の、ぬくもり

(斎藤×千鶴)

 ふたりの初デートといってもいいのか解らないが、図書館でテスト前の勉強会が、付き合って初めてふたりで出かけた場所だった。ただひたすら教科書と参考書と向き合い、会話も千鶴が斎藤に質問をし、それに斎藤が丁寧に答えるというものばかりで、唯一デートらしかったのはランチを取っている時のみだった。だが、その時でも、ふたりは参考書を手にしており、雑談をしながら勉強もしていた。
 勉強熱心な千鶴の為、丁寧に教えてくれる斎藤の為、互いを思いやる気持ちから真面目なふたりははたから見ればただの勉強会をしていただけである。こっそり後をつけていた薫も「……俺、何してんだろ」と、ランチをとっているふたりを残して家に戻った程だ。
 おかげで、テストの結果、千鶴は学年で十位以内の好成績を叩きだし、学園長の近藤を感動させ、斎藤もまた成績を上げ、よくある交際が始まり、勉強が手に付かずに成績を下げてしまうというベタな展開は起きなかった。これもまたふたりらしいのかもしれないが。

 期末テストが終わり、テスト休み期間に入っても、剣道部は毎日練習に明け暮れていた。試合が近かったというのもあったし、試合がなくても、練習をする熱心な部員は何人かいたので、いつでも体育館は使えるように顧問である土方が使用許可を取っていた。顧問でも何でもない永倉も練習に参加する事も多々あり、いつも体育館は賑わっていた。
 休みに入っても斎藤が千鶴を家まで送り届けていたので、部活とはいえど「休みの日に共に過ごす」というデートのような気分になっていた。しかし、相変わらず手を繋ぐ事もせず、見つめ合い、話を楽しむだけである。傍にいる。ただそれだけで幸せだったが、やはり物足りなさを感じるのはたった一度きりだったが、手を繋いで歩いたからだろう。
 触れたい。
 いやらしい気持ちがないわけではない。だが、自分しか知らない千鶴を感じたいと強く願うようになっていく。こんな想いを知られたら千鶴は呆れてしまうだろうか。それとも、千鶴も同じように感じているだろうか。それを願いつつ周りに誰かいないか確かめて、手を伸ばした。ピクッと千鶴の肩が震え、一瞬硬直した手を逃げられないように繋いだ。俯く千鶴を見つめると、頬が桜色に色づいていた。
(可愛い)
 何度思った事だろう。そして、何度抱き締めたいと思った事か。告白をした時、思わず抱き締めてしまったが、それ以降は勿論この華奢な肩に触れた事すらなかった。
 いつか、抱き締めてもいいだろうか。自分の腕の中に収まってくれるだろうか。その時、自分は気持ちをきちんと伝えられるだろうか。
(いつか…の事を考えてどうする。今、こうして手を繋ぎたかった事、触れたい事を伝えるべきではないのか)
 親指で千鶴の親指を優しく撫でると、またピクリと硬直する。
「嫌、か…?」
 ただ恥ずかしがっているだけだ。千鶴の反応で、解っていたが、それでも「違う」と聞きたいと思うのは我儘だろうか。彼女の声で、自分は想われている確認をしたいと思うのはずるいだろうか。
 それでも、聞きたいと願ってしまっていた。だから、もし千鶴の方から同じように言葉を欲しがったら、絶対に斎藤も言葉に詰まり、どう答えればいいか困る事になるだろう。しかし、千鶴が望むのならば……例えどんなに恥ずかしくても、気持ちを伝えたいと、知って欲しいとそう強く思っていた。
「嫌じゃ、ないです。その…恥ずかしいです…あの…先輩の指、が……」
 優しく撫でるから。
 いつか、固くなってしまう反応はとれるのか。しかし、初々しい態度が可愛かった。それがなくなってしまうのは少し淋しいと感じ、これもまた自分の我儘だと、少し唇の端を上げた。
「おまえに…千鶴に、触れたいと思っていた。お膳立てされた状況ではなく、俺自身の意思で。おまえに触れたいと」
 顔を見るのが恥ずかしくて、俯いていたが、それ以上に今斎藤が、好きな人がどんな顔をしているのか見たくなり、顔を上げると、強い意志で言葉を紡いでいた愛しい人はまっすぐ千鶴を見つめていた。ゆるぎない気持ちを示してくれているのが伝わる。
「私も…ずっと、先輩と手を繋ぎたいって…思ってました」
 時折、視線を逸らしながらも、最後は斎藤の想いに応えるように自分も同じだと、同じ気持ちだと、きゅっと握り返した。逸らした視線をもう一度斎藤にやると、とても穏やか眼で千鶴を見つめていた。
「次の休みに、どこか行かないか?」
 毎日会っているのだから「淋しい」という感情はないが、折角恋人同士になったのに、ふたりきりの時間は下校の時間と、毎日ではないが、昼休みに過ごすほんのひと時だけだ。今はテスト休みとなり、そのまま夏休みに入る為、昼休みにふたりで過ごす時間はなくなっていたのだが。その大切な時間はこれからも大切にしていきたいが、やはり欲が出てくる。
 一日中一緒にいたい。
 休日に共に過ごしたい。
 私服を見たい。
 キリがない程の欲が増えてくる。だが、斎藤がそれを口にする事も、行動に移す事も出来なかったのは「自分の想いが強すぎて、千鶴を脅えさせてしまうのでは」という気持ちから。ならば、ひとつずつ、少しずつふたりの時間を増やしていき、距離を縮めたいと考えていた。勿論、心の距離も。
 千鶴もまた、斎藤と同じ想いを抱えており、初めて知る「恋人だけに向けられる視線」や「優しさ」にドキドキさせられっぱなしで、平常心を保てず、失敗をしてしまったり、ひとりでいる時に斎藤を想い出し、ぼんやりとしてしまうのだが、今の所その顔は誰にも見られてはいないが、何とも気の抜けた顔をしているのだろうな…と、両手で頬を軽く叩き「思い出したくないわけじゃないけど、ちゃんとしなきゃ、呆れられちゃう」と、自分を律するのである。互いのこのような感情を知れば、きっと「深く想われている」と嬉しくなるだけなのだが、初めての恋人で、共に初恋という事から、気持ちにセーブをかけてしまうのだ。
「行きたいです!」
 嬉しそうに斎藤を見上げる千鶴に微笑みかけ
「どこに行きたい?」
「映画…とかもいいですけど、先輩と沢山お話がしたいので、公園…っておかしいですか?」
 今時の高校生でも流石に「公園のデート」というのはないのではないか。そう思いつつも、ただ自然の中で、他愛のない事でもいいから斎藤と話をしたいと、もっと斎藤の事を知りたいと思っていた。
「見たい映画があるのではないのか?」
「う…それもありますけど、初めてのデートですから、ふたりの時間を楽しみ…たいなぁ…とか…」
 思っちゃったんですけど…と、変な事を言ってしまったのではないかと、語尾はもにょもにょと誤魔化すように俯いて小声で呟いてしまう。
「いや、俺も千鶴との時間を大切にしたいと思っている。遠出は出来ぬが、電車に乗って景色の良い公園にでも行くか」
「景色の良い公園、ですか?」
「あぁ、去年練習試合で対戦相手の高校に行った時に通ったのだが、丁度今の時期で、花が見事に咲いていた。きっとおまえなら気に入るのではないかと思ったのでな」
「わぁ! 嬉しいです。そこにしましょう」
「では、朝から行くか」
「そうですね。一緒に電車に乗って出かけるのって…楽しみです」
「電車に乗るといっても、特急に乗る程ではないのだが」
「それでもいいんです」
 嬉しそうに、繋いだ手を振り始め、その振動を心地よく感じながら、きっと無意識なのだろうと、千鶴が気付いて恥ずかしさから手を離されないように、ゆっくりと指を絡ませた。
 やっと千鶴の手に触れる事が出来た。以前に繋いだ時よりも柔らかく感じてしまうのは気のせいなのだろうか。「守りたい」という意識が更に強く芽生える。
 あまりにも自然に指が絡まるので「恥ずかしい」と手を引っ込める事すら出来なかったのだが、意外に少し強引な所があるのだな…と、冷静に考えつつも、そういう所も好きだな…何て気持ちまで自覚してしまい「ううん、強引な人が好きなんじゃなくて、斎藤先輩だから…なんだけど」等と、頭の中で言い訳を始め、その言い訳もまた「とてつもなく恥ずかしい内容」なのだと気付くと、この恥ずかしい思考回路を何とかしたいと、振っていた手を止めた。
「千鶴…?」
 急に大人しくなった千鶴を見ると、頬を染めたり、青くなったり、ころころと表情を変えており、それがまた愛らしく、愛しい物だと感じるのだが、一体何を考えてるのかは想像つかずに、聞いてみようかとも思ったが、あまりにも千鶴の百面相が可愛らしく、それを暫く眺めていると、視線に気付いた千鶴が
「…!!」
 ずっと見てましたね…? と、言わんばかりの視線を斎藤に投げかけた。
「百面相になっていたのでな」
 別に盗み見していたというわけではないのだが、言い訳のような言葉が出てしまい「何を考えていたのだ?」と、聞かずにはいられなくなってしまった。
 まさか、更にまた斎藤の事が好きになってしまったとか、違う面を見られて、自分だからこそ見られる斎藤の一面を愛しく感じていたと言える筈もなく
「べっ、別に何も…」
 まともな言い訳の言葉すら言えずに、上目遣いで睨んでみるものの、斎藤にとってそれは「可愛い」と、顔を緩ませる材料でしかない。
「ほ、本当に何でもないんです!」
「俺は何も言ってないが」
「言われてないですけど……」
 顔が、斎藤の表情が「何故、そのように百面相をしているのかと、聞いている」と言っているようにしか見えなかったのだ。事実そう思っていたのだが。
「聞けば、答えてくれるのか?」
「だから、別に何でもないと…」
 千鶴の家に着くまで、ずっと同じ会話を手を繋ぎ、指を絡ませたままで続けていた。幸い誰にも会う事なかったのだが、もし誰かに見られていたら「あの堅物の斎藤が、学園のマドンナといちゃついていた」と学園中の噂になっていた事だろう。


 単にいちゃいちゃしているバカップルの話になってしまったような気が……(笑)
 いいんです。ふたりにはいちゃいちゃバカップルになっていただきたく!
 付き合い始めってこれ位になるもんだしね。斎千の場合はずっとそのままのような気もしないでもないのですが。
 でも、何だか…斎藤さんがエロくなってきてるんじゃないかと…そう感じる今日この頃です。