中合わせのうさぎ達

(斎藤×千鶴)

「ただいま、千鶴」
「おかえりなさい、はじめさん」
 仕事が終わると、一はどこにも寄り道をする事なく、真っすぐ家路につく。それは早く千鶴に会いたいから。ふたりの時間を大切にしたいと心の底から願っているから。近所の人も「千鶴さんの旦那さんはいつも足早に帰ってくるねぇ。仕事に行く時と帰る時とでは歩く速度がまるで違うよ」と、言われていて、からかわれながらも千鶴はそれをとても嬉しく感じていた。「仲睦まじい」と言われているようなものだから。
「出る時に着ていた羽織りはどうなさったのですか?」
「あ、あぁ。すまない。職場に忘れてしまったようだ」
「もう…出かける時は私が気をつけるようにしてるから、羽織を着てくれてますが、帰りにそれを着ていなければ意味がありません! 朝も寒いですが、夕方も…残業になった時は朝以上に寒かったりするんですよ?」
「特に寒いとは思わぬ故、心配する事はない」
「心配します! はじめさんは自分の事に対して無頓着すぎます」
「大丈夫だ、と言っている」
「自分の事を過信してはいけないと、教えてくれたのははじめさんではないですか」
 そう言われてしまうと、言葉がなかった。怒られているというよりも、自分を気遣ってくれているという気持ちが感じられ嬉しそうに微笑むと、千鶴もまた言葉を失ってしまうのだ。
「夕餉を持ってきますね」
「あぁ、頼む」
 互いに気まずい空気を破ろうと、いつも通りふるまおうとするのだが、ぎこちなさが残ってしまう。着替えをするべく、部屋へと向かうと、自然に棚に飾られている黒と白のお手玉うさぎに視線が行く。
「!!」
 朝見かけた時は確かに、黒と白のお手玉うさぎは口付けをしているように向き合って置かれていた筈だった。しかし、今は背中合わせに置かれていた。動揺をする一だったが
(千鶴に変わった様子はなかった。おそらく、掃除をした時に間違って置いてしまったのだろう)
 しっかりしている千鶴だったが、たまにおっちょこちょいな一面も見せる。それを一は「愛らしい」と思っていたのである。たかがお手玉のうさぎの向きが変わっていただけで、動揺する自分に半ば呆れながらも、うさぎ達の向きを変えて定位置に戻し、まるで喧嘩をしていたかのように見えた黒と白のお手玉うさぎ達は再び仲睦まじく、唇を寄せ合った。
 着替えを済ませて居間に戻ると、夕餉の支度が整い、千鶴は茶の用意をしていた。
「あ、斎藤さん! 今日はお豆腐を作ってみたんです。田楽にしようかとも思ったのですが、斎藤さんはお味噌汁の具にした方がお好きだったな…と、お味噌汁にしてみました」
「………」
 笑顔を見せてくれると思っていた千鶴は返事もせず、黙って座る一に
「あの…それとも…冷ややっこにした方が良かったのでしょうか…でも、寒い日に冷ややっこにするよりも、お味噌汁に入れた方が身体も温まりますし……」
「………」
「さ…斎藤…さん?」
 何か悪い事でもしたのだろうか。上目遣いで一を見ていると、思いつく所があり
「は、はじめさん」
 そう呼ぶと、硬い表情のままだった一が漸く唇の端を上げて
「美味そうだ」
 いただこう。と、手を合わせて夕餉を食べ始める。嬉しそうに味噌汁をすすると「美味い」独り言のように、呟いた。その声を聞き安心したように、千鶴も味噌汁をすすった。
 言葉は少ないが、一緒に住むようになってから一の表情は和らいできているように感じていた。戦争が終わったからなのか、別の理由があるのか、千鶴には解らなかったが、婚姻した事が一にいい事をもたらせてくれているのならば嬉しいと、より一層夫を支えなければ、千鶴が満たされているように、一も同じように、いや、それ以上に満たされてくれたらいいと、自分に出来る事、家事をしっかりとして、居心地の良い場所を作ろうと、日々励むのだった。

 明日もまた朝が早いと、千鶴を腕の中に閉じ込め眠りにつく。穏やかな寝顔を見るのが日課になっていた。同じ布団に入るようになったのは婚姻をしてからではあったが、戦火の中、野宿をした時はいつも千鶴を腕の中に閉じ込めて眠っていた。しかし、その寝顔は穏やかな物ではなかった。眠りも浅く、眠っているからこそ脅えたような顔になっていたのだ。起きている時は気持ちを張っていた為、このような表情になる事はなかった。一はそれに気付いており、千鶴に告げる事はなかったが、今更千鶴を手放せるわけもなく、絶対に守り抜くと、自分もまた絶対に負ける訳にはいかないと、いつか穏やかな夜を迎えさせてやりたいと誓った夜を思い出した。
(恐らく、俺が謹慎中もあのような顔をしていたのかもしれぬ)
 斎藤もまた、同じような顔をしていたのだが、それは本人の知る所ではない。今はただ、漸く訪れた穏やかな日々に感謝しつつ、千鶴を嫁に出来た幸せをかみしめ、眠りについた。

 翌朝、いつもよりも早く目が覚め、前に漬けていた漬物がいい仕上がりになっており、朝餉と、昼におむすびと一緒に食べて貰おうと、いそいそと用意を始めていた。
「おはよう、千鶴」
「あっ…斎…おはようございます、はじめさん」
「今日はいつもよりも早いのだな」
「そろそろこのお漬物が良い具合になっているのでは…と昨日から気になっていたので」
 皿に盛り付けた漬物を見せると
「ひとつ貰ってもいいか?」
 すぐに食べられるというのに、ねだる一をなんとも言えない位に愛しく感じてしまい、屯所時代に見せなかった新しい一の顔を見る度にきっと本来の姿なのではないか、幼い頃、家ではこのように過ごしていたのではないかと笑みを浮かべて「どうぞ」と、差し出した。
「いい具合に漬かっているな。美味い」
 一もまた、笑みを浮かべて「運ぶのを手伝おう」と、皿を膳に並べ、居間へと運んだ。

 穏やかな、変わりのない朝を送った筈だった。だが、仕事から帰ると棚の上のお手玉うさぎを見ると背中合わせになっていた。
(何か思う所でもあるというのか)
 しかし、昨日の夜も、今朝の千鶴も楽しそうに見えた。そう…閨でも、千鶴は甘い声で啼き、互いの愛情を伝えあった筈だった。考えにくい事ではあるが、二日続けて置き間違えてしまったのだと思えたのは夕餉の時も千鶴は楽しそうで、一に対して何か不満を持っているとは感じられなかったからだ。
(俺は言葉数が少ない故、千鶴に対する愛情を表現出来ていないのかもしれぬ)
 その夜もまた「明日も朝が早いのではないですか…?」と、抵抗を見せる千鶴を組み敷き明け方近くまで愛しい妻の吐息を甘く変え続けた。恥ずかしがりながらも、一に翻弄され、体中を桜色に変える千鶴はとても美しく、愛しくてたまらないと、何度も求めてしまったのだ。
 意識を失いストンと眠りについた千鶴は疲れた寝顔ではなく、まだ頬を赤く染め幸せそうに見えた。
(伝えられただろうか……いや、そもそも俺の勘違いかもしれぬ。たかがお手玉のうさぎが背を向けて置かれていただけで、このように不安になるとは……)
 決して千鶴が一の想いを疑っているのではないと信じていたが、少しでも不安要素があれば何とかして取りたいと思っていたのだ。全てはふたりの幸せの為。
(いや、ただの俺の我儘なのかもしれぬ)
 それでもきっと千鶴ならば、一と同じ想いを共有してくれるに違いないと信じて、無邪気な顔で眠る妻の呼吸を奪い、瞼を閉じた。

 愛を確かめ合い、朝も何ら変わりはなかった筈だ。しかし、また仕事から帰り、棚を見ると昨日直した筈のお手玉うさぎ達は背を向け合っていたのである。
(何故、うさぎ達がまた背を向け合っているのだ)
 もはや「置き間違いではない」と確信した一は
「千鶴」
 勝手場で夕餉の支度をしている千鶴を呼んだ。
「どうかされましたか?」
 走って一が着替えていた部屋に入ると、一は着替えもせずに正座していた。ただ事ではない雰囲気をくみ取ると、向かい合わせに座り、夫の言葉を待った。
「何か不満でもあるのか?」
「え?」
 何を言われたのか理解出来ずに首をかしげると
「俺に何か言いたい事があるのではないか」
 言いながら背中合わせのお手玉うさぎを見た。
「あっ…」
 やはり間違えたのではなく、わざと背中合わせに置いたのだと、その意味を千鶴に求めた。
「特に…大きな意味はないんです」
「では何故だ」
 意味がないのに、このような、まるで喧嘩をしているように背中合わせにしなければならないのか。まっすぐに千鶴を見つめると
「ただ…拗ねていただけです」
 拗ねていた。予想もしなかった返答に、何をどう言えばいいのか解らずに言葉の続きを待った。
「未だにはじめさんの事を…つい斎藤さんと呼んでしまって、斎っ…はじめさんが、聞こえない振りをしますよね」
 寧ろそれは千鶴が拗ねているのではなく、自分が拗ねているだけではないかと言いたかったが、まずは千鶴の言い分を聞こうと、ただ頷いた。
「で、でも…はじめさんも、中々私を名前で呼んでくれなかったなって…思うとつい……」
 千鶴を名前で呼ばない意味は痛いほど解っていた。それは千鶴自身の為。男装をし、千鶴を知らない隊士達に女だと知られない為、女だと知られてしまうと別の意味で千鶴が危険に晒されるからだ。だが、実際に千鶴を氏で呼んでいたのは局長の近藤と、総長の山南、そして監察の山崎、島田だけだった筈だ。後は「千鶴」「千鶴ちゃん」と、幹部達は他の隊士の前でも呼んでいたので、斎藤達の努力は意味がなかったのだが。
「確かに、千鶴と呼ぶのは…遅かったように思うが、あまり総司達と変わらぬ頃から呼んでいた筈だが」
「え? そうでしたか? 御陵衛士から戻って来てからも暫くは…氏で呼ばれていたような気がするのですが」
 その頃は寧ろ、名で呼ぶ事をせず「おまえ」や「あんた」と呼んでいた気がする。しかし「千鶴」と呼んでいなかったのは事実ではある。それ以前に一度呼んだ事はあるが、どさくさにまぎれて呼んでいた為、千鶴は気付かなかったのだろう。といっても、一もまた、無意識で呼び周りに他の隊士がいなかった事にほっと胸をひとなでしたのだ。
「俺が千鶴と呼ばなかった事に不満を感じていたという事か?」
 それを何故今拗ねるのか、その意味が解らずに尋ねると
「そ、そういうわけではないのですが…私が名で呼ばなかった時に返事をされないはじめさんを見て、もし当時の私にそのような事が出来たのならば…なんて馬鹿な事を考えてしまっただけです」
 ただ、ちょっと…いじわるをしてみたくなっただけなんです。はじめさんにするのでは違うと思い、お手玉うさぎに……とぼそぼそと言い訳をしていたのだが
「まさか、はじめさんが気にされているとは思いませんでした」
「しかし、ずっと背中合わせになったうさぎ達を元に戻していたのは俺だ」
 どのような気持ちだったか、おまえにも解る筈だと、そのまま千鶴を組み敷いた。
「えっ…? あの…?」
 急に視界が反転し、天井越しに一を戸惑いの眼差しで見つめた。
「千鶴にはこの三日間の穴埋めをして貰わねばなるまい」
 そう言われても昨日も、一昨日も、このように組み敷いていたのではないか。と言いたげに見つめるが、不敵な笑みを浮かべて頬を撫で、唇を重ねた。
「ゆっ、夕餉が……」
「後で構わぬ」
 愛している。耳元で囁かれれば、もう千鶴は抵抗等出来る筈もなく、そのまま一に愛される事になるのだが、少しまどろんだ後、夕餉を済まし、いざ眠りに就こうと布団に入った後もまた、同じように組み敷かれる事を千鶴はまだ知らなかった。


 前作「黒うさぎの受難」を書いた後すぐに浮かんでいたネタです。大好きだという表現を恥ずかしくて斎藤さんに出来ない千鶴は愛情表現を黒うさぎにしていたが、その逆もまた、黒うさぎに。
 単に昔を思い出して拗ねていただけなんですが(笑)
 千鶴が斎藤さんに不満を感じる事といえば、自分を大切にしない事位でしょう。それ以外はくだらない事ばかりなんです。だって、千鶴は斎藤さんの事が大好きだから。
 斎藤さんもまた千鶴が大好きだから不満を感じても「もっと甘えて欲しい」とかそういう物でしょうけれど。