| 仁慈 後編 
 (斎藤×千鶴)
 
 話を聞くまでここから出ないという意思を感じ取ったのか、深い溜息をついて「おまえ達は一切口出しをするなよ」とだけ言い、これ以上人が寄って来ないように戸を閉めた。
 「千鶴、すまねぇな」
 「……いえ」
 言いながらも、居心地が悪そうに、俯いた。千鶴の前には土方、斎藤、原田、永倉と、幹部…組長がずらりと並んだ。元々千鶴と接触出来るのは幹部のみなので、他の人と関わり合う事はないのだが、こうして目の前に並ぶと威圧感があり、更に萎縮してしまい顔を上げる事が出来なくなっていた。
 「千鶴がここに来て二カ月位だよな」
 「……はい」
 土方が聞きたいと思っていた事が、その一言で千鶴は理解出来た。
 「江戸にいた頃はきちんとありました。環境が変わったといいますか、精神的に辛くなると止まる事もあるので、恐らくそれかと…思います」
 「止まっていた…だと?」
 「はい」
 「そんな事があるのか」
 「私は初めてですが、父が…ご存知の通り父は医者ですので、治療といいますか、相談に来る人がいたので知っていたんです。男の人に理解して貰えると思っていません」
 この事で責められるいわれはないと言わんばかりの、それまでは俯いてはいたが、よくよく考えてみると千鶴に落ち度は全くないのだ。ただ、恥ずかしいという気持ちがなくなりはしなかったが、その事で疑われるだなんてもっての外だと思い、睨みつけるように土方を見た。
 「いや…疑ってるわけじゃねぇんだが……」
 そもそもこのような事を土方が、いや、医者でも何でもない男が知る筈もないのは当然で、理解しろとまでは言わないが、こんな恥ずかしい思いをしてまで何か偽装する必要がないと、土方も、そして斎藤も頭では解っていた。
 「おいおい、さっきから何の話だ?」
 割って入って来たのは永倉である。その言葉に返事する者はなく、沈黙は続いたが
 「とにかく俺は端切れと、和紙を買ってきます」
 「和紙? 紙なら紙があるじゃねぇか」
 全く事情を把握していないというのに、返事をしたのは永倉だ。
 「雪村が和紙が良いと」
 「――誰かに文でも書くってか?」
 土方とは違う疑いの目をした永倉に「半紙があるってーのに、わざわざ和紙を買ってまで文を出したりはしねーって」それに、千鶴の言ってる和紙だと墨が滲むんじゃねぇかと、原田が永倉の言葉を遮る。勿論、永倉にその意味が解らないのは承知の上での言葉であり、説明する気も更々ないのだが。
 「俺が買って来てやろうか?」
 斎藤が行くといっているのに、原田が申し出た。
 「おまえ、解って言ってるのか?」
 「あぁ、まぁな」
 「左之、どういう物がいるのか知っているのか?」
 「い、いや、流石にそれは知らねぇけどよ。斎藤が行くよりはいい物を買って来れるんじゃねぇか?」
 「知らねぇんだったら、おまえが買おうが、斎藤が買おうがどっちでも同じだろう」
 当事者である千鶴をよそに、言い合いを始めるのだが、全く意味が解らず「だから、何の話してんだよ。俺にも解るように話してくれねぇか」と懇願する永倉の四人を何とも言えない気持ちで千鶴は見ていた。
 
 「おい、千鶴。誰に買って来て欲しい」
 「出来れば…自分で行きたい…です」
 「悪いが、そういう訳にはいかぬ」
 「そ、そうです…よね」
 だが、男に買って来て貰うのはどうしても躊躇われる「ひとりで行くのは無理だと解っています。ですから、誰か付添いの方と、ふたりで行くのも無理でしょうか……」と申し出ると
 「じゃ、この中の誰か選べ」
 選べと言われても、そう思ったが
 「では、斎藤さん…お願いしてもいいでしょうか」
 「構わぬが、身体は大丈夫なのか?」
 「あ、はい。今は睡魔と少し腹痛がするだけで、それに…多分…二三日後になると思います」
 やはり言いにくい内容の為、後半はごにょごにょと呟くように言う千鶴に
 「では、行くぞ」
 善は急げと言わんばかりに、戸を開け「表で待っている。着替えて来ると良い」と、部屋を出た。
 「千鶴、本当に斎藤で良かったのか?」
 原田と永倉も部屋を出ていたのだが、最後に残っていた土方が、女の扱いに慣れている原田の方が余計な気を使わずにいられるのではないかと尋ねたのだが
 「斎藤さんの方が安心します」
 「斎藤が?」
 「原田さんもお優しいですが…原田さんは私がはじめから女だと解っていたのに周りにそれを証明させる為に…着物を脱がそうとしたので…悪気がないのは解るんですけど、勢いで…この事も話されると…恥ずかしいから」
 「あいつは考えなしに行動する所があるからな。その点斎藤は勢いで行動する事はねぇな」
 納得したように軽く微笑むと
 「疑ったりしてすまなかったな。恥ずかしい思いもさせちまった。本当なら女の事は女に任せるのがいいんだけど、おまえが女だと悟られるわけにはいかねぇ」
 「解っています」
 きっと、千鶴を殺さない為に、守る為にこのような扱いになってしまってはいるが、新選組の客人として男装のままではあるが、預かっているのだろう事はぼんやりと感じていた千鶴だが、この時はっきりと土方の厳しい言葉の裏の優しさと、それを理解しての斎藤の優しさもまた感じ、千鶴を知るその他の幹部達も「壬生狼」と言われるただの人斬り集団ではないと、この人達ならば父の行方を探してくれるに違いないと、信頼する気持ちが芽生え始めるのだった。
 
 「左之。さっきのあれは何だったんだよ。俺にも解るように教えてくんねぇか?」
 しつこく原田に言い寄る永倉を藤堂に押し付け「俺は巡察の報告があるから、すまねぇな」と、土方の部屋へと向かった。
 「で、何だ。特に変わりはなかったんだろうが」
 背を向けたまま土方は原田に話しかけた。
 「いや、俺達千鶴に酷な事をしてんだなって思ってよ」
 「あぁ、まさか月の物が止まる事があるとはな……」
 「精神的な事で、そうさせちまったって…子を産む身体なのによ」
 「そう…だな」
 千鶴は医者の娘で、身分も良い。一人娘のようだから、後継ぎになる婿を貰って、もう母親になっていてもおかしくない。もしかすると、既に綱道は千鶴の相手を決めていたかもしれないというのに。
 「早く綱道さんを見つけてやりてぇな」
 見つけた所で、あの怪しげな綱道の傍にいるのが千鶴の幸せになるのかと、疑問を感じなくもないが、きっと娘の前では良い父親なのだろう。千鶴が男装をしてまでも、江戸からひとりで探しに来る位なのだから。
 「んじゃ、邪魔したな。土方さん」
 「構わねぇよ」
 手を抜いていたわけではないが、今まで以上に綱道探しに力を入れようと原田は心に誓い、土方もまた、何かいい手はないかと考えを巡らせた。
 
 「和紙はこれだけで良いのか?」
 「あ、はい。端切れが沢山手に入りましたので、洗って使えますし」
 「そうか。もし、必要ならば和紙は俺が巡察の時にでも買って来る故、いつでも言ってくれ」
 「有難うございます」
 千鶴を気遣いゆっくりと歩く斎藤の後ろ姿を見つめ「こんな買い物に付き合わせてしまうなんて」という思いも込めて礼を言うと
 「いや、気にする事はない」
 振り返ると、無意識の内に腹を擦っている手が目に入り「大事ないか」と声をかけると「大丈夫です」そう微笑む顔が弱弱しく感じられた。
 
 久しぶりに来るそれは止まっていた分の痛みがあるのではないかと思う位、重く、二日程寝込んでしまうのだが「病気ではないから」と千鶴に言われるものの、どうすればいいのか解らず「腹を冷やしてはいけない」と、自分の掛け布団を運び「使うといい」と持って行くと「それでは斎藤さんが風邪を引いてしまいます」と断られるのだが、土方や原田が感じていたように「子を産む身体なのに、その機能を止めてしまった」事を気にしていたらしく、過保護な態度を見せる斎藤に、千鶴だけでなく、幹部達も驚くのだった。
 
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