仁慈 前編 (斎藤×千鶴) その時が来たらどう対処すれば良いのか。ここにそれを理解してくれる人がいないのは当初から解っていた。ならば、自分でどうにかするしかない。だが、どう考えても千鶴ひとりでどうこう出来る問題ではなく、結局誰かの手を借りるしかないのだと気落ちしていた。願わくばその日が来なければいいとさえ思った事もあるのだが、それはそれで不自然な事に違いはないのだ。 千鶴が京に来て、新選組預かりとなってから二ヶ月が経とうとしていた。父、綱道の行方も解らないまま千鶴が外に出る事も許されず、いてもたってもいられない気持ちのまま殆ど部屋でぼんやりしている日々を送っていた。千鶴の事はごく一部の幹部達しか知らず、その幹部達は千鶴を信用出来ないまま「厄介者」という意識を持ったままでいるのか、部屋の前で監視している時もあからさまに面倒だという視線を投げかけてくる者も少なくはなかった。一応気を遣い、話しかけてくれる者もいないわけではないが、それでも彼らの態度はとても辛辣なもので、それならば話しかける事もせず、ただ座っているだけで、監視しているだけで良いのにと溜息を何度も呑みこんでいた。 唯一昔馴染みのように話しかけてくるのは藤堂だったが、それもまた心から信頼してのそれとは違うもので「ただ父様を探しに来ただけなのに…」そう思い涙が出そうになる事は多々あった。 一応「客人」としての扱いではあったので、食事には不自由はしなかった。個室を与えて貰っているので、睡眠を取るのにも充分な場所ではあるのだが、日々気落ちし、精神的にもギリギリの所にいるような気がしていて、自分はあの時斬られていた方が幸せだったのではないかとさえ思えてくる。 近頃身体が重いように感じ、食欲がないわけではないが、あまり食べたいと思わなかったのだが、残すわけにもいかず無理矢理胃に詰め込み、自室に戻って横になっていた。ただ眠く、いつもならば監視の眼を気にしてしまい深く眠る事が出来ずにいたのだが、この日はまだ日が落ちていないというのに深い眠りについてしまった。 二三日、このような日が続き、普段の疲れが溜まっていたのだろうかと思っていたのだが、ここに連れて来られた当初気にしていた事を思い出していた。ずっと危惧していた事が起きるのではないだろうか。では、どうにか対処しなければ…と、焦る気持ちでいっぱいだったもののどうすれば良いのか解らず部屋の中をぐるぐると歩いていると 「雪村、どうかしたのか?」 聞こえたのは斎藤の声だった。 「さ、斎藤さん」 「入るぞ」 千鶴の返事を聞く前に戸を開けると布団は敷かれたままで、寝間着を纏った千鶴が立っていた。まさかその姿だと思わずに眼を逸らせた。 「体調でも悪いのか」 顔を背けたまま尋ねると 「い、いえ…そういうわけではないのですが……」 言葉を濁す千鶴に 「この所ずっと無理矢理飯を詰め込み、眠りも深いようだ。いや、眠れているのは悪い事ではないのだが……」 千鶴の様子が変だと気付き、彼女に何が起きているのか問い質そうと詰め寄った。 「あの……」 「体調を崩しているのではないのか」 もう一度尋ねた。その眼は尋ねているというものではなく、千鶴は間違いなく体調を崩していると断定している事を物語っているように見えた。 「体調を崩しているという程の事ではないのですが……」 「俺の眼には体調を崩しているようにしか見えないが」 「………」 「言えないような事か」 体調が悪いのとは違う。しかし、他の人の眼にはそう映る。そう確信を持って言っている相手にどう言えば誤魔化す事が出来るだろう。 「そういう…わけではないのですが」 「何だ」 言うまでここを離れないとでも言いたげな真っすぐな眼を向ける斎藤に千鶴は誤魔化す言葉が浮かばなかった。 「出来れば木綿の端切れと…和紙を用意して下さると有難いです」 俯いて小さな声でそういうのがやっとだった。 「何故?」 「お……」 「お?」 俯いたままでは解らないと千鶴の顔を見ると顔を真っ赤にして泣きそうな表情を浮かべていた。 「まさか…あ、いや。それ以上何も言わなくとも良い。待っていろ」 慌てて部屋を出る斎藤だったが、また部屋に戻り、ちょこんと座っている千鶴に「横になっていろ」とやや強引に敷いてある布団に寝かしつけた。 はっきりとは言えなかったが、千鶴が言いたい事、困っている事を察していた。気付かれるのはとても恥ずかしかったが、ひとりでどうする事も出来ないのだ。 「何度もすまない。その…和紙はどれ位必要か?」 再び戻って来た斎藤は普段の彼からは想像出来ない位肩で息をし、すぐそこから走って来たとは思えない程である。それだけ気持ちが急いているのだろう。 「沢山あれば……」 「そ、そうだな。もし足りなければまた買ってくれば良い話だったな」 木綿の端切れと和紙位ならば土方から金子を用意して貰わなくても大丈夫だろうと思いつつも、やはりここは報告をしておかなければならないのだろうか。急を要する事ではあるが、斎藤が例え私物だとしてもいきなり木綿の端切れや和紙を大量に買って来たとならば怪しまれて当然である。急く気持ちを抑えて土方の部屋へと向かった。 「副長。相談があるのですが」 「おぅ、斎藤か。入れ」 珍しく仕事中というわけではなかったようだが、書物を読んでいた土方が振り返る。 「その…困った事になりまして」 「おまえがそんな事を言うなんて珍しいな。どうした?」 「その…雪村…なんですが…その……」 どう言えばいいのか言葉を探しているのだが、その頬は珍しく朱に染まっており 「おいおい、どうしたってぇんだ」 深呼吸をして「雪村が月の…あれが……」と、小声で言うと、土方はすぐに理解をしたのだが 「――千鶴がここに来てどれ位経つ?」 「は?」 「二か月は経つ筈だが」 土方の言いたい事はすぐに理解し 「千鶴を呼んで来い」 「しかし、今横になっている故……」 「……そうか。俺達が行くか」 「千鶴、入るぞ」 返事を待たずに戸を開けると、土方の姿が目に入ったからか、布団から飛び出て寝間着のままではあったが、千鶴は正座をした。 「あぁ、いや。辛いようだったら横になったままで構わねぇ」 「いえ…大丈夫です」 真っすぐ土方を見る千鶴から少し視線を逸らせて 「斎藤から聞いた。八木さんの力を借りたい所だが、ここに女がいるというのを知られるのはまずい。必要な物は俺達が揃えるが、ひとつおまえに聞きたい事があってな」 「はい……」 土方が尋ねようとした時に、巡察から戻った原田が 「土方さんが千鶴の部屋にいるなんて珍しいな。何かあったのか?」 羽織りを着たまま千鶴の部屋に入って来た。 「よぅ、左之! 帰るの待ってた…んだけどよ……」 永倉まで顔を出し、千鶴の部屋へと入ってくる。 「おまえ達は外に行ってろ」 そう言っても、興味本位というわけではなく、何か起こっているのではないかという勘が働いたのか「何だよ。俺達がいちゃ、まずい話なのかよ」と、茶化すように言うのだが、眼は笑っていなかった。 |