実の声
(斎藤×千鶴)

 石田散薬。
 それは言わずと知れた土方の実家で作られている薬で江戸にいた頃土方が売っていた。ここ京に来て…いや、武士になろうと決めてから売り歩いてはいないが、定期的に斎藤が買い求めてた。薬に明るい山崎は喜々と買い求める斎藤の姿を見る度に溜め息をついていたのを土方は知っていたのだが、気付いていない振りを決め込んでいる。
 ひとりで信じるのはこの際良しとして、たちが悪いのは人にも押しつけてくる事である。しかも、譲るのではなく売ろうとするのだ。斎藤が儲けようとしているのではなく、あくまで「土方副長の為」としてだから始末に悪い。誰ひとり石田散薬を求める者はいないのだが。
 隊務には怪我がつきもので、怪我をした者がいると聞きつけると必ず石田散薬と熱燗を持ってやってくる。幹部達は「必要ねぇ」と突っぱねられるが、平隊士達は組長である斎藤の好意を拒む言葉を持ち合わせていない。一番被害を被っているのは自らの隊である三番組の隊士達である。効きもしない薬を熱燗と一緒に飲まされる。隊士の中には酒に弱い者もいて、治る所か寝込む者がいる程だ。始末が悪いのは斎藤は心の底から「良かれ」と思っている事である。
 倒れる隊士達を目の当たりにしているのに「酒に弱いから悪い」とまで思ってしまうのはいかがなものかと、平隊士達は斎藤以外の組長に訴えた事も少なくは無い。その度に組長達、そして最終的に治療をする山崎が土方に隊士達の声を届けるのだが、全て「聞かなかった事」としてか「処理はおまえ達に任せる」と、土方自身は動こうとはしない。
 あれ程盲目に信じている斎藤に真実を告げるのは可哀相に見えなくも無いが、知らないまま効きもしない薬を後生大事にしている姿はある意味哀れでしか無い。
 だが、怪我を負い、治療を受けたいと思っている隊士達がその願いを叶えられず、石田散薬だけで済まされているという現実をどうにかしなければいけないと山崎は幾度目か解らない隊士達の申し出を伝えるべく土方の部屋を訪れていた。
「医術には俺よりもおまえが長けているんだから、おまえから斎藤に言ってやれ」
 この言葉もまた何度聞いたか数えられない、数えたくも無い程やりとりをし、この言葉で締められていたのだ。覚悟はしていたが、今日は今日こそは石田散薬の信者だと言っても過言では無い斎藤から呪縛を土方に取り去って貰いたいと思っていたのである。
「俺が言った所で、あの斎藤さんが―――」
「土方さん。雪村です」
 山崎の言葉を遮るように、千鶴が茶を運んできた。いい所に来たと言わんばかりに土方が笑みを浮かべる。こういう時の土方の笑顔はきっと碌でもない事を考えているに違いないと知っていたが、まずは土方の出方を待った。
「千鶴、おまえも座れ」
 出て行こうとした千鶴を呼び止め、山崎の隣に座ると
「おまえに頼みがある」
「はい、何でしょう」
 千鶴が屯所に来て少ししか経ってはいないが、既にここの一員として馴染んでいるのは物腰の柔らかさと、てきぱきと働く姿を皆が目にしているからだろうが、山崎としてはおとなしくしていて欲しいと思う所もあった。これ以上知られてはいけない新選組の闇の部分に「駄目だ」と言われているにも関わらず、無邪気な顔で闇に足を踏み入れようとしているようにしか見えなかったからである。
「おまえ、薬に詳しいか?」
「薬、ですか?」
「綱道さんの手伝いをしていたんだろう? 薬の調合とまでは言わねぇが、どの薬が何に効くとか、そんなのは知ってんじゃねぇのか?」
「はぁ…手伝ってましたので、詳しくとまではいきませんが、少しならば……」
「そうか」
「副長、まさか、この件を雪村君に委ねると……?!」
 土方が一言、斎藤に「この薬は効かない」とだけ言えば全て解決する筈なのに、何故……言葉にしなくても山崎の表情でそれを読み取るのだが
「あの俺を信じる眼をまっすぐ見た事があるか?」
「斎藤さんの…ですか?」
「そうだ。あの眼に、石田散薬は効かないって言えねぇだろ」
「そんな理由、俺は納得出来ません。被害者まで出ているんですよ?」
「大袈裟だな。単に酒の弱い奴が寝込んでるだけだろ」
 では、あなたも飲んでみますか、と言いたい所だが、流石にそれは言えない。酒の弱い人に、弱いと承知で呑ませるのも出来ないし、微量でもたちの悪い酔い方をする土方に酒を呑ませたら一体どうなるのか、考えるのも恐ろしかったからである。
「ですが、お酒の弱い人に熱燗で薬を飲ませるというのは…酷だと思いますけど」
 実際に石田散薬を飲んでいる者を目にした事も、自身が飲んだ事もないが、酒の呑めない千鶴が石田散薬を飲んだ事もないので、どういう状態になるのか想像するしかないのだが、酒の力を借りているだけのような気がしていた。
 よくぞ言ってくれた、と拍手をしたい所だが、山崎は視線だけでとどめておいた。
「そもそも熱燗で薬を飲むなんて初めて聞きましたけど、薬はお水で飲まないと効かないのではないでしょうか。お茶で飲むのも良くないと父が言っていましたし」
 熱燗で飲む…というのは熱燗で騙しているのでは……と、言いかけて止めた。おそらく、土方も気付いているのではないかと感じていた為である。
 そもそも、何故斎藤が盲目になる程石田散薬を信じてしまったのか、まずは根元を調べないといけないのではないかと
「初めて斎藤さんに石田散薬の話をしたのはいつですか」
「試衛館時代だったな。俺がまだ行商をしていた頃だったか…いや、後だな。行商していた話をして、稽古の後に余った…いや、持っていた石田散薬を斎藤に渡したのがはじめだった筈だ」
 骨折や打ち身、捻挫、筋肉痛、切り傷に効果があると、渡したのだと説明をした。
「ですが、斎藤さんは万能薬だと……」
 傷だけではなく、風邪等の病気をした者にも石田散薬を飲ませているという噂を千鶴は聞いた事があり、体調が優れない時に斎藤に石田散薬を渡されそうになった時、すぐに治るから大丈夫だと断ったのを思い出していた。
 いつから石田散薬が万能薬になったのか、実は土方も知らない所なのである。行商時代ですら傷に効くとしか言わなかったのだ。道場破りをし、怪我をした者に石田散薬を売りつけるという無茶な事もしていたのだが、それは口にしなかった。
「とにかく、だ。山崎と協力して何とかしてくれ」
 それだけを言うと、ふたりを部屋から追い出し、土方は仕事に戻った。

「全く…あの人は……」
 どれだけ尊敬をしていても、この件にだけは納得出来ないようで、珍しく土方に対して愚痴とまではいかないが、それに近い言葉を漏らしていた。
「斎藤さんが石田散薬の効能について、理解して貰えるように説得すればいいんですよね?」
 いとも簡単に言うが、それが出来るのならば、このような事態には陥っていないのだと、説得するのには根気と情熱がいるのだと千鶴に、これまでの経緯を話す事から始めた。

「……これって、監察方の仕事なんですか?」
 今までの石田散薬事件と命名したい程の事件を話し終えると、千鶴は素朴な疑問を山崎に投げかけた。
「………いや」
 違うと信じたいと言いたげな返事だった。
 ただ一言、土方が誤解を解けば済む話なのに、土方がそれを避けているからこそここまで大事になってしまっているのだと、千鶴も気付いた。土方が斎藤に真実を話せないのも、何となくだが解るような気がしていた。
(あんなに盲目に信じてる人に、言いにくいよね……)
 しかし、被害者が出ているのでは問題である。しかも、千鶴は医者の娘である。間違った治療法を放置したままにするわけにはいかなかった。
「私、頑張って説得してみます。父様のように医者ではないので、説得力に欠けるかもしれませんが、医者の娘として、今までずっと手伝ってきましたし、患者さんにお薬を出していましたから、少しはお力になれると思います」
 力強く言う千鶴をとても頼もしいと感じ、彼女ならば頑なな斎藤を説き伏せられるのではないかという希望を抱いた。

「斎藤さん。今、よろしいでしょうか?」
 稽古の後、井戸の水で汗を洗い流している斎藤に近付き、今日は巡察がないのを知りつつも、他に予定が入っているかもしれない、しかし今逃してしまったら、この話をする機会がなくなってしまうのではないかと、説得出来るだろうかと不安な気持ちを抑えて声をかけた。
「……雪村か」
 振り向かないまま、身体を拭き「何用か」と、尋ねた。
「あの、石田散薬の事なんですが……」
「何?」
 着物もはだけた状態で振り向き、千鶴は思わず視線を逸らせた。
 石田散薬の名が出たからだろう、鋭い眼で千鶴が怪我をしていないか確かめるように視線をやる。
「怪我はしていないようだが」
 石田散薬を必要としている者がいるのか、と言わんばかりの表情を浮かべる。
「いえ。薬が欲しいのではなくて…その……」
 斎藤が信じている石田散薬に効能は望めないのだと、さらっと言うのは簡単だが、本当の意味を伝えるのはどの言葉を使えばいいのか、考えを巡らせたが
「雪村?」
「石田散薬は……」
「………」
「万能薬ではありません!」
「なっ、いきなり何を言うのだ」
「そもそも万能薬などありません。そんなものがあれば、医者は必要ないじゃないですか。医者が困る事もありません。治るんですから」
「し、しかし…石田散薬は……」
「父様は重病の方の治療をする時、いつも悩んでいました。もっといい治療法がないかと、痛みや苦しみを取り除いてやれないかと、悩んでいました」
「………」
 万能薬があれば、患者の苦しみも取り除ける。しかし、そんな現実はない。斎藤も万能薬等ないと心のどこかでは気付いていたのだ。
「―――山崎君、いつまでそこにいるつもりだ」
 気配を消していたつもりだったが、斎藤には気付かれていたようだ。
「おまえの差し金だな」
 折角いい所だったのに…思わずそう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
(雪村君の話に飲まれそうになり、俺を呼んだか)
「言いがかりですよ、斎藤組長」
 普段斎藤の言葉に意見する等殆どない山崎だったが、こと石田散薬に関しては長期戦状態だった為、今回の刺客…もとい、千鶴は山崎が頼み込んだものだと思っていたらしい。
「いえ、山崎さんじゃありません。土方さんですよ!」
 その場が凍り付き、斎藤と山崎が銅像のように固まった。どれ程の言葉よりも効力がある事に千鶴はまだ気付いていないが、少し離れた所で三人を見守っていた沖田が悶えるように笑っていたのは言うまでもない。

「山崎さん、私…何かおかしな事を言ってしまったのでしょうか……」
「雪村君は何も悪くは無い。嘘偽りなく説得にかかっただけだ。気に病む必要はない」
 やはりどんな説得よりも、土方の言葉が一番有効的なのだと山崎は思うのだが、他人に押しつけはしなくなったものの、自ら使う事もなくなったが、未だに石田散薬を手放せずにいる斎藤を少し不憫に感じるようになっていた。


 多分、斎藤さんは本当の所、石田散薬の効能に気付いていたと思うんです。でも、土方さんはそれ以上の存在だったから、石田散薬信者が生まれてしまったのではないかと……
 山崎さんの存在だけでなく、沖田さんが潜んでいた事にも気付いていた筈です。
 以前書いた「熱を奪う」では土方さんが「効かない」とはっきり言ってますが、その話と、これは別物だと思っていただけると嬉しいです。