き、だから

(斎藤×千鶴)

 土曜日、千鶴は特に友達との予定もなく、久しぶりに図書館で過ごそうと、ひとりで出かけていた。いつも行く近所の図書館ではなく、最近見つけた学校の最寄りの駅近くにある大きな図書館へと足を運ぶ以外、特に珍しい一日ではなかった。本を読むのが好きで、昔から時間があるとよく図書館を利用していたし、学校でも図書室に良く行き、小学生の頃からずっと図書室の先生とも仲良くなるというのは当たり前の事でもあった。
 しかし、今日は図書館に辿りつく前に事件が起きていた。
「ね、ほんの少しだけでもいいんだ。俺と付き合ってよ。お茶だけでも、ね?」
「こ、困ります…行く所があるので…すみませんが……」
「別に誰かと待ち合わせをしてるわけじゃないんだろ? いいじゃん、ちょっとだけだからさ」
 そこで「待ち合わせをしている」と、千鶴は嘘でも何でも上手くかわす言葉を紡ぐ事が出来るような機転のきく子ではなく、ついつい本当の事を言ってしまい、強く押し切る事も出来ずに、押し問答を結構長い時間続けていた。しびれを切らしたのか、男は千鶴の手を引き「そこの喫茶店で話聞くから、ね。ここでこんな風に言い合いしてても埒があかないからさ」と、強引に連れて行こうとした時に
「俺の連れに何の用だ」
 千鶴の手首を握り締めていた手を掴み、捩じり上げると「い、痛っ…!!」と、悲鳴をあげていとも簡単に千鶴から手を離した。
「斎藤先輩!」
 男の手から解放された千鶴は声の主、斎藤一の背にしがみ付いた。
「千鶴、大丈夫か?」
「は、はい」
 特に怪我等していない様子に安堵するが、しがみ付いた手が震えているのに気付き、男の手を投げ捨てるように離した。
「何すんだよ、てめぇ」
 手を離した途端に威勢が良くなり、詰め寄って斎藤を殴りかかろうとするが、剣道でもピカ一の実力を持っていて、動体視力の良い斎藤は千鶴を背にかばったまま、男の拳を簡単に避け、その手を掴み、男の背に回してまた捩じり上げる。
「いでででで…何だよ、この娘の何なんだよ、おまえ!」
 やられながらも、まだ千鶴に未練があるのか、食ってかかる男に「俺は…この娘の彼氏だ。おまえこそ何だ。彼女に何の用だ」そう返すと、手に一層力を込めて、男を睨みつけた。
「ねぇ…君、本当なの? この男、君の彼氏なの?」
 痛い思いをしながらも、懇願するように尋ねてくる男に「は、はい…」顔を斎藤の背に隠したまま、違うけれど、好きだから、そうだったらいい。と、思いながら返事をすると、落胆したように「だったらはじめから彼氏がいるって言えよ…」と、さっきまでの威勢はどこに行ったのか、抵抗する力を緩めると、斎藤もまた男から手を離した。
 ヨロヨロとふたりの傍から立ち去り、残された斎藤と千鶴は男が視界から見えなくなるまで、目で追った。
「千鶴、怪我等はないか?」
 背中にしがみ付いたままの千鶴に声を掛けると「はい……」と、返事をするが、まだ震えが止まらないのか、背中に顔を埋める仕草に、どうしようもなく抱きしめたい衝動にかられたが、たった今男にナンパされ、怖い思いをして震えているというのに、本当は彼氏でも何でもない、ただの学校の先輩である自分がそんな事をしては更に怯えさせるのでは…と、振り返る事も出来ず、そのまま千鶴が落ち着くまで背中を貸していると、千鶴は自分が今どんな体勢でいるのか気付き、パッと離れて「す、すみません…」と顔を真っ赤にして謝った。
(可愛い……)
 そう思いながらも、離れてしまった事を残念に感じ「いや…もう大丈夫か?」と尋ねると「はい、大丈夫です。助けて下さって有難うございました」とペコリとおじぎをした。
「いや、諦めさせる為とはいえ、彼氏などと言ってしまった。すまない」
「いえ! 先輩が機転をきかせてくれたから…助かりました。私の方こそすみません。彼女だなんて…嘘をつかせてしまいました」
 すまなさそうに、落ち込む千鶴に寧ろ、その彼氏になりたいと言えるわけもなく「構わぬ」と、そっけなく答えるのが精一杯だった。そのそっけなさに千鶴はやはり自分が彼女などと、例え嘘でも迷惑だったのではと、更に落ち込ませ「すみません」と俯いて謝るのだった。
 決して迷惑なわけではなく、自分の邪心を気付かれないように答えたというのに、更に落ち込む千鶴をどうすればいつもの花のような笑顔にさせられるのか、と考えるが、口が上手いわけでもなく、自他共に認める口下手で不器用な斎藤にその術が解るわけもなく、ただ、すまなそうに俯いている千鶴の頭を撫で「おまえが気に病む必要はない」と言うと「ですが…」もし、斎藤に好きな人がいて、その人がたまたま見ていたら…と、悪い方へと思考が働いて、ますます暗い顔になってしまう。
 他の誰が困っていても、きっと斎藤ならば助けただろうけれど、決して「彼氏だ」とまでは言わないだろう。ただ、それが千鶴だから、彼の想い人である千鶴だからこその方便だった。
 千鶴も、斎藤だから、好きな人だからこそ無意識の内に背中にしがみつき、助けを求めたのだ。
 しかし、互いの気持ちなど知らないふたりは「自分が相手では…」と思いながらも、それでも気持ちを抑える事も、諦める事も出来ずに、ただ、お互いの優しさに甘えてばかりではいけないと思いつつも、想いを告げて、気まずくなるよりも、あと少しだけでも傍にいる時間が欲しいと願うのだ。
「本当に気に病む必要はない。おまえが無事で良かった」
 もう震えていないか確かめる為、千鶴の手を握ると、まだ少し震えているようだったから「まだ怖いか?」と尋ねた。
「え…?」
 ふいに手を握られたからか、少し頬を染めて斎藤を見上げると「まだ震えている」と、千鶴の手を見た。
「あ、もう…大丈夫です。斎藤先輩が傍にいて下さってますし…」
「しかし、まだ震えが止まらぬようだが」
「安心したから、だと思います」
「そうか。歩けるか?」
「はい」
 ここでずっと突っ立っているのも何だ、どこかに移動しようと、歩き出すと
「どこかに出かける途中だったのではないですか?」
「いや、今日は図書館に行くだけだったから、構わぬ」
「あ、私も図書館に行く途中だったんです」
 漸く表情が緩み、少し微笑んだ千鶴に斎藤も顔を緩ませ
「そうか。では、図書館に行くか」
「はい!」
「何か借りるのか?」
「いえ、ちょっと沢山本を読みたくて。読み切れなかったら、借りようと思ってますが…」
「同じだな」
 と、下校時と同じように話をしていたが、以前私服で千鶴を迎えに行った時に私服の話になった時、斎藤も千鶴の私服が見たいと思ったその私服姿の千鶴が目の前にある事に気付いた。想像していた姿よりももっと可愛く、こんな姿だと、これからもナンパされるのではないだろうか、と不安になった。いつでも自分が傍にいてやれれば…そう思うが、単にそれは束縛ではないのだろうかと思うのだ。ただ、千鶴を誰の前にも出したくないという我儘だと気付き、そんな風に思う自分は何て自分勝手なのだろう。そう感じながらも、今にも気持ちが溢れそうで、どうしようもなく、ただ今は今日だけは彼女を独り占めしたいと思うのだ。
 前回見た時と同様、黒を中心とした服に、制服姿とは違う男らしさにドキドキしながらも、いつも自分がピンチの時に助けてくれる斎藤が好きだと、改めて感じながらも、それを伝える事が怖くて、ただ見てるだけしか出来ない歯痒さを感じながらも、いつか素直な気持ちを伝えられたら…と、そう思いながら、少し前を行く斎藤の後ろ姿を見上げ、微笑んだ。


 SSL第三弾。両想いなのに、お互いまだ気付いてないのかよ!
 と、やきもきしちゃうんだけど、そろそろちゃんと両想いにしてやりたいと思いつつも、彼らは「好きになったら、すぐに行動に移す」というタイプでは決してないので、ゆっくりゆっくりです。
 その分、両想いになったらとてもお互いを大切に思いやり、幸せオーラを出す人達なのではないでしょうか。
 あくまで、私の彼らに対するイメージなのですが(笑)
 とりあえず、両想いになるまで書き続けたいです。もしかすると、両想いになってからも書きたいと思うかも。