たりの、時間

(斎藤×千鶴)

 静かにお昼休みを迎える筈だったのに、朝のあの出来事のせいで、斎藤の周りも、千鶴の周りも騒がしかった。元々、千鶴の周りは薄桜学園唯一の女生徒という事もあり、賑やかではあったが「彼氏が出来た、しかもあの堅物男風紀委員の斎藤」となれば、騒ぎにもなって当然である。
 千鶴は何故愛想もない堅物男を選んだのかと、納得出来ずにいる生徒達が千鶴の元へと足を運んでいる生徒達が口々に言っており、何故自分ではないのかと、詰め寄っていた。
「そんな風に詰め寄るのは卑怯じゃねぇ? 今まで何もしてこなかったのを棚に上げて、千鶴を責めるようにここぞとばかりに言ってんじゃねぇよ!」
 かばうように千鶴の前に立ちはだかるのはクラスメイトであり、幼馴染みでもある藤堂平助である。
「こんな時にしか自己主張出来ない男に千鶴を好きになる資格もないと思うけど」
 呆れたように口添えするのは兄の薫である。資格も何も、誰ひとり認める気はなかった筈なのだが。
 ともかく、彼らのおかげで千鶴は必要以上に責められる事はなく、斎藤も千鶴を心配し、休憩時間ごとに千鶴の元へと行きたい気持ちでいっぱいではあったが、自分が行くと余計に千鶴の立場を悪くしてしまうと、普段通り風紀委員としての活動を邁進していた。
 この調子で、はたして静かな昼休みを迎えられるのだろうか。
 不安がふたりを襲っていた。折角互いの弁当を作ってきたのに。よりによって、その当日にこんな宣言をするとは夢にも思っていなかったのだ。いずれは知られる事になるのは覚悟していたが、もう暫くは人知れずふたりの距離を縮めていきたいと思っていたからである。強く願っていたのは斎藤の方であり、同じように千鶴の恋人は自分なのだと知らせたい気持ちがなかったわけでもないのだが、特に斎藤は複雑な気持ちを味わっていた。
 昼食はどこで取ろう。どこだと人に知られずにふたりきりの時間を過ごせるだろう。場所以前に、昼休みに自分はともかく、千鶴が人知れず教室から抜け出せるのかが心配になってきていた。
「おう、斎藤」
 考えを巡らせている時に背後から呼ぶ声が聞こえ振り返ると、斎藤が一番尊敬している教師の土方だった。
「土方先生」
 何故声を掛けてきたのか、聞くまでもなかった。
「大丈夫か」
「俺は大丈夫です」
「そうか」
「―――すみません」
「どうして謝るんだ。おまえ、何か悪い事でもしたってぇのか?」
「いえ、悪い事等……!」
 しかし、後ろめたさはあった。男どもから千鶴を守れと言われていたのに、自分が千鶴を想い、ただ想うだけでなく、その気持ちをを伝えて交際にまで至ってしまったからである。
 俺はおまえを信用して千鶴を預けたんだ。
 そう言われても反論は出来ない。本来ならば自分から言うべきではなかったのか。
「何て顔してやかがるんだ」
 見上げると、何とも言えない笑みを浮かべている土方の顔があった。
「しかし……」
 言い訳が見つからない。土方の言う通り「悪い事」はしていない。決して。千鶴を守るという役目も破棄しているわけではない。誰よりも大切にしている。だからといって、手を出して良いわけではない。勿論不埒な事等してはいないが、千鶴に触れたいという気持ちはあるのは確かである。
「不真面目な気持ちじゃねぇんだろ?」
「勿論です!」
 当たり前だ。不真面目な気持ちで千鶴に近付いたりするものか。ただ愛おしくてたまらないだけなのだ。
「中学の頃は知らねぇが、高校に入って、この男だらけの学校で誰かに恋愛感情を抱く可能性は高くなる。それは千鶴の両親も、俺達教師も覚悟って言い方は良くねぇかもしんねぇが、まぁ、覚悟は出来てたんだ。問題は相手だ。千鶴を大切にしてやれる男かどうかだ。おまえにそれを話さなかったのは斎藤も千鶴を想うひとりの男になる可能性があったからだ。先にそれを言っちまうと、絶対に気持ちを認めるような事はしなかっただろうからな。俺達はおまえの気持ちを殺させたくなかったんだ」
「土方先生」
「まぁ、まさか、本当におまえが千鶴を想い、千鶴も斎藤を想うようになるとは想像しなかったけどな」
「すみません」
「だから、謝る必要はねぇっつってんだろうが」
「はい」
「おまえの事だから、もう親には報告したんだろ?」
「はい。俺の親にはまだ紹介はしてませんが、千鶴の母親には挨拶をしました」
「で、あの煩い兄まで黙らせたってわけだ」
「だっ、黙らせて等……」
「あるじゃねぇか。一番騒いでもおかしくねぇ薫が騒ぎを起こしてねぇんだ。おまえを認めたって事だろう」
 おそらく、両親から薫と千鶴の関係…いや、薫の千鶴への溺愛っぷりをはじめに聞いていたのだろう。土方が言った「千鶴を守れ」という言葉にはもし千鶴に恋人が出来て、それを壊そうとする薫からも守れという意味もあったのである。
 言葉の意図を理解し、先を読んで行動する土方を尊敬する気持ちが増えたのは言うまでもない。羨望の眼差しで見つめる斎藤の視線が眩しかったのか、軽く咳払いをし
「これは帰るまで、騒ぎがなくならないし、千鶴も気疲れするだろう。あいつの事だから部活を休もうなんざ考えもしねぇだろうし、言っても聞かねぇだろうな」
「そう、ですね」
 同じ事を斎藤も危惧していた。ふたりの時間を過ごしたいという純粋な気持ちもあるが、千鶴を休ませてやりたいという気持ちもあったのだ。ただでさえ男ばかりの場所、教師も男ばかりで気持ちが休まる場所はないに違いない。だからこそ、今まで千鶴は昼食をひとりで過ごしていたというのもあるのだ。毎回休憩する場所を変えてまで。それを知っているから近藤も「どの場所を使ってもいい」と、許可をしていたのだと今更ながらに気付いた。千鶴を特別扱いしているとは考えてはいなかった。もしかすると千鶴に対して「特別扱いしている」と、やっかむ気持ちを抱いている生徒がいるのかもしれない。しかし、共学になったとはいえ、女生徒はひとり。そこまでしなければ千鶴を守れないし、これから少しずつ増えるであろう女生徒達を安全に学校に通う事が出来るのだという示しにもなるのだ。将来普通の共学の学校になればここまでしなくても大丈夫にはなるが、それまでは女生徒の扱いはより丁寧にしなければ取り返しの付かない事から守れなくなる為なのだ。
「おまえで良かったよ」
 何が、と一瞬思うのだが、千鶴の相手が自分で良かったと、安心したような表情に、斎藤は言葉が出なかった。感無量というのはこういう気持ちなのだと、じっと土方に視線をやる。
「あぁ、昼休みは校長室を使えって、近藤さんからの伝言だ」
「校長室、ですか?」
「そうだ。千鶴は放送で俺が呼び出す。おまえは呼び出さねぇが、先に来い」
「はい」
 おそらく校長室には誰もいないのだろう。近藤が場所を譲り渡すのではなく、はじめから誰もいない状態を作っておくに違いない。でなければ、千鶴が一層恐縮してしまうからである。
 そこまでの気配りの出来る近藤と、土方の器の大きさに改めて自分はこの学校に来て良かったと、このふたりから勉学以外で学べる事が多いと感じるのだった。

 先にメールで土方の意図を話していたので、呼び出しを受け、弁当を小さなトートバックに入れて校長室へと向かった。
「斎藤先輩」
 高校に入って、色んな場所で弁当を食べていた千鶴だったが、まさか校長室で食べる日が来るとは思わず、やや恐縮していたが、斎藤の顔を見ると安心したように笑みを浮かべると、同じようにほっと優しい眼差しを千鶴へと向けた。
 いつも弁当時は横に並んで食べる事が多いのだが、今日は机があるから向かい合わせに座った。隣に座るのも気恥ずかしいが、向かい合わせで顔を見るのは今日は一段と恥ずかしい気がしていたのは千鶴だけではなかった。互いにあまり視線を絡ませずに、用意した弁当を鞄から出して「では」と、交換をした。このような場所で物々交換をするのは何だか取引きをしているようだったが、妙な緊張感からふたりとも口数が減っていたのだ。
 そう、減ってはいたが、楽しみにしていた時間だ。嬉しそうに弁当の蓋をあけると、ハンバーグと卵焼きと、かぼちゃ、ブロッコリーが目に入った。
「美味そうだ」
 独りごちるように呟くと、千鶴も「美味しそう…」と、同く呟いた。焼き鮭と、里芋の煮っ転がし、卵焼きが目に入る。斎藤らしい和食だった。
「いただきます」
 同時に手を合わせて、いつも以上に言葉数少ないまま弁当をほおばる。
「こ、これは……!」
「え…何か…不味かったでしょうか……」
 不安げに斎藤を見ると
「このハンバーグなのだが……」
「……はい」
「豆腐の味が、するのだが……」
 不安気な顔からぱぁっと明るい表情になり
「お豆腐使ってます」
「やはりそうか」
 特に変わったレシピではないが、どうやら斎藤家では和食が多いのか、ハンバーグが食事に出る事もあったようだが、豆腐を混ぜたハンバーグは初めてのようだった。
「美味い。有難う」
「いえ、先輩のお弁当も美味しいです。里芋も大好きですし、卵焼きも似てますね。でも、先輩の家の味なんだなって…それに、お米はもしかして七分づきですか?」
「そんな事まで解るのか?」
「うちも同じですから」
 今日のご飯は黒米と一緒に炊いているから解り辛いと思いますけど、と続けた。
「そうか」
 こんな所も同じですねと、微笑む千鶴に斎藤は千鶴とは出会うべくして出逢った大切な存在なのだと改めて認識していた。
「今日は突然すまなかった」
「どうしたんですか? 急に……」
「急では無い。皆に言っておいた方がおまえが安全だろうという気持ちもあったのだが、このような形でおまえとの付き合いを皆に言い、騒がせてしまった。午前中ずっとおまえの元に沢山の輩が押し寄せていたのではないか」
「あ…でも、大丈夫です。薫や平助君が助けてくれたので」
 斎藤が想像していた通りだった。きっとあのふたりが千鶴を守ってくれるだろうと。
「そうか」
 話したい事、伝えなければならない事があったが、話ながら食べたのでは折角の料理の味が解らなくなってしまうのではないかと、互いにチラチラと食べる様子を伺いながら、再び弁当に集中をした。

「風間から何か言ってきたか?」
 一番の心配はそこにあった。あの風間千景である、何かしてきたのではないかと危惧していたのだ。
「いえ、風間先輩は来られなかったですよ?」
 まだ噂を耳にしていないのか。いや、あの男が千鶴に関して情報を怠る筈が無い。何か企んでいるのだろうか。天霧にそれとなく様子を聞きに行かねばなるまいと、風間に知られないように天霧と接するにはどうすればいいのか考えを巡らせた。
「そういえば、先程先輩は私…達の事を皆に言っておいた方が安全だと言ってましたけど……」
 言われて嬉しかったが、何がどう安全なのか繋がらなかったようだった。
「あ、あぁ、その事か…それは…だな。おまえの安全と言ってしまったが、俺のエゴでもあるのだ」
「エゴ、ですか?」
「あぁ。確かにおまえに余計な虫は寄りつかずに、安全なのだが、単に俺がおまえの側に俺以外の男を近付けさせたくなかっただけだ」
「え…?」
「独り占めしたかっただけだ。心が狭いと、おまえは笑うか?」
 自嘲気味に笑みを浮かべる斎藤だったが
「笑いません! 嬉しい、です」
「そ、そうか…ならば、これから思い存分おまえを独占出来るな」
 どうしてこの人は頬を染めながらこのような破壊的な言葉をさらりと言ってしまえるのだろうかと、いつか自分も斎藤に破壊的な言葉を言ってみたいなと思いつつも、その前に先に自分が自爆してしまうのではないかと上目遣いで斎藤を見つめるのだが、その視線こそ言葉では無いが、同じ攻撃を斎藤にしているとは露程も感じていなかったのだ。
「休日は勿論だが、学校にいる時もふたりの時間を大切にしたいと思っている。おまえとの時間を誰にも邪魔をさせないと、約束しよう」
「はい!」

「斎藤の奴、言うじゃねぇか」
「そうだな。奥手で何も言えないのではと心配していたが、彼ならば雪村君を安心して預けられるな」
 もうそろそろ予鈴がなると、ふたりの様子を見ようと近藤と土方がドアの外にいるのに気付くのは予鈴がなってからの事である。


 漸くお弁当交換の話に持って行けました。
 自分で書いていたのですが、近藤さんと土方さんの今までの行動にちゃんとした意味があるんだな…と関心してしまいました。きっとあのふたりならばこういう行動になるだろうなとその時その時、書いているのですが、勝手に動いてくれているんですよね。考えて、ではなくきっとこうだろうと想像がつくんです。それだけちゃんとした位置づけが出来ているという事なんですよね。
 改めてこの作品が好きだと書いていて感じました。
 最後の近藤さんの台詞は前にお千ちゃんが言っていたのと同じ内容です(笑)