(斎藤×千鶴)

 近藤が用意した地蔵は翌日も屯所内に置かれたままになっていた。
 何でも悩みを解決してくれる地蔵。
 というのは近藤が、近頃隊士達、特に幹部隊士達との距離を感じ、気楽に相談が出来る場所を…と設けた物なのだが、夜中、地蔵に隠れて幹部達の悩みに思わず返事をした事から、すぐにバレてしまうのだが、案の定信じやすい斎藤だけが本気で信じ、何故か風間まで現れて一悶着があった出来事だが、実の所千鶴は何も知らされていなかった。
「これは…?」
 庭の掃除をしていた千鶴は突如設置されている巨大な地蔵を目の前に呆然と立ち尽くしていた。
「それは何でも悩み事を解決してくれる有難いお地蔵さんだよ」
 独り言だった筈の千鶴の問いに答えたのは沖田で、勿論全てを知った上での返答である。
「何でも、ですか?」
「うん、近藤さんがね、人に言えない悩み事があるだろうって用意してくれた有難い物なんだよ」
 沖田から近藤の名が出たという事は信用出来る物だと「そんな凄い物があるんですね」と、地蔵を眺めた。
「夜に悩み事を打ち明ける方がいいみたいだから、もし悩み事があるなら、夜にここに話に来ればいいんじゃないかな」
「そう、ですね」
 千鶴の悩みはきっと綱道の事だろうと思いつつも、もしも面白い事があれば…と思ったのは言うまでもないのだが
「おー、総司と千鶴じゃん。何してんだ?」
「平助君!」
「何、これから巡察じゃないの?」
「巡察だけど、また総司が千鶴に何かしてるのかと思ったんだよ」
「人聞きの悪い事言わないでくれる?」
 心外と言わんばかりの表情を浮かべるのだが、藤堂は疑いの眼差しで沖田を見つめていると
「このお地蔵様の話を沖田さんに教えて貰ったの」
 今回はいつもの沖田の意地悪ではなく、近藤の隊士達への気配りの話をしていたのだと伝えた筈なのに、藤堂は微妙な表情のままで
「千鶴そっ…ふぐっ…!!」
「そろそろ巡察に行かないと、土方さんに怒鳴られるよ」
 何か言おうとする藤堂を羽交い締めにし「千鶴ちゃん、遠慮して何も言えない事があるんじゃないかなって思うのは僕だけかな?」と、小声で藤堂の耳打ちをした。
「そっ、そうだな。んじゃ、巡察に行ってくる。千鶴! 何か欲しい物とかあるか?」
「ううん。気をつけてね」
「おう!」
 沖田の言葉は千鶴を心配する気持ちも無くはないだろうが、おそらく何か企んでいるに違いないと思いつつも、千鶴が誰にも言えない悩みを持っているのは想像に容易い。男ばかりのこの場所で男装をして女がひとりで暮らすには不便だという言葉では済まされない。はじめは千鶴の全てを信じられなかった。あの綱道の娘なのだ。新見と逃げだそうとしたあの綱道の。しかし、千鶴は綱道と親子だと思えない程純粋で、新選組の皆を心から信じ、力になろうと日々屯所内の環境を良くしようと働く姿を見ている内に、千鶴に対する疑いの気持ちは無くなっていった。その分、変若水の存在を知り、風間にまで追われ、眠っている時でさえ油断のならない生活になってしまっていた。
 毎日笑顔を見せている千鶴だが、悩みがないわけがない。
 毎日笑顔を見せているからこそ、心配だった。

「そこで何をしている。もう就寝の時間だぞ」
 夜の稽古を終えた斎藤が屯所に戻り、井戸で汗を流そうと地蔵の近くを通りかかると沖田、藤堂、そして何故か原田と永倉まで地蔵の後ろに潜んでいた。
「しー! 一君。黙って!」
 藤堂が言い、そして原田が斎藤を羽交い締めにして、自分達と同じ場所へと連れて行く。
「どういう事だ、左之」
「まぁ見てなって」
「しかし、昼に知ったばかりで、すぐにここに来るかぁ?」
「千鶴ちゃんの事だからすぐに来るんじゃない? 人を疑う事を知らないようだし」
「千鶴がどうしたというのだ」
「だから、見てたら解る…って、おい来たぞ」
 あたりを気にしながら、千鶴が地蔵の前に立ち深々と頭を下げた。
「やっぱ、風間の事かな…あいつしつけーもんな。千鶴ちゃんを嫁にって…一目惚れか?」
「だから、黙ってろって、新八」
「しかし、この地蔵は……」
 はじめは斎藤も信じて悩みを打ち明けた地蔵だったが、近藤が皆の悩みを聞く為に用意した物だと、今は斎藤も知っている。
「こうでもしなきゃ、千鶴ちゃんの悩みなんて誰も聞けないんじゃない?」
「あんたはただ楽しんでるだけだろう」
「酷いなぁ。僕は心配だからこの地蔵の話を千鶴ちゃんにしたんだけどな」
「よく言うぜ」
「あーもー、皆うるさいって。千鶴にバレちまうだろ」
 中々悩みを打ち明けようとしない千鶴にじれったさを感じながらも、とにかく、今千鶴が抱えている悩みを知りたいと藤堂は少し身を乗り出しながら千鶴の言葉を待っていた。
「あの……」
 父様…ううん、風…ううん…あ、でもやっぱり…皆さん…の事…かな…と、呟く千鶴に
「悩みはひとつだけではないようだな」
「そりゃ、千鶴の周りには悩む要素ばかりだからな」
「全部聞いてやりてぇよな」
「じゃぁ、昨日近藤さんがしていたみたいに、誰かが地蔵になって返事してみたらいいんじゃない?」
「お、おおぉっ! いい案じゃねぇか」
 コホンと、小さく咳払いをし、千鶴に答えようとする永倉の口を抑え
「新八っつぁんが答えたらすぐにバレるんじゃねぇの?」
「じゃぁ、誰が適任なんだよ」
「オレが…!」
「いや、平助の声は特徴ありすぎで、おまえもすぐにバレちまうだろ」
「じゃあ、僕が地蔵の役をするよ」
「いや、おまえは絶対に駄目だ」
「声だったら、少しは変えられると思うんだよね。それに千鶴ちゃんにこの地蔵の事を教えたの僕だし」
「そういう問題ではない。おまえが真面目に千鶴の悩みに答えるとは思えん」
 元々、からかう為に地蔵の話をしたに違いないと、斎藤が沖田を睨み付けていると
「斎藤が適任じゃねぇか?」
「そうだな。斎藤だったら、声色を変えるのも簡単だろうし、この中じゃ一番親身に千鶴の話を聞いてやれるんじゃねぇか?」
「いや、俺は…左之の方が女の扱いに慣れてるだろう」
 普段から隊士達の相談事も聞いていて、兄貴肌であるのは斎藤が言うまでもないし、花街で女達にただ囲まれているのではなく、あしらい方も上手いが、話を聞いてやるのも上手い。この中で一番千鶴の話を聞いてやれるのは自分では無く、原田ではないかと思ったのだが
「まぁ、話を聞けないわけじゃねぇけどよ。斎藤の方が言葉が少ない分話を聞いてやれるんじゃねぇか?」
「……解った」
 ここで皆で地蔵の役割をいつまでも話していては千鶴の悩みを聞いてやれずに終わってしまうと思ったのか、斎藤は未だ言いにくそうに地蔵の前で俯いている千鶴に
「ひっ…いや、悩み事はひとつだけではないのだろう。幾つでも話すといい」
「えっ?」
 驚いてあたりを見渡すのだが、誰の姿も見えない。地蔵だけである。
「まさか…お地蔵様が……?」
 半信半疑ではあるが、沖田の言葉を思い出していた。悩みを解決してくれる、と。
「俺…いや、私は地蔵だ。何でも話せ」
「ちょっ…一君、口調がそのままだって! 声色は少し変わってるけど……」
「平助、おまえは黙って聞いていろ!」
 原田に抑えられ、藤堂達は斎藤よりも少し後ろの場所で彼らを見守る事にする。

「父上の事は…その…ここにいる隊士達に任せば良いと思う」
「はい。それは信頼しているんですけど、やっぱり…心配なんです。父とふたりきりの家族ですから」
「その…あんたには相談出来る誰かはおらぬのか? 女子がいない故、相談しにくいとは思うが……」
「皆さんの事は信頼しています。気遣って下さっていますし、有難いと思っています」
「それは皆も気付いているだろうが、信頼出来る者はおらぬのか? 話せば少しは気持ちも軽くなると思うのだが」
「斎藤さんです」
「……は?」
「あ、すみません。斎藤さんっていう、三番組の組長をされている方で、そういえばどことなくお地蔵様と話し方が似ているような気がします」
「そ、そうか」
「皆さんとても親身になって下さっていますけど、特に斎藤さんは言葉は少ないのですが、いつも守って下さっているような気がします。だからというわけではないのですが、話をしていると、落ち着くと言いますか、とても真面目な方なので、信頼出来ると言いますか、安心するんです」

「ねぇ、僕凄く面白くないんだけど」
「あー、オレも……」
「そうだな、そろそろ寝るか」
 斎藤にも気付かれないよう、沖田達は地蔵から離れ、それぞれ自室に戻ったのはふたりのやりとりが段々甘いそれに変わっていくのが目に見えていたからである。

「それで、一番悩んでいる事は何だ」
 勿論父親の事は一番悩んでいる事だろうが、千鶴の表情を見ると今それ以上の悩みがあるように思えてならなかったのだ。斎藤もまた千鶴が少し元気がないように映っており、心配していたのである。
(もしかすると、総司もそれに気付き、やり方は間違えてはいるが、励まそうとしていたのではないだろうか)
 そんな考えが頭によぎったが、今は目の前の千鶴の事が先決だ。地蔵越しに千鶴を見つめた。
「……私は…実は人間じゃないんです」
 鬼、何です。と聞こえるか聞こえないか、すれすれの小さな声で呟くように告白すると
「それは知っている」
 地蔵だからな、と付け足すと
「お地蔵様は何でもお見通しなんですね」
 柔らかい笑みを浮かべた。
「それがどうしたと言うのだ」
「私が鬼だから、風間と言う鬼がここに……」
「新選組に任せていれば良い」
「それに…やはり気味が悪いと…思われているかもしれませんし」
 風間達に狙われるのも怖かったが、一番怖かったのは新選組の皆に気味が悪いと思われる事だったのだ。自分でも知らなかった事とは言え、実際に傷の治りは早く、綱道には「誰にも知られてはいけない」と言われていた程である。
「誰かに言われたのか」
「いえ!」
「ならば、考え過ぎだ」
「そう、でしょうか……」
「他の鬼だと言う者達のように、誰かを襲っているわけではなかろう」
「それは…勿論です」
「誰ひとりとして、態度は変わらなかったのだろう?」
「はい」
「ならば気にする必要はない」
「はい……」
「まだ気にするようならば、その…先程言っていた斎藤とやらに相談してみるといい」
「斎藤さんに、ですか?」
 斎藤は優しいから、千鶴を傷つけるような言葉は言わない。例え心の奥底で何かしら感じていたとしても、千鶴にだけでなく、誰にもそれを口にしたりはしないだろう。
「斎藤は嘘を付くとでも?」
「斎藤さんは優しい方ですから。きっと……」
 言い終わる前に、地蔵の後ろから斎藤が現れ
「気味が悪い等、思った事はない」
「……!!」
 驚いて、言葉を無くしていると
「鬼が何だと言うのだ。あんたはあんただ。このような状況下だというのに、あんたは皆の心配をし、掃除や洗濯、飯、皆の為に屯所を心地の良い場所にしてくれている」
「それは…お世話になってますから」
「俺達がはじめにおまえにした仕打ちを覚えているか」
 縄で一晩中縛り、目の前で斬るだの、斬らないだの、自分達の落ち度で羅刹の存在を知る事になり、千鶴に何の責任もないのに、斬ろうとしたのだ。幕府の為、新選組の為を思えば間違った選択では無いと今でも言えるが、千鶴にとっては関係の無い事なのだ。
 例え、変若水を持ち込んだ綱道の娘だとしても。
「………」
 怖かった、とは言えなかった。斎藤の、皆の志すものを知っていたから。
「誰も千鶴を気味悪いとは思ってはいない。安心してここにいれば良いのだ」
「はい」
「明日も早い。もう休め」
 もしまだ悩む事があるのならば、ここに来いと、呟くように言った言葉は千鶴の耳に届いていた。
「有難うございます」
 深々と頭を下げて、自室に戻る千鶴を見送ると
「いつまでそこにいるつもりだ」
「あ、やっぱりバレてた?」
「気配を消さずにいたのはおまえだろう」
「まぁね」
「おまえは千鶴の悩み事を知っていたのではないのか」
「元気がないのは気付いてたけど、悩み事なんて流石に気付かないよ」
 それに、僕はただ千鶴ちゃんをからかおうと思っただけだよ。と、いつもの含んだ笑顔を見せるが、地蔵になりきって千鶴が誰にも言えない悩みを言わそうとしたのは沖田だ。鬼が絡んだ何かだと気付いていたに違いない。近藤以外の誰かをこんな風に心配するようになるとは…と、思ったが口にはしなかった。
(近藤さんと千鶴はどことなく似ている)
 真っ直ぐな所、人を疑わない所、ひとつひとつあげていれば切りが無い程に。それは斎藤も好ましく思っている所で、それがどういう感情なのか、まだ知りたくないと思ったのだった。


 2012年の桜の宴での朗読劇の続きです。桜の宴を観に行かれた方、DVDを観た方しか解らないネタ元ですみません。
 でも、どうしても書きたくなってしまったので。
 本当はコメディになる予定だったんですが、千鶴が誰にも言えない真剣な悩み事となると、コメディにするのは難しいな…と、こういう話になりました。
 もっと長くなってしまいそうだったので、まずはここで止めました。
 機会があれば、続きを書きたいと思います。