顔の、瞬間

(斎藤×千鶴)

 生まれて初めてのデートという事で、眠れなかったというのも重なり、早朝の四時から千鶴は台所に立っていた。特に約束をした訳でも、頼まれたわけでもないのだが、公園に行くのならば、きっと弁当を持って行ったら喜んでくれるのではないかと、喜ぶ斎藤の顔を浮かんでは口元が緩み、一番最初に褒めてくれた卵焼きを焼きながら「うん、中がふんわり出来たかな」と、いつも以上に独り言が増えているが、幸い両親と薫の部屋は台所から近くはないので、この一人芝居のような千鶴の姿は誰にも晒される事はなかった。
 昨日の夕飯は密かに弁当のおかずになる物ばかりが献立に並んでいたのだが、それに気付いたのは母親のみである。
「明日、斎藤君とデートなの?」
 夕食を終え、食器を洗っている時に声を掛けられ、振り向くと嬉しそうな母親が立っていた。
「う、うん…なんで解るの?」
「そりゃ…あなたの母ですし、それに…この料理はお弁当のおかずに使えそうな物ばかりだもの」
 にやけそうな顔を一生懸命ポーカーフェイスにし、父親はともかく、必要以上に絡んでくるだろう兄だけには悟られたくなかったので、その時だけは斎藤の事を忘れようと努力していたのだが、やはり無理だったようだち。幸い、父や兄には気付かれなかったのだが。
「そっか…そう、だよね」
 気付かれた恥ずかしさから誤魔化すように笑うと
「斎藤君、とても礼儀正しそうな子だったわね」
「うん! 先生からも信用されてて、面倒見も良くて、初対面の時から凄く良くして貰ったの」
 母と娘。女同士の話を今までも沢山してきたし、父親や兄とも同じように色んな話をしてきた。だが、恋の話だけは男の家族には言えないような気がしていた。出逢った時の事、入学してからのやりとりを話すのが楽しかった。
「今度家に連れてらっしゃい」
「うん」
 でも、いきなり家に連れてくるのは恥ずかしい。入りはしなかったが、一応家に、玄関までならば迎えに来て貰ったので、一概にも初めてというわけではない。しかし、自分の部屋で斎藤と過ごすのを想像するだけで、どうにかなりそうだった。

 昨日の母とのやり取りを思い出してまた、頬を染めつつも「いつか、招待出来たらいいな」と、呟いて、テキパキと弁当を完成させていった。
「沢山作り過ぎちゃったかな……」
 あれも食べて貰いたい、これも喜んでくれるかなと、欲張り過ぎる内容になってしまった弁当をトートバックに詰めていく。
「喜んでくれると…いいな」
 美味しそうに食べる斎藤を思い浮かべ、まだ六時にもなっていない時計を見て、待ち合わせの十時にはまだまだ時間があると、高鳴り過ぎている鼓動を落ち着かせるべく斎藤から借りている本を読む事にした。

 約束の十時には幸いにも薫は幼馴染の藤堂に連れられて家にはいなかったし、バーゲンに行きたいという母に父が車を出す事になり、同じく出かけていなかった為、千鶴ひとりだった。もしかしたら父親に会う事になるかもしれないと、心の準備をしていた斎藤だったが、少し拍子抜けをしていた。
「行こうか」
 あの日以来、外にいる時は必ず手を差し出し「手を繋ごう」と、意思表示をするようになり、千鶴もまた頬を染めながらも、斎藤に触れたくて手を伸ばして、大きな手を握り締める。少し重そうに見えたトートバックに手をかけて
「持とう」
「いえ、重たいので」
「だから、持とうと言っている」
 恋人同士になったというのに、相変わらず硬い物言いではあるが、そこに優しさが感じられるので、変わらない物言いが好きだった。
「有難うございます」
「水筒…?」
 弁当箱は包んであるから解らないものの、流石に水筒までは包まずに鞄に入れたので、中身が見えてしまい、遊びに出かけるのにまで持ってくるのは珍しいのではないかと、不思議そうに水筒を見つめていた。
「あったかくなってきましたし、喉がかわくかもしれないかなぁ…って…」
 弁当を持ってきていると今は言いたくなくて、普段友達と出かける時に水筒を持って行く事をしないが、あるといいかな…と思う事もあったので本音ではある。
「あ、ちゃんとコップはふたつ用意しましたので、先輩の分も沢山ありますからね」
「すまない」
「いえ!」
 実は弁当を用意したのだと、言いたくてうずうずしていたのだが、絶対に昼時に出した方が驚いて、その後に笑顔を見せてくれる。勿論、今言ったとしても「楽しみだな」と笑顔を浮かべるのは容易に想像つくが、やはり弁当を出して、蓋を開けてからの驚く顔が見たいと黙っている事にした。

「すみません。切符代、出して戴いて……」
「構わぬ。俺はおまえの…その…彼氏だし、年上だからな」
 ポンポンと頭を撫で、照れたように笑うと、千鶴は嬉しそうに微笑むが
「でも……」
 出して貰うのに抵抗があり、申し訳なさそうな表情を浮かべる千鶴に
「おまえには弁当を作ってきて貰った事があったのでな。その礼というわけではないが、今回は出させてくれ」
「はい。有難うございます」
 今日もその弁当を用意しているので、斎藤の好意を今回は素直に受ける事にした。毎日弁当を作っているわけではない。まだ一度、今日で二度目である。
「でも、毎回は…駄目ですよ?」
 次からは割り勘でと申し出る千鶴に
「解った。毎回はやめておこう」
 ほっとする千鶴を見つめながら、自分で稼ぐようになるまでは…と、誓ったのは千鶴の知る所ではない。

「そう言えば、先輩とこうして電車に乗るのは初めてですね」
 意外と空いている車内でふたり並んで座って、本当は斎藤の顔を見たいと思いつつもいつもと違う距離にどきどきしながら向かい側に見える景色を見ていた。
「そうだな」
「なんか…ちょっとどきどきします」
 実は斎藤の私服姿にもまだ慣れず、黒を中心とした服に普段以上の大人っぽさを感じ、制服姿よりも私服姿の方が自分は子供っぽく見えるのではないかと、不安に感じていたのだ。
「俺も…少しどきどきは…している。その…千鶴の私服姿が……」
 まぶしくて、とはとても言えずに、頬を染めながらも千鶴を見つめた。
「変…ですか?」
「いっ、いや! 決して変というわけではなく、いつも以上に」
 愛らしいと、視線を逸らせて呟くように言う斎藤に、千鶴までもが頬を染めて互いの顔を見れずにいた。
「良かったです。先輩がとても大人っぽく見えるのに、私は…子供みたいだったら、つり合いがとれないんじゃないかって…不安だったんです」
 思わず正直に私服姿を見る度に不安に感じていた事を言葉にすると
「そのような事を言うな。いや、考える必要もない」
 そっと手を握り
「子供っぽいと感じた事等ない。おまえはそのままで良い」
「でも、やっぱり先輩の隣にいるのだから、先輩に合う大人な女の人じゃないと、って…思うんです」
「そん……」
 そのような事はない。おまえだから、千鶴じゃないと…そう言いかけた時、目的とする駅につき、一旦この話は打ち切りとなった。折角の初めてのデートだというのに、千鶴の笑顔はなくなってしまい、沈んだまま改札を出て、手を差し出しても手を伸ばさない千鶴の手をやや強引に握り
「千鶴、俺にはおまえしかいない。それは忘れないで欲しい」
 突然の言葉に驚いて千鶴は言葉も出なまま斎藤を見上げた。
「忘れないでくれ」
 もう一度、念を押すように言い、力強く千鶴の手を握った。
「はい」
 それだけしか言葉が出て来なかった。はっきり好きだと言わけたわけではないが、好きだと言われる以上に斎藤の気持ちが伝わり、同じように手を握り返した。

 気まずいわけではないが、公園につくまでは会話がなかった。ただ手を繋ぎ、幸せを噛みしめていた。この人が好きだ。好きだなぁ…と、気持ちが溢れ、言葉が上手く出て来なかったのだ。何度も握り返してくる仕草に、斎藤も千鶴から「好き」と言われたわけではないが、自分と同じ気持ちでいてくれていると、決してこれは自惚れではないと、小さくて柔らかい手を握り返し、形を確かめるように指でなぞった。

「ここだ」
 ついたのは大きな花壇の上にあるベンチで、花壇が一望出来る場所だった。
「綺麗…」
 色とりどりの花が咲き乱れ、千鶴に笑顔が戻るのを見ると
「去年の今頃、ここをクラブの皆で通った時も満開でな」
 初めてのデートだし、ここに連れて行きたいと思った。
「喜んでくれると思った」
「嬉しいです」
 暫く上から花壇を眺めていたが
「近くで見てもいいですか?」
「あぁ」
 繋いだままの手を離さず、斎藤をひっぱるように速足で階段を下りて行く。
「わー、可愛いです。綺麗です」
 花のひとつひとつを嬉しそうに眺める千鶴に、斎藤は花を見ずに「おまえの方が可愛い」と言いたげな顔を浮かべていたのだが、花に夢中の千鶴は気付きもしないで、次はあっちを見ましょう、次はこっちですと、斎藤の手をひっぱり、いつもならば考えられないような千鶴の行動が嬉しかった。たまにはこうしてひっぱられるのもいいと、こんな風に笑顔が見られるのならば楽しいと、初めて見る千鶴の仕草が愛おしくてたまらなかった。

「あの…実はお弁当作って来たんです」
 花壇の上にあるベンチに座り、話をしている時に正午を知らせる音が鳴り、隣に置いていた鞄から弁当箱を出した。驚いて声も出ない斎藤の前にずらりと弁当を並べ、水筒も置いた。
「この為の水筒だったのだな」
 水筒を見た時に、考えれば解る事だったと、少し悔しそうにするのだが、すぐに嬉しそうに笑い礼を言った。
 弁当箱の蓋を取り「美味そうだ」と、眼を輝かせる斎藤に「この顔が見たかったんだ」同じように笑顔になる千鶴の頬を撫で、もう一度
「有難う、千鶴。食べようか。前に作って貰った時は慌ててちゃんと味わわずに食べてしまい、勿体無いと思っていた」
 言葉の通りひとつひとつ噛みしめて味わっていた。
「美味いな。千鶴は本当に料理が上手い」
「有難うございます。毎日作ってるので、誤魔化しが上手いのかもしれません」
「そのような事は! この味は俺には作れん」
 真面目な顔で言い切る。
「作れないって…まるで、料理をする人みたいです」
「料理を作る人ではないが、作った事がないわけではない」
「そうなんですか?」
「あぁ、両親は共働き故、俺が夕飯の支度をする時もある。兄弟はいるが、俺しか作れない」
 作れない事はないと言っても、こんなに上手くは作れないがと、弁当に並んでいる料理に目をやる。
「先輩が台所に立ってる姿、想像つきません」
 言いながらも、想像していた。きっと、きっちりと分量を量って、まっすぐな味の料理にちがいないと。
「今度、おまえに弁当を作ってきてやろう。千鶴のように美味くは出来ぬが、何度も作って来て貰っているのでな。その礼だ」
「そんな…あ、では、私も作ってきます。交換、しませんか?」
「では、次の月曜日に作って来るとしよう」
「はい!」
 またひとつ、楽しみが増えた。会えるだけで嬉しいのに、これ以上楽しい事が増えたらどうなるのだろう。毎日、毎日が嬉しいの積み重ねばかりで、目的の為、夢の為に頑張って入った学校だったが、嬉しい誤算ばかりが千鶴に降り注いでいるように感じていた。付き合うようになってから、斎藤の笑顔が増えたような気がする。
「あ…!」
「どうした?」
 思わず声を出してしまい、口を手で覆うのだが、声を出してしまったのだからもう遅いと、恥ずかしい気持ちでいっぱいだったが、伝える事にした。
「あの…先輩の写真が欲しいんです」
 出来れば、笑っている顔の…とまでは言えなかったが、毎日会えるが、会えない日もあるし、学校から帰ると声を聞く事は出来るが、顔は見れない。そんな時、写真があれば…と、よく思うようになっていたのだ。
「俺も…千鶴の写真が欲しいと思っていた」
 だから、一緒に撮らないか。携帯電話を取り出し、初めて撮った写真は笑顔ではあったものの、まだぎこちなかった。


 モデルになっている公園は私が昔住んでいた家から三十分程歩いた場所にある(軽くドーム位はある)公園です。
 本当に綺麗な花が沢山植えてあって、ぼんやりとそれを眺めているだけでも楽しいし、友達とベンチに座りずっと話をしていた事もありました。
 斎藤さんと千鶴は自然が沢山ある場所にデートに行きそう。いきなり映画とかは…なさそうかな。なんて思いました。
 もうちょい短めに纏めたかったのですが、ついダラダラと書いてしまうのは悪い癖なんですね。