ねだり、したい

(斎藤×千鶴)

「こ、これは……!!」
 斎藤はとある物の前で立ち止まり、釘付けになっていた。今日は「それ」を買いに来た訳では無いし、元々必要としていなかったものである。
 だが、しかし。欲しいと思った。普段は無駄遣いをしたりは絶対にしないのに。そして、これは無駄遣いでしかないのを理解していたけれど、どうしても欲しいと思ってしまい、売り場から離れられなくなってしまっていた。斎藤がこのような状態になってしまうと、この場から離れられなくなるのだが、幸か不幸かそれを止める人物はいなかったので、店員も不思議そうにしながらも、直接声を掛けずに斎藤の反応を待つように遠くから見ていた。
(落ち着くのだ、斎藤一。今使っている物が壊れているわけでも、壊れそうなわけでもないのだから、これは不必要だ)
 どれだけ言い聞かせるように頭の中で自分を説得する言葉を浮かべてみても、身体はそこから動かなかったし、視線を逸らせる事すら出来ずに、ただじっと「それ」を見つめていた。

 どれ程の時間が経ったのか解らない。店員も妖しい者を見る視線に変わっていた。しかし、斎藤が何かをしそうな雰囲気を纏っていなかったし、実際に何もしていなかったので、声を掛けるタイミングを逃してしまい、斎藤を気にしながらも他で接客をしていたが、それも気にならなくなった頃に斎藤は漸く「すまない」と、店員に声を掛けた。
「はい」
 置物と化していた斎藤が動いたのに少し驚きつつも、笑顔を浮かべて斎藤の方へと歩み寄ると
「これが欲しいのだが」
 まるで絞り出すような声で言うと
「お色はいかがいたしましょうか」
「何色があるのだ」
「この見本の白と、黒、青にピンク、オレンジがございます」
「黒で、頼む」
「ご自宅用ですか、それともご進物用ですか?」
「自宅用だ」
「でしたら、簡易の包装でもよろしいでしょうか」
「あぁ、構わぬ」
「かしこまりました」

 会計を済ませて、迷い、悩んでいたのが嘘のように嬉しそうな表情で斎藤は家路についた。
「無駄ではあるが、これは決して無駄では無い」
 寧ろ、自分のやる気を増幅させ、勉学の励みになるのではないかと、プラスに考えるようになっていたのだが、まだこれは未完成である。
「明日、千鶴に頼まなければ…いや、今日メールで頼み事がある旨を伝えておくべきか」

 件名:忙しい時間にすまぬ。
 明日頼みたい事があるのだが、昼休みに時間があるだろうか。

 携帯電話を手に取った時に、夕飯時なのでは…と思ったが、電話と違いメールなので、傍に置いているとも限らないし、都合のいい時間に見れるだろうと、件名に誤りの言葉を入れつつも、時間を作って欲しいとメールを送信した。

 件名:いいえ、大丈夫ですよ。
 丁度、借りていた本を読み終わったので返そうと思っていたんです。
 用事って何ですか?

 まだ夕飯の支度をしていなかったのか、返信はすぐに届き

 件名:もう読んだのか。
 千鶴の事だ、また夢中になって読んだのではないのか? 睡眠は取れているのか?
 メールでは言いにくい事故、明日直接言う。

 件名:すみません。
 でも、睡眠時間を削ったりはしませんでしたよ。テレビを見る時間を減らして読んだんです。勉強もちゃんとしているので、心配しないで下さい。大丈夫です!
 解りました。では、明日教えて下さいね。

 メールでは言いにくい事とは何だろうと、気にかかりながらも、隠し事ではなく、明日の昼になれば判明するのだからと、敢えて触れずに「何だろう」と、思いつつもメールを送信した。

 件名:ならばいいのだが。
 心配位かけさせてくれ。俺はおまえの恋人なのだからな。
 明日なのだが、昼のチャイムが鳴ったらすぐに視聴覚室に来てくれ。

 チャイムが鳴ってすぐに、としたのは相変わらず風間が千鶴を狙っているというのもあったし、未だに千鶴の恋人が斎藤なのを不服に思う者もいるようで、その非難…という程ではないが、それらから千鶴を守るべく、チャイムと同時に教室から離れるようにいつも言っていたからだった。藤堂もそれを案じて、休憩時間になるとそっと千鶴を教室から離れる手伝いをしていた程である。
 といっても、主に風間から逃れる為、なのだが。

 件名:は、はい。
 でしたら、私にも斎藤さんの心配をさせて下さいね。
 視聴覚室、ですね。解りました。

 付き合って暫く経っているので、互いに「恋人である」と、自覚が芽生えていたし、付き合い始めた当初よりも意識をし過ぎるという事は少なくなっているのだが、それでも、斎藤の言葉は時々千鶴の心を飛び跳ねさせた。千鶴もまた同じ爆弾を斎藤に投げているのだが、勿論無自覚である。

 件名:あぁ。
 では、明日視聴覚室で落ち合おう。
 その前に、朝校門で会うがな。

 いつもの笑顔で「おはようございます」と、挨拶する千鶴が浮かんだのか、頬を染めて「早く会いたい」と、付け足しをしてメールを送信した。

 件名:私も早く会いたいです。
 毎日会っているのに、おかしいですよね。
 あ、そろそろ夕飯の支度をするので、返信が遅れます。

 件名:いや、もう今日はこれで終わりにしよう。
 千鶴とメールをしていたら、終わり時に困ってしまうな。
 返信無用だ。

 気を遣ってこのメールに返信をするだろう千鶴に「返信無用」の言葉を入れたメールを最近送るようになっていた。離れている時も繋がっていたい気持ちはあったが、千鶴には千鶴の時間を大切にして欲しいと斎藤は思っていたし、同じように千鶴も斎藤の時間を大切にして欲しいと願っていたので、これでメールを打ち止めにしなければ、という時は「返信無用」の言葉を入れるようになっていた。

「待たせたな」
「いえ、そんなに待ってませんよ。あの、これ、有難うございました。面白かったです」
 窓から校庭を眺めていた千鶴は振り返り、借りていた本を手渡した。
「そうか。ならば良かった。また面白いのがあれば貸そう」
「はい! お願いします」
「所で、頼み事なのだが……」
 鞄の中から箱を取り出し、箱を開けるとそこには
「時計、ですか?」
 どう見てもただの目覚まし時計にしか見えなかったのだが、それと斎藤の頼み事が繋がらなくて、首をかしげた。
「これは…その…録音機能がついていて……」
 しどろもどろに、頬を染めて斎藤の言葉に耳を傾けていると、どうやら千鶴の声で目覚まし時計に言葉を録音し、それで目覚めたいという事のようだった。
 それは恥ずかしいと思いながらも、逆の物を想像していた。
 千鶴も斎藤の声で起こされたいという願望が芽生えた。
「あ、私も先輩の声が入った目覚まし時計が欲しいです」
 互いに声を録音し、それで目覚めるのは良いかもしれないと言うと
「ならば、放課後に買いに行くか? 高価な物でもない故……」
「はい!」
 斎藤の声が朝一番で聞けると、想像しただけで嬉しかった。
 声を録音するのは千鶴と同時に、そして互いに聞かれないよう、翌朝の楽しみにするのはどうだろうかと提案すると「楽しみですね」と、頬を染めながらも、嬉しそうに微笑んだ。

 放課後、ピンクの目覚まし時計を選び、公園でメッセージを録音したのだった。
 翌朝、互いに目覚まし時計が鳴る前に目覚めていたのは言うまでもない。


 以前何かのテレビで好きな声優さんに声を録音して貰って…というのを見た時に浮かんだネタです。
 好きな人の声が入った目覚まし時計っていいですよね。