怯な、笑顔

(斎藤×千鶴)

 慌ただしくお弁当を食べたせいか、いつもと何ら変わりのない量だったのに、お腹が苦しく感じるのは詰め込むようにお弁当をたいらげたせいだけではない事に千鶴は気付いていた。苦しいのはお腹だけではなく、激しく高鳴る鼓動のせいで胸も苦しかった。その苦しさはとても甘く、授業が始まってからも斎藤に抱き締められた時の温もり、腕のたくましさが残っており、どうしてずっと抱き締められたままでいて平気だったのだろう。ドキドキしながらも、そこから離れたくないと、恥ずかしさが生まれてこなかったのか不思議でならなかった。今考えると恥ずかしくて、恥ずかしくて、放課後に斎藤とどんな顔で会えばいいのか、顔を赤くしたり、青くしたり、一人で百面相を繰り広げていたのだが、幸いにも千鶴の席は後ろの方で、周りは当たり前だが男子生徒ばかりで、彼らの影になっていて先生から千鶴の顔が見えるわけもなく、この百面相が気付かれる事はなかった。
 授業が終わり、藤堂に斎藤との事を話すわけにもいかないし、薫なんてもっての外だ。でも、誰かに話したくてメールで親友の千に昼休みに起こった事を報告する事にした。

 件名:斎藤先輩から告白されちゃったよ!
 勢いで私も好きって言っちゃった!

 件名:やったー
 やっぱり、斎藤先輩は千鶴ちゃんの事好きだったんだね。
 ね、今日放課後にそっちに行くから、詳しく聞かせてね!

 件名:詳しくって…
 で、でも…

 件名:絶対に行くから!
 待っててね。

 どう言ってもきっと千はやって来るだろう。話したい気持ちはあったが、改めてその事を詳しく話すのが恥ずかしくなってきたのだ。
(でも、お千ちゃん以外に今日の事話せる人はいないし……)
 恥ずかしい気持ちはあるけれど、それ以上に嬉しい気持ちを千に話したい。放課後、剣道部で斎藤とどんな顔をすればいいのかと、悩んでいた事も忘れ、あの嬉しさをどう言えばいいのか、きっとちゃんとした言葉で言えないだろうけれど、それでも千ならば自分の事のように喜んでくれるに違いないと、メールを見ながら笑っていると
「どうしたんだ? 何かいい事でもあったのか?」
 話しかけて来たのは幼馴染の藤堂だった。
「あ、ううん。クラブが終わったらお千ちゃんと約束してて、どこに行こうかな…って」
「あぁ、八瀬と待ち合わせしてんのか。そういや、前にも来てたよな」
「うん。たまに放課後に会って話をしてるの」
「そっか」
 ここには女子がいないもんなぁ…と、言い「辛くないか?」と聞いた。
「うん、平助君もいるし、薫もいるし、斎藤先輩も凄く良くしてくれるし、先生達も気にかけてくれてるから」
「一君かぁ」
 何か言いたげな視線を千鶴にやり
(一君、モテるのに今までどんな女子に告白されても無表情のまま断ってて、女子に興味ないと思ってたんだけど、いくら学園に女子一人で、一君が風紀委員だからといってもなぁ……)
 長年千鶴を想ってきた藤堂だったが、薫のガードのおかげか、今までヤキモチを妬いたり、不安になる事は一度もなく、これからも不安に感じる事などないと思っていたのである。しかし、今はこの学園に女生徒は一人という事で、薫の力が及ばなくなり、所謂無法状態。それに、剣道部には藤堂が心を許す仲間がいて、友達としても誇れる大切な存在であるが、その大切な存在だからこそ、恋のライバルとしてもとても強敵になると、今更ながら思うのだった。既にその中の一人の斎藤と千鶴が両想いになっている事など全く知らないのだが、斎藤が千鶴に対して好意を抱いているのは気付いていた。だが、千鶴の前以外では相変わらずの無表情で、無口な為、考えている事は全く解らない。それでも、斎藤も千鶴を好きなのではないか、とこの頃のふたりの様子を見ていると焦りを感じるようになっていた。
(いい奴なのは解ってんだけどさ)
 中学同様、千鶴と同じ学校に通えるのが単純に嬉しかったが、それ以上の誤算があった事を思い知る事になる。

「斎藤先輩…あの…今日、お千ちゃんと会う約束が入ったので、送って下さらなくても結構です」
 以前千と待ち合わせをした時と同じように一人で帰れると告げ、今回もまた遠慮してくる千鶴に苦笑いをしながら
「前にも言ったが、女子一人で暗くなってから帰るのは危険だ。帰る頃に電話をしてくれ」
「で、でも……」
 俯く千鶴の頭を優しく撫でて「電話を」と、これもまた前回と同じように肯定以外の返事は聞かないと言わんばかりに踵を返して自分の練習に戻った。

 校門で男子生徒に囲まれている千を見つけ「お千ちゃん!」と、駆け寄り「千鶴ちゃん!」と、抱き合ってクルクル回る彼女達を少し引いた視線を感じながら「行こっか」と、ふたりの間に誰も入れないオーラを醸し出しながら、学校を背にした。

「で?」
「え?」
 斎藤と一緒に行ったカフェでケーキを注文した直後、千はカフェに行く途中から聞きたくて仕方がなかった事を聞くべく、身を乗り出して
「え? じゃなくて。斎藤先輩から告白されたって?」
「あ、うん」
「どんな状況で? そういや、お弁当作るって張り切ってたよね。その時? どんな話から告白の流れになったの? それで、千鶴ちゃんはどう答えたの?」
 立て続けに質問を投げかける千に、何からどう答えればいいのか解らず
「お昼休みにお弁当を食べてる時に…その……」
 と、頬を染めて「好きだって言ってくれたの」と上目遣いで千を見つめた。
(うっ…千鶴ちゃん。女の私にもその眼は凶器になってるの…無自覚なんだろうな)
「何の前触れもなしに?」
「うん。突然……」
「へぇ」
(元々お弁当を作ってくれた時に言うつもりだったのかな?)
 考えた所で、一度しか会った事のない、後は千鶴からの話でしか知らない斎藤が何故告白に至ったのかなど想像出来るわけもなく
「それで、付き合う事になったのね」
「つつつつつつ、つっ…付き合うって言うか……」
「告白されたんでしょ?」
「う、うん」
「で、千鶴ちゃんも好きって返事したんでしょ?」
「うん」
「じゃ、付き合うって事じゃないの?」
「つ、付き合うって…どうすればいいの?」
 真剣な眼差しで問い掛けてくる千鶴に「千鶴ちゃんがここまで恋愛に鈍いのは薫君のせいだよね」と呟くのだが、本気で困ったような表情で見つめてくる千鶴に
「どうすればって…それは斎藤先輩に…うーん」
 と、いかにも奥手そうというか、無骨な印象の斎藤に委ねるのは心配になってきた。
「お互いに好きだって言い合って、それからどうしたの?」
「ど、どどっ…どうしたって…?」
「だから、その後よ。デートの約束をしたとか、彼氏彼女の関係になったという宣言があったとか」
「そ、そそそそそ、そういうのは…特に……」
 明らかに動揺しているのは何かがあったからというのが解り
「ねぇ、何言われたの?」
「言われたって言うか…」
(言われてないなら、何かを…?)
「何…されたの?」
「さ、されたって言うか……」
「うん」
「だっ……」
「だ?」
「抱き締められちゃった!」
 その時を思い出したのか、頬を真っ赤に染めて、上がった体温を下げるかのように、手で顔を扇ぎ始めた。
「だ、大胆! 告白してすぐに抱き締めるだなんて! やるじゃない、斎藤先輩! 奥手かと思いきや、意外と積極的? うん、いいわ。いいわよ!」
 千鶴以上に興奮して、少し鼻息を荒立たせるが
「そこまでされてどうして付き合うのが解らないのよ」
 と、呆れるのだが「やっぱり、薫君のせいかも」と初恋だし、恋愛経験もない千鶴にはハードルが高すぎるのだろう事が容易に想像は出来た。
「それで? それから斎藤先輩と喋ったの?」
「喋ったというか、クラブの時に今日はお千ちゃんと会うから送らなくても大丈夫って言ったんだけど」
「帰る時に電話をして欲しいって言われたのね」
「うん」
 告白する前もそうだったのだから、自分の想いを告げて、相手も同じ気持ちになったのだったら、勿論そうしてくるだろうし、寧ろ以前と変わらず遠慮してくる千鶴にやきもきしたのではないだろうか…と
「斎藤先輩はきっと、もっと甘えて欲しいと思ったんじゃないかなぁ」
「あ、甘えるって…でも、先輩の時間を割くなんて……」
「だーかーら! その遠慮が駄目なんだってば。ふたりの時間をこれから作っていかなきゃ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの!」
 もー、と言いながらも、嬉しそうに微笑む千を前に
「やっぱりまだよく解らないよ」
 と、不安そうな表情の千鶴に「大丈夫よ。斎藤先輩に委ねればいいのよ」と、意外と大胆な行動を取る斎藤ならば上手く千鶴をリードしてくれるのではないか、と思い始めたのだ。

「あの…終わり…ました」
 何て切り出せばいいのか解らないまま、カフェを出た千鶴は斎藤に電話をかけたが、意識しすぎているのか、やたらとぎこちない千鶴を千姫は微笑ましく見つめていた。
「はい…あ、あの…前に先輩と一緒に行ったカフェの前にいます」
(前に先輩と一緒に行ったカフェ…そういえば、偶然に会ってこの店に来たって言ってたもんね。付き合う前からまるで恋人同士みたいだったけど、意識し始めた分、以前よりもぎこちなくなってるけど、本当に大丈夫かな)
 まるでサラリーマンが外で上司や取引先と電話している時のようにペコペコとおじぎをしながら、恋人と話をする千鶴を見て、少し不安を覚えるのだった。
「斎藤先輩はすぐに来てくれるって?」
「うん」
 また会えるという嬉しさを隠せない千鶴はそわそわと髪型はおかしくないだろうか、とガラスに写る自分の姿を見て身だしなみを整え出した。そんな千鶴を見るのは初めてで、健気な姿にこれじゃ、斎藤じゃなくても守りたくなると女の千姫でさえそう感じるのだから、学校では注目の的になっているだろう千鶴をこれから斎藤は更にやきもきするだろうと、おそらく苦労するに違いない斎藤を想像して苦笑いをした。

「すまない。遅くなった」
 走ってきたのに、殆ど息の乱れていない斎藤に眼をやると、彼氏としての自覚からなのか、想いを伝えたという安心感からなのか、甘い表情で千鶴を見る視線に千は驚きを隠せなかった。
(こんな表情する人だったんだ。意外!)
 じっと見つめる視線に気付いたのか、千に視線をやると、軽く会釈をした。
「今日も迎えが来ているのか?」
 来てないと答えたら、おそらく「暗い中、女子ひとりで帰るのは危険だ。送ろう」と言うだろう事が容易に想像出来た。
「はい。大丈夫です。お気遣い有難うございます」
「そうか」
 無意識なのだろう。千鶴以外を見る時は無表情になる斎藤に、これだけ解りやすい態度を取っているのだから、周囲に知れ渡るのは時間の問題だろうと、千鶴に斎藤という恋人が出来たと解ればきっと、風間からの攻撃も和らぐのではないかと思ったが、もう既に斎藤が千鶴に好意を寄せているというのは親しくしているものならば、ふたりを知る人ならば気付いている筈だ。
(平助君も、気付いてるかもしれない…か)
 長年千鶴を想っている藤堂が少し不憫に感じたが、こればかりはどうにかなる問題ではないし、千は千鶴が幸せならばそれでいいと思っていたので「ごめんね、平助君」と心の中で謝るのだった。
「じゃ、またね。お千ちゃん」
「うん、またね。千鶴ちゃん」
 少し離れた距離感で歩くふたりに駆け寄ると
「恋人同士なんだから、手を繋ぎなさいよ」
 と、ふたりの手を取り、握らせて
「ちょっ…!」
「なっ…!」
 と、驚きながらも、手を離そうとする千鶴の手をぎゅっと握りしめる斎藤を満足気に見ると「千鶴ちゃんを宜しくお願いします」とペコっと会釈をすると
「勿論だ」
 不敵な笑顔を見せる斎藤に「やっぱり、この人ならば安心かも」と、満面の笑顔で千鶴に手を振り見送った。

 突然手を繋ぐ事になり、ただでさえ意識しすぎてどうにかなりそうなのに、どうすればいいのか解らず、俯いている千鶴に
「千鶴、こちらを向いてくれないか?」
「は、恥ずかしいです」
 俯いたまま斎藤見ようとしない姿勢に、繋いでいた手を少し緩めて、指を絡ませて繋ぎ直すと
「千鶴、俺はおまえが好きだと言い、おまえもそうだと答えてくれた。そうだな?」
「は、はい」
「俺達はもう恋人同士という事だ」
「はい……」
「だから、今までのように遠慮はするな」
「で、でも…先輩には勉強や剣道など、色々する事があって……」
「それは自分で管理出来る。しかし、それ以上におまえが大切だ。ふたりの時間も大切にしたいと思っている。おまえはどうだ?」
「私も先輩との時間を大切にしたいですし……」
 先輩と一緒にいたいですと、小さな声で呟くのだが、その声は斎藤の耳に届いており、愛おしさで抱きしめたい衝動にかられたが、それを抑えて絡めた指をなぞり
「俺もそうだ。故に、おまえに甘えて欲しいと思っている」
「はい」
 漸く顔を上げて斎藤を見ると、昼に見た優しい笑顔を浮かべた斎藤に「私も、先輩に甘えて欲しいと思ってます」と言うと
(その顔は卑怯だ、千鶴)
 大切にしたいと思っているのに、それに反してめちゃくちゃにしてしまいたい衝動をどう抑えればいいのか、何かに試されている気がしてならなかったが、それでも幸せな事には違いないわけで、千鶴の為ならば、どんな事でも耐えられるだろうと、優しく千鶴の頬を撫で「あぁ、そうさせて貰おう」と千鶴にとっても「卑怯な」笑顔を浮かべるのだった。


 毎回タイトルに迷います。たまにスパッと浮かぶ時があるのですが、殆ど毎回話を作って、完成させてから「何にしよう」とアルバムや歌詞カードを見ていい言葉がないか探してしまいます。
 探したけれど、特に「これだ」というのがなかったので、はじめに浮かんでいたタイトルにしました。
 今回、斎藤さんの出番はなしにするつもりでした。
 千姫とのガールズトークのみにするつもりが、平助も出て来たし、最終的に斎藤さんも出てきて、何やらエロい感じになってしまった……(笑)
 それに、千姫が世話好きなおばさんみたいな感じになってしまった。というより、私の心の声が彼女の心の声になってしまった気がします。