渦巻く夜空 3
(斎藤×千鶴)
「―――俺は待つなと言わなかったか」
開口早々口にしたのがこの言葉だった。自分でももっと気のきいた言葉を言えないのかと思ったが、自分の事よりも斎藤の事を優先した事に喜びを感じながらも、陸奥に行くなど、危険な真似までして何かあってからでは遅い。いや、もう済んだ事で、千鶴に何も起こっていないから素直に再会を喜べばいいのだが。
「すみません」
何も悪い事をしていないというのに、頭を下げ謝る千鶴に「いや、すまない。おまえにはどれだけ礼を言っても足りない位だというのに……」と、漸く千鶴の方へと歩み寄った。
「息災だったか」
「はい」
「そうか……」
おそるおそる、千鶴の頬に手をやり優しく撫でると、不安そうにしていた表情が和らいだ。
「陸奥まで…行ったのか」
「はい。陸奥には必ず天霧さんが付いてきてくれました。外に出る時は男装をするようにしていましたし、大丈夫でしたよ」
男装をしていた、といっても、もうすでにどこからどう見ても女子にしか見えない歳になり、無理があるのは本人も承知の上だったが、それでも気休め程度にはなると、斎藤と離れ離れになってからも男装を続けていたようだ。
大丈夫だったのは天霧が傍にいたからだろう。それは千鶴にも、勿論斎藤も解っている事である。
「俺は…おまえに助けられてばかりだな」
「そんな事! 私がいつも斎藤さんに守っていただいていました。天霧さんから、いつも斎藤さんが私の身を案じてくれている事も聞いてしましたし」
「……いつも?」
「はい。何も仰らないけれど、眼がそう訴えていたと……」
ちゃんと斎藤の言葉ではなく、天霧が感じた事で不確かな事であるが故、後半は恥ずかしそうに俯いた。
「………」
斎藤と千鶴を知るものならば、斎藤が何も言わなくてもその表情から千鶴を心配している事は解る事ではあったが、本人は表に出しているつもりはなく、それをいともあっさり言ってのけ、あまつさえそれを千鶴本人に伝えられてしまっては言葉が出てこなかった。
「嬉しかったです。待つな、と仰ったのも私の為…ですよね。それでも私は待っていて欲しいと言って欲しかったです。私の幸せは斎藤さんと共に在る事ですから」
視線を合わせ、はっきりと曇りのない眼で言ってのける千鶴の言葉に頬を染めたが、嘘偽りのない千鶴の想いを疑っていたわけではないが、それでもやはりいつ出られるか解らない自分を待てなど、口が裂けても言えない言葉だった。
「斎藤さんの優しさは充分に解っています。もし、私が斎藤さんの立場だったとしたら同じ事を言ったかもしれません。だから、私は去っていく斎藤さんの後ろ姿に待つと誓いました」
「だからといって、危ない真似までせずとも良かったのだ」
そう、いくら天霧が一緒にいるとはいえ、襲われる可能性がなくなるわけでもなく、天霧がずっと千鶴に張り付いているわけでもないのである。
「ですが…やはり斎藤さんの身体が心配で……」
「共にいないというのに、おまえはまた自分の血を……!」
続きの言葉を遮る為、千鶴は斎藤の口に手を当てた。
「犠牲ではありません。斎藤さんの為ではなく実は私の為なんです」
「千鶴の、為?」
「ただ、私が斎藤さんの傍にいたいが為、斎藤さんの身体の心配をしただけの事です。私の我儘なんです」
だから、斎藤さんが私を心配する必要などないんですと、続けた。
「しかし、おまえに何かあっては後悔だけでは済まなくなる。本当に無事で良かった」
柔らかな千鶴の手を握り、指を絡めると、ずっと触れたいと思っていた千鶴に漸く触れる事の出来る幸せを感じた。謹慎中に自覚していたが、斎藤はもう千鶴なしでは生きる意味などないという事。もし万が一再会する事があれば、その時千鶴が誰かと結婚をしていても奪ってしまうかもしれない事まで考えていたのである。重症なのは解っていた。しかし、それだけ大切で、愛しい存在なのだと、裕福な生活をさせてやれないのは解っていたが、もう決して離れる事が出来ないと悟り
「俺はこれから会津藩士として、斗南で暮らす事になった」
「斗南、ですか」
「あぁ。おまえも…来るか?」
「はい!」
「草木も育たない痩せた土地だ。苦労するぞ」
「それでも斎藤さんの傍にいたいです」
千鶴ならばきっとそう答えるだろう、それが解っていて自分は何と卑怯な言葉を言ったのか。そう思いながらも、もう千鶴を手放す事など出来ない斎藤は羅刹が故、将来の約束すらしてやれないというのに「では、共に来い」と言った。
ただ、千鶴の傍にいたい為。
「斗南に着くまでは男装を解いてはならぬ。何があっても俺から離れるな。解ったな?」
「はい」
顔を上げ、まっすぐ斎藤を見つめる千鶴に
「おまえは俺が必ず守る」
そう言うと、千鶴は嬉しそうに笑った。それは斎藤がずっと見たいと思っていた笑顔だった。
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