きの、はじまり 千鶴編

(斎藤×千鶴)

 三月末。晴れて薄桜学園に合格をした千鶴は来月から通う事になる学校の前にいた。その日は千鶴と、双子の兄薫の誕生日という事で、家でパーティの準備があるから時間を潰してきて欲しいと、何故か薫に言われたのである。
(薫だって誕生日なのに)
 いつも、薫はどんな時も千鶴の事を優先してきたのだ。「双子なんだから、一緒に」と言っても「俺は兄だからいいんだよ」と、一緒に楽しもうとするのではなく、千鶴を楽しませる側に徹底するのだ。そんな兄だからこそ、千鶴もまた「薫に喜んで貰おう」と料理の腕を磨き、美味しいものを振る舞い、誕生日やバレンタインにはケーキやクッキーを焼くのである。その度に少し眼を潤ませる兄を見るのが好きだった。本人は決して泣いてなどないと否定をするのだが。
 今日は受験や、卒業式等、暫く慌ただしかった為、菓子を焼くという余裕がなく、折角時間が出来たのだからプレゼントを買おうと、買い物をし、そして何故かこれから通う学校を見たくなりここに立っていた。
 門の所には桜の木が植えてあり、蕾がついて、ポツポツと咲き始めていた。
(きっと、入学式の頃は満開…かな。綺麗だろうな)
 見上げていると
「そこで何をしている」
 振り向くと、制服を着た薄桜学園のおそらく千鶴の先輩になるだろう生徒が立っていた。
「すっ、すみません…あの…私、来月からここの生徒になる雪村千鶴です」
 何をしている、と聞かれたのに何故か自己紹介を始める千鶴に
「あんたが……」
 女生徒が何人か受験しに来たが、受かったのは一人だけだと知っていたその男は「俺は来月二年になる斎藤一だ」と、同じように自己紹介をした。
「はじめまして、宜しくお願いします」
 深々と頭を下げる千鶴に「あぁ、よろしく…頼む」と、少し面食らったような顔で返事をすると
「桜、入学式の時には満開になっているでしょうか」
 再び桜の木を見上げ、独り言のように呟くと
「そうだな」
 同じように桜を見上げ、互いに言葉もなしに立っていたのだが
「学校に何か用でもあるのか?」
「あ、いえ。ちょっと…見たくなりまして」
「見たくなった、とは?」
「興味がある学校だったので、共学になったのが嬉しくて。頑張って勉強したんです。もうすぐ通えるのかと思うと…そわそわしちゃいまして」
 おかしいですよね。と、恥ずかしそうに笑った。
「そんなに楽しみにしているのか?」
「はい! ここには私が受けたかったカリキュラムがあって、ずっと勉強したいって思ってたんです。この授業があるのも、施設等の環境が整っているのも薄桜学園だけで、他だと他県に行かないとなくて……」
「それで、女子が殆どいない、いや、受かったのはあんただけだから、女子一人しかいないのに、ここに来ると決めたのか」
「はい。両親…兄にも反対されましたが……」
「そうだろうな」
 両親以上に兄、薫の反対は想像以上のものだった。両親はこの学園には千鶴が将来の為に必要な科目や施設があると説明し、説得をすると「薫や平助君が一緒ならば」と渋々ながら赦してくれたが、薫は千鶴が将来の為に必要なのだとどれだけ説明しても聞き入れる事をせず、男はどんなに危ない生き物なのか、今まで起きた凶悪事件の新聞をどこで調達したのかスクラップにし、それを千鶴に渡す等、諦めさせる為にはどんな手でも使ったが、千鶴の意思は固く、最終的には部屋に閉じこもり「解ってくれるまでここから出てこない」と丸三日間出てこなかったのである。
 そんな事を流石に初対面の人に話すわけもいかず…いや、そもそもこの事を知っているのは家族と、千鶴の親友である鈴鹿千姫と幼馴染の藤堂平助しかおらず、他の人に話すつもりはなかった。
「でも、来月からここに通えるんですよね」
「……時間があるのならば、少し見学でもして行くか?」
「い、いいんですか?」
 眼を輝かせる千鶴に
「今は春休み故、生徒も殆どいない。案内出来る場所は限られてしまうが、構わぬ」
「是非お願いします」
「見てみたい場所とかあるか?」
「図書室に…」
「あぁ…うちの図書室の書物の数は他校とは比べ物にならないからな」
 それを知っていたのか。と言いたげな視線を千鶴にやると
「ここに通いたかった理由のひとつです。本が好きで、学校に沢山本があると便利だなってずっと思ってたんです」
「そうか。では、図書室に案内してやろう」
「有難うございます!」

 図書室を一通り案内し終わると、千鶴は入った時よりも眼をキラキラと輝かせて「楽しみが増えました」と、礼を言い、図書室を出た。
「他に見たい場所はあるか?」
 図書室に入るまでも、そこまでに何があるのか、どういう施設があるのか等、とても丁寧に説明してくれた斎藤に実ははじめ「ちょっと怖いかも…」と思っていた千鶴だが、とても好感を持つようになっていた。わざわざ時間を割いて、初対面の自分にこんなに丁寧に接してくれる。
(優しい人……)
「? どうした?」
 中々返事をしない千鶴を振り返る斎藤に
「あっ…はい。行きたい所はあるんですが、そろそろ家に戻らないといけないので……」
「そうか。では、門まで送ろう」
「い、いえ。大丈夫です」
「まだここの生徒になっていないあんたが一人でいると、他の生徒に絡まれる可能性もある」
「あ…そ、そうですね。ではお願いします」

(これって…やっぱり案内…してくれてるんだよね?)
 それは来た道とは違う順路で、同じように施設等を説明しながら歩いていた。千鶴はもっともっと斎藤の声を聞いていたくて、じっと見つめながら、説明を真剣に聞いた。
 入学すれば嫌でも解る事ではあるが、毎日のように学校案内のパンフレットを眺め「ここはどうなってるんだろう」「これ…生徒も自由に使えるのかな」と、考えては早く薄桜学園の生徒になりたいと、夢にまで見ていたのである。合格したとはいえ、まだ正式に生徒になったわけではない。だからこそ、フライングなのは解っていたけれど、来てしまったのだ。

「あの…今日は本当に有難うございました」
 頭を下げると
「いや、礼を言われるような事はしていない」
 少し顔を背けて、照れたような仕草をする斎藤に
「斎藤先輩に会えて良かったです。四月からお世話になります。宜しくお願いします」
「あぁ、こちらこそ」
 かすかに微笑んでいるような気がしていた。あまり表情の変わらない斎藤ではあったが、不思議と千鶴はその僅かな表情の変化が解るような気持ちになっていた。

(本当に、来て良かった)
 背中に斎藤の視線を感じ、振り向くと、やはりまだ立っている斎藤にペコリとお辞儀をすると、左手を軽くあげて、優しい視線を千鶴にやった。千鶴は頬を染めて、それでもその視線を逸らすような事はせず、大きく手を振って「有難うございました」と、もう一度言った。
 本当は別の言葉を言いたいと思ったのだが、上手く言葉が見つからなくて、ただ、感謝の気持ちを繰り返しただけだった。
(もっと、話したかったな。でも、来月になったら……会える。けど、学年違うから、あまり会えないかな)
 名残惜しそうに振り向くと、そこにはまだ斎藤が立っていた。
「………!!」
 駆け寄って、あと五分だけでも…話をしたいと思った瞬間、千鶴の鞄の中の携帯が振動を始めた。画面を見ると双子の兄、薫だった。
「もしもし、薫。どうしたの?」
『千鶴、今どこにいるんだよ。いつもおまえが時間を潰してる公園にいるんだけど?』
「あ、ご、ごめん。薫に渡すプレゼントを買って…そのまま薄桜学園に来ちゃったの」
『薄桜学園? 何でそんな所にいるんだよ。来月から毎日行く事になるんだぞ? それに、ひとりで行くなってあれほど言ったのを忘れたのか?』
「それは解ってるんだけど……」
『おかしな…いや、変な…いや。あの男に見つからなかったんだろうな?』
「大丈夫だって。今は春休みだし、生徒は殆どいなかったよ」
 流石に、幾ら先輩とはいえ、初対面の男の人に校内を案内して貰ったとは言えなかった。心配するのは目に見えていたし、それを言えばきっともっと、怒られるだろう。
『――ったく。余計な心配かけるなよ。もう準備も整ってるから早く帰って来い』
「はーい」
 電話を切り、もう一度振り向くと、そこには斎藤の姿がなかった。淋しい気持ちになったけれど、それがどういう気持ちから来るものなのか解らなかった。初めての感情に戸惑いながらも、それは決して心地の悪いものではなく、電車に乗っている間も、斎藤と交わした言葉を思い出し「早く来月にならないかな」と、小さな声で呟いた。

 四月。入学式を終え、千鶴は校長室に呼ばれていた。学園長の近藤と、教頭の土方に、女子生徒が一人だから、何かあればすぐに担任を始めとする教師に言うようにと、携帯番号を交換していた。
 特別扱いなのでは…そう思ったが、千鶴が男はどういうものか解っていないと諭され、決して特別扱いというのではないのだと、幾ら双子の兄や、幼馴染の藤堂がいるとはいえ、四六時中彼らが千鶴に張り付いているわけにもいかないし、普通に過ごしたくてもきっと好奇の眼で見られるだろうと、現実は厳しいものだからと、今までのようにはいかないのだという事を話していた。それは千鶴の両親とも散々話をした結果でもあると知らされた時、千鶴はただ共学になったからと、楽観的に考えていた事を改めて知る事になった。
「一応生徒会…っつうのもあるにはあるんだが……」
 苦虫を噛んだように土方は顔を顰めた。
「一番信用しちゃいけねぇ…っつうか…なぁ、近藤さん」
「あ、あぁ…そうだな」
 二人とも流石に自分達の生徒の事を悪く言いにくいのか、入学したばかりの生徒…しかも、初めての女生徒に言う事ではない「嫁探しに来ている生徒会長」の話をどう説明すればいいのか。もしかしたら…いや、確実に狙われるだろうと、そんな事が入学した当日に言える筈もなく
「とにかく、どんな些細な事でもいいから、何かあったら俺達に言ってくれ。それと……」
 続きの言葉を言おうとした時、校長室のドアをノックする音が聞こえ
「失礼します」
 入って来たのは入学して、一番会いたいと思っていた斎藤だった。
「あ、斎藤先輩…!」
「雪村」
「おぅ。何だおまえら知り合いだったのか?」
「知り合いと言う程ではないのですが…先月、彼女がここを訪れた時に学校の案内をしただけです」
 嬉しそうな顔で斎藤を見ている千鶴に視線をやると
「そうか。そうか、おまえに頼みたい事があってな」
「はい、何なりと」
「知っての通り、今年から共学になったが、受かったのはここにいる雪村千鶴一人だ。生徒会は信用ならねぇ。寧ろ…いや。とにかく、好奇な眼で見られるだろうし、馬鹿な行動を取る奴も出てくるだろう。風紀委員であるおまえにこいつを守って欲しいと思ってな」
「俺が…?」
「あぁ、いつもおまえにばかり押し付けて悪いが、こいつもおまえの事を知ってるみてぇだし、悪い印象もなさそうだ。頼めるか?」
「はい。お任せ下さい」
「すまねぇな」
「いえ」
 ふたりのやりとりを見ていて、斎藤はとても教師に信用されているのだな…と、きっと面倒見がよいのを買われているのだろうなと、自分の事でもないのに、それが何故か嬉しかった。
「他の生徒にも気をつけて欲しいが……」
「風間、ですね」
「あぁ、あいつが何をしでかすか……」
「風間…?」
 会話に入るつもりはなかったが、気になる名前が出て来たので、思わず声を出してしまった千鶴に、まさか…という視線を近藤と土方、そして斎藤が千鶴にやると
「もしかして、金髪で白い学生服の……?」
「おまえ、まさか…もうあいつに何かされたのか?」
 食ってかかるように土方が千鶴に詰め寄ると
「何かって…特には何もされてないのですが……」
「詳しく話してくれ」
 同じように千鶴に詰め寄って来た斎藤に視線をやると、とても心配そうな眼の色をしていた。
「合格発表の時…なんですが…兄と一緒にいる時にその風間…先輩から声を掛けられただけで、特に何も……」
 何故こんなに過剰な反応をするのか理解出来ず、首をかしげていると
「それだけじゃあるまい」
「あぁ、あの風間の事だ。怖い目に遭わされなかったか?」
「他に沢山の人がいましたし、先程も言いましたが、兄も…それに幼馴染も一緒にいましたから。あ、でも…おかしな事は…言われました」
「何を言われた?」
「我が妻……?」
 ガックリと肩を落とす近藤と土方。そして、鋭い視線を窓の外にやる斎藤。
「他には何も言われなかったのか?」
「待っている、とだけ。よく解らなかったのですが、兄がとても怒っていて」
 あの後、薫の機嫌を直すのが大変で、何故か学校に行くのにひとりでは決して行くなとも言われたのだった。しかし、つい先日、ひとりで行ってしまい、そこで斎藤と出会ったのだが。風間の事は忘れ、いや、そもそも彼が千鶴にどう思い、何を望んでいるのか、千鶴は全く解っていなかったのだ。ただ、入学早々斎藤と再会出来たのが嬉しくて、斎藤を見ると
「俺が必ず雪村を守ります」
「あぁ、頼んだぞ」
「そうだな。斎藤君がいてくれれば、安心だな」
 と、三人が何故ここまで心配をしているのか解らず、再び首をかしげる千鶴だが、暫くしてその意味を嫌という程解る事になる。


 ずっと、この話を書きたいと思ってました。これもまた斎藤編があります。
 どうしてもどっちの視点でも書きたいと思ってたので、まずは鈍すぎる千鶴から。
 ふたりの出会いは絶対に桜の木の下がいい。何となく絵が浮かんだのはゲーム本編でのあのシーンがあるからなんだろうけれど。
 だからこそ、SSLでのふたりの出会いはそこがいいな。ただそれだけの話です。