溢れ出した、想い
(斎藤×千鶴)
その日、斎藤はいつになく浮かれていた。といっても、いつもと同じ無表情ではあったので、誰に気付かれるという事はなかったのだが。休憩時間になると、こっそりメール蘭を開き、早く昼休みにならないものかと、いつもと全く変わらない鉄仮面のような表情からは想像出来ない程高揚していた。
何度も確認をしてしまうそのメールの送り主は勿論後輩、斎藤の想い人の雪村千鶴からである。
件名:雪村です。
こんばんは。明日、お弁当を作れそうなんですが、大丈夫でしょうか? もし、先輩のお母様がお弁当を用意されるのであれば、別の日にします。
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件名:斎藤だ。
こんばんは。いや、母が弁当を作る予定はない。
……その、期待している。
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件名:あまり期待はしないで下さい。
では、お昼休みに屋上で待っていて下さいね。
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件名:期待せずとも、おまえの料理は美味いに決まっている。
解った。昼休みに屋上で落ち合おう。
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そう。たったこれだけの内容で、特に愛を語られたわけではない。勿論告白をこれからされるというわけでも、自ら告白をする予定もないというのに、生まれて初めての地に足のつかない状態を味わっていた。
休憩時間はいつも友と過ごしているのではなく、風紀委員としての活動をしていた。特に決められた事ではないが、生徒会長があの風間という事もあり、何か問題は起こっていないか…と、斎藤が自発的に行っている事である。しかし、たった十分程度の休憩時間で全ての校舎を回れるわけではないので、順番に少しずつ巡回をしていた。同級生の沖田に「そうそう問題なんて起きないんだから、休憩時間位好きなように過ごしたら?」と言われても、根が真面目な斎藤としては「もし、巡回を怠って何かが起こってからでは遅い。それに俺は好きでやっている」と、頑として譲らなかった。斎藤がそう返してくる事は解っていた事ではあったが、わざとらしく大きな溜息をついて「相変わらず石頭だよね。別に僕には関係ないからいいんだけどね」と笑うのだった。
その巡回は斎藤が風紀委員を就任したその日から行われており、千鶴が入学する前からの斎藤の日課ではあったが、千鶴が入学し、風間に狙われているのを知ってからは巡回を強化するようになっていた。風間は一人で行動しているのではなく、天霧や不知火といった、常識人が傍にいるから、大きな問題は起こってはいないのだが、ただでさえメール攻撃で心労を抱え込んでいるというのに、直接言い寄られてしまったのでは登校拒否を起こさないとも限らない。半分は全校生徒の為であったが、残りの半分は千鶴の為でもあった。
巡回中に斎藤を慕う後輩達が困った事等を相談する時もあり、その原因は主に風間の暴君に対するものが多く、直接風間に申し立てをした所で、それが改善される事はないので、主に天霧に話を持ちかけて、何とか改善をしてくれるよう要請をする事もあり、天霧とは顔を合わせると特に話をするわけでもないが、風間に苦労させられる者同士の何とも言えない苦笑いをし合う仲になっていた。
今日もまた風間に反抗をした生徒が風間に荷物を隠されて困っているという報告を天霧から受け、体育館の倉庫を探していると、声が聞こえて来たので、手伝って貰えないかと声をかけようとしたが、上級生が一人に千鶴という初めて見る組み合わせと、二人の…いや、特に上級生の真剣な表情から声を掛けるタイミングも、その場を出るタイミングも逃して息を潜めていると
「俺の事は…知らないよね」
「は、はい…すみません」
「あ、いや! 謝る必要はない。同学年でもないし、同じクラブという訳でもないから知らなくて当然なんだ。俺は三年の佐々木謙です」
「あ、はい。私は一年の雪村千鶴です」
この学園に女生徒は一人。なので、彼女を知らない人はいないというのに、律儀に自己紹介を始める千鶴に微笑みかけると
「知ってるよ」
「そ、そうですよね」
と、所在なさげに困った顔で俯いた。
当然、千鶴を知っているからこそ呼び出し、こんな所に連れてきているのだ。重苦しい雰囲気にどうしたらいいのかと俯きながらも、どうしたらいいのか解らなくて困ったオーラを放っている千鶴に
「突然だけど、俺…君の事好きなんだよね」
「え?」
「だからすぐに付き合って欲しいとは言わないけど、俺を知って、好きになって欲しいんだ」
「あの……」
「まず友達から…というのも遠回り…いや、君は俺の事を知らないから君にとっては遠回りじゃなかったね。だからまず俺の事を知って、俺の気持ちを受け取って欲しいんだ」
「で、でも…先輩も私の事、知らないじゃないですか」
「話をした事がないから、知らないと言われればそうかもしれないけど、いつも楽しそうに笑っている所や、今までは誰もやらなかった花壇の世話をしている所とか見て、いいなって思い始めて、段々好きになったんだ」
「………」
「雪村さん、俺は君が好きです」
真剣な顔で、真っすぐ千鶴の目を見て告白をした上級生に勢いよく頭を下げて「すみません」と謝った。驚いている上級生の目を見て
「私、好きな人がいるんです。だから、ごめんなさい……」
もう一度頭を下げる千鶴に「うん、解った。君が頭を下げる必要はないよ」と、しゃがんで「俺こそいきなりごめんね。時間を作ってくれて有難う」と、千鶴の目を見て微笑んだ。
不可抗力とはいえ、一部始終を聞いていた斎藤は突然の千鶴の「好きな人がいる」という言葉が頭の中から離れなくなっていた。
(千鶴に好きな人がいて何だというのだ。何もおかしい事はない。何故俺は千鶴に想い人がいないと決めつけていたのか)
告白が始まり、無理強いをするようであれば、その場を出て助け出そうと思っていたが、千鶴に告白をした上級生はとても紳士的で、ただ千鶴が好きで、想いを伝えただけだった。恋人でもない、ましてや想いを伝える事すらしていない斎藤が割り込む事など出来るわけがないのである。おそらく玉砕覚悟での告白だったのだろう。その勇気さえ持たない自分が出しゃばるわけにはいかない。それは相手にとって屈辱以外の何物でもないのだ。
楽しみにしていた昼休みの時間も、今の斎藤にとっては千鶴の笑顔は眩しいだけのものになりそうで、屋上から校庭を眺めていると
「斎藤先輩! お待たせしました」
息を切らして、前回同様走って来た千鶴は斎藤が愛して止まない笑顔を見せた。
「い、いや。待ってなどいない。俺も今来たばかりだ」
「そうですか。おなか空いてますよね? 早速食べましょうか。私としては良い出来だと思うのですが……」
段になっている所に腰をかけ、小さなトートバックから弁当箱をふたつ出して、大きな弁当箱を斎藤に渡すと、それまでの迷いを忘れ、蓋を開け「美味そうだ」と顔を綻ばせた。
「薫のお弁当箱なんですけど、量は大丈夫でしょうか。もうちょっと大きめのがあれば良かったのですが、これが一番大きなお弁当箱で、後は重箱しかなくって」
流石に学校に重箱を持って行くと目立つし、実は先輩のお弁当を作るというのは薫に内緒なんです。と続けた。
「いや、充分だ。有難う」
「いえ、約束ですし、先日助けていただきましたし、ランチを奢っていただきましたから」
千鶴はただ「お礼」として斎藤が要求した弁当を作って来ただけなのだ。うぬぼれてはいけない。自分は特別ではないのだと言い聞かせた。
千鶴には想い人がいる。
ただ、それだけの事でどうしてこんなにも心が苦しくなるのか。
もしも千鶴がその想い人と想いを通わせ、恋人同士になり、その姿を目の当たりにした時、自分ははたして冷静でいられるのか。いや、もう誰かの恋人になってしまっては自分の想いを告げる事すら許されなくなる。そして、想いを消してしまわなければならなくなる。それが出来るのか。コントロールの出来ないこの気持ちをどこにやればいいのか。
中々食べないでいる斎藤に
「先輩? どこか具合でも悪いんですか?」
心配そうな顔で覗きこむ千鶴と視線が合うと頬を染めて視線を反らし「どこも悪くはない」とそっけなく答えるのだが、どこか苦しそうな斎藤の額に手をやり「熱は…なさそうですが…」と再び視線を合わせると、持っていた弁当箱を横に置き、千鶴の手を掴み「千鶴、話がある」と真剣な表情を浮かべた。
「はい」
同じように弁当に蓋をして、隣に置き、斎藤の方に向き直してじっと目を見る。
「おまえが好きだ、千鶴」
いつもならば、普段の斎藤ならばこんな言葉が簡単に出てくる事などないだろう。しかし、千鶴に想いを告げた上級生の姿が浮かび、千鶴が誰かと両想いになる前に告げようと、例え玉砕されようとも、この関係が崩れてしまおうとも告げないでいる事は出来ないと、迷う事なく千鶴に伝えた。千鶴の気持ちを確かめるべく、真正面から千鶴の眼を見つめて。
「せ、先輩……」
頬を染めて、それでも斎藤をじっと見つめている千鶴に「例えおまえに想い人がいたとしても、それでもおまえを想い続ける許可が欲しい」と、きっと何があっても消える事のないだろう気持ちの為に、両手を握り、千鶴に恋人が出来るその日まで隣にいたいという気持ちをその言葉に込めた。
先程の上級生のように本当は「自分を好きになって欲しい」と言いたかった。だが、それは我儘なような気がして、いや、好きな人がいる千鶴に対してそれを言うのは酷な気がしたのか、ただ千鶴が好きで、これからも好きでいていいかと問うたのだ。
「………です」
じっと見つめ返していた千鶴が、俯いて小声で返事をしたが、その声は斎藤の耳に届かず
「聞こえなかった。すまないがもう一度言ってくれ」
「わ、私も斎藤先輩が好きです」
ぎゅっと、斎藤の手を握り返し、真っ赤な顔をしてもう一度言うと、今度は斎藤が頬を真っ赤にし、聞き間違いではないかと「も、もう一度言ってくれないか」と言うと
「先輩が好きです」
「……!!」
泣きそうな表情で言う千鶴を引き寄せて抱き締めると、おずおずと千鶴も手を斎藤の背に回した。
何を話すでもなく、ただ抱き締め合い、少し離して見つめ合っていたが、予鈴がなり、折角千鶴が作った弁当を食べるのを忘れていた事に気付き、慌てて一気に食べるのだった。
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