りを守る

(斎藤×千鶴)

「父様……」
 部屋から聞こえた声に、斎藤は部屋の方へ顔を向けた。いつもは眠れないといった気配はするが、このように声を発する事は初めてだった。
「父…様…っ…」
 うなされているような声になり、深夜の女子の部屋に入るのに躊躇われたが、苦しそうな声を放っておく事が出来ず「雪村、入るぞ」と、声をかけて部屋に入ると、月明かりに千鶴の泣き顔が浮かんだ。起きているのかと思ったが、どうやら夢にうなされているようで、肩を揺らし「雪村、雪村」と名前を呼んでみるが、うずくまり、より涙を流して「怖いよ…父様…」と、顔をしかめた。
 新選組が千鶴を軟禁状態にして一カ月。体調を崩したり、怪我をしている隊士が多く、雪村綱道探しもままならない状態で、勿論千鶴も軟禁状態が続いていた。部屋から出る事も禁止させ、何をするわけでもなく、ただ一日を無駄に過ごさせていた。時折沖田が部屋から出して相手をしているようではあったが、彼女を気遣ってというものではなく、憂さ晴らしのように何かあると「斬る」と言い続けているのを斎藤は知っていた。沖田は冗談のつもりだろうが、千鶴にとってそれは恐怖に値するものに違いない。
 永倉も豪快に笑っているようで、眼は笑っておらず、いつでもおかしな行動をとれば何の躊躇いもなく斬ると、監視している事を千鶴は気付いていた。
 原田は基本的に女子に優しかったが、新八程ではないが、単純な性格故、何かあれば迷いなく…いや、考えるよりも先に行動に出るだろう事もきっと千鶴は解っているだろう。
 藤堂は口は悪いが、千鶴と歳が近いというのもあって、親しくしているのは千鶴にとって心穏やかに出来るひとときではあっただろうが、四六時中傍にいるわけではなく、千鶴にとって心が安らぐ時は殆どない状態だ。
 斎藤自身、藤堂と同い歳ではあるが、彼のように千鶴に癒しや安心を与えているとは露ほどにも思えず、寧ろ、怯えさせている一人だろうという自覚はあった。監視されているから涙を流す事も出来ず、ただ心労だけが重なり、夢ですらうなされ、しかし、眠っているからこそ漸く涙を流す事が出来ているのではないか、と布団の中で丸くなり、震えて涙を流し、父を呼ぶその姿を見ると、本来彼女は何一つ悪い事等していないというのに、自分達はなんと酷い仕打ちをしているのかと、心を痛めるのだった。
 ただ、千鶴は音信不通になった父親を捜しに来ただけなのだ。しかも、その原因を作ったのは新選組で、千鶴から父親と平穏な生活を奪ったのは新選組だというのに、その秘密を知られたからと、軟禁し、秘密を外に漏らさぬよう監視をする等、士道にそむくものではないのだろうか。
 こんなに脅えさせ、自分達は一体何をしているのか。本来ならば、嫁に行っていてもおかしくない年頃だ。もしも綱道が京に呼ばれなければ、家の診療所を継いでくれるような若者を探し、三人で診療所を切り盛りしていてもおかしくないのだ。決して男装をして、部屋に閉じ込められるような人生を送るなどあってはならなかった筈で、全ての原因はこちら側にあるというのに、何故当たり前のように自分達はこのような事をしているのか、と冷静に考えれば考えるほど、意識のない時でしか涙を流せない千鶴に罪悪感しか感じなくなっていった。
「……すまない」
 涙で濡れた頬を親指の腹でぬぐってやると、眠りから覚めたのかうっすらと眼を開け「父様…?」と斎藤を見上げた。違うと否定する事も出来ずにただじっと千鶴を見ていると、それを肯定ととったのか「ずっと探していたんですよ」と続けた。
「江戸に帰りましょう? ここは…怖いです」
 と、泣き顔のままで訴える。
「すまない。まだ帰れない」
 錯覚だったが、それでも、ほんの少しでいいから、千鶴に「父親との時間」を作ってやりたいと、綱道のふりをし返事をした。
「どうして、文をくれなくなったの?」
 寝ぼけているのか、夢を見ているのか、うっすらとだが眼は開いているものの、千鶴の発する言葉は普段父親に投げかけたい言葉なのだろう。一方的なものばかりで、会話というものにはなっていなかった。
「すまない……」
 斎藤はただ、千鶴に謝る言葉しか浮かばない。そもそも斎藤自身綱道を知ってはいたが、その人物、中身までは知らない。そう、娘がいる事すら知らなかったのだ。綱道らしい事を千鶴に言ってやる事等出来る訳がない。
「父様…怖い……」
「――大丈夫だ」
 何がどう大丈夫なのか、と、自分でも解っていた。
「……怖い」
 ポタポタと再び涙が零れ落ちる。頬に手をやり、親指の腹で涙を拭う。
「父様…私ここにいたら…いつか……」
 殺されてしまう…その言葉を呑み込んだように、言ってしまえばその通りになってしまうのではないか、という恐怖にかられているようだと斎藤には見えた。
「大丈夫だ、千鶴」
 涙を指で拭い、頬を撫でた。女子に触るのは初めてではないのに、その頬の柔らかさに戸惑い、こんなに柔らかく、そして脆い、何も落ち度のない千鶴に対して自分達は何をしているのか、と酷く自分を落ち込ませた。
 ただこうして千鶴を軟禁しているのは新選組に不都合があってはならない、それだけの為に…それは斎藤自身正当な意味だと思っていた。千鶴が羅刹の事を誰かに話すかもしれない、話さないという義理を持ち合わせてはいない。斎藤はそう言い、ここに留めておくか、処分すべきという意味合いの言葉を沖田程はっきりとではないが、彼女の目の前でそう言い放ったのだ。

「お上の民を無闇に殺して何とする」

 近藤の言葉が千鶴の命を救った。その一言でとりあえずだが、千鶴は生かされた。土方もただ「居合わせた」と、それだけにしか過ぎないと言った。彼らはただ新選組だけの為に言ったのではなく、新選組の事と、千鶴の事、両方を考えていた。それに気付いた斎藤は詮議している間に余計な情報を与えてはならないと、斎藤に出来たのは千鶴をその場から連れていく事だけだった。藤堂のように「ごめん」と謝る事すら出来なかった。
「大丈夫だ、千鶴」
 もう一度言ってやると、千鶴は安心したように初めて斎藤に笑顔を見せて、そのまま眠りに落ちた。
(今俺に出来るのは眠りを守ってやる事だけか)
 しかし、普段の生活が彼女にとって恐ろしいものなのならば、少しでもそれを和らげ、安心させ、せめて眠りの中で位は笑顔にしてやりたい。先程見たあの柔らかな笑顔をもう一度見てみたい。そう思った。

 暫く千鶴の様子を頬や髪を撫でながら見ていたが、悪夢は見ていないようで、うなされる事なく、眠りに就いたのを確認すると、そっと部屋から出ると
「ちゃんと眠ったようだな」
 土方が部屋の前に立っていた。
「副長…!」
「戸が開いていたのが見えたんでな。様子を見に来ただけだ。今日はおまえが当番なのを知っていたから心配はしていなかったが、うなされていたようだな」
「……はい」
「明日から、暫く大坂に出かける事になった。その間、千鶴の面倒は斎藤に任せる。粗相がないとは思うが、総司の奴はいつもちょっかいを出して怯えさせているようだから信用ならんし、永倉や原田や平助は自分達の遊びに夢中で、面倒などみてやれるとは思えんからな」
「はい」
「じゃ、任せたぞ」
「承知した」

 土方の許可も下りた事だし、これからは千鶴の命を守ってやる事が出来る。そう思うと、心の荷が下りたのかほんの少し口の端をあげ、顔をほころばせるのだった。


 千鶴はとても前向きで、ちょっと向う見ずな所もあるけれど、でも、きっとはじめの頃は怖かったのではないだろうか。
 随想録のはじめの方でも顔は笑っているけれど、眼は笑っていないというモノローグがあったので、やっぱり怖かったんだろうな…と思うんです。
 時代背景は掴まってすぐ、まだ部屋から自由に出る事すら出来なかった頃です。この後に斎藤さんの居合いイヴェントがあります。
 なので、この頃はまだ「雪村」呼びでしたが、綱道さんのふりをした時のみ「千鶴」と呼ばせました。っていうか、この時代、女性を名字呼びする事なんてなかったですよね。確か名字を持つ女性もフルネームで名乗る事も出来なかった筈。
 千鶴の年齢は発表されてはいないけれど、平助たちと歳が近いという事ならば、器量のいい千鶴が結婚していてもおかしくないんですよね。沖田さんのお姉さんも14歳で結婚されてるし、確か原田さんの奥様も18歳か19歳位で出産されてますし。
 適齢期になっているのに、結婚させてなかったのはやはり綱道が色々企んでいたからなのだろうけれども。