繋いだ手
(斎藤×千鶴)
離したくないと思った。はぐれない為に、と繋いだ手だったが、繋いだ途端に離したくないと、強く思った。まるで逢引のようなひとときだったが、永遠に続けばいいと願ってしまったのは何故なのか。
立ち止まり、送り火を見ている時に繋いだ手とは違う手が俺の腕に添えられた時、まるで寄り添うように隣にいる千鶴を抱き寄せたくなった。
以前千鶴の手に触れた時は雪に触った後だったからとても冷たく、しもやけになってしまうのではないかと危惧をしたものだが、今は温かくて柔らかいそれに、守るべきものなのだという気持ちが強くなった。それはおそらく土方さん達がいるだろう場所に連れていくまで守るというのものではなく、これからずっと…きっと、土方さんの命令がなくとも俺にとって「守るべきもの」なのだという気持ちが強くなっていくのが解った。
何故俺の姿を見つけたからと追いかけて来たのか解らぬが、もしもそれがほんの少しでも「懐かしい」と「会いたい」と思ってくれているものならば、嬉しいと…指を絡ませてしまいそうな衝動を抑えるのに必死になる。「決して下心からではない」と言っておきながらも、こんなに下心で一杯になっている自分に驚いていた。
きっと、触れたかったのだろう。この優しい手に。あのあたたかな料理を作るこの手に。そして、いつも「斎藤さん」と何かあれば声をかけ笑みを浮かべる千鶴に、触れたかったのだろう。
そして、別れ際にいつか島原で見た着物姿と、今日着ていた愛らしい浴衣姿を漸く褒める事が出来た。本来ならばその時、その時に褒めてやるべきだと解ってはいるが、女子の着物姿を褒める機会などないし、そもそも千鶴以外の女子に対して特に何も感じなかったのだから、仕方があるまい…と、思いながらも、この愛らしい浴衣姿の千鶴に左之ならばもっと上手い言葉で千鶴を喜ばせたのではなかろうか。
しかし幾ら会ってはいけない関係とはいえ、あのような可愛らしい千鶴を一人にして良かったのだろうか。男どもに声をかけられ連れ去られるというような事はなかろうか、と心配になり、せめて幹部の誰かと合流するまでどこかに隠れて見守っておくべきではないのかと、小走りで千鶴がひとり待つ茶屋へと足を向けたが、もうそこには副長をはじめ、新八に左之の姿が見え、安心して職務に戻る事にした。
暫くして平助と合流した時に
「一君、何かいい事あったのか?」
そう言われるまで、自分の顔が緩んでいた事に気付かなかった。
「い、いや…特には」
「そっか? こっちに来てから一君のそんな顔見てなかったからさ。新選組にいた頃は…って、ごめん。こんな話…つまんないよな」
「つまらなくはないが…あまりしない方が良いだろうな」
俺はともかく、平助は自分の意思で、志の為、伊東さんについて行く事を決めた筈だったが、やはり迷いがあるようで、以前のような笑顔をしなくなった。以前は笑わない日がなかったというのに、今では俯いて考え込んでいる姿ばかり目にしているし、出張、出張と、まるで逃げるように京から離れる事も多くなった。他の衛士達に元々新選組幹部だからと絡まれている姿も、眼にしていた。俺のように上手く嘘でかわす事も出来ぬ、顔にも出てしまう平助だから余計に目をつけられやすいのだろう。
「あーあ。千鶴に会いてぇ」
「………」
そこで会ったとも言えず、肯定も否定も出来ずにいると
「結局、あいつの父親探しも中途半端のままだったのが気がかりなんだよな。あいつ、オレ達の前で泣いたりしなかったけど、きっとどこかで泣いてたんじゃねぇかって思うんだ。京に出て来たばっかで、あんな目に遭って、おまけに年頃の女の子なのに男ばかりの場所で男装して軟禁状態でさ。辛くなかったわけないのに、いつもオレ達に気を遣ってばっかで……」
「そう…だな」
怖かったに違いない。皆が「斬る」だの「殺す」だのと、目の前で詮議したり、俺自身、最初に彼女を脅すような言葉を投げかけた。忠告のつもりで言った言葉だが、千鶴にとって恐ろしい言葉だったに違いない。そんな思いをしたというのに、俺達に対して「何か出来ないか」と日々走り回っていた姿が浮かぶ。
「きっと、土方さんが何とかしてくれるだろう。山崎達監察も動いている」
「あぁ、そうだな。でもなぁ、もうオレは何もしてやれねぇと思うとさ」
「思っても仕方のない事だ。俺達は御陵衛士で、千鶴は新選組の元にいる」
そう言いながらも、いずれ俺は新選組に帰る。感情のこもっていない言葉に後ろめたさを感じずにはいられなかった。
あの再会から四カ月、副長に直接伝えねばならない事が出来、夜遅くに屯所に訪れ報告を終えて早々に帰ろうとした時
「そういや、千鶴の奴が、日頃の無理がたたったんだろう、熱を出しちまってな。おまえも無理はすんじゃねぇぞ」
「……俺は大丈夫です」
副長の部屋を出て、いつもならばそのまま外に出るのだが、熱を出して寝込んでいる千鶴が気になった。少し様子を見るだけ、もし誰かが看護しているのならば、安心して帰る事が出来る。おそらく山崎あたりが看病してるのでは…と、想像しながら千鶴の部屋へと向かった。
だが、苦しそうな千鶴の声しか聞こえず、そこに千鶴以外誰もいないようだった。周りを気にしながらも、桶に水を入れ、手ぬぐいを持ち、部屋に入った。
思った以上に苦しそうな千鶴の額に水で冷やした手ぬぐいを当ててやると、うっすらと眼を開けた。
俺が新選組屯所にいるのが信じられないと、夢なのでは…と何度も俺の名を呼び確認しながらも「幸せな夢だ」と言う千鶴が愛おしくてたまらなくなったが、それを口に出来るわけでもなく、熱で火照った彼女の顔をただじっと眺めた。本来ならば顔を合わせてはいけないのは解っていたが、苦しそうにしている彼女を放っておく事も出来ずに、ここまで酷くなるまで誰も気にも留めなかった事に苛立ちを覚えながら、すぐにぬるくなってしまう手ぬぐいを何度も水に浸して、額に当て直し、治したいのならば眠る事だと告げると「夢から覚めてしまうのが淋しい」といつもならばこのように甘える事等しないのに、潤んだ眼でそのような事を言われて何とも言えない気持ちになり、千鶴の手を握り安心させてやりたくなった。いや、俺が手を繋ぎたかったのかもしれない。
繋いだ手は初めて繋いだ時のように冷たいわけでもなく、夏の日のように温かいわけでもなく、ただただ熱く、三度共全く違う温度なのに、その優しさ、柔らかさは変わらず俺を酷く安心させた。
酷い熱でうなされているというのに、俺に移してしまうのではないかという心配をする千鶴を安心させてやるのはどうすればよいのか。今出来るのは夜が明けるギリギリの時間まで手を繋ぎ、彼女の眠りを守るだけだ。冷えた俺の手から千鶴の熱を吸い取るかのように、やがて苦しそうな息も整い始め、頬の火照りも収まったのを確認すると、そろそろ朝食の支度で起き始めるだろう隊士達に見つからないよう屯所を抜け出ると、次いつ会えるか解らない彼女を想いながらも今自分が住む場所へと足を向けた。
繋いだ手の温もりを忘れてしまう前に、新選組に戻りたいと、強く思った。
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