結い

(斎藤×千鶴)

 ずっと見たいと思っていた姿があった。ここ斗南に来てからその姿は見ていたけれど、一が本当に見たいという姿ではなかった。頼めば簡単に見せて貰える姿だが、昔の一を思い出させるその姿を幸せそうに見せる千鶴に「髪結い姿を見せてくれ」というのは何故だか淋しい顔をさせてしまいそうな気がして言えずにいたのだ。
 髪を結んでいた白い布が実は以前一が首巻きにしていた物で、洋装をした時にもう洗っても落ちない血の染みがあった為、千鶴に「処分しておいてくれ」と頼んだのだが、まだ使える部分を切り取り、大切に持っていたそれは今、千鶴の右肩が定位置になっていた。
「実はこれ、斎藤さんの襟巻きで作ったものなんですよ」
 嬉しそうにひとつに纏めた髪を白い布で巻いていて、髪が長かった頃の一と同じ髪型の千鶴はとても嬉しそうに見えたし、千鶴の愛を目で見る事が出来、一もまた嬉しかったのだ。
 だからこそ言えなかった。
「京に来る前に結っていたであろう髪型の千鶴が見たい」
 と。
 どんな姿でも、どのような髪型でも千鶴が愛らしいのには変わりはない。しかし、一度気にしてしまうと、どうしても見たくなったのだ。
 無茶な願いではない。勿論難しい願いてもない。千鶴が嫌な思いをするわけでもない。なのに躊躇ってしまうのは江戸にいた頃、新選組に会うまでの穏やかな日、父だと思っていた綱道との幸せな日を思い出させてしまうかもしれない。綱道は本当の父ではなかった。それだけだったらここまで心配する事も無いが、千鶴を引き取り育てたのは鬼の一族「雪村家」の復活の為と知らされ、鬼の姫故、風間という鬼に狙われる事にもなったからだ。決して忘れられる出来事ではないが、故意に思い出させたくはない。
 心配性過ぎると、一自身自覚していたし、ここにもし、あの仲間達がいたら心配性過ぎる一を豪快に笑い飛ばしただろう。
 その必要はないと。
 しかし、ここには一を窘める者も、何事にも石橋を叩いて渡る一を笑い飛ばす者もいない。千鶴の芯が強いのを知ってはいるが、それでも辛い日々を送り、一の謹慎生活も経て漸く千鶴を笑顔にさせてやれるのだから、何ひとつ不安要素を千鶴の前に差し出したくなかったのだ。
 そう、不安要素を千鶴の前に出したくないのに、何故か一の手にはかんざしが握られていた。
 古着屋にちょこんと置かれたそれが目に入った途端「千鶴がつけたらどれだけ愛らしいだろうか」と、かんざしをつけた千鶴で頭がいっぱいになり、思わず買ってしまったのである。

「決して、無駄遣い等ではない。これは…苦労をかけてる千鶴に対しての例をだな……」
 何も聞かれていないのに、店主に言い訳をし始める一に
「お古ですが、それはとてもいい品ですよ」
 と、妻への贈り物だろうと察した店主が優しそうな笑みを浮かべた。この貧しい土地で贅沢をする者はいない。髪飾り等置いた所で売れるとは思っていなかったが、じっとかんざしに熱い視線を送る姿に
「お安くしておきますよ」
「い、いいのか?」
「元はうちの家内がつけていたものでね、もう使う事もないので」
 店主はもういい歳で、もしかするとその奥方はもう…いないのだろう。売るのは忍びないのかもしれない。しかし、大切に使われていたのだろう、質の良いかんざしは今の季節には合わない桜の花びらの模様が施されており、まるでふたりの思い出の花びらのように見えた。
 桜の季節にはまだ早いが、これを千鶴につけてやりたい。いや、それ以上に髪を結った千鶴の姿を一が見たいのだ。
 このかんざしに合う着物はない。着物は千鶴が仕立てるか古着を手に入れており、千鶴は外に出るといっても、買い物や洗濯だけだからと、自分の着物をこの斗南に来てから仕立てる所か古着でも新しく手に入れてはない。いつも一の着物ばかりだ。新選組時代に無駄遣いをしていなかった為、懐に少し余裕はあったが流石に着物まで用意したらきっと千鶴は恐縮するだけだろう。千鶴は自分の為に使う位ならば一の物を買いたいと言うし、以前より少し身体の弱くなった一に何か精のつく物を用意したいと、自分の事は二の次にする千鶴にこそ何かしてやりたいと思うのだが、却ってすまなそうな表情を浮かべるのは容易に想像がつく。故に、着物を仕立ててやるのはもう少し生活に余裕が出来てからにして、かんざしでも恐縮するだろうけれど、お古で、安くして貰ったというのもあるから、これ位ならば素直に喜んでくれるのではないかと、思わず購入したのだ。
 千鶴に早く会いたくていつもは早足で帰るのだが、今日はその歩みに躊躇いがあった。かんざしを喜んでくれるだろうか、自然に髪結いの話も出来るだろうかと考えると、どう言えばいいのかこういう事に関しては口下手な一は悩んでしまうのである。
 ただ、愛らしい妻の姿が見たいだけ。
 それだけなのだが、照れもあるので、素直に言葉に出来ない自分をうらめしく感じていた。

 このように歩みが遅くなったのは祝言の言葉をどう言ったものかと悩んだ時以来か。それもまたつい最近の話ではあるのだが。言い慣れない言葉で、苦労はしたものの、その先には幸せが待っていた。漸く千鶴に名で呼んで貰う事にも成功し、よりふたりの絆は強くなり、千鶴の笑顔も増えたような気がした。きっと、かんざしを渡したら喜んでくれる筈だ。そして、その場で髪に挿してくれるだろう。
 しかし、一が見たいのは髪結い姿の千鶴である。
 だが、ここ斗南で京で、江戸で見たような髪結いをしている娘は見ていないような気がした。千鶴のように手間も省けるというのもあるのかひとつに纏めるという簡単な髪型をしている女子が多い…ような気がしていた。「ような気がしていた」のは一が特に気にして千鶴以外の女を見ていなかったからというのもある。
 京ではあのように髪をひとつに纏めている姿の女子を見た事はなかった。髪をおろすのはだらしないと考えられていたからだろうか。それとも、芸妓をよく目にしていたからなのだろうか。女子の髪結い事情等一が知る筈もないのだが。

「千鶴、これを……」
 沢山の言葉を巡らせていたのだが、実際に口にしたのは、いや、口に出来たのはいつもと変わりがなかった。差し出されたかんざしを見ると、ひとめでそれが良い物だと気付き
「どうされたんですか?」
「その…たまたま見かけた故……」
「こんな贅沢な物……」
「い、いや! これは古着屋に置いてあった物で、安く譲って貰ったのだ」
 かんざしを見た瞬間、ほんの一瞬だけ千鶴の顔が綻んだのを一は見逃さなかった。江戸にいた頃はこのような物は当たり前のようにつけていたのだろう。一の言葉を聞いて、わら紙でくるまれたかんざしに目をやると「綺麗……」と、呟いた。
「桜の季節にはまだ早い故に、つける時期も限られてはいるが……」
 桜は俺と千鶴の思い出の花故。
 千鶴以上の笑みを浮かべて「挿してみてくれぬだろうか」と、呟いた。
「こう、ですか?」
 想像通り、そのままの髪に挿して見せるのだが、一が見たいと願っているのはその姿ではない。少し暗い表情を浮かべる一にどうしたのだろうと首をかしげると
「京に出る前は結っていたのではないのか?」
 一の言葉に、夫の意図する所に気付き「そういえば、京に来てから髪を結ったりしてませんでした」と、あれほど「昔を思い出し、哀しませてしまうのではないか」と危惧していたが、辛そうな顔を浮かべていないか確認し、気にしすぎていただけだと安心して「見せてくれぬだろうか」もう一度ねだるように言うと
「待っていて下さいね」
 少し頬を染めて、隣の鏡のある部屋へと向かった。

 器用に、するすると髪を結う姿を一は隣でじっと見ていた。
「はじめさん?」
「あ、いや…器用だな」
「これくらいは誰でも出来ますよ」
「そ、そうなのか……」
 だったら、たまにはその姿を見せて欲しいと、折角かんざしもあるし、かんざしがなくとも、出来る髪型もあると言いたげな顔を浮かべていると
「懐かしいです。前に髪を結ったのは島田屋に行った時でしたね」
 普段着る事のない着物に、髪結いもまた同じで、実は凄く嬉しかったんですよ。今だから言えますけど、と昔に思いを巡らせているその表情に曇りはなかった。
 あっという間に髪を結い上げると、桜模様のかんざしを挿した。
「どう…ですか?」
 恥ずかしそうに上目遣いで尋ねると、千鶴以上に耳まで顔を赤くした一は言葉をなくしていた。
「……似合いませんか?」
「似合ってる。思っていた以上だ」
 千鶴を引き寄せて、優しく腕の中に閉じ込める。
「はじめ…さん…?」
「すまぬ」
「え…?」
「屯所にいた頃の方が、このように髪を結い、着飾りたかった筈だ」
 なのに、俺達がそれをさせなかった。
「はじめさん。それは違います」
「しかし……」
「先に私が男装をして江戸から出てきたんですよ。誰に強制されたわけでもありません。屯所で袴姿だったのも、私の身を守る為です。皆さんが私を大切にして下さっていたからです」
 不憫な思いをさせていると、近藤が浴衣を用意した事もあった。
「そう、だな……」
 あの頃は御陵衛士として一は新選組を離れていたが、千鶴の浴衣姿は偶然の巡り合わせで目にし、迷子にならないようにという名目ではあるが、手を繋ぎ、祭の中をふたりで歩いた。
「もしかして、はじめさん。私が辛い出来事を思い出すかもしれないって、心配してくれていたんですか?」
 どうして、何も言っていないのに千鶴は一の心の奥をいとも簡単に読めるのか。
 適わぬ。
 何度そう思ったか解らない。
「俺はどうにも心配性のようだな」
「それははじめさんが優しいからですよ」
 大切にして下さっていて、私は幸せです。と、一の手に指を絡めた。
「温かくなったら、このかんざしに合う着物を仕立てて、遠出は出来ぬが、ふたりで出かけないか」
「そんな、着物まで……!!」
「俺の為に、着物も受け取って欲しい」
 一の為と言われてしまっては断る事も出来ないと
「そんな言い方はずるいです」
 言いながらも、嬉しそうに微笑んだ。


 アニメで千鶴が京に出てくる前に髪を結っていたなぁ…というのを思い出し(ゲームでははじめを飛ばしていたので覚えてない)、平助君EDでは髪を結ってたけど、斎藤さんEDでは斎藤さんと同じ髪型だったので、もしかしたら斎藤さんはその姿を見た事がないんじゃないか…と思ったのでこんな話が浮かんでしまいました。
 昔は自分であんな風に結っていたんだなぁ…と、関心したんですよね。
 髪結いという店もありますが、それは芸妓さんとかの髪を結うのがメインだったのでは…と思うのですが、どうなんだろう。調べてから書けば良かったのかもしれないけど勢いで書いてしまいました。