なんという幸せ
(斎藤×千鶴)
「今日は何の日だと思う?」
和やかに朝餉を食べている時、千鶴の隣に座っていた沖田がいつものように含んだ笑顔を見せながら千鶴に意図の見えない質問をした。
「お正月…元日…ですよね」
雑煮を食べながら、何故当たり前の事を誰もが知っている事を聞いてくるのか解らず、首をかしげながらおそらく千鶴にとって、沖田の質問に対する正解の答えだろう返事をするのだが。
「そんな当たり前の事を聞いたつもりはないんだけどね」
そう言われても、千鶴には他に何の日なのかさっぱり見当もつかなかった。
「一君が生まれた日なんだよ」
「え?」
「一月一日生まれだから一って…解りやすい名前だよね」
「でも、名前というのは元来解りやすいものかと……」
「そうなんだけどさ。一君って、お兄さんがいるのに一って名前でしょ?」
「あ、お兄様がいらっしゃるんですか」
「うん。兄がいるのに一ってつけるのは珍しいよね」
「そうですね。それに…斎藤さんって面倒見も良いですし、弟という印象がなかったので意外です」
「じゃ、僕は?」
「末っ子という印象があります」
日頃から、子供達と遊んでいる姿を目にはしていたが「お兄さん」という印象を持つ事が出来ずにいたのはそれ以上に、近藤や土方等と接している姿の方が強烈に残っているからなのかもしれない。
「ふぅん…まぁ、間違ってはないけどね」
「元々、お姉さまがいらっしゃるというのも聞いていましたし」
多分それはミツ姉さんの事かなぁ…と、いつもの作り笑いのような笑顔ではなく、優しい笑顔を浮かべたのは遠い場所に住む姉を思っての事だろうか。自然と千鶴も笑顔になった。
「そういえば、斎藤さんって、幼名はなかったんでしょうか」
「生まれた日が名前の由来だから、昔から一って名前だったんだろうね。変えなきゃいけないって物でもないし、いいんじゃない?」
「そうですね。折角親からつけて貰った大切な名前ですから、それに変えなくても支障はありませんし」
斎藤の話だけでなく、近藤の昔の名や、たまに土方がその名で呼ぶ事を快く思っていない話までしていたが、快く思っていないというよりも、羨ましく感じているのではないだろうか…と、少し拗ねた風に近藤と土方の話をする沖田にとても口に出して言う事は出来ないが「可愛い」と感じていた。
「因みに僕の幼名は宗次郎って言うんだよ」
「そうじろう…さん?」
「うん、京に来る前に総司にしたんだよ」
「どうして変えられたのでしょう?」
「皆がそうじ、そうじって呼ぶから、だったら名前を変えようかなってね」
「皆?」
「皆といっても、試衛館の面子だけどね。姉や義兄は宗次郎って呼んでたよ」
いつもは千鶴をからかったり、いたずらをしかけたり…と、警戒心を持っておかなければ接するのが難しい人だから、構えている事が多いのだが、この日は機嫌がいいのか、昔話を懐かしそうに話す沖田に対して「こんな兄様がいたら良かったのにな」と素直に感じていたし、この先聞けるかどうか解らない沖田の昔話というのはとても貴重のように思えた。
「千鶴ちゃんの名前の由来って、綱道さんから聞いた事はあるの?」
「いえ、聞いた事ないです。そういえば、私は生まれた日も…知りません」
何故自分には母親がいないのか、子供の頃に淋しくて、近所の同い年の子供達には優しい母親がいるのに、どうして自分にはいないのかと尋ねた事はあった。しかし、その度に困ったような、笑顔を見せる父に「きっと尋ねてはいけない事なのだ」と思うようになり、生まれた頃の話や、母の話を聞く事が出来なかったのである。
「生まれた日なんて別に知らなくてもいいんじゃない? 僕も知らないよ。暑い日に生まれたって聞いた事はあるから、夏生まれなのかな…とは思ってるけど。それに、生まれた日を知らない人の方が多いんじゃない?」
必要ないでしょ、と笑みを見せる。ただ生まれた年、干支を解ってさえすれば困る事はないのだ。しかし、両親揃っていれば、母親がいれば、生まれた時の話を聞けたかもしれない。そう思うと、少し淋しく感じずにはいられなかった。兄弟もいない、父と娘ふたりだけで、話を全くしない父娘ではないが、元々言葉数の少なく、母の話をすれば困った顔で笑う父を哀しませてはいけないと、淋しくて堪らなかったが、聞いてはいけない事と、幼いながらも封印していたのである。そう話したわけではないが、沖田の言葉に癒されたような気持ちになっていた。
「まぁ、一君は名前と生まれた日が繋がってるから、忘れようにも忘れられないし、周りも覚えやすかったのかもしれないね。そういえば、近藤さんも生まれた日は知らないみたいだよ」
その日、非番だった沖田は近藤が買って来た菓子を持ってきて「お茶淹れてよ。一緒に食べよう」と、朝餉を食べた時に話の続きをしたいと思ったのか、暇だったからなのか解らなかったが、珍しく昔話に花を咲かせ、千鶴は正月らしいのんびりとした一日を沖田と過ごした。
「何だよ、総司の奴。千鶴を独り占めにして」
割って入る事も出来た筈なのに、何故かそれが出来ず、藤堂は遠目で彼らを見ては永倉や原田にぼやき、斎藤は正月早々巡察があったので、千鶴が沖田に捕まっていたのは知っていたが、特に危害を加えそうにないと判断し、そのまま巡察に出かけていた。
時は過ぎて明治、斗南。
材料が少ないながらも、おせち料理を準備し、雑煮を作っていた。
「あ、はじめさん。おはようございます。もうすぐ出来ますから」
別に早く朝餉を食べたいと思ったからではないのだが、勝手場にやってきた一は料理をする千鶴の後ろ姿を眺めていた。
「あぁ、解っている。急ぐ必要はない」
「? どうされました?」
居間に戻ろうとしない一を不思議に思い、振り向くと、入口に立っていた筈の一が千鶴を抱き留め「何でもない」と、耳元で囁いた。
「ひゃっ……」
飛び上がって驚く千鶴に
「何を驚いている」
「驚きますよ。突然…耳元で……」
「そうか。すまない」
言いながらも、その手は千鶴を包んだまま、肩に顔を埋めるようにまだ耳元で話をする一に
「今日は何の日か知ってますか?」
「正月だろう。何を解りきった事を聞いているのだ」
以前沖田に言われた時に千鶴が戸惑いながら答えたのと同じ内容を口にした一に
「そうですけど、違います」
では、何の日だというのだと言いたげな顔をすると
「今日ははじめさんが生まれた日ですよ」
千鶴の言葉の意味が解らないのか、一は不思議そうな顔をしていた。
「以前、沖田さんに同じ質問をされたんです。今日は何の日なのかって。その時に教えていただきました。はじめさんの生まれた日と、名前の由来を」
「そうか」
突然生まれた日の事を言われても、だからといって、何をするというわけでもないし、今までも正月でしかなかったその日を「生まれた日」と、まるで特別な日のように言われたのは初めてで、戸惑いながらも、ただの暇つぶしだろう沖田の話を覚えていた事が嬉しかったのが、少し顔を綻ばせた。
「だからというわけではないのですが、お雑煮にはじめさんの好きなお豆腐を入れてみました。本当はお餅を入れたかったけれど、用意出来なくて……」
同じ白い物をというわけではないが、餅を用意出来なかったのならば、一が好きな豆腐を入れて、雑煮というものとは遠くなってしまうのは解っていたが、喜んでくれるならば…と、千姫から送られてきた大豆から豆腐を作り、それを雑煮に入れたのである。
「楽しみだな」
「はい。もう少しで出来ますから、居間で待っていて下さいね」
「ならば、この重箱を運んでおこう。どうせこれも持って行くのだろう?」
「あ、私が持って行きますので……」
「構わぬ。ついでだ」
雑煮…というよりも、ただのお吸い物のような出来栄えになっていたが、一は嬉しそうにそれを見つめ
「おめでとう」
「おめでとうございます」
「あぁ、今年も宜しく」
「よろしくお願いします」
丁寧におじぎをし、ふっと…微笑むと「ではいただこうか」と、雑煮に手を出した。
「美味い。この豆腐は千鶴が作ったのか?」
「はい。先日お千ちゃんから大豆が届いたので…というより、前にお願いしていたんです」
「大豆を……?」
「はい! お正月にはじめさんに出したいと思いまして。ここだと中々手に入りませんから……」
日頃から一を気遣い、栄養になるもの、そして好みのものを…と努力をして作っているのは知っていたし、京にいた時から千鶴の料理は皆に定評が高く、一も当時から千鶴の料理が好きだった。
ここ、斗南に来てからは貧しい土地故、手に入る材料が少なく、それでも千鶴はその中で出来る一番の物を作っていた。千姫も無二の友達である千鶴を…いや、一と千鶴を思い日持ちする食材をこまめに送ってくれていたので、食うに困る事はなかったのだが。
「そうか。お千に文はもう書いたのか?」
「あ、いえ。着物の端切れで、お千ちゃんが好きそうな柄があるから、それで巾着を作って一緒に送ろうと思っているのでまだなんです」
「では、俺も礼を言っていたと書いてくれないか」
「はい! いつもはじめさんが感謝している事は書いてますよ」
言葉少なな一だが、ここに来てからはなるべく千鶴に感じた事、その日起きた事等を話すようになっていたが、それでもやはり言葉数は少なく、表情も豊かでない一が考えている事、思っている事は解るようになっていた。
「いつもすまないな」
「いえ」
「しかし、俺が生まれた日等、よく覚えていたな」
「京にいた時、お正月に先程はじめさんにしたのと同じ質問を沖田さんに言われて、その時に生まれた日の事と、そして名前について話をしたんです」
「一月一日生まれだから、一、と」
「はい。そういえば、はじめさんは生まれた時からはじめさんで、幼名のまま…といいますか、名前は変えなかったのですね」
一はもう何度も名を変えているのだから、変えなかったというのは語弊がある。しかし、それは「千鶴にとって」というのもあったし、大人になったからという意味だ。
「そうだな」
「沖田さんは自分の幼名の話もして下さいまして……」
「あぁ。宗次郎、だろ?」
「でも、皆さんは宗次郎と呼んで下さらなかったからと、総司にしたと仰ってました」
「そうだな。俺も総司を宗次郎と呼んだ事はなかったな」
「あと、沖田さんははじめさんと違って、生まれた日は知らないとも」
「必要ないからな」
「そうですね」
「千鶴は自分が生まれた日を知っているのか?」
「いえ、生まれた日も、季節も何も……」
綱道が教えなかったのは「教えなかった」のではなく「教えられなかったのだ」という事は今ならば解る。実の父親ではないから。もしも、千鶴の両親が生きていたら知る所だったのだろうかと思わなくもないが、それを考えた所で答えが見つかるわけではない。
「同じように祝ってやりたかったが……」
残念そうな顔を浮かべる一に
「いえ。いつも気遣って貰ってますし…今のままで充分幸せですから」
そう言うだろうと解っていたという顔を浮かべ、生まれた日が解らないのならば、千鶴が好きな桜の季節にでも、贈り物を…と、考え始めるのだった。
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