の中のぬくもり 後編

(斎藤×千鶴)

 そろそろ大坂に着く頃、先程までは晴天だったのに、急に曇り出したと思ったら大粒の雨がふたりを襲った。まさか雨が降るとは思っていなかった為、慌てて屋根のある場所に入ったのだが、既にふたりともずぶ濡れになっており
「宿を探してくる故、少しここで待っていろ」
 大雨の中走り去る斎藤を見送り、ずぶ濡れになってしまった着物に眼をやった。
「折角近藤さんが用意して下さったのに……」
 着物が痛まないように、手ぬぐいで水分を取り、宿に着いたらすぐに着物の手入れをしなければ……と、酷くなる一方の空を見上げた。

 斎藤が探し出した宿は雨宿りをしていた場所から少し離れており、走って向かったとはいえ、更にずぶ濡れになってしまい「身体を温めて来い」と、斎藤に言われてすぐに風呂に浸かったのだが、上がってからぐしゃぐしゃになってしまった着物の手入れを始め、斎藤は綱道が泊まっていただろう宿に足を向けており、既に綱道は別の場所に…大坂から離れただろうという情報を仕入れ、千鶴が待つ宿へと戻ってくると、赤い顔をした千鶴が一生懸命に着物を乾かしている姿が眼に入り、もしや…と、額に手をやると想像以上に体温が高く、高熱を出していると知ると、懸命に着物を拭いている手を止めて、布団を敷きそこに寝かせようとした。
「で、でも…折角近藤さんからいただいた着物なのに……」
「着物等構わん。局長も怒ったりはせぬ。横になっていろ」
 横になった途端に、それまで集中していたからか、苦しそうなそぶりを見せになかった千鶴の眼がうつろになり、うわごとのように「着物が…」と、近藤の好意を駄目にしてしまったのでは…と、熱を出しているというのに、着物を気にする千鶴を宥めるように頭を撫でると、着物以上に湿った髪に気付き手ぬぐいで髪を拭いていると、布団の中にいるのに、ガタガタと震え、顔は赤いままなのに唇の色素が抜けていく。布団をもう一枚重ねてみるものの、震えは止まらず
「まだ寒いか?」
「だ…じょ…ぶ…です」
 平気なそぶりをするが、明らかに身体は震え、何とか温まろうと身体を丸めた。
「医者を呼んでくる故、待っていろ」
 宿の女将に医者はどこにいるのか聞いてみたが、この大雨だから時間がかかるだろうと、千鶴の様子を聞き「まだ熱が上がるから身体の震えが来るのだと思います。身体を温めてあげるのが一番良いですよ」だと言われ、布団を重ねても未だ震えたままで、苦しそうな千鶴を見かね
「すまぬ。責任ならば…取る故……」
 布団の中に入り、己の腕の中に閉じ込めた。震えているというのに、熱く、そして…華奢な千鶴の身体は普段男物の着物で隠れているが、その身体は紛れもなく娘そのものだという事を意識せずにはいられなかった。苦しそうな吐息もまた、必要以上に意識をする材料となり、気持ちをどこかにやらないと、鉄の理性を持つ男だというのに、その理性は今にも吹き飛んでしまいそうな状態になっていた。
「むっ…昔昔、あ…ある所におじいさんとおばあさんが…いたそうだ。その…おじいさんは川に洗濯に行き、おばあさんは山に竹を割りに行った…のだそうだ。そっ…その…おばあさんはせっ…洗濯をしていた手ぬぐいで竹を割ると、元気な男の子が出てきて、金…金太郎と…名付けて、可愛がったと…聞いた…そっ…そして…そして、だな……羊を…そうだ。羊を数え始めたのだ。いっ…一匹…羊が…いや、それだと俺まで眠ってしまう。おまえをぬくめなければならぬのに…そう…そうだな…あぁ、その桃太郎だが、居合いの稽古を始めて…だな……」
 とにかく意識を別にやらなければ、かろうじて残っている理性もなくなってしまいそうで、思い浮かんだ…いや、無理矢理考えた物語をおそらく苦しくて聞こえていないだろう千鶴に話して聞かせる事で、腕の中で震える千鶴を温めてやらなければ、温めるのが今の斎藤の使命だと自分に言い聞かせるが、どうしても千鶴の柔らかさ、今は熱を持って熱いが、その体温を感じると、健康な若い男なのだから反応してしまうのだ。
 こんなにも華奢だったのか。
 いつも遠慮して食べていないのではないか。
 柔らかい。
「い、いや! 違う。いや、違わないが……」
 いっそ、自分も眠ってしまいたいと思うが、更に千鶴の病状を悪化させてしまう可能性があり、それだけは絶対にしてはいけない。苦しさを取り除いてやりたいという気持ちが戻ってくる。
「で、では…先程の話の続きを」
 もう何の話で、どこまで話したのか解らない一応童話のつもりなのだろう話を途中自らの葛藤も入り交じりながら、理性を保つ為に夜明け前まで語った。

 身体の震えも収まり、赤かった頬も元通りになりつつあり、寝息も落ち着いた。千鶴を起こさないように布団から抜け出すと、千鶴がいない腕を見つめ寂しさを感じた。本来ならば部屋を出た方が良いのだろうが、もし体調が急変し悪化してしまってはいけない。恋仲でもなく、ましてや夫婦でもない娘と一夜を共にするのは良くないが、万が一の事を考え、額に手をやり体温をもう一度確かめると
「綱道さんを見つけてやれず、すまない」
 千鶴が起きた時に言わなければいけない言葉を練習するかのように呟き、部屋の隅に座った。

「ここは…?」
 夜明け前、灯りのない部屋で眼を覚ますと
「大坂の宿だ。雨に遭い、おまえは熱を出したのだ。覚えているか?」
「さ、斎藤さん。ずっと…ここに?」
 まだ夜目の利かない状態で斎藤の姿を確認出来ないが、声のする方に視線をやった。
「あぁ…すまぬ。もし熱が高くなってはいけないと思ってな。廊下に出ていた方が良いとは思ったのだが、ここは宿故、そのような事をしては迷惑がかかると思ったのでな」
「いえ! それは…大丈夫です。ご心配をおかけしました。すみません」
 起きようとする千鶴を制し
「まだ夜も明けておらぬ。寝ろ。寒くないか?」
「大丈夫です」
「熱は下がったようだが、まだ少し顔に赤みがあるようだな。布団をもう一枚かぶっておけ」
「斎藤さんは…?」
 一緒にいたのならばもう一組あってもおかしくない布団がないと
「もしかして、寝てらっしゃらないんですか?」
「先程も言ったが、具合が悪くなってはいけないのでな」
「そ、そんな…! 私は大丈夫ですから、お休みになって下さい」
 額に手をやり、もう一度熱を確かめると
「確かに、熱は下がってきたようだが、まだ微熱がある」
「本当に大丈夫ですから」
 布団から出ようとすると、やはり斎藤に止められて
「解った。横になろう」
 畳んである布団を離れた場所に敷き、とりあえず横になろうとした時に上から温かい物が被さり見上げると
「これ…二重で……」
 千鶴が冷えないように二重にかけていた掛け布団だ。
「俺はいい。おまえが使っていろ」
 納得出来ずに布団を差しだそうとする千鶴に「使っていろ」と、これ以上引く気はないと言わんばかりに真っ直ぐ見つめるので
「では…使わせていただきます」
「あぁ」
「おやすみ…なさい」
「おやすみ」
 互いに背を向け、眼を閉じた。
(眠れと言われたが、眠れそうにないな…千鶴の具合も気になる故…いや、それだけではないのかもしれぬ)

 朝、千鶴の体調はすっかり元通りになっていて、その時に綱道はもう大坂から出てしまった話をした。一歩違いというわけではなく、あの情報を仕入れた時はもう既に大坂から出る手筈になっていたらしい。
「今は大坂にいないが、また京に戻ってくる可能性はある。監察方も引き続き綱道さんの行方を調べるし、俺達も巡察の時に調べる故、案ずるな」
「はい」
「屯所の近くまでこれを着ろ」
 着物を差し出した。昨日ずぶ濡れになり、乾かしている途中で熱が出てそのままになっていた筈なのに綺麗になっていた。
「もしかして斎藤さんが……?」
「いや、女物の着物手入れは俺には解らぬ。だから、女将に頼んだのだ」
 着ていろ。念を押すように言うと部屋を出た。また袴姿での生活に戻る。いつ、この着物を女物の着物を着れるようになるか解らない。だから、着ていろという事なのだ。言葉数は少ないが、少ない言葉の中にどれ程の気遣い、優しさがあるのだろう。
 今回は父、綱道に会えなかった。けれど、新選組を斎藤の言葉を信じて、暫く男装をし、不自由な生活を送る事になるが、この優しい人を信じようと、改めて思うのだった。

「それで、千鶴の体調はもう大丈夫なのか?」
 事前に文で報告をしてはいたが、文に出来なかった細かな報告をしていた。綱道は新選組の敵になっているかもしれないという報告を。千鶴にはとても話せない内容だが。しかし、希望を捨てたわけではない。そういう可能性が出たというだけの事だ。その時の為に千鶴を預かっているというのもある。利用するというよりも、自分たちの誠を正面から聞いて貰う為、変若水で命を落とした者の為にも、綱道が必要だったのだ。
「はい。帰りの道中も特に問題はありませんでした」
 無理をさせないよう、時間はかかるが千鶴の歩幅に合わせ、途中休憩を取りながら。体調的にも気をつけたかったし、綱道に会えなかった。会えると信じて、結果会えなかったから、精神的負担も大きいだろうと、気丈に笑みを浮かべる千鶴の心の奥を読んでの事だ。もしもの時を考えて口にはしなかったが、近藤が千鶴の着物を用意させたのもこれで男装をするのを最後に…と考えたからだ。
 土方の部屋から出ると、沖田が立っていた。
「それで、千鶴ちゃんとの旅は楽しかった?」
「俺は遊びに行ったわけではない」
「一泊してきたんでしょ?」
「……泊まらねばならなくなるのはおまえも想像していた事だろう」
「うん、だから僕が千鶴ちゃんと一緒に行きたかったんだけどね」
 もし、斎藤ではなく、沖田と千鶴が大坂に行き、大雨に遭って千鶴が熱を出したら…と考えると途端に気分が悪くなった。
「………」
「ねぇ、同じ部屋に泊まったの?」
「総司には関係ない」
「関係あるって言ったら正直に答えてくれる?」
「綱道さんには会えなかった。俺達新選組に必要な情報は言った筈だ。細かな報告を聞きたいのならば、土方さんに聞いてくれ」
「僕が言ってるのは綱道さんの事じゃないんだよね」
 解ってるんでしょ? と言わんばかりの笑みを浮かべる。厄介な相手である。
「一君が教えてくれないのだったら、直接千鶴ちゃんから聞くからいいよ」
「よせ、総司。雪村は…病み上がり故、暫く休ませてやれ」
 休ませたい。その気持ちは本当だが、同じ部屋に泊まった事。千鶴にも気付かれてはいないし、土方にも報告はしていないが、同じ布団の中に入った事は言える筈もない。この腕の中に千鶴がいた事を誰にも言いたくない。斎藤の事だから何もなかった。沖田だけでなく、今回の事を知る者全員、何故自分が一緒じゃないのかと不服を言っていたが、その中でも沖田は珍しく目に見えて面白くないと訴えていたのだ。気に入った玩具を取られたような気がして。
「ま、いいけどね」
 帰ってきた時の千鶴の様子も見ていたから、特別何かがあったとは思えなかったからよしとしたようだが。

「えー、そんなお伽話知らないよー」
「そ、そうなの? でも、父様が話してくれたのがこんな話だったような気がするんだけどな……」
「だって、おじいさんが川に洗濯に行くのっておかしいし、途中で名前替わってない?」
 数日後、巡察から帰ってきた時に千鶴と、八木家の子供の話し声が聞こえ、何事かと足を運ぶと、千鶴に話して聞かせた…のではなく、自分の理性を繋ぐべく話した物語を子供達に言って聞かせる千鶴に「それは間違っている」と、言ってやるべきか、素知らぬ顔を決め込むか斎藤は頭を抱え込むのだった。


 長くなってしまいました。本当はもうちょっとコンパクトに、雨に濡れて熱を出した千鶴を抱き締める話にしようと思ったのですが、何故そうなったのか…というのを考えた時に背景をちゃんと書きたくなって、ちょい長めの話にした方が読みやすいかなと。
 最初に浮かんでいたのはそのテーマと、オチの千鶴が斎藤さんが話した物語を覚えていて、でも何故か綱道さんに話して貰ったという勘違いをして、子供達に話して聞かせるという所。
 シリアスとコメディを混ぜた話にしたいなと思ったのです。