の中のぬくもり 前編

(斎藤×千鶴)

 雪村綱道を大坂で見かけた。という情報を藤堂が持ち帰ってきた。いつものように漠然とした情報でなく、宿の名、見かけた場所も詳しくて「これは本当ではないか」と思わせる内容だったので、屯所から少し遠い場所ではあるが、新選組で動いた方がいいと、幹部のみで話し合っていた。
「でも、あんな風に行方知れずになっちまって、俺達で探しに行ったら逃げられちまうんじゃねぇか?」
「そう…だよな。新見さんと逃げて、新見さんは見つけられたけど、綱道さんは全く解らないままだったもんな」
 口にはしなかったが、寝返ったという噂も幹部達の耳に入っていた。
「千鶴ちゃんを連れて行ったら?」
「しかし……」
 名案だとは思うが、と皆が土方に視線をやると、眉間に皺を寄せたまま、ずっと黙っていた土方が口を開いた。
「ここまで細かい情報が入ってきたのは初めての事だからな。慎重に行った方がいい。斎藤、千鶴とふたりで大坂に行け」
「えー、なんで一君なんだよ。この情報を持ってきたのオレなのにさ」
「千鶴ちゃんを連れて行った方がいいって言い出したのは僕なんだから、僕と千鶴ちゃんが行くべきじゃないかな?」
「てめぇはただ遊びに行きたいだけだろうが」
「酷いなぁ、土方さん。僕は千鶴ちゃんを思って言ったんだよ」
 嫁入り前の娘とふたりで出かけるのだ。間違った人選では収まる物も収まらなくなるやもしれない。本来ならば近藤か土方、山南の誰かが同行するのが一番良いのだろうけれど、出来ない場合は千鶴を知る幹部の誰かに頼むしかない。
 土方にとって、彼らは信用に足る人物ではあったが、綱道の眼にどう写っていたのかは知る所ではない。しかし、この面子の中で斎藤ならば、大切な娘に手を出さない…他の面子も出さないが、原田は島原で女にモテているし、同じく島原で女にモテてはいないが、だらしのない永倉と共にさせるのは良くない。特に女にのモテているわけでも、今は島原通いをしてはいるが、綱道が新選組を出入りしていた頃は貧乏だった為、島原通いをしている姿は見られてはいないが、明らかに千鶴に好意を持っている藤堂も問題がある。そして、女関係で問題は全くないが、性格に問題のある沖田は論外である。だとすれば、残るは斎藤だけである。斎藤は誰が見ても真面目で申し分がない。
「千鶴を呼んでこい」
 沖田の抵抗を聞き流し、話を進める土方に特に睨み付けるでもなく、怒るでもなく、沖田はニヤニヤと見つめていた。

「あの、雪村です」
 部屋に入ると近藤、土方、山南…そして組長達と、普段共に食事をしている面子ではあるが、そこにはいつものような和やかな雰囲気はどこにもなく、千鶴が捕らえられ、初めて皆の前に立った時と同じような緊張感があった。
 もしかして、自分は処刑されてしまうのだろうか。とさえ勘違いしてしまう程に。
「あぁ、雪村君。そこに座ってくれ」
 千鶴が緊張しているのを悟ったのか、近藤は穏やかな笑顔を浮かべた。
「どうやら、大坂で綱道さんらしき人を見かけたという情報が入ってね。今までもそういう話はあったのだが、今回はかなり信頼出来る情報のようだから、我々が動く事になった。しかし、その…綱道さんと新選組とは…敵同士とまではいかないけれど、ほんの少しずれが生じていてね、我々だけが出向くよりも、娘である雪村君が一緒だと話も円滑に行くのではないかという事になって、斎藤君とふたりで大坂に行って貰う事になったんだよ」
「ほ、本当ですか?」
 綱道が見つかった。いや、本当に見つかったというわけではないが、やっと会えるかもしれない。
「有難うございます」
 深々と頭を下げるのだが、近藤の言葉を思い返し
「斎藤さんと…ふたりで、ですか?」
 京と大坂、そう遠くはないが、近くもない。綱道を探すという目的もあり、恐らく一泊する事になるかもしれないだろう。そう、嫁入り前の娘の千鶴と、斎藤が、である。
「千鶴ちゃん、一君に手篭めにされるかもしれないね」
「総司!」
「俺はそのような事等せぬ!」
 土方の怒鳴り声と、斎藤が珍しく大きな声を出して、沖田を睨み付けるが、当の沖田には通用していないようだ。
 千鶴もまさか斎藤がそのような事をするとは思えないが、やはり男とふたりで遠出をするというのに躊躇いを感じずにはいられず、言葉が出てこなかった。
「千鶴、おまえが躊躇うのも解るが、俺達も綱道さんと会って、話さねぇ事があって、どうしても見つけなければならねぇ。斎藤を選んだのはこの面子で一番安心だからだ。本当ならば近藤さんか山南さんか俺が着いて行くべきなんだろうが、どうにも外せねぇ用事があってな。すまないが、行ってくれねぇか」
 新選組に身を寄せるようになって、数ヶ月。彼らの人となりは少しずつ見えてはきたが、それでも全てではない。しかし、斎藤は千鶴の中で信頼出来る人物であったので「そういう意味」での心配はないのだが、京から大坂まで男とふたりで出てきたと父に知られるのには抵抗があったのだ。近所の娘達よりも、千鶴は厳しく育てられており…いや、一見厳しくはなかったが、あるひとつの事においては厳しかったのだ。
 むやみに男に着いて行ってはいけないと、千鶴に淡い恋心を抱いている男は千鶴から遠ざけるようにしていたり、直接千鶴にも言って聞かせていた。「どうして?」と、聞いても「おまえの結婚相手は私がちゃんと考えている」としか答えなかったのだが。父が娘の結婚相手を決める。珍しい話ではないが、今になって考えると綱道は千鶴の相手に関しては神経質だといっても過言ではない程、過敏だった。でも、それを口にしてしまっては折角の機会を逃してしまうと
「行きます」
 顔を上げて、近藤と土方を真っ直ぐに見つめた。
「そうか」
 安心したように笑ったのは近藤、土方、山南だけでなく、斎藤もである。
「綱道さんと会うのに、男装のままだといけないからね。京を離れてから、これを着てくれ」
 嬉しそうに差し出したのは桜色の綺麗な着物だった。
「京を離れてから…ですか?」
 屯所からこれを着て出るのがまずいけれど、何故京を離れてからなのだろうと首をかしげると「どこで隊士の眼に入るか解らなねぇからな。おまえが女だとバレると、おまえの身の危険も生じる」そう言われて、男装はここ屯所では千鶴を守る鎧なのだと改めて感じたのだ。

 善は急げというわけではないが、綱道もいつまで大坂にいるか解らない。急がなければ、逃してしまうかもしれないと、幹部達の羨む眼を背に斎藤と千鶴は大坂に向かった。
 京を出るまでは…と、近藤に言われていたが「ここまでくればもう大丈夫だろう」と、千鶴の男装を解き、久しぶりの女物の着物に袖を通した。とても上質な着物だというのは見た瞬間に解り、近藤の心遣いが感じられ、綱道に会えたら、言葉とは裏腹に良くして貰っている事を話し、どうして行方知れずになってしまったのか、江戸にはいつ戻るのか…報告よりも尋ねたい事だらけだった。
(でも、男の人とふたりで…だなんて、不機嫌になってしまうかな……斎藤さんは父様とはあまり話した事がないって言ってたけど、きっと父様も斎藤さんが優しくて真面目な人だって気付いてたよね。変な誤解、しないよね)
 やはり気になるのはそこである。もしも会えたとして、綱道が声を上げて怒った事は一度もなかったが、だからこそ怒らせては全てが駄目になってしまいそうで、土方が「斎藤ならば」と太鼓判を押したのだが、実は綱道は千鶴が男とこうして並んでいるだけでも、不機嫌な顔を浮かべる可能性が高く、どうにかして誤解…というのも変な話だが、ただ親切心から、千鶴を思っての行動であるとどう言えば理解して貰えるか考えていた。
 久しぶりの着物だというのに、俯いて、まるで土方のように眉間に皺を寄せながら出てきた千鶴に、想像以上に愛らしい千鶴の姿に一瞬頬を染めるのだが、あまりにもの形相に
「……どうしたのだ、雪村」
 雪村、と呼んだ直後に、娘姿…いや、本来の姿の千鶴に対して「氏呼びはおかしい」と、すぐに「千鶴……?」呼び直してみるものの、聞こえていないのか、難しい顔をしたままで、千鶴の頭をそっと撫でると、驚いて斎藤を見上げた。
「斎藤…さん……?」
「その着物、気に入らぬのか?」
 眉間の皺の理由がどこにあるのか解らず、もしかすると千鶴がずっと着ていた着物と全然違うもので、その姿を綱道に見られた時の危惧をしているのだろうか。
「い、いえ! こんないい着物を着たの久しぶりです。柄もとても綺麗で……」
 嬉しそうに着物に視線をやる千鶴に、普段も千鶴を女としか見れないが、こうしてちゃんとした娘姿の千鶴を目の前にすると「守らなければ」と、気持ちが引き締まっていた。
「ならば何故、眉間に皺を寄せていたのだ」
 斎藤とふたりで京から出てきた言い訳を考えてました。なんて言えないが、それを誤魔化す言葉も見つからず、もじもじしていると
「不確かな情報ではあるが、今回はかなり具体的な目撃証言があった故、心配はいらぬ」
 着物の事ではないのならば、綱道と本当に会えるかどうか心配をしているに違いないと考えた斎藤に、それも違うとは言えず、曖昧な笑みを浮かべた。

 大坂への道のりはまだ遠い。袴姿に慣れていたし、極力女らしい所作にならないように、大股で歩くようにしていたので「こんなに歩き辛かったかな……」と、斎藤の後ろをちょこちょこと小走りをするように歩いていたが
「すまぬ」
 少し息の乱れた千鶴に謝ると、その歩みを緩め、千鶴に合わせた。早く行かなければ綱道がどこかに行ってしまうかもしれない。だから、すぐに大坂へ向かったというのに、こんなにゆっくりな歩みでいいのだろうかと
「いえ! 大丈夫です」
 自分に合わせる必要はないと言わんばかりに、大股で歩こうとする千鶴を制し
「折角の着物故、ゆっくりで良い」
「袴に着替えてきましょうか。父様が泊まっている宿の近くに着いた時に着替えればいいので」
「いや、数ヶ月とはいえ、袴に慣れてしまっているのを綱道さんに気付かれてはなるまい。今からその姿に慣れておけ」
「……はい。有難うございます」
 まるで女装をしているかのような言い回しだったが、久しぶりの女物の着物を楽しませてくれているのではないかと感じていた。大坂に着くのが少し遅れたとしても、斎藤自身が動くつもりなのだろうと、まだ数ヶ月しか斎藤を見ていないというのに、少ない言葉の中に含まれている優しさが解るような気がしていた。