る、想い 斎藤編

(斎藤×千鶴)

 本当は今日、家で本を読むつもりでいたが、何となく図書館の雰囲気に浸りたいと予定外の行動を滅多に取らない斎藤だったが、この日は珍しくいつもと違う事をしたくなり、学校の近くにある大きな図書館へと向かおうと決め、その判断が間違っていなかったと千鶴に意識をやると、未だ不安そうな顔を浮かべる想い人に「まだ怖いか?」と声を掛けた。
「いえ、もう大丈夫なんですけど、ここまで強引な人は初めてだったので、折角毎日鍛えているのに何も出来なかったな…と思いまして……」
 と、クラブ活動で基礎体力等も含めて、身体を鍛えている筈なのに、肝心の時にそれが発揮されなければ意味がないと落ち込んでいたが、斎藤は別の事に気を取られていた。
「強引な人は初めて…という事はそうじゃない人が今までにもいたという事か?」
「え?」
 突然の質問に驚いたのか、それともいきなり詰め寄って来た斎藤に驚いたのか、大きな目を更に大きくさせて一体何の質問なのか把握出来ないでいると
「先程のような…その…ナンパに今までも遭った事があるのか、と聞いている」
「あ、はい…たまに…ですけど、お千ちゃん…あ、この間の友達と一緒にいる時はいつも友達が断ってくれるといいますか姉御肌なので、まかせっきりだったり…薫と一緒にいる時も……」
「薫と一緒にいるのに何故声を掛けられるのだ!」
 兄妹とはいえ、男と一緒にいる時でさえ声を掛けられるとはどういう事なのだと、声を荒立たせて問うと
「……これを言うと薫は怒るんですけど、女の双子と勘違いされて、声を掛けられるんです」
 確かに、千鶴と同じ顔を持つ薫は背も高い方ではないので、千鶴と並んでいたら特に女と間違われる事も多いだろう事は容易に想像がついた。
「しかし、薫が一緒だと……」
「はい、薫がキレて……」
 それ以上言わなくても解ると、千鶴が言い終わる前に「だろうな」と返した。

 千鶴も斎藤と同じ図書館に行く予定だったと知り、思いがけず千鶴と休日を過ごす事に、こうして予定変更をするのも良いものだと改めて実感をしていた。聞きたい事は山のようにあったが、あまりしつこくナンパの話を聞くのも何だと思い、しかし他に話題もなく…いや、斎藤の頭の中は想像以上に私服姿が可愛いかったので、これだとナンパされるのも仕方がないとさえ思えて、意識が他に行かなかったというのもあった。
 仕方がないと片付けられる問題ではなく、だからといって、休日まで送り迎いをするのは出過ぎているという事は痛い程解っているのだ。
(俺は千鶴の恋人でも何でもない。慕ってくれてはいるのだろうが、それは学校の先輩として、部活の仲間としてなのだろう……)
 そう考えると言葉もなく、しかし決してナンパを喜んでいるわけではない千鶴に何かしてやれないだろうか、ごく自然に、風紀委員として……等と考えていると、あっという間に図書館についた。元々読む本を決めていたので、さっさと選び、席についた時に千鶴の姿を探したが、まだ迷っているようで、数冊手にしながら別の棚も見て回りどれにしようか、と悩んでいるようだった。
 千鶴に出会う前からこの図書館をよく利用していた斎藤だったが、これからテスト前等に千鶴と勉強が出来れば…と想像していると、自覚はあったがここまで重症だったのかと、まだ出会って少ししか経っていないというのに、こんなに心を動かされるものなのかと驚いていた。

 漸く本を見つけ、席についた千鶴に目をやるともう既に本の世界に入り込んでいる様子に唇の両端を少し上げた。
 見知らぬ男でさえ、その可憐さに声を掛けずにはいられなくなる位なのだから、つい先日までは中学生だったが、それでも早熟な人間は多い、告白をされたり、もしかすると淡い恋だったかもしれないが、付き合った経験もあるのかもしれない、そう思うと今千鶴が置かれている状況は学校の中で唯一の女生徒というのも大きく手伝い、周りは狼だらけなのではなかろうか、と思いを巡らせていると、自分も千鶴にとってはただの狼でしかないのかもしれない。寧ろ、親切にしているからこそ、羊の皮をかぶった狼だからたちの悪い存在ではないのだろうか。そんな事を考えていると
(俺も風間とそう変わりはないのかもしれぬ)
 不本意ではあるが、千鶴の立場を考えるとそう考えずにはいられなくなっていた。

 折角読もうと思っていた本を閉じてじっと千鶴を見ていると、ノートを出し何か書き出して本を閉じ、鞄の中から電子辞書を出して調べ出すのを見て
「いつも電子辞書を持ち歩いているのか?」
 と、声を掛けると
「あ、はい。高校入学祝に父が買ってくれたんです。元々子供の頃に本を読むのを勧めてくれたのが父で、解らない言葉があるといつも聞いていたんですけど、自分で調べる事を覚えなさいって、辞書を使ってたんです。でも、外で本を読む時は辞書まで重たくて持っていけないから、ノートに書いて、家に帰ってから辞書を引くようにしてたのを知っていたから……」
 とても嬉しそうに、そして優しく電子辞書を撫でながら言う千鶴に「いいお父さんだな」というと「はい! 自慢の父なんです」と嬉しそうに微笑むと、今日はいつも以上にその笑顔を眩しく感じ頬を染め、それを隠すかのように電子辞書に目をやった。家で本を読む時に解らない言葉が出てくると、すぐに辞書で引いたが、外で読んでいる時は後で調べようと栞を挿んで家で辞書を引く…という事をしていたので
「やはり電子辞書の方が使いやすいのだろうか」
 電子辞書に手を伸ばし、触っていると、外で勉強する時も便利そうだ…と、閉じていた本を広げて読み出した。

 夢中になって読んでいると、お腹が空いた事に気付き、時計を見ると既に一時を回っており「どうりで、腹が減るわけだ」と千鶴を見ると、静かに本を読んでいた千鶴に話しかけた。
「千鶴、読んでいる所すまないが、昼食はどうするのだ?」
 出来れば一緒に食事を摂りたい…そう思いながらも、予定があるやもしれないと、まずは聞いてみる事にしたら、特に予定は入っていないようだったが、行きたいと思っている店があると、先日一緒に帰った時に見つけ、目を輝かせていた時の千鶴を思い出した。
 読み掛けになっている本に目をやり、続きは戻ってここで読むのかどうかを聞くと、どうやら気に入ったらしく、家でじっくり読みたいとの申し出に、自分は途中から読み始めたものの、まだ半分も進んでいないこの本はどうやっても夕方までに読み終えると思えなかったので、同じように借りる事にして、図書館を出た。

 高校生の男がひとりで入るには少々躊躇われる店だったが、思ったよりも男性客も多く、少しほっとしていると、食べた事のないメニューに「どれを頼んだものやら…」と迷っている姿を見たからか
「ここはベーグルパンが美味しいそうですよ。そのまま食べてもいいですし、こちらには中に具を挿んだベーグルサンドもあって、ランチにはこちらが良さそうですね」
 もう頼むものは決まったらしい千鶴が言うと
「おまえのお勧めはどれだ?」
「先輩は好き嫌いありますか?」
「いや、特に苦手なものはないが」
「でしたら、ローストビーフとレタスとトマトのサンドや、エビとアボカドのサンドとか……」
 言い終わる前に
「では、そのふたつにしよう。腹が減っているのでな。千鶴はどれにするのだ?」
「私はベーコンレタス玉子サンドにしようと、実は朝から決めてたんです」
「それも美味そうだが…ローストビーフとベーコンレタス…だと肉と肉になってしまうからな。先程のふたつにしよう」
 丁度いいタイミングで店員が通ったから、呼びとめて注文を始めると
「プレートでお出しするので、サイドメニューにポテトかサラダがつきますが、どちらにしますか?」
「ポテトにしよう」
「私はサラダで」
「セットにされますと、コーヒーと紅茶がつきますが」
「では、俺はコーヒーを、千鶴はどうする?」
「ミルクティをお願いします」
 注文が終わったというのに、まだメニューを眺めていたので、その視線の先に目をやると
(ケーキか……)
 真剣に見つめる千鶴が可愛くて、それを食べる姿も見てみたいと
「千鶴…ケーキも食べたいのか?」
 そう聞くと、ひとりで食べるのは恥ずかしいらしく、次に友達と来た時に食べると言い出したので「ならば、俺も食おう。だったら、あんたも食べられるだろう?」と言うと、遠慮しながらも「食べられる」という期待からか嬉しそうな表情になるの見ると斎藤の表情までもが緩んだ。
 すぐにベーグルサンドが届き
「すみません。写真を撮ってもいいですか?」
「写真?」
「はい、お千ちゃんと行こうって話をしていたんですが、先に私が来ちゃったので報告といいますか、写メを後で送ろうと思いまして」
「あぁ、なるほど。構わぬ」
 斎藤はメールをあまりしない。する時も殆ど業務連絡のようなものが多いし、特に友達とメールのやり取りを好んではいないが、千鶴とならば、どんな些細な事でもやり取りが出来ればいいと、何か用事が見つかる度に、慣れないながらもどうすれば千鶴が楽しく学生生活が送れるのか、彼女が笑顔でいられるかと考え、自分の気持ちに気付いてからはその想いが漏れないように気をつけながらメールを打っていた。その内容を見れば誰もが気持ちが漏れている事に気付く筈だが、天然で鈍い千鶴だからこそその想いに気付かず「誠実で親切な先輩」としかうつっていないので、とりあえず今は気持ちを伝える時ではないと思っている斎藤にとっては有難い事なのではある。
 しかし、いつかはその想いを伝えたいと思うし、メールのやり取りも自然に出来ればとも思っていた。想いが重なっていく度に少しずつ欲が出てきているのは斎藤自身解っていた。それと同時に独占欲が生まれているのも解っていた。
 邪な思いを抱えながらも、千鶴の話に耳を傾けているといつの間にか食べ終わっていたベーグルのプレートがひかれて、代わりにケーキが運ばれてきた。
「美味しーい」
 それまでも笑顔で話をしていた千鶴だったが、余程ケーキが好きなのか、初めて見るいつもと違う笑顔に鼓動を高鳴らせながらも、あまり好きではないケーキを斎藤も食べ始めたのだが、思っていた以上に美味しく「あぁ、美味いな」と思わず斎藤も言うと
「甘すぎないですか?」
「甘いが、砂糖の甘さではなく、かぼちゃの甘さだからな。これは美味い」
 素直な感想を述べて初めて美味しいと感じるプディングという名前がついているから、てっきりプリンだと思っていたが、ホールのケーキを切った形の、ショートケーキなどと変わらない形のそれをパクパクと食べていると、千鶴の手が止まっている事に気付き、その視線の先目をやると斎藤のケーキをじっと見ていた。
(もしや、千鶴はこのケーキを食べたかったのか? 俺が頼んでしまったから別のケーキを頼んだのかもしれぬ)
 既に半分近く食べてしまっていたので、交換をするというわけにもいかなったし、もうひとつ頼んだとしても、千鶴が食べられるとも限らない。しかし、分ける事は出来ると、使っていたフォークで切り分けて千鶴の皿に置いてやると、自分だけ貰っては申し訳ないと、千鶴も自分のケーキを切り分けて斎藤の皿に乗せた。
「果物は大丈夫ですよね? タルトの生地もそんなに甘くないですし、きっと先輩も食べられると思います」
「では…遠慮なく」
 まさか自分も半分分けられるとは思わなかったが、甘ったるいケーキではなく、果物が乗ったものならば…と食べ始めようとした時、千鶴のフォークで切られたその部分が目に入り
(こ、これは…もしやまた……)
 間接キスのようなものになるのでは…と思った瞬間、先に自分がした事を思い出し、千鶴の方を見ると「これも美味しいですね」と嬉しそうに食べてはいたが、間接キスになるとは気付かないようだったので、一安心したが、無意識とはいえ何とも自分は恥ずかしい事をしたのだと、切り分けられたケーキを食べるのにどうして勇気を振り絞らなければならないのか…と、顔が火照るのと、鼓動が速くなっていくのをどうにかして止めなければ…と「平常心」を取り戻すべく小さく深呼吸をするのだった。
 意を決して食べていると、視線を感じて前を見ると、千鶴と視線が合った。
「どうした?」
「あ、その…ケーキを食べる先輩の姿って…珍しいなと思いまして」
 斎藤の家族ですらあまり見る事のない姿だろう。
「そうだな。ケーキを食べるのは本当に久しぶりだな」
 その言葉に恐縮したのか「すみません」と謝る千鶴に、決して厭々食べているのではないと説明をし、確かに今まで好んで食べたりはしなかったが、勉強の後など、頭を使った後にいいかもしれないと、こういう野菜や果物を使ったケーキならば、たまに食べるのも良いとは思ったものの、家でひとりで食べるのも、親に買ってきて欲しいと頼むのも、友達…総司や平助らと食べるのはちょっと避けたいし、想像も出来なかった。
(テスト前に一緒に図書館で勉強をし、ここでケーキを食べる…というのも、良さそうだが、それではまるで恋人同士の様だ。いや、しかし…女子同士ならば自然に感じる事なのに、何故男女となるとこうも自然でなくなるのか。男同士でケーキというのも不自然ではあるが……)
 流石に誘うのは躊躇われたが、それでももし、機会があればまた一緒にこういう時間を過ごせたら…と、思っていると時間が経ってしまっている事に気付き「そろそろ帰るか。送って行こう」と、席を立ち、会計を済ませると、今日何度も見たすまなさそうな顔をした千鶴が立っていた。おそらく「して貰ってばかりで、何か出来ないだろうか」とでも思っているのだろう。こういう生真面目な部分もまた可愛いと、見とれてしまっていたが、このままだと千鶴が何かを買って自分に渡すのではないか…と、流石にお金を遣わせるのは躊躇われたので、それ以外で何か…と、考えていると、以前食べた千鶴が作った卵焼きを思い出し
「では…そうだな…今度弁当でも作ってきてくれないか?」
「お、お弁当…ですか?」
「この間食べた卵焼きが美味かったのでな」
 と、つい言ってしまったものの、これこそまるで恋人同士なのではないだろうか…と、慌てて訂正をしようとしたが
「はい! でも、そんなのでいいんですか?」
 あんなに美味しい卵焼きを作るというのに、自分の料理を卑下するような言い方をされてしまい
「そんなのではない。おまえの料理は美味い!」
 思わず力が入ってしまい、冷静になろうと咳払いをひとつした。
(何故あんなに美味しい卵焼きを作るのに、その自覚がないのか。おそらく、いや、絶対に千鶴の家族も千鶴の料理を褒めているに違いない筈だが)
 それでも、やはり自信が持てないのか、料理の本を買ってまで弁当を作ろうとする千鶴に、それでは意味がないと恐らくこう言えば千鶴は無理をしないだろう言葉を言った。
「そこまでして貰っては…俺もまたその礼をしなくてはならなくなる。それでは本末転倒だろう?」
 千鶴の顔を覗きこんだ斎藤は珍しく、いや、千鶴の前だけで見せる笑顔を浮かべるのだ。
(ただ、俺は…普段の、いつも千鶴が作る料理が食べたい。それだけなのだ)
 今日一日一緒にいただけで、こんなにも想いが重なるものなのかと、もうこれ以上ない位の想いを抱えている意識はあったが、日々大きくなる想いに、いつか、千鶴を戸惑わせるだけかもしれない自分の想いを告げたいと、隣で「どんなお弁当がいいかな…」と呟いている千鶴を盗み見て、唇の端を上げた。

「今日は助けていただいて…しかも、また家まで送っていただいて…有難うございました」
「いや、通りかかって良かった。気をつけろ…と言いたいが、気をつけて避けられる事ではないからな。いつでも電話をかけてきてくれ。必ず駆けつける」
 そう、これだけはどれだけ気をつけていてもどうしようもならない事だ。だからといって、ひとりで行動してはならないという権利は斎藤にも、誰にもなかった。
 桜色のワンピースに、白い柔らかそうなカーディガンを羽織った千鶴は制服の時以上に愛らしく、斎藤の欲目だけでなく、誰が見ても可愛いだろう。斎藤が傍にいない時に、千鶴がひとりでいる時に自分の身を守る術を剣道で何か出来ないだろうか、と千鶴を送り届け、家路につく間に真面目に考え始めるのだった。


 やっと斎藤編が書けました。話の筋はもう決まっているので、もうちょっと楽に書けると思ったし、実は千鶴視点よりも、斎藤視点の方が書きやすかった筈なので軽く見てましたが、難しかったです。
 でも、こういう書き方をするのは初めてだったので、楽しかったです。同時進行でふたつの話を書けばもっと楽しめたのかもしれないです。
 相変わらずはたから見たら「恋人同士なんじゃね?」というふたりですが、当人はあくまで「片想い」で、まさか向こうも自分を想っているなどと少しも考えていません。だからこそ、出せる「無意識彼氏彼女オーラ」なんです。