記憶の行方
(斎藤×千鶴)
この日、十番組が大手柄をあげ、報奨金を受け取った原田が幹部達を招いて島原に繰り出していた。そこには「私はお酒、呑めませんから」と遠慮した千鶴もいた。「酒は呑めなくても美味い料理があるからよ、来てくれや」と、半ば強引に誘われたからなのだが。酒が飲めない千鶴にはこの空間は少し苦痛だった。熱い緑茶を飲み、緊張からか、あまり食事も喉に通らない。既に出来上がっている幹部達を前に、どうすればいいのか解らずにいたのである。
(料理は…美味しいけど、男の人達ばかりで、しかも芸者さん達はとても綺麗で、どうしても自分と比べてしまうのが空しいかも。同じ着物を私が着たからといって、同じように綺麗になれるとは思えないし……)
目の前で裸になり筋肉自慢を始める者、腹の切り傷を見せてその時の武勇伝を聞かせる者……千鶴に取って、それは今でも慣れない光景で、目のやり場に困り、極力前を見ないように、俯き加減で少しずつ食事を口に運ぶのに専念していた。
近藤の隣には沖田がいて、楽しそうに話をしていた。近藤が酒を呑めないと聞いた時は驚きはしたものの、それもまた近藤らしいのではないかと思っていた。茶を飲む近藤と違い、少しづつだが酒を呑みながら話をする沖田は普段千鶴が見ている沖田とまるで別人のようだった。あまりにも楽しそうな沖田の雰囲気に思わず千鶴も、近藤は千鶴と同様熱いお茶を飲んでいるし、沖田は酒を呑んではいるが、たしなむ程度なので、そこに行けば…と、思わなくないが、おそらく「沖田の邪魔」になるだろう事は本能的に解っていたし、近藤の反対側の隣に座る土方もまた酒を呑んではいないが、芸妓達が囲んでいるから迂闊に近寄れない状態である。
そして、今千鶴の隣には何も言わずただ黙々と酒を呑んでいる斎藤だ。普段から寡黙で、何を考えているのか解らないと言われている男であったし、ここ島原でも、芸妓達が斎藤を囲んでも表情ひとつ変えず、黙々と酒を呑んでいた為、自然と芸妓達は離れて行き、隅っこで千鶴とふたり、この場所に合わない空気を醸し出していた。
だが、決してそれは千鶴にとって居心地の悪いものではなく、寧ろ落ち着くものだったので、芸妓達が何も喋らない斎藤を相手にしていて離れて行くという気持ちが解らなかった。
(そういえば、芸妓さん達皆、私の所には全く来なかったのは子供に見えたからなのかな…)
何人も芸妓がいるというのに、ただの一度も千鶴の元に彼女達は来る事がなかった。はじめは「どう対応すればいいのか」と考えていた為、いざ誰も寄って来ない事にほっとはしていた。男相手に仕事をしている彼女達の目に千鶴は女にしか見えなかったという理由ではあるのだが、本人は至って「完璧に男装出来ている」と思っており「事情があって、女なのに男装して、この人斬り集団の新選組にいる」等と思われているとは夢にも想像していなかったのだが。
土方や原田に甘えるように隣に座る芸妓、芸妓に甘えるように話しかける永倉。いつもとそこまで変わりはないが、それでも綺麗な芸妓達の前で笑顔を絶やさない藤堂。普段と違う彼らと、普段と全く変わらない斎藤。いや、沖田もそうだった。「沖田はん」と寄って来てもにっこり笑っているというのに、はっきりとした拒絶をするのは沖田にしか出来ない事だろう。「折角楽しく話をしてるんだから、邪魔しないでよね」と、島原に来て芸妓の前にいるというのに、連れの男、近藤とふたりで話をする邪魔をしてくれるなと言ってのける沖田がある意味「沖田らしい」と、関心していた。意外なのは近藤で、土方や原田のように見た目が解りやすく格好の良い容姿ではないというのに、モテていた事である。
「はぁ……」
人間観察をしていた訳ではない。だが、特に話をする事もないし、千鶴の隣にいるのは寡黙な斎藤だ。自然と人間観察をしてしまう。
「どうした? 食欲がないのか?」
「えっ?」
まさか話しかけられるとは思わず、感じた視線の方を見ると相変わらず表情の読めない顔をした斎藤が千鶴を見ていた。
「先程から、食が進んでいないようだが」
「あっ…食欲がないというわけではないのですが…こういう場所は慣れなくて…」
高価な着物を着たいとまでは思わないが、やはり綺麗な着物を見ると「いいな」と思ってしまうのだ。どれ位女物の着物を着ていないのだろう。元々、自分自身が始めた男装である。しかし、こうも長く男装をする羽目になるとは想像していなかった。「いつになったら父様と再会して、元の暮らしに戻れるのかな」この疑問は毎日のように頭にあった。こうして、綺麗な着物を着ている女の人を見ると無意識に思わずにはいられなかった。食欲がないのも、幹部達に囲まれ緊張しているから、男装したままで島原にいるから…それだけではなかったのだ。ただ気後れしているだけでもない。だが、それを斎藤に言う訳にもいかず
「少し、緊張しているだけです」
そう答えた。
「―――そうか」
それまで、黙って酒を呑んでいた斎藤だったが、ぽつぽつと、話を始めた。料理の事、酒の事、町で見かけた甘味屋の事等、ゆっくりではあったが、こんなに話をしたのは初めての事だ。
(気遣って話かけてくれたのかな……)
千鶴ははじめから斎藤を「怖い」と思った事はなかった。「きっとこの人ならば話をきちんと聞いてくれる」そう思い、初めて会った時も事情を斎藤に話した。何故初対面の斎藤に心を許してしまったのか。言葉に出来なかったが、こうして気遣ってくれる姿を見ると変わらないように見える表情の奥、深い眼の色に優しさを感じるようになっていたし、黙っている斎藤の隣も安心する場所になりつつあったのだ。
まわりは相変わらずどんちゃん騒ぎで、はじめは千鶴の事を気にしていた幹部達も、結構な量の酒を呑み、芸妓を巻き込んですっかり自分たちの世界になっていた。斎藤の酒も進み、千鶴の食欲も斎藤がいつになく饒舌に話をしてくれたおかげで不安や緊張も取れ、失くしていた食欲も戻り、今は斎藤が持っている刀の話になっており、あまり物に執着しない印象を持っていたのに、武士にとって刀は命であり、己が使う物に拘りをここまで持つ物なのだと初めて知る。人を斬る道具であるが、自分をそして己が守りたいものを守る道具でもあるのだ。信頼出来る刀を持ちたいと思って当然なのだ。しかし、いつになく嬉しそうな斎藤の表情に、千鶴は「やはりこの人はとても冷徹そうに見えるが、深い瞳の奥にはとても熱いものをそして、人としての温かいものを持っている人なのだ」と改めて感じていた。
「局長、副長。俺と雪村は明日朝餉の当番で朝が早い故、今宵はこれで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか」
「あぁ、そうだったな」
「おぅ、まだあいつらは帰りそうにないからな。構わないぞ」
「はい。有難うございます。では、これで失礼します」
ふたりに一礼をし「雪村、行くぞ」と、店を出た。
「斎藤さん、すみません」
「何故謝る」
「朝餉の当番なのは解っていたのですが、中々切り出せなくて……」
「解っている。おまえだけあの場所から帰る事は出来ないからな。だから謝る必要はない」
「はい、有難うございます」
「だから、礼もいらぬ」
一見冷たい物言いだが、言葉のひとつひとつに気遣いが含まれている。もう一度お礼を言いたい気持ちになっていたが、おそらく「何故」と言われるだろうと、心の中で「有難うございます」と呟いた。
冷たい風に吹かれ、店で話していた時と違って、ふたりにこれといった会話はなく、黙って家路に…屯所に着いたのだが……千鶴は自分の部屋ではなく、何故か斎藤の部屋にいた。
「あっ…あの…斎藤さん?」
「あんたは酒を呑んでないから身体も温まってないだろう。こちらへ」
手をひっぱられ、今千鶴は斎藤の腕の中に収まっていた。
「さっ、さささ…斎藤…さん?」
「身体が冷え切っているではないか」
確かに千鶴の身体は冷え切っていたし、千鶴と比べて酒を身体に入れている斎藤の身体は温かく、その暖から逃れられなくて、抵抗するのも忘れて留まっていると
「すまぬ。本当ならばこのように寒い日はこうして父親に温めて貰えるのだろうが、綱道さんの行方がまだ解らぬ」
そう言って、千鶴の背中を温めるべく優しく摩るのだが「いえ、もう私は大人ですから、父様にこうして温めて貰う事はしませんよ」と、言いたかったが、それを言うといつになく解りやすい優しさを見せてくれている斎藤に悪い気がして「温かいです」と、答えた。千鶴は酒を呑んでいるわけではないのに、もしかすると酒に酔っているのかもしれないと思った。普段なら、いつもならば夜に男の部屋に入り、同じ布団の中にいるなんてはしたないとこんな事態になる前に自室に戻っていただろう。しかし、今のこの状態で、何故それを心地よいと思ってしまうのか。それはきっと千鶴もまた店で、酒ではなく、その雰囲気に酔ってしまっていたからなのか、それとも、子供の頃に寒い時、淋しい時に綱道に抱き締めて貰った事を斎藤の温かさで思い出してしまったからなのか、千鶴自身解らなかったが、子供の頃を父の温もりを思い出し、そのまま斎藤の腕の中で眠りについていた。
どれだけ沢山の酒を呑もうが、斎藤が寝坊する事は一度たりともない。故に、翌日もいつもと同じ時刻に目が覚めたのだが、何故自分の部屋に千鶴がいて、しかも同じ布団の中で、自分の腕の中にいるのか全く解らなかった。
「こっ…これは何故?」
自分は一体何をしてしまったのか。昔から酒を飲み過ぎて記憶を失くす事があった。だが、昨日はそんなに呑んでいなかった筈だ。隣に千鶴が座っていて、話をしていたのは覚えているが、何故その記憶の次が今の状況なのかは全く覚えていなかったのである。幸いなのは互いに着物を着ている事だ。
(おかしな真似はしていないようだ)
千鶴の表情も眠ってはいたが、とても穏やかで、何かがあったとは思えなかった。
しかし、何もなかったとはいえども、千鶴から積極的に「一緒に寝たい」と言う筈ないのは斎藤自身解っていた。だとすれば、自分から千鶴を部屋に入れ、千鶴を言いくるめてこの状態を招いたに違いない。
(こ、このような事を副長に知られては……!)
慌てて千鶴から離れ、布団から出るのだが、気持ち良さそうに眠る千鶴を起こすのは忍びないと、朝餉の当番は斎藤と千鶴のふたりだけだったが、ひとりで用意する事は斎藤にとって難しいものではない。味が斎藤のものになってしまうのはいたしかたないが、それはどうにか誤魔化す事は出来るだろう。支度が出来たら先に千鶴を起こしてやれば良い。身支度を整えながら部屋を出て勝手場に行くと、当番でもない沖田がニヤニヤしながら立っていた。
「あれ、一君。今日ばかりは寝坊するかと思ってけど、やっぱり、一君は一君だね」
「どういう意味だ。おまえは当番ではなかろう。部屋に戻ったらどうだ」
「今日の食事当番の心配して、ここにいるんだから、感謝して欲しいんだけどなぁ」
心配しているという割には何も仕度をしていないのだが。
「だから、どういう意味だと聞いている」
「昨日、千鶴ちゃんとふたりで先に帰ったじゃない? 食事当番で、早起きしないといけないって」
それは覚えていない事だった。皆と同時に帰って来たものだと。
「………」
「あれ? もしかして覚えてないの?」
「い、いや。勿論覚えているに決まっている」
「そう? 別にどっちでもいいけどね」
「だったら、何故総司がここにいる。ここは俺と…雪村で充分だ」
「でも、千鶴ちゃん、まだ来てないようだけど?」
「もっ…もうすぐ起きてくるだろう」
「そうかな? 疲れて…眠ってるんじゃないの?」
「疲れて、とはどういう意味だ」
「それは…一君が一番よく解ってる事なんじゃないのかな」
沖田はずっと嫌な笑みを浮かべたままだった。
「解らないから聞いているのだが」
「だって、夕べは千鶴ちゃんと過ごしたんでしょ?」
「………!!」
「近藤さん達にああ言って帰ったのは千鶴ちゃんと一緒に過ごす為だったなんて夢にも思わなかったけどさ。一君も意外と大胆だよね」
「そのようなわけがなかろう」
酔って記憶がなかったとしても、千鶴と共に過ごす為にふたりで帰ろう等と言う性格ではないと沖田も解っている筈なのだが。
「だって、僕見ちゃったんだよね。昨日帰ってから、千鶴ちゃんの部屋が開けっぱなしになってたから、見に行ったら誰もいないじゃない? だから、もしかしてと思って君の部屋も覗いたら、一君が千鶴ちゃんを抱き締めて眠ってたからさ。あ、勿論見たのは僕だけだから安心してよね。それに千鶴ちゃんの部屋も閉めておいたし、まだ誰にも言ってないから」
よりによって、一番知られたくない人物に見られてしまっていたのだ。
「結構女の人に言い寄られてるのに、いつも相手にしてなかったから、女の人に興味ないのかと思ってたけど、まさか千鶴ちゃんに手を出すだなんて。本当、大胆だね」
「そっ…そのようなわけがなかろう」
「ふぅん。あ、そういえば、着物は乱れてなかったから、一君がそう言うなら、そうなのかもしれないけどね。後で千鶴ちゃんに聞いてこようかな」
「雪村に聞くまでもない。俺達はそのような仲ではない」
「随分説得力のない話だけど、仕方がないから信じてあげてもいいけど、ただで…とはいかないの、解ってるよね」
やはりそう来たかと、小さく溜息をつくと
「僕、食事当番嫌いだから、暫く変わって欲しいんだよね」
それくらいで済むのならばと「構わぬが……」と、答えると
「勿論、一君が巡察で忙しい時は千鶴ちゃんに変わって貰うね」
「雪村を巻き込むな。彼女は関係ないだろう」
「ふぅん。じゃぁ、一君だけでも僕は構わないけど」
それだけ言うとさっさと自室に戻る沖田の後ろ姿を黙って見ていた。
斎藤に起こされ、慌てて布団から出ると、夕べ何があったのか思い出したのか顔を赤くして「す、すみませんでした」と逃げるように部屋を出る千鶴に「まさか…俺は何かをしてしまったのだろうか」と、顔を青くする斎藤を背に、酒を呑んでもいないのに、普段ならば男の部屋で一晩過ごす等、はしたない事をする筈がない。昨日の自分はどうかしていたのだと、斎藤の顔を見る事は出来ないと、千鶴は暫く斎藤を避けるようになってしまった。
本当に夕べは何が起こったのか。自分は千鶴に何かしてしまったのだろうか。聞きたくても、斎藤を避け続ける千鶴から真実を聞く事も出来ず、赤い顔をして逃げる千鶴を青ざめた顔で追いかける斎藤の姿を暫く幹部達は目にする事となる。
「なぁ、総司。あのふたり何かあったのかな」
「さぁね。僕は知らないよ。知りたいなら一君に聞いてみればいいじゃない」
「一君に聞いたけど、何も教えてくれないんだよな」
「じゃあ、千鶴ちゃんに聞いてみればいいじゃない」
「千鶴の奴も教えてくれなくてさ……」
落ち込む藤堂に「ふたりの事だから、特別何かあったとは思えないけど、からかうには持って来いの材料だよね」と、沖田は小声で呟いた。
千鶴を追いかけながら、暫くは酒を自重しようと心に決める斎藤だった。
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