る事のない過去への余情
(斎藤×千鶴)

 本当の両親はどんな人なのだろう。綱道が本当の父親ではないと知った時は考えもしなかった事だった。ただ、あの時は事実を受け止められず、哀しかっただけだった。自分はどのように生まれ、育ったのか。特に気にもしなかった。それは…全く記憶がなかったからなのだが、今は記憶がないからこそふと考えてしまうのだ。
 多分それは雪村の故郷に住んでいるからなのだろう。斎藤の薬の為に訪れた時から気になるようになっていた。
 ここが自分の故郷なのだと実感は正直なかった。それでも、天霧から雪村家の事を聞く度に本当の親はどんな人だったのか知りたくなった。何故抵抗せずに滅びる道を選んだのか。自分達と違って、家康側にいた雪村家は大きな繁栄をしていたわけではないが、島津、所謂石田側にいた天霧家、そして風間家の話も聞き、それをずっと聞かされて、戦に負けた一族として、鬼である事も知らせないように暮らしていくのは辛かったに違いない。
 だからといって、風間が新選組の皆にした事を許せはしないのだが。
 しかし、何故風間が千鶴に拘っていたのかは少し理解出来た気がするのは風間にとって雪村家は羨ましい一族だったのかもしれないと、感じてしまうのは同情からだろうか。
(ううん。きっと天霧さんの話を聞いたからだと思う)
 千の話も聞いた。全てではないけれど、今までどうやって生きてきたのか。先祖からずっと伝わってきた話も。
 だが、決して雪村の話ではなかった。だからなのか、今になって自分は何者なのか、何故たったひとり生き残ったのか。父親は雪村の頭領で、人間と争うのを避け、自らが滅びる道を選んだというのに、千鶴は生き残った。
(私が逃げ出したのかな。戦火の中、怖くて逃げ出しちゃったのかも)
 記憶がないのは「恐怖」からだと言われれば納得は行くが、ならば何故、綱道も生き残ったのか。綱道もまた「雪村」のひとりだ。遠縁だという事らしいが、それでも雪村の姓を名乗っているのだから、一族に違いない。滅びる道を選んだけれど、子供はもしかすると逃がされたのかもしれない。子供まで巻き込んでは可哀相だと思ったのかもしれないわねと、千は言っていたが、憶測でしか無い。
(でも、父様ももういないから、雪村の血をひくのは私しかいない)
 鬼だと自覚するのは傷が早く癒える事のみで、他に風間や天霧のような力は持っていない。角が生えた事も、鬼の姿になった事すらない。だから自分が鬼だという自覚は本当にない。
(そういえば、お千ちゃんの鬼の姿を見た事ないな)
 千だけではなく、傍にいる君菊もまた、人間の姿のままで、どちらかというと忍者のような印象を持っていた。
「千姫と君菊では立場が違う」
 本当に何も知らないようだな、と言ったが詳しく話さなかったのは千鶴が人間と共に、人間として暮らそうとしているからなのかもしれない。
 知らない方がいい事が沢山あるのだろう。
 天霧や千の優しさは解っていたが、時折千が淋しそうな表情を見せるのは千鶴が人間として暮らそうとしているからなのだと知りつつも、鬼だという自覚のない自分が鬼として暮らすのは想像も出来ない事だった。
 なのに、何故今になって自分が何者なのか気になってしまうのだろうか。このような事を一に言うわけにもいかなかったが、ひとりでいる時についつい考えてしまっていた。
 生活に不満は何ひとつない。
 それでも、千鶴は自分がどこか欠けた存在のような気がしてならなかったのはきっと、この場所が自分の故郷だと記憶の奥底で知っているからなのかもしれない。
「本当の父様と母様はどんな人だったのかな……」
 ほんの独り言のつもりだった。
「悩み事はそれか」
「はじめさんっ!!」
 どうしても頭の中から雪村の事、鬼の事が離れず、一度とことん考えて、考えて、考え抜いてしまえば少しは楽になるかもしれないと、家事を済ませて空いた時間に家から離れた場所にいたのに、一は千鶴の後ろに立っていた。
「どうして……」
「最近おまえの様子が少しおかしかった故、何か抱え込んでいるのではないかと、跡をつけた」
 いつもと変わらないようにしていたのに、ほんの少しの違いでさえ、一はいとも簡単に読み取ってしまう。それは新選組にいた頃に身についたものなのか、それとも、夫だからなのか。
「ここはおまえの古里なのだろう?」
「はい」
 何も覚えてないのですが、と小さな声で呟いた。
「綱道さんからも生まれた場所については聞いた事はなかったのか」
「ずっと父様の子だと信じてましたから」
「いや、そういうのではなく、ずっと江戸にいたわけでもなかろう」
 実の親の話はしていないのは知っていたが、それでも、綱道が天涯孤独だったとは思えなかったし、幼いながらも千鶴も疑問を感じたのではないかと思ったからだ。
「父様は…あまり昔の事を話したがらなかったんです。幼い頃に何度か聞いた事はあるんです。母の事や、祖父や祖母はどこにいるか」
「しかし、答えなかった」
「はい」
 そこまで徹底しなければ、鬼の、しかも一族の長であろう千鶴の両親の子が生きていると知られては命の危険があったというわけなのだろう。
「人間に、滅ぼされたと、聞いたが」
「詳しい事は天霧さんも知らなかったようですけど、雪村の一族は人間に襲われても抵抗しなかったようです」
「何故」
「人間と争いたくなかったのだろうと、天霧さんは言ってました」
 雪村の一族は争い事を好まなかったし、人間を信じていたからだと、天霧が知る雪村一族の全てを千鶴に話していた。
「そうか」
 その話を聞いて、千鶴は途端に自分の本当の家族を知りたいと思ったのだ。全ては終わってしまっていて、何もかもが遅いと知りながらも、どうしても頭からかなれなかった。
 しかし、思い出そうとしても、千鶴には何ひとつ、欠片すら思い出せなかった。ほんのひとつだけでいいと願っても、まるで今まで忘れていた罰だと言わんばかりに夢にすら出てこない。それが更に千鶴を落ち込ませたのだ。
「もしかしから、私には兄弟がいたのかも」
「ならば、千鶴を探すだろう」
「私と同じように記憶を無くしていたら……?」
 あり得ない事ではない。現に千鶴には記憶がなかったからだ。千鶴よりも幼かったのならば、そして、家族が人間に襲われるという恐ろしい光景を見てしまい、あまりにもの衝撃で記憶を無くしてしまう。きっと千鶴に記憶がないのもそのせいだと考えられる。
 いるかどうかも定かでは無い相手を探すのは無謀だ。
「千鶴」
「解ってます」
 途方も無い事を考えてしまっているのは一に言われなくても、自分が一番よく感じている事なのだ。
「家があったのはどこなのか知っているのか?」
「あ、はい。実はまだ行った事はないんですが、天霧さんが教えてくれました」
「ならば行ってみよう」
「今からですか?」
「あぁ」
 もう夕方になり、薄暗くなっているというのに、歩みを進めた。きっと腹も減っているに違いないのに、どうして自分の事を後回しにして、誰かの為にすぐに動けるのは凄い事だと改めて感じていた。
(本当ははじめさんには自分の時間をゆっくり過ごして欲しいんだけど……)
 こうして、誰かの為に動く姿は何とも一らしいと思ってしまうのはその姿がどこか嬉しそうだからなのだろうか。じぃっと、一を見上げると、視線に気付き振り返って「どうした」と、必ず声をかける。それだけでもう、悩んでいた自分を忘れられる気がしていた。二度と会う事のない両親ばかり思って、目の前にいる夫を忘れる…というのは違うが、哀しみの海に浸っている暇があるのならば、一との時間を笑顔で過ごすのが大切なのだと、過去を振り返ったとしても、前を向いていかなければならない。
 千鶴には一がいる。
 それだけは決して忘れてはいけないのだ。
「はじめさん、ここです」
 鬼というのは人里から離れた場所で、自分達が鬼だという事を隠して暮らしていた。というのを一も知ってはいたが、空き地になっているその場所を見た時、何とも言えない気持ちになってしまっていた。
 そうしなければ生きていけなかったのだ。
 鬼は人間よりも強い。
 だが、一が風間を倒したように、ひとりに対して何人もで挑めば、鬼とて負ける。皆風間のように強いわけでは無い。千鶴は鬼の姿になれないのか、それとも記憶がないから鬼になる術を知らないのかもしれないが、傷が早く癒えるというだけで、千鶴には鬼の持つ戦闘力は皆無だ。女鬼というのがそういうものなのかもしれない。人間でも男と女では力の差は歴然である。
(怖くなかったのだろうか)
 怖くない筈が無い。争いたくないという気持ちがどれだけ強くても、いざ自分が殺されるという場面で、無抵抗でいる恐怖は計り知れない。
(千鶴は…恐らく逃がされたのだろうな。子供がどれだけいたのかは知らないが、小さな子供は皆逃がされたのかもしれぬ)
 どこかに、雪村の一族がいるかもしれない。千鶴のように自分は鬼だと知らないまま人間と暮らしている者がいるのかもしれない。
 そう思いつつも、口には出来なかった。もしも、千鶴の家族の誰かが生きていて、千鶴を鬼の一族に戻すと言われた時、例え千鶴の幸せだと知っていても、手放す自信はなかった。
 一が何もない空き地を眺めて物思いにふけっている頃、千鶴は焼け野原になっていくこの場所が浮かんでいた。
「……逃げろ」
「生きて……!!」
 そこにいたのは千鶴の両親。かすんではいたが、父の顔は…面影は目の前にいる一ととても似ている気がしていた。
「父様も…寡黙だったのかな……」
「千鶴…?」
「私は父様に似た人を好きになったのかもしれません」
 勿論それは綱道を示した言葉では無い。ほんの一瞬の思い出だったが、千鶴を思う両親の姿は最後の記憶だったのだろう。
「そうか」
 だが、俺はおまえの父親ではないぞ、と言いたげな表情を浮かべ、千鶴を抱き寄せると桜色の唇に自分の唇を重ねた。


 「十鬼の絆」の雪村ルートをプレイした時に浮かんだ話です。
 どことなく、雪村の彼は斎藤さんに似ていたんですよね。佇まいとか、性格とか。
 そのまま雪村家の頭領は彼に似た感じの人だったらいいな…なんて妄想までしてしまいまして、もうこれは斎千しかないじゃないか! 雪村ルートは斎千に違いない! と、勝手に思っています。