譲れない場所
(斎藤×千鶴)
厳しい寒さではあるが、一と千鶴は穏やかな正月を迎えていた。
「ささやかですが」
と、出されたお節料理も一にとってはこの上ない物であり、贅沢な物だったのだ。正月だというのにかいがいしく家事をする手を止めたくて勝手場で洗い物をする後ろ姿を抱き締めると
「はじめさん…? あの、動けませんよ?」
もう新妻というわけではないのだが、未だその初々しさを醸し出す千鶴を離す事等出来る筈もなく
「何故だ」
「な、何故って…こんな風に抱えられていると、動けないに決まっているじゃないですか」
「動けないようにしているのだから構わぬ」
「だっ、駄目です。洗い物が進みません」
「では、止めれば良い」
いつから自分はこんなに我侭になってしまったのだろう。戦が終わり、謹慎生活も経て、漸く訪れた穏やかな生活が一を変えたのか、それとも、愛しい娘が傍にいるからなのだろうか。その愛しい娘は自分の妻となり、ただ傍にいるだけでなく、こうして抱き締めたい時に抱き締める事が出来るようになった。それは何と幸せな事か。
一がこんな風に我侭になるのは千鶴に関してだけであるという自覚はあった。夫婦になったのだから、今まで以上に傍にいたい。抱き締めたい。そう思うのは不自然な事ではない。
「正月くらい、ゆっくりしてはどうだ」
折角の休みなのだから、ふたりの時間を過ごしたいのだ。そう言われてしまっては千鶴は反論出来なくなってしまう。
「こんな風に言うなんて、ずるいです」
「口で言っただけでは聞かぬだろう」
だからずるいんです。呟くように言い、一の手を自分の手で包み込み「寒いですけど、少しお散歩しませんか?」と、振り返って夫を見上げた。
降り積もった新雪の上をギュッ、ギュッと音を鳴らしてふたり並んで歩く。滑って転んではいけないと、一は千鶴に腕を出し、千鶴は嬉しそうにその腕に掴まっていた。
「寒いですけど、空気が澄んでいて気持ちいいですね」
「そうだな」
覚えてはいないが、千鶴は寒い国の生まれで、だからなのか一が思っていたよりは寒さに強いように写り、少しほっとしていた。
夫婦になってから、こうしてふたりで散歩に出る事が多くなった。新選組にいた頃も一緒に出掛ける事はあったが、殆どが巡察で、稀に土方の頼まれごとでふたりで出掛ける事もあった。しかし、それと今の散歩とではまるで違う。
幸せとはこういう事を言うのだろう。隣で自分の腕を掴み、嬉しそうに話をする千鶴を見ているだけで満足だった。そして、この笑顔は自分だけのものだと独占欲も生まれ、日に日にそれは増幅しているように思えたが、譲れない気持ちだった。
「はじめさん、初夢は見られましたか?」
「見てないと思うが…千鶴は見たのか?」
「はい!」
嬉しそうに笑う千鶴に、少し苦笑いを浮かべて
「どんな夢を見たのだ?」
「皆さんの夢です」
皆さん。そう言うだけで誰が出てきたのか解る。新選組の面子だ。千鶴が嬉しそうに「皆さん」と言う時は決まって彼らを示していた。一も懐かしく思うし、大切な仲間だが、面白くない気持ちもあった。今の千鶴の笑顔は一のものではない気がしてならなかったからである。
「勿論、はじめさんもいらっしゃいましたよ?」
面白くなさそうな表情を浮かべていたのに気付いたのか、一の機嫌を伺うようにじっと見つめながら、見た夢を話し始めた。
新選組にいた頃の話ではなく、それは本当に夢物語で、実は皆生きていて一と千鶴が夫婦になった祝いをしに斗南に来てくれたという内容だった。
「私の願望が夢になって、まるで本当に起こった事みたいで嬉しかったんです」
はじめさんは永倉さんや原田さんにからかわれてたんですけど、口元が嬉しそうでしたと、きっと夢の中でも浮かべていただろう笑顔を一に向けた。
「近藤さんは涙を浮かべて、良かった。本当に良かったと、まるでご自分の事のように喜んで下さっていて、そんな近藤さんを少し呆れたように見てらした土方さんも良かったなって言って下さったんです。沖田さんは特におめでとうという言葉はありませんでしたが、私の姿を見てそういう格好をするとちゃんと女の子に見えるねって仰って、平助君は終始いいな、いいなって、一君だけズルイって言ってましたし、山南さんはおめでとうございますの一言だけだったのですが、嬉しそうに笑って下さいましたし、山崎さんは斎藤組長の支えになって欲しいと仰って、島田さんは良かったですねって、甘いおしるこを作って下さったんです」
千鶴は願望と言っていたが、恐らく皆が生きてここに来る事があれば、夢と同じだったに違いないと一は感じていた。そこまで解る程に千鶴は新選組の元にいたのだと改めて感じたのだ。
はじめ、京の民には恐れられていた。それは近藤と共に局長のひとりでもあった芹沢鴨の行いが大きかったというのもあったが、それ以外にも、京の人間は簡単に余所者を受け入れずに邪険にしており、いきなり現れて我が物顔で歩く新選組が例え親切にしたとしても敵としか見られず、その中身を認めて貰うには時間がかかった。しかし、千鶴は京の人間でなかったというのもあるが、千鶴を斬ろうとしていた新選組は彼女にとって恐ろしい集団に見えていたに違いないのに、京の人間よりも早く自分達を受け入れ、中身を知ろうとした。共同生活をしていたから当たり前だと千鶴に聞けば答えただろう。だが、共に暮らしていたからこそ、血の臭いのする隊士達はより恐ろしい存在に見えていた筈だ。それでも、千鶴は彼らの中身を見ようとした。いや、中身を見ていた。志を知ろうとし、その手伝いをしたいと申し出たのだ。一が信じた仲間をそして、一自身を噂や見た目だけでなく、その奥にあるものを真っ直ぐな眼で見ていたのだ。
「有難う」
「? はじめさん…?」
「千鶴が見た夢は確かに夢だが、夢ではない」
「???」
「千鶴は願望と言ったが、決して願望ではないと俺は思う。夢の中の近藤さん達は紛れもなく本物だ」
きっと、直接言えないからおまえの夢に出てきたのだろうと、言うと少し涙を浮かべて「嬉しいです」と、笑みを浮かべ「同じ夢をはじめさんと見たかったです」と、呟いた。
「沢山歩いたので、おなか空きましたよね。お節持って来ます」
パタパタと勝手場に向かい、その背中を見つめると、いつも家の中では千鶴の背を見ているような気がするなと、また独占欲が生まれた。
(このような事で悩めるとは幸せな証か……)
皆に会って、千鶴との事を知らせたい。祝って貰いたいと思う反面、今の自分を見られるのは何とも恥ずかしいとも思うのも事実だった。特に見られたくないと思う土方や沖田には今の自分を見られる事がないと、少し安心している自分に驚いていた。
時が経った。
そういう事だろう。
漸く一も新選組はもうないのだと心から受け入れられるようなったという事なのだろう。少し淋しく感じたが、きっと土方ならば「それでいい」と、笑うだろうとそう思えたのだった。
早めの夕餉を済ませ、夕べは遅くまでお節料理を作っていた千鶴を労い「まだ早いがもう寝るか」と、布団を敷き目をつむっている千鶴に
「同じ夢を見る方法だが……」
「……え?」
「同じ夢を見たかったと言ったのを覚えているか」
「はい」
帰りに話した事ですよねと、一の方を向いた。
「あぁ」
「同じ夢を見る方法があるんですか? でも、今日も夢を見るとは限りませんけど、もしも怖い夢だったらはじめさんと一緒だったら怖くありませんし、楽しい夢でしたら、一緒に楽しめますね」
「あ、あぁ」
「どうするんですか?」
嬉しそうに眼を輝かせて一の言葉を待つ千鶴に
「ま、まずは縁起の良い夢を見る為にだな…枕の下に七福神の絵を敷く」
「うちには…ありませんね」
「いや、既に枕の下に入れてある」
「え?」
いつのまにそんなものを…いや、そもそも何故七福神の絵が我が家にあるのか聞きたかったが、どうやらそれは一にとって問題ではない、どうという事ではないと言わんばかりに真剣な眼差しで千鶴を見つめて
「問題は同じ夢を見る方法、だが――」
「は、はい」
まるで熱があるかのように頬を染めながら
「少々困った…いや、俺は困らぬ。寧ろ…いや、あんたも困りはしないと思うが、違った意味では困った事になるのだが、それはこの際その時に考えれば良い話なのだが…その……」
「はい」
「互いの額を当てて眠ると同じ夢を見られるのだそうだ」
「こんな風に、ですか…?」
一と自分の前髪を書き上げ、そっとくっつけると、まさかすぐに実行されると思わず、一瞬何が起こっているのか解らず眼を見開いてしまったが
「そ、そうだ」
「確かに、これだと同じ夢を見られそうですね」
目の前に愛しい妻の、こぼれるような笑顔を平然と見るのは至難の業と言わんばかりに眼を閉じて
「あぁ。俺もそう思う。しかし…困った事も…少々あるのだ」
「ずっとこの体勢を保つのは難しそうですね」
「い、いや。それは大丈夫だ。俺がおまえをしっかり抱き留めていれば良い話だ」
では一体何に困るのだろうかと、考えてみるものの体勢以外に困る要因が見つからずに尋ねてみるのだが
「――少々眠り辛い」
「では、私がこうして頭を固定させておけば眠れると思います」
両手で一の頬を包み、まるで口付けをするような体勢になるのだが「これで眠りましょう」と眼をつぶる千鶴に
「そういう意味で眠り辛いのではないのだ」
千鶴の身体を引き寄せて、腕の中に閉じ込めると
「同じ夢を見る為には眠らねばならぬ。しかし、こうしておまえが近くにいると、眠らせたくなくなるのだ。夕べは遅くまでお節料理を作っていたおまえを今夜はしっかり休ませてやりたいのだが…と、困っているのはその事だ」
「は、はじめさん……」
「どうやら俺は夢の中でさえあんたを離したくないらしい。夕べは俺も夢に出てきたようだが、俺はその夢を知らぬ。よってこうして額を合わせて眠れば共に同じ夢を見られて良い事なのだが……」
額を合わせたまま、真剣な眼差しで言う一に一気に千鶴も頬を染めて思わず逃れようとしてしまうのだが、一がそれを許す筈もなく
「今宵は眠らず、明日ゆっくりここで過ごすか、それとも同じ夢を見る為、このまま眠るか千鶴が決めてくれないか」
「そ、そんなの…無理です」
きっと「同じ夢を見たい」と言った所で、目の前にある艶やかな眼をした夫を説き伏せる自信等千鶴にはなく、困ったと言わんばかりに眉尻を下げるのだった。
その夜、ふたりが同じ夢を見れたのか、そうでないのかはふたりだけの秘密である。
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