の罪

(斎藤×千鶴)

 その日、千鶴は診療所で手伝いをしていた。「蘭方医の娘」という事で、決まった日というわけではないけれど、忙しい時に呼ばれる事があった。この集落で診療所、医者というのはそこしかなく「少しでも役に立つ事が出来たら」と思い、千鶴は手が足りない時にその診療所で手伝いをしたいと一に申し出、助け合いは必要だと、快諾したのだった。
 しかし、小さな集落だったから、夏場はそうそう駆り出される事はないらしいが、冬場は風邪などで寝込む人が増え、簡単な処置しか出来なかったが、この所はよく診療所に出向いていた。暮らし自体は決して豊かではなかったが、とても幸せそうにしている千鶴を見て一もほっとしていた。
 元々新選組の屯所でも自分なりに出来る事を見つけ出し、本人は「ささやか」だと言っていたが、炊事、洗濯、掃除…どれも隊士たちが行っていたそれよりも優れており、快適に、士気も上げ、確実に力になっていたというのに、本人は全くそれに気付いていなかった。

「今日も、助かったよ。千鶴さん」
 白髪の優しそうな診療所の主が、器具を片付けている千鶴に声をかける。
「いえ。若先生が不在だったので、少し時間はかかりましたが、何とか全員診る事が出来ましたね。この寒さで皆さん、これ以上悪化しなければ良いのですが……」
「本来、家で温かくして栄養を摂って薬を飲んで眠れば大丈夫なんだがね」
「夜は一段と冷えますし……」
「この時期は栄養を摂るのもままならないともなると、難しい」
「……はい」
 江戸や京にいた頃は何でもない、風邪だが、この土地では「何でもない」事が、命取りになる事もある。出来る限りの事をしても、それは充分な治療というわけではなかった。だからこそ、千鶴は自分が出来る事は全部やりたいと強く思うようになっていた。
「では、大先生。私はこれで失礼します」
「あぁ、いつも助かってるよ。有難う。気をつけて帰るんだよ」
「はい」
 片付けを済ませて、診療所を出ようとすると
「だ、大先生。大変なんです。屋根の雪を排除している時に、同僚達が屋根から落ちて…大怪我をっ!!」
 急いで来たのだろう、息を切らせて状況を説明して、先生の手をひっぱり、事故が起きた青年の職場に連れて行こうとしていた。
「千鶴さん、帰ろうとしている所すまないが……」
「はい! 解ってます。私に出来る事があれば何でもお手伝いします」
 診察鞄をとり、大先生に渡して千鶴も彼らの後ろについて行く。馬車に乗り、事故が起きた場所へと向かった。

 一が巡回を終えて職場に戻ると、いつもと違う雰囲気に一瞬戸惑いを感じていた。外は明らかに事故が起きたと解る状態で、それが視界に入った瞬間駆け足で戻ったのはいいが、そこにあったのは緊張感等ではなく、和やかな雰囲気だったのである。
(一体何が起こったというのだ)
 入口は人気がなかったが、奥からは賑やかな声が聞こえ、何が起こったのか聞こうと足を向けると、誰かを囲んで一の同僚達が談笑をしている姿が目に入った。
「いやー、大先生だけだったら手が回らなかったかもしれないな」
「そうだね。本当に助かったよ」
「でも、君…初めて見るよね。どこに住んでるの?」
「うんうん。可愛いね」
「えっ…あ、あの…」
「もしかして若先生の……?」
「あ、違っ…」
「若先生も隅に置けないな」
「違うよ、彼女は……」
 人だかりの隙間から見えたのは一の妻、千鶴だった。
「千鶴!」
「はじめさん!」
 男達の質問攻めに遭っていた千鶴は夫の顔が見えると嬉しそうに微笑んだ。
「は…じめ…さん?」
 千鶴を囲んでいた男達は「はじめさん」と呼ばれた、今は藤田五郎と名乗っている男を見ると、一は殺意の籠った眼で同僚達を睨み返し、千鶴に駆け寄ると、彼女の肩に掛けられていた手を払いのけ、自分の腕の中に閉じ込めた。
「こんな所で何をしている」
「あの…屋根の上の雪かきをしている時に、雪で滑って屋根から落ちて怪我をされたみたいで……」
「すまないね、藤田君。息子が往診で診療所にいなくて、多数の怪我人が出たという連絡を受けて、一人じゃ対応出来ないから、千鶴さんに一緒に来て貰ったんじゃよ。聞けば、君の職場じゃないか。もしかすると君も怪我をしたのでは…と、心配もしてね」
 どこから言えばいいのか解らず、しどろもどろに話出した千鶴の言葉を遮るように、大先生が変わって説明を始めた。
「………」
 説明されるまでもなく、それは見れば解る事だった。困っている人を助けるなと、一も言うわけがない。一が聞きたかったのは治療が終わったというのに、自分の妻が同僚達に囲まれているというこの状況に対するものだったのである。
「へぇ。彼女は藤田君の奥方だったんだね」
「藤田さんに奥方の事を聞いても、教えてくれなかったからどんな方なのかと思ってたら…まさかこんなに可愛らしいとは……」
「結婚してなかったら、俺のお嫁さんにしたかったな」
「そうだよな。こんなに可愛らしい子は朴念仁には勿体無い」
 普段、職場で笑顔等見せる事もないのだろう、無口で、無表情で、堅物な男という印象の強い男である。何をどうすればこんなに可愛い人を嫁に出来るのか。いや、出来たのかという視線が一に向けられる。
「藤田と離縁する事になったら、僕の所においで」
 抱き締めていた筈の千鶴はいつの間にか、一の腕の中から離れ、手を握られたり、肩を抱かれたり、まるで新選組の屯所にいた頃のようになっていた。
「そ、そんな…私がはじめさんと離縁するなんて……」
「そのような事があるわけなかろう! 千鶴は一生俺の妻だ」
 これ以上この場所に千鶴を留めておきたくなくて、一は千鶴の手を引き「失礼する」と、職場を出た。
「はじめさん…あの、お仕事は?」
 強く手を引かれ、速足で歩く一に少し息を荒立たせながら尋ねる千鶴に
「今日はもう終わりだ。元々帰る予定だった故、気にせずとも良い」
「そうですか。今日も一日、御苦労様です」
 振り向くと花のように千鶴は笑っていた。くだらない嫉妬なのは解っていた。だが、同僚達に、他の男達に千鶴を見せたくなかった。触らせたくなかった。しかし、それを口にする事が出来る筈はない。ただ、千鶴は怪我をした一の同僚達の治療の手伝いをしただけなのである。心の狭い男だと思われたくないが、千鶴は自分の可憐さを少し自覚するべきなのではないだろうか。誰にでも笑顔を見せるのが悪いとは言わない。だが、それが時には罪である事をどう言えば伝わるのか。
 歩く速度を緩め、強く握りしめていた手も緩めて指を絡ませる。
「千鶴、その…話が…あるのだが……」
「はい。何でしょう?」
「そ、その…おまえはとても…愛らしい」
「えっ……?」
 見上げると頬を染めながらも真剣に千鶴を見つめる眼がそこにあった。
「故に、自覚をして欲しいのだ」
「自覚、ですか?」
 夫が何を言いたいのか想像がつくわけでもなく、首をかしげていると、その姿もまた愛らしく
(そのように首をかしげるな。俺の前だけならば良いが、こんな愛らしい千鶴を他の男に見せたくないのだ)
 自覚をさせた所で、この愛らしさを隠す術等ないと、次の言葉が出てこなくなってしまい
「いや、忘れてくれ」
「何をでしょう……」
「すまない。俺のくだらない嫉妬だ」
視線を逸らして「おまえを誰の眼にも触れさせたくない」と、続けて唇に自分のそれを重ねた。
「は、はじめさん…ここは外です!」
「周りに誰もおらぬ。大丈夫だ」
 何が大丈夫なのか解らなかったが、自分に触れる愛しい夫の手を払いのけられるわけもなく、じっと見つめた。
 おそらくこれからもずっと、やきもきするだろうけれど、このまっすぐ自分を見つめる眼には深い愛情が込められているのは言葉がなくても、充分に伝わっていた。広い心を持たなければなるまいと、反省するのだった。

 翌日。
「千鶴さん、本当に可愛いよな」
「藤田さんには勿体無いよ」
「俺今日、診療所に行かなきゃいけないんだが、千鶴さんは…いるのかな。手土産を持って行きたいんだけど、何が好きなんだ?」
「あ、僕も今日、診療所に行くんだ」
「擦り傷だけで済んだから診療所に用はないけど、俺も行こうかな。千鶴さんに会いたいし」
 怪我をした面子が、出勤して早々に一を囲み、好き勝手に話し始めると、生前の鬼副長のように眉間に深い皺を寄せ「今日は若先生もいるようだから、千鶴は診療所に行かん」と、答えると
「じゃ、千鶴さんがいる時に変更しようかな。昨日手当して貰ったばかりで、薬もまだ残ってるし」
「俺もそうしよう」
「昼休憩の時に奥方をここに呼んだらどうだ」
「何故、千鶴をここに呼ばなければならぬ」
 怪我をしていない同僚まで一を囲み始める。
「おまえも奥方と一緒に昼食を食べたいだろう?」
(勿論一緒に食べたいが、決して俺の為に言っているのではなかろう)
「千鶴はここに呼ばぬし、暫く診療所にも行かん」
 もうこれ以上おまえたちの願望を耳にしたくないという意思表示か、まだ勤務時間になっていないというのに書類に目をやりながら「どうすれば同僚達から千鶴を忘れさせられるだろう」と真剣に悩み、頭をかかえていると
「藤田が毎日足早に家路に向かう理由が解ったよ」
「あんなに可愛い奥方が家で待ってりゃ……」
「俺…千鶴さんに恋したかもしれない」
「やめておけ、藤田に殺されるぞ」
 その言葉が一の耳に入ったのか、人を殺せそうな視線をその男に向けると、ますます眉間の皺を深め、千鶴に関しては到底広い心等持つ事等出来る筈もなく、その必要もない。寧ろ狭くいるべきなのではないかと思い始めた。


 このサイトを作る前に書き始めたSSですが、ほったらかしにしたままになっていたので、完成させました。
 きっと斎藤さんは嫉妬深いと思うので、同僚達に千鶴を見せたくないだろう、と心の狭い男の話になってしまいました(笑)
 絶対に自宅に同僚を招いたりはしないんだろうな。ふたりだけの時間を作るのに命を賭けてそうな気がするんですよ。
 もし、屯所時代に戦争が起こる前にふたりが恋人同士になっていたら、斎藤さんはもっとやきもきしたでしょうね。
 色男の原田さん、恋に堕ちたらまっしぐらな沖田さん、実家の姉に「モテて、モテて仕方ねぇ」と文まで出していた(史実らしい…爆笑)これまた色男の土方さん、魁先生の平助君。そして鬼(爆笑)
 いや、でもその中でバトルを繰り広げる斎藤さんも見てみたかったかも。