きる意味

(斎藤×千鶴)

 何度俺は千鶴の血を吸っただろう。もうこれきりにしたいと思うのに、千鶴はほんの少しの俺の変化でさえ敏感だった。羅刹化してしまえば誰にでも解る事ではある。ならば、そうなる前に人前から消えればいい。それだけの事なのに、千鶴は俺がどこに行こうとすぐに見つけて、血を差し出す。
 何故守るべき対象である千鶴の血を奪ってまで俺は生きようとするのか。血の渇きで正気を失くして行く中、そそる血の香りに負けたくないと思いつつも、俺はまた千鶴の耳に刃を向ける。
 何故、千鶴は血を差し出すのか。
 何故、すぐに笑みを浮かべ、何でもないようにふるまえるのか。
 何でもないわけがないというのに。
 嫁入り前の娘の身体を俺が傷者にしているのだ。例え千鶴が鬼でなくとも、きっと血を差し出したに違いない。この時ばかりは千鶴が鬼で良かったと、自分勝手な思いを巡らせる。痛い思いをするのに違いはないというのに、だ。少しでも痛みを感じにくい場所を選んだが、痛みがないわけではない。刃を立てる度に少し震える華奢な身体にすがるように血を吸う俺は獣でしかない。千鶴の眼には俺はどのように映っているのだろうか。千鶴の笑みを見ると安心する自分に気付きながらも、その意味を認められずにいた。往生際が悪いと、副長が知ったら笑うだろうか。総司や平助が知ったら、何と言うだろう。
 日々、新選組が不利な状況へ向かい、何の為に戦っているのか、解らなくなる事もあった。誰がいつ戦死してもおかしくない中、千鶴は鬼どもに追われ、父、綱道さんにまで裏切られる事となったが、涙さえ流さず、辛そうな顔を浮かべる事もなく、俺を支えようとする。
 俺は……千鶴に何もしてやれていない。ただ、新選組の為に、死に場所を探しているのやもしれぬ。最期まで武士としていたいが為に。だから、何もしてやれていないのではなく、何も出来ないのだ。羅刹になる事を選んだのも、千鶴には関係ない。無論、千鶴を助けるというキッカケがあったのは事実だ。しかし、それと同時に部下を守ならければならない。いや、守りたいと、それが俺の役目でもあるからだ。だから、千鶴が気に病む必要はないのだ。勝手に羅刹の道を選んだ俺に血を与える必要もない。そう何度伝えても、千鶴は当たり前のようにその身を差し出す。新選組に閉じ込め、軟禁状態にしてはいるが、千鶴は嫁入り前の娘なのだ。嫁入り前の娘に、俺は何という事をしているのか。傷はすぐに塞がり、傷跡も残らない。だからといって、このような事をしていい筈がない。
 遠ざけたい。
 しかし、ひとりにするとすぐに危ない場所に出向く千鶴を守る役目がある。いや、役目だという肩書に甘えているのだろう。俺が千鶴をひとりにさせたくない。自分の事を後回しにし、新選組の為、俺の為にと動こうとする千鶴を守りたい。風間に狙われている千鶴を守りたい。
 やり方はおかしいが、風間は千鶴に対してはただ求婚をしているだけなのか。認めたくはないが。ならば、俺は死んでも千鶴を守るだけだ。新選組の為だけではなく、俺自身の為に。
 何度咎めても、俺を救おうとする千鶴に笑顔でいて欲しい。ほんの少しとはいえ、痛みが鈍い場所を選んでいるとはいえ、痛みを感じているというのに、笑顔を浮かべる千鶴の為に俺が出来るのはただ千鶴を守る、それだけだ。

「斎藤さん、少しは休んで下さい」
 片時も俺の傍を離れようとはせず、俺から仕事を取り上げる事までして、千鶴は俺に休息を求める。局長に仕事を押し付けてまで、だ。だが、今はもう左之も新八もいない。平助や山南さんは俺以上に昼の隊務が厳しい。総司も労咳は悪化するばかりだ。俺が働かずして、どうする。千鶴はそれを解っていて、尚、俺に休めと言う。
 そのような優しい顔を俺に見せるな。今はいつでも戦闘態勢に入れるようにいたいのだ。気が緩むと、全てを投げ出し、千鶴の全てを自分のものにし、閉じ込めて誰にも見せたくなくなる衝動にかられてしまいそうになる。ここまで俺は独占欲が強かったのかと、呆れる程に。
 惚れて…いるのだろうか。惚れているからこそ、安全な場所で、幸せになって欲しい。出来れば俺が幸せにしてやりたいが、俺は武士だ。この命は新選組に使うと決めた。ならば、千鶴をこの戦とは関係のない場所へやり、誰か良い男に娶らせるしかない。口にこそしないが、近藤さんも土方さんもいずれはそうしようと考えているに違いない。しかし、今はそこまでの余裕がなく、千鶴は未だに危険な場所に、俺達の傍にいる。千鶴もまたそれを望んでいるようにも見えた。おそらく、罪悪感から千鶴は俺に傍から離れようとしないのだろう。なのに、日に日に千鶴への想いは増すばかりだ。このような事を考えている場合ではないというのに。少しでも心に隙間があると、そのような事を考えてしまう自分に嫌気がさす。
 だから、俺に笑みを見せるな。気遣い等いらぬ。
 邪念を振り払うように、仕事をしても、羅刹の身体は正直ですぐに弱音を吐こうとしていた。こんな所で倒れている暇はない。新選組が、国が大変なこの時に。
 誰もが弱音を吐いてしまいそうなこの情勢の中で、土方さんだけは前を向いていた。俺もそのようにありたいと、例え身体が動かなくとも、前を向いていたい。気を引き締めると、千鶴もまた土方さんの言葉で俺と同じ気持ちになったのか自分が出来る事を見つけ、怪我をした隊士達の看護を始めた。こういう時の彼女をとても美しいと思う。以前見た芸妓姿も綺麗だったが、それ以上に美しいと感じるのは千鶴の内面が写し出されているからだろう。
 惚れている。
 もう誤魔化しが効かない程に。
 俺は千鶴に惚れてしまっていた。
 しかし、それを告げるわけにはいかない。告げられた所で千鶴を困らせるだけだ。俺と一緒にいた所で、千鶴を幸せに等出来ぬ。ならば早々に解放してやるべきなのだろうが、未だ彼女は新選組預かりとなっている。解放した所で、風間に連れ去られてしまうだけだと解っているから土方さんは、千鶴が女だと気付いている者も多くなっているだろう今もまだ男装をさせたまま傍に置いているのだろう。怪我をした局長と病気の総司が静養する為に大坂に向かったが、そこに千鶴をやらなかったのは千鶴を守れる隊士がいないのが原因だ。山崎は安全の為に千鶴も大坂に向かうべきだと言っていたが、戦からは逃れられても、風間や綱道さんからは逃れられない。男装してまで江戸から父親を探しに来たというのに、その父親から逃げなければならなくなる等、あの頃は考えもしなかった話だ。
 父親が京から帰って来ない、連絡も途絶え、失敗した羅刹を見て新選組に軟禁状態になり、鬼だという事を知らされ、風間から狙われ、京は千鶴にとって災いの元でしかなく、年頃の娘になり、着物姿はとても美しいだろう事は容易に想像がつくのに、柔らかい色ではあるが、袴姿のままで娘としての成長が止まっているように感じられた。

「斎藤さんと一緒に会津に行きます」
 一瞬千鶴が何を言ったのか理解出来なかった。会津に…行くだと? 何故わざわざ命の保証が出来ぬ場所へと行こうとするのか。
 俺の…為、か。
 そのような事させる為に俺は守ってきたわけではない。元々土方さんの命だった。綱道さんの娘だと知り、死なせる訳にはいかぬと、男装を続けさせ、軟禁状態にした。しかし、それははじめだけだ。皆の力になろうとする千鶴を仲間だと思うようになるには時間はかからなかった。あの総司でさえも千鶴に心を許していた。千鶴には何か不思議な魅力があるのだろう。いや、不思議な魅力…ではないな。それは…俺が一番よく知っている筈だ。彼女の優しさ、愛らしさ、健気さ…そして強さを。だからこそ、死なせたくない。死なせたくないのだ。
「おまえを死なせたくない」
 何を言っても聞かぬ千鶴に俺はとうとう心の奥にしまった言葉を吐露してしまった。それでも、千鶴は俺と一緒行くと譲らなかった。何度確かめてもその答えは変わる事なく、まっすぐに俺を見つめた。俺が惹かれたまっすぐな眼に吸い込まれるように、淡く震えるその唇に己のそれを重ねた。
 この口付けが、千鶴との未来を約束するものだったらどれ程良かったか。千鶴もそう感じているのだろうか。厳しい場所だ。命の保証がないのも事実。しかし、俺はおまえを守る。どんな事があっても、千鶴の命を誰にも奪わせない。それは俺が武士だから出来る事だ。
 その為には俺もまた生き延びねばなるまい。俺が先に逝ってしまっては残された千鶴は誰が守るというのか。声に出して千鶴との未来を約束は出来ぬ。しかし、誓おう。どんな事からも俺がおまえを守ると。不安げなその笑みをいつか心からの笑みにこの俺が変えてやろうと、胸に誓った。
 千鶴が自分の身を投げてまで俺を支えようとしているのだ。それくらい当然なのだ。新選組を離れ、土方さんの元を離れ、武士とは一体何なのかと、不安を感じる事もあったが、千鶴がいたからこそ、俺はこうして今も前を向いていられる。今までは命を懸けて戦ってきたが、これからは未来の為に戦おう。袂を分かち、何度も名を変えたが、俺は今でも新選組三番組組長、斎藤一だ。武士の時代は終わろうとしているのやもしれぬが、俺なりの武士をこれからも貫く為、千鶴、おまえを守らせてくれ。こんな俺についてきてくれるのだ、俺も腹をくくろう。生きる為、のな。

「あ、はじめさん。もう少し休んでいて下さい。今日は非番なのでしょう?」
「いや、いいにおいがしたのでな」
「昨日の残りの煮物と、お豆腐のお味噌汁ですよ」
「美味そうだな」
 千鶴の後ろに立ち、鍋を覗くと綺麗に切られた豆腐が見えた。もう羅刹の毒は薄れ、発作も起きなくなったが、千鶴は今でも俺を気遣い、愛情を注いでくれる。俺が出来るのは勤めを果たし、真っ直ぐ家に帰る事だけだ。いや…それもまた千鶴の為ではなく、俺の為だ。ただ千鶴の傍にいたいが故。
「いつも美味い料理を有難う」
「どうされたんですか?」
 普段と少し違うと感じたのか、訝しげに大きな眼で俺を見る。
「俺は口下手故、おまえに感謝の気持ちをあまり言えずにいる。言える時に言っておかねばと思ってな」
 今までを振り返るような夢を見たからとは言わなかった。頬に手をやり、撫でると傷口のない耳朶が眼に入った。このような事を口にするつもりはないが、千鶴が鬼で良かった。長寿らしいし、怪我をしても傷跡は残らない。酷い傷ならばもしかすると傷は残るかもしれないが、戦いは終わった。しかし、これから戦いがないとは言えぬ、未だに小さな争い事もあるし、旧幕府軍と関わっていた人物が虐げられているのも事実。貧しい土地ではあるが、ここ斗南ではそのような事件は起きていない。いずれ江戸に戻る事もあるやもしれぬが、命が尽きるまで俺はおまえの傍にいて、穏やかな日々を守ろう。
「言葉にしてくれなくても、ちゃんと伝わってますよ?」
「あぁ、それも知っているが、言葉にしたかったのだ」
「私の方こそ有難うございます」
「……? 俺はおまえに何もしてやれてないが……」
「そんな事ありません! 守って下さってますし、幸せな日々を下さってます」
 幸せなのは俺の方だ。そう言いたかったが、千鶴の笑みは幸せに満ち足りていて「俺も幸せな日々をおまえから貰っている」としか返せなかった。
「では、一緒ですね」
「そう、だな」
「あ、もう朝餉が出来ますので、居間で待っていて下さい」
 手伝おうとする俺の背を押して「では顔を洗ってきて下さい」と、勝手場を追い出された。男が勝手場に立つものではないとよく千鶴に言われるし、父もそうだったが、少しでも千鶴の傍にいたいと言ったらおまえは呆れるだろうか、それとも笑うだろうか。
 だが、千鶴の笑顔は今の俺の生きる証のようなものなのだ。


 もうちょっと女々しい感じの話になるかな…といいますか、もっと悩んでいる話になるかな…と思って書き始めました。
 この話が浮かんだ時はただ斎藤さんの台詞ばかりで、千鶴の斎藤さんへの行動を「何故」と不思議に感じながらも、それに甘んじてしまっている自分が千鶴を想い始めていたという自覚の物語にしようと思ったんです。
 でも、決して一方通行ではなく、千鶴の想いもあり、それが重なった所も書きたいな…と思ったらこんな話になってしまいました。結局はこのふたりがふたりでいる意味を書きたいのかもしれません。