あなたに優しい夢の贈り物を
(斎藤×千鶴)
斗南に来て数日。千鶴が作った薬を謹慎時代に飲んでいたおかげか、羅刹の血は本当に薄れているようで、供血の発作も少なくなり、ほっと一安心していた。
このまま羅刹の血が薄れてくれれば。
そう思っていたのは斎藤だけでなく、千鶴もそう願っていた。通常の仕事を既に始めており、夜に寝て、朝起きて仕事に出ているので、少しでも身体が楽になっていればいい。どれだけ辛くてもそれを表に出さないのを解っていたからこそ、千鶴は傍にいる時は斎藤の様子に気を配っていた。仕事で疲れているというのに、家事まで手伝おうとする斎藤を説得し、横になれとまでは言わないが、座って楽にして貰うべく、日々家事に勤しんでいた。
「ただいま、千鶴」
「おかえりなさい、斎藤さん。お外、寒かったでしょう? 温まって待ってて下さい。すぐに夕餉の支度をしますね」
「あぁ」
いそいそと勝手場に向かう千鶴の後ろ姿を見ながら、言われた通り座っていると
「これ、上手く浸かってないかもしれないのですが……」
小鉢を見るとそこには漬物が並んでいた。
「漬物か。懐かしいな」
京にいた頃、食事の手伝いをするようになってから、千鶴は漬物も用意するようになり、それは酒のあてとしても、おかずとしてもとても喜ばれ、漬物を漬けるのが日課になり、当時は当たり前のように食していたものだった。
「京を離れてからは中々漬ける時間といいますか、心の余裕といいますか…それらがなかったのですが、こうして穏やかに暮らせるようになったので、早速漬けてみました。まだ浸かりは浅いですが……」
熱燗と共に差出して
「まずはこれで温まって下さいね」
「あぁ、いただこう」
両手を合わせ「いただきます」眼を閉じて呟くように言い、嬉しそうに漬物を口に運んだ。
「美味い」
勝手場に戻ろうと背を向けた千鶴だったが、その言葉を耳にすると、もっともっと美味しいものを作って、斎藤を喜ばせたいと、少ない材料ではあるが、工夫次第で更に美味くなるだろうと、近所に住む奥方達に教えて貰おうと心に決めるのだ。
風呂に入り、髪を乾かし、寝室に行くと疲れていたのだろう、すうすうと寝息を立てて穏やかな顔で眠る斎藤が眼に入り、共に眠るのはここに来てから初めてというわけではないのだが、このように穏やかな表情の斎藤を見るのは斗南に来てからの事であった。それだけ新選組時代…いや、国が荒れていたあの頃は気を休める時間等少しもなかったのだろうと、改めて感じていた。
勿論、千鶴自身も父を探すべく江戸から出てからというもの、気が休まる時間があったのかと問われたら、斎藤をはじめとする新選組の隊士達と同じとまではいかないが、何かがあればすぐに目が覚め、眠りが浅かったのは確かである。
こうして、千鶴が入って来ても、以前の斎藤ならばすぐに目を覚ましていただろう。しかし、今は穏やかに眠っている。それだけで幸せだと感じずにはいられなかったのだが……
「!!…くっ……」
苦しそうに声を漏らしたのは穏やかに眠っていた筈の斎藤である。それに驚く事なく、千鶴は「斎藤さん、失礼します」と、躊躇う事なく斎藤がかぶっていた掛け布団を捲り、するりとその中に入る。斎藤を抱き抱えるようにして、回した手で斎藤の後頭部を優しく撫でる。
「大丈夫ですよ」
苦しそうな寝息が、少しずつ穏やかになり、眉間の皺もなくなる。
(もう大丈夫…かな)
起こさないようにそっと布団から出ると、隣に敷いた自分の布団の中に入り、向かい合うようにして横になった。暫くはまたうなされるかもしれないと、眼を閉じながらも斎藤に意識をやっていたが、その気配がなかったので、そのまま眠りについた。
実は斎藤がこんな風に夜にうなされる事は初めてではなかった。斗南に来て数日だったが、その内の何日かはこうしてうなされていたのである。千鶴はただ「ここは安心していい場所なのだ」と「戦争はもう終わったのだ」と「謹慎生活からも離れたのだ」と、うなされている事を知らせないよう、そしてそれを千鶴が気付いているという事を悟られないように優しく斎藤を抱き締め、悪夢から解放されたら何事もなかったように、自分の布団に戻る。
朝、起きるとやはりうなされていた事を知らない斎藤はいつものように、それでも昔とは違う穏やかな顔をしていたので、ほっと胸を撫でおろすのだが、一体斎藤を苦しめているのは何なのか気になっていた。しかし、それを聞くわけにもいかず、どうすればうなされる事なく安心した眠りをさりげなく導く事が出来るのか、千鶴には解らずにいた。ただ、時間が解決するのを待つしかないのか、それまで苦しむ斎藤を見ているのは歯痒くてしかたがなかったのである。
目の前にいるというのに。
だが、斎藤が自分が夜になるとうなされているという事を知るのはやはり、千鶴に気を遣わせてしまうだけだろうと思うと、目に見えて何かをすると、きっと斎藤の知る事となってしまうだろう。では、一体何が出来るのか。ただ、うなされている斎藤を抱き締めるだけしか思い浮かばないのだが、互いに好き合っているとはいえ、夫でもない男の布団に入り、抱き締める等、斎藤に何が起こっているのかを知られる以前に、はしたないと思われたくない気持ちがあるのも確かであった。
少しずつ夜にうなされる事はなくなり、しかし、全くなくなるという事ではなく、十日に一度位の割合でやはりうなされる事が続いていた。きっと、時間が解決してくれるだろう。その兆しが、希望が見え、斎藤を抱き締めている時「もう少し。もう少しで苦しみから解放されますよ」と「大丈夫ですよ」と、願いを込めて小さな声で囁いた。その声が夢の中にまで届いていたからかは解らないが、千鶴が抱き締めた翌日はいつも以上に斎藤の目覚めが良く、普段から優しかったが、更に優しい視線を千鶴に向けていた。
「どうかされたんですか?」
「いや、何らいつもと変わりはないが」
そう問い掛けた所で、斎藤は無自覚のようで、逆に「どうかしたのか?」と問いかけられる事となり、まさか視線が甘いのだと答えるわけにもいかず
「いえ、ただ、雰囲気がいつもと違うように感じただけなので、どうかされたのかな…と思っただけです」
そう答えるしかなかった。特に千鶴が夜に抱き締めている事に気付いている様子でもなく、きっと悪夢を忘れ、幸せな夢を見られているのだろうと思うと、それだけで嬉しかった。この先もずっと、穏やかで、幸せな夢を見続けて欲しいし、実際にそういう生活を送られるよう、千鶴は自分が出来る最大の事が出来るよう努力をしたいと、料理の腕を上げるべくこの土地ならではの料理や、生活の知恵を少しずつではあるが、身につけていくのだった。
すっかりうなされる事も少なくなり、おそらくもう悪夢から解放されたのではないだろうかと思っていたが、久しぶりのまるで発作のような、うなされように千鶴は飛び起き、慌てて斎藤の頬に手をやり「斎藤さん。大丈夫ですよ」斎藤の頭を抱え、柔らかく抱き締めた。
「きっと今日で最後ですよ。大丈夫。大丈夫」
優しい夢に変わるよう、悪夢を見ている事すら忘れてしまうよう、これから悪夢等追い払ってしまう位に幸せが雨のように降り注ぐように、まるで宝物のように腕の中にいる斎藤の額に口付けを落とした。
翌朝。斎藤が目を覚ますと、自分が柔らかい何かに包まれていると気付いた。寝ぼけているからか、それとも想像すらしなかった「千鶴に抱き締められている自分」という状況に頭がついてこなかったのか、おそらくその両方だろう、千鶴の胸に顔を埋めたままでいたが、状況を把握すると
「……!!」
(この状況は? 何故このような事に?)
驚いたからといって、ベリッと千鶴を剥がすわけにもいかず、いや、離れがたかったのか、しかし抱き留められたままというのも何とも恥ずかしく、やんわりと千鶴の腕の中から離れ、その温もりを自分の腕の中に閉じ込めるように抱き締めた。
(淋しかったのだろうか…いや、寒かったのかもしれぬ)
普段、自分から甘える事のない千鶴だったが、無意識の内に温まっている斎藤の布団の中に潜り込んでしまったのだろうという結論に達しそうになった時
「斎藤さん、大丈夫ですよ」
夢の中で聞いていた筈の千鶴の言葉を耳にすると、斗南に来てからも悪夢を見ていたが「大丈夫」という言葉は千鶴と再会し、精神的にも安定しそれが夢にも反映されているのかと思っていた。しかし、それは夢の中の事ではなく、うなされている自分を優しく介抱するべくこうして抱き留め「大丈夫」と夢の中の斎藤に言い聞かせるように囁き続けていたのだと気付いたのである。
その事を斎藤に言わなかったのはきっと、斎藤を気遣っての事だろう。
「すまない」
どこまでも優しく、愛情を注いでくれる千鶴に自分は一体何を返せるのか。
ただ素直に千鶴に愛情を注ぐしかない。
千鶴が与えてくれたように、目の前にいる愛しい千鶴にも良い夢をと、願いを込めて額、頬、唇に口付けを落とし
「千鶴、愛している」
囁くように呟くと、ぎゅっと千鶴を抱き締め、そのまま再び眠りに落ちた。
千鶴が目を覚まし、硬直して口をパクパクさせるまで後少し。
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