(斎藤×千鶴)

 朝の稽古を終えて、汗をかいた身体を拭くべく井戸へと足を向けると、すっかり自然となりつつある洗濯をする千鶴の後ろ姿が映った。隊士達が洗濯した着物と全く違い、血の染みも綺麗に取り、皺もなく、まるで買ったばかりのようなそれにとても好評だったのだが、流石に隊士全員の洗濯を千鶴ひとりに任せる訳にもいかず、あくまで幹部隊士の、千鶴の事を知っている者達や、汚れの酷い物のみを洗濯する事になっていた。着物、隊服のみと決めていたのだが、今目の前にいる千鶴は着物ではない物を洗濯していた。
「誰に頼まれた」
 背後から気配を消したまま話しかけたので「ひゃっ…!」と、飛び上がり
「斎藤さん!」
 千鶴の目の前にある桶に視線を向ける。
「それは誰に頼まれた」
 もう一度言うと
「えっと…こっちの左側のが平助君で、真ん中のが原田さんです。右のは永倉さんです」
「やはりあいつらか」
 深い溜息をつくのだが、とある事に気付き
「洗って誰の物か解らない物が誰のか解るのは何故なのだ」
「それは…」
「いや、聞かずとも解る。言わなくても良い」
 頼まれたのが一度や二度ではないという証拠だ。
 聞いたのは斎藤さんですよ…そう言いたげな視線をやるのだが、斎藤は桶の中に入っているまだ濡れたままの三人の洗濯物を手に取り、踵を返してとある場所に向かって歩き出した。
「あの…斎藤さん……?」
 いきなり洗濯物を取り上げられ、怒っているようにしか見えない斎藤の後を追いかけた。

「あー、すまねぇ。オレ、そろそろ巡察に行かねぇと」
「おっ、そっか。んじゃ、俺達は稽古でもしようぜ」
「いや、十番組は夜の巡察だからよ。睡眠でも取っておくわ。昼には飯当番だしな」
 食事を取った後もまだ三人は茶を飲みながらだらだらと話をしていたようだった。外から殺気を感じたのか、同じように殺気を纏い振り向くと
「何だ、一君か」
「お、おいおい、斎藤。何だって俺達にそんな殺気を向けてんだよ。俺達が何かしたってーのかよ」
「身に覚えがないようだな」
 では、これを見れば解るかと言わんばかりに、桶から出したびしょ濡れの先程まで千鶴が洗っていた途中の物を差し出す。
「何だぁ? 下帯か?」
「誰のだ、それ」
 千鶴は三枚ある白い誰が見ても同じにしか見えない下帯を誰の物か区別がつくというのに、何故当人たちは自分のだとすら気付かないのか。斎藤の苛立ちは募るばかりだった。
「これは左之、これは新八、これは平助のだそうだ」
 押しつけるように手渡すと「朝餉の後に千鶴に頼んだやつか」とそれらが自分達の物だと理解すると
「って、何でこんな濡れたままんだよ。千鶴ちゃんに頼んだのによぅ」
「いや、流石に乾いてる訳ねぇけど…斎藤よ、一体どうしちまったんだよ。俺達の下帯なんざ持ってきて何だってぇんだ」
 乱雑に絞ったままの自分の下帯を手に、どう見ても怒りを纏った斎藤を見ると、その後ろから千鶴がひょこっと顔を出した。
「さっ…斎藤さん…あの…洗濯…途中なん…ですけど……」
 洗濯の途中で慌てて走って来たのか、濡れた腕のままの千鶴を見ると「こんなもの、雪村が洗ってやる必要はない」どこから出したのか手ぬぐいで腕を拭いてやる。
「こんなものって…ひでぇ言い方するなよ」
 同じく投げつけられるように渡された自分の下帯を抱えたまま永倉がぼやくと
「雪村はおまえの侍女でも、下女でもない。新選組の客人だという事を忘れたのか。雪村に頼むのは隊服と着物までだ。それも、雪村が何か手伝いたいと申し出たものを副長が許可をしたからそうなっただけで、元々は当番で俺達隊士がやっていた事だ」
「いや…だって、洗濯は苦手でよぉ……」
 髪をボリボリとかきながら「いいじゃねぇか、ちょっと位」と言ってのける原田に
「下帯を洗わせたいのならば、外で女を作って洗わせろ。雪村に頼むな」
「さ、斎藤さん、私は構いません」
「あんたは黙っていろ。そもそも、このような頼みを引き受けるな」
 でも…と言いたげな千鶴の言葉を遮るように「いつからだ」と、尋ねると
「え……?」
「いつからこの馬鹿どもから、下帯を洗うように言われたのだ」
「最近…ですけど」
「そのような訳があるまい。どれも同じに見えるのに、あんたは誰の下帯なのかちょっと見ただけで解る位洗わされているのだぞ」
 洗わされて、その言い方に少し棘を感じたのか「無理矢理頼んだ訳じゃねぇよ」と、言い訳をするのだが
「先程も言ったが、雪村は侍女でも、下女でもない。綱道さんの娘で、新選組が預かっているという事を忘れるな」
 人質のような扱いをしていて「何が預かっている」だけだと言われてもおかしくはない。千鶴はギリギリの所で生かされているというのも確かではあるのだが、好き好んで千鶴の命を奪いたいわけではない。
「それは解ってるけどさぁ」
「元々おまえたちは毎日下帯を洗って等いなかっただろう」
「だって、面倒だし……」
「雪村が洗濯をするようになってから、毎日頼んでいたのではないのか」
 自分で毎日洗うのは面倒だが、誰かが毎日洗ってくれるのならば、綺麗な下帯を毎日つけたい。その気持ちを見抜かれたのだが
「そっ、それは……」
 その通りだと言えず
「でも、洗ってくれるっつってんだからいいじゃねぇか」
 毎日清潔な下帯をつけたいと、ぬけぬけと言う永倉に
「ならば自分で洗え」
 ぴしゃりと言い返されても「それは面倒なんだよなぁ。斎藤だって、綺麗な下帯つけたいと思うだろ?」と、悪びれもなく言ってのけると
「勿論だ」
 ほらみた事かと言わんばかりの表情を浮かべる永倉だったが
「俺は昔から毎日自分で下帯を洗っている。隊服や着物も雪村に頼んだ事は一度もない」
 本当に? と、三人は千鶴を見ると、一度もないと肯定をするべく頷いた。
「毎日洗濯された着物を着、下帯も清潔な物をつけた生活をしたいのならば、実家に戻れ、新八」
 おそらく一番言われたくない言葉だろう。斎藤は確信を持って言い放つ。永倉は言葉を失いながらも、先程までのおどけた表情は消えて、斎藤を睨みつける。
「斎藤、それは言い過ぎだぜ」
 悪いのは自分達だと自覚はあるものの、それでも斎藤の物言いは行きすぎているのではないかと、原田は永倉をかばうわけではないが、ふたりの間に割って入った。
「本当の事だろう。新八は心地が良かった昔の生活が忘れられないから、雪村を自分の侍女のような扱いをしたのではないのか。それとも、無意識か」
「斎藤、てめぇ」
 殴りかかろうとする永倉を「新八っつぁん、私闘はご法度だって」と、藤堂が必死に止めたが、図星をつかれて拳でしか反論出来ない自分に苛立ち「くそっ」と、乱暴に藤堂の手をのけて稽古場に向かった。
「あーあ、二番組の連中可哀相にな」
 荒い稽古になるのは確実で、二番組の組員達に原田と藤堂は同情した。
「斎藤、さっきのあれ、わざとだろ」
「さぁな」
 わざと怒らせて、千鶴に必要以上の事をさせるのを止めさせたのだ。誰だって綺麗な着物を毎日着たいし、下帯も同じ事だ。永倉は斎藤のように脱藩をせざるをえなかったのではなく、自らの意思で脱藩したが、元は高い身分を持つ者で、千鶴に求めたそれは永倉にとって以前は当たり前の環境のひとつだったのである。それが嫌で脱藩したのに、今更千鶴にそれを求めるのはおかしいと、自覚のなかった永倉に諭させるべくわざと厳しい物言いをしたのである。千鶴もまた下女のような事をする必要がないので、それを解らせる為というのもあった。本人は未だ解っていないようだが。

「雪村、何かをしていたいという気持ちは解らぬでもない。だが、あんたがこのような事までする必要はない」
 部屋に送り届け、これからも誰かに頼まれても、断るようにと何でも隊士の言いなりというわけではないが、頼まれ事を断らない千鶴を叱るべく、向き合った。
「でも、役に立ちたいんです」
「家族でも…旦那でもない男の下帯まで洗う必要がないと、言っている」
「……はい」
 嫌だったに違いない。親でもなく、ましてや旦那でもない男の下帯を洗うなどと、と思ったがそれは口にしなかった。なのに、それを引き受けてしまう千鶴の気持ちを考えると少しいたたまれない気分にならないわけでもなかった。
 ふと外を見ると、既に干してある幹部達の隊服が目に留まった。どの隊服も血の後はなく、綺麗な状態だったのを見て、少し染みの残った自分の隊服が思い浮かんだ。
「……あんたは血の痕が怖くないのか」
「ふぇ……?」
 急に変わった話に一瞬ついていけなかったのか、少し間の抜けた声で返事をすると
「新八達を除くと、あんたが頼まれる洗濯ものは血のついた物が多い筈だが、それでも臆することなく染み抜きをしている。ついあんたに洗濯を頼んでしまうあいつ達の気持ちが解らぬでもない」
 だからといって、下帯まで頼むのは言語道断だが、と付け足した。
「怖くないですよ。血の染みは慣れているので」
 さらりと言ってのけた千鶴に怪訝そうな顔で
「何故」
「父の手伝いをしていたので、血の染み抜きに慣れてますし、血にも免疫があります」
 本当はそれだけが理由ではないのだが、あえて言葉にせずに、斎藤の言う「血」の意味のみ汲み取る。
「そう…だったな」
 医者の娘。その事を忘れているつもりはなかったのだが、共に生活をしていて、綱道の娘なのは頭から離れずにいる。しかし、その綱道を医者、蘭方医として見た事がないからか、千鶴を医者の娘として認識出来ずにいたのだが、それを口にする事はしなかった。しかし、てきぱきと料理、洗濯等の家事をこなす千鶴を見ていると、きっと江戸ではこのように綱道の手伝いをしていたのは容易に想像出来た。
「そういえば、斎藤さんはいつもご自分で洗濯されていますね」
「……あんたがここに来る前からそういていた。あんたがここに来たからといって何ら変わる事はない」
 そもそもあんたは客人故。言葉にしなかったが、眼で語っていた。
「ですが……」
 斎藤さんには隊務があり、三番組の組長でもある。少し位誰かを頼っても良いのではないでしょうか。そう言いかけて止めた。千鶴が言った所で、きっと斎藤が変わる事はないと、知っていたから。
「しかし、どうしても落ちない汚れを作ってしまった時はあんたに頼んでも良いだろうか」
 驚いて斎藤を見上げると、僅かだが、笑っているように見えた。斎藤から何かを頼まれる事があるなんて。他の誰でも頼み事をされるのは嬉しかった。何もしないでじっとしているより、誰かの役に立ちたかった。父の傍で手伝いをしていたから、患者の世話をして、千鶴の方が満たされていたのかもしれない。
「はい! 勿論です」
 思わぬ申し出だったが「ですが、本当はそこまで隊服や着物が汚れない事を願ってます」そう言うと「医者の娘らしい言葉だな」と、唇の端を少しあげた。

 汚れた隊服の洗濯を頼む事はあっても、流石に下帯を頼まなくなっているだろうと、思いつつも斎藤は庭で洗濯をしている千鶴の姿が目に入ると、何を洗っているのか確かめるようになっていた。
 暫くは洗濯物の量も多くはなく、洗っているのも着物を始めとする物ばかりだったが、朝餉を済まし、稽古に行く時に何気なく庭にいる千鶴を見ると、白くて長い布を洗っていた。どう見ても、隊服にも見えなかったし、着物にも見えなかった。慌てて駆け寄り
「誰に頼まれた」
 殺気を纏って千鶴に話しかけると「あ…斎藤…さん。稽古に行かれたのでは……?」脅えるようにゆっくりと顔を上げると「副長に呼ばれていたのでな」と、纏った殺気を少し抑えて深呼吸をひとつした。
「もう一度聞く。それは誰の下帯だ」
「………」
「誰に頼まれた、と聞いてる」
 少し抑えたとはいえ、殺気を纏ったままの斎藤に正直に言える筈もなく「え…っと…」視線を合わせるのが怖くて、嫌な汗をかきはじめる千鶴に
「総司、か」
「えっ……」
 否定も肯定も出来ずにいる千鶴に「大方、斬るとでも言われたのだろう。貸せ」以前原田達の下帯を取り上げた時のように洗っている途中の下帯を取り上げ、しかしその後は土の上に投げつけた。
「えぇっ?!」
 投げつけた下帯を拾い、汚れたまま絞ってそのまま干した。
「さ、斎藤さん?」
 一体何をしているのか理解出来ずに、不可解な行動を取る斎藤を見つめていると
「これでいい」
「そのような訳にはいきません!」
 見つかったら、いや、見つからなくても仕上がった下帯を見られたら一体何をされるのか…恐怖で顔をひきつらせていると
「安心していい。総司には俺が洗濯してやったと伝えておく」
 安心等出来る筈がない。首を横に振ってみるのだが、もう千鶴もどうしていいのか、どうしたらいいのか、斎藤のこの行動は何なのか、ただ汚れたまま干してある沖田の下帯の前で呆然と立ち尽くすのだった。


 サイトを開設する前からあったネタです。っていうより斎藤さんに「俺は毎日下帯を自分で洗濯している」ってなセリフを言わせたいだけの話です。
 これ、史実らしいです。清潔だったんですね。斎藤さんは何でも出来るなぁ。出来ない事って何だろう。何か出来ない斎藤さんの話も書きたくなってきました(笑)
 永倉さんはどうか解らないけれど、平助君は特に自分の下帯を洗ってくれる千鶴に「将来♪」な妄想をしてそうだなぁ。そして、そんな妄想をしてそうな男どもを斎藤さんは決して許さないでしょう。