならば……
 斎藤と千鶴とでは「大切に想う」意味が少し違ってくる。それを上手く説明出来る自信はなかった。自分の欲求を吐露してしまうのはあまりにも恥ずかしかったし、口にしてしまう事で千鶴を怖がらせてしまう恐れがあるからだ。
 斎藤と千鶴では天と地程の差がある。
 斎藤のそれは欲求で、千鶴のそれは願望だからだ。
 男と女だから当たり前なのかもしれないが。いや、初めて付き合うからこそ、高校生だからこそである。時間が経てば互いにあるぎこちなさは自然と無くなっていくものだと思っていたし、実際少しずつ無くなってはいるが、一番無くしたい壁はまだ大きくそびえ立っているような気がしていた。
(これは時間が解決してくれるものではないのかもしれぬ)
 元々の性格からくるものならば、自然には決して無くなってはくれない。

 映画を観ながら、隣の千鶴に視線をやると映画に夢中になっているようで、斎藤の視線に気付かずスクリーンを真っ直ぐ見つめていた。
 手を。
 手を繋ぎたいと思った。
 伸ばせば届く距離なのに、遠いと感じるのは心臓の高鳴りのせいなのか。もう一度千鶴を見るとほんの少し涙が浮かんでいるように見えた。斎藤も映画に気持ちを戻そうと前を向くと、互いの気持ちが漸く通じ合うというシーンだった。
(絶対に映画の話になる、俺も映画に集中せねば)
 周りにカップルも沢山おり、全員というわけではないが、手を繋いでいるかどうかは見えないが、寄り添って観ているカップルが多数いて、斎藤も千鶴と…と思わなくも無かったが、いきなりそれは斎藤には難関だった。
 いずれ。
 もう少しふたりの距離が縮まった時に自然に寄り添えるようになるだろうか、と映画を観ながらも、気持ちは隣にいる千鶴を意識せずにはいられなかった。

「最後がハッピーエンドで良かったですね」
「そう……」
 だな。と続きを言おうとした時、右手に柔らかい物感じた瞬間、千鶴が手を繋いできたのだと気付いた瞬間鼓動が途端に早く打った。
「悲恋物も切なくて嫌いじゃ無いんですけど、やっぱりハッピーエンドが好きなんです。単純ってよくお千ちゃんには言われるんです」
「千づ……」
「はい?」
「おまえから手を繋いでくるのは初めてだな」
 頬を少し染めながら、千鶴の眼を見つめて早口で呟くように言うと、千鶴は斎藤以上に頬を染めて繋いだ手を離そうとするのだが、斎藤はそれを許さなかった。
「すっ、すみません…私……」
「何故謝る」
 謝るような事を何もしていないだろうと、言うと「恥ずかしくて……」と、蚊の鳴くような声で言い、千鶴にとって大胆な行動だったから、嫌われてしまうのではないかという心配が生まれたのだが、それは言えなかった。
「俺は…嬉しかったのだが」
「えっ…?」
 どうして、と言わんばかりの顔で斎藤を見つめる千鶴に
「惚れている女子にこうされて、嬉しい以外の何があると言うのだ」
 おまえは俺にこうされるのは嫌なのか? と、問われ強く手を握りしめられると「嬉しい、です」と、ぎゅっと斎藤の手を握り返した。
「おまえが俺を好いてくれているのは解っている。だが、こうして行動で示してくれるのは皆無だった故…いや、考えた事もなかったと言うのが正しいか。おまえはこういう想いをしていた、という事だな。俺が触れる度に千鶴が少し硬直する意味が解った気がする」
「先輩……」
「はじめは男に触られるのが怖いのかと思っていた」
「そんな事っ…!」
「ないとは言えぬだろう? 好き合っているとは言え、初めての事だからな」
「怖いって言うのとはまた違います」
「そうか」
「はい。ドキドキ、しました。いえ、今もしてます。父や薫を触るのとは当たり前ですが、違いますから」
 平助君は幼馴染みだから、薫と同じような感じですし、と続けた。
「そういえば、入学したての頃は手を繋いで登校していたな」
 繋いで、というよりも、遅刻しそうな藤堂に引っ張られてというのが正しいのだが。
「それは…平助君がいつもギリギリまで起きないから」
 今は一応声を掛けるようにはしているようだが、藤堂の部屋にひとりで入る事はしなくなっていた。そして、遅刻ギリギリで手を繋ぎ登校する事も。
「平助は今でも遅刻ギリギリの時があるがな」
「そうですね」
 以前より減ったのは斎藤の小言と、千鶴への甘えが無くなってきたからだろう。
「千鶴」
「はい」
「またおまえの初めてが欲しいと言えば、俺の願いを叶えてくれるのだろうか」
「初めて、ですか?」
 例えば、そうだな…と、甘い眼を千鶴に見せるとあたりに人がいないのを確認して、唇を軽く重ね「おまえからの口付けが欲しい」と、耳元で囁いた。


 多分ずっと手を繋ぐのも、抱き締めるのも、キスをするのも斎藤さんからだったと思うんです。
 恋愛映画を観て、千鶴の気持ちが高まっていたのか、それとも映画の中の恋人達のように手を繋ぐ事が千鶴の中で自然になっていたのかもしれません。
 でも、斎藤さんからすると、それはとても衝撃的な事ですよね。きっとドキドキしたと思います。