い朝

(斎藤×千鶴)

 まどろみの中、眼をあけるといつもよりも遅い時間に目覚めた事に気付く。慌てて起きようとしたが、何故か身体が思うように動かず、眼の前には裸の胸があり、一体自分に何が起きたのかとまだぼんやりとしたままの鈍い頭を働かせた。顔を上げると一の寝顔が眼に入る。そこで漸く昨日二人だけの祝言をあげた事、そして初夜を迎えた事を思い出した。恥ずかしさのあまり布団から抜け出したくなったが、眠っている筈なのに一の腕は千鶴を強く抱き締めており、逃れられそうになかった。
 今日は非番だと言えども、妻となった初めての朝なのだからとのんびりしていられない。朝餉の支度をしなければ…と、もぞもぞと悪あがきのように一の腕から逃れようと試みたが、やはりしっかりと抱き留められており、一を起こさなければ布団から出られない事を悟った。
(どうしよう。折角の休みの日だからゆっくり休んで欲しいけれど…これじゃ、起きる事が出来ない)
 起こすべきか、ほんの少しでも腕の力が抜けた時を見計らって抜け出そうか…と、考えていると
「今日は休みなのだから、もう少しこのままで」
 顔をあげると、とろけそうな笑顔で千鶴を見つめ、そのままちゅっ…と、額に口付けを落とした。
「は…はじめさん……」
 髪を撫で、頬を撫でて千鶴の顔を覗きこみ
「その…身体は大事ないか?」
 心配そうに見つめられ、言葉の意味が理解出来ないでいると
「夕べは初めてだったのに、無理をさせてしまった…すまない」
 その言葉に漸く言葉の意味を理解し、一の顔をまともに見る事が出来なくなり、俯いて「だ…大丈夫です」と鈴のような小さな声で答えた。
「千鶴? こちらを向いてくれないか」
 そう言われても、色々思い出してしまい、恥ずかしくて夫の顔を見る事が出来ずに、すがりつくように胸に顔を押し付けもじもじしていた。その姿も何とも愛らしいと感じながらも、どうしても愛する妻の顔を見たくて
「千鶴?」
 ただ一は名前を呼んだだけなのだが、その声はいつもよりも呼ぶ声が甘い気がするのは気のせいだろうか。それは夫婦になったからなのか、初夜を迎えたからなのか、その両方なのか解らなかったが、嬉しいし、幸せだけれども、どうにも慣れず、恥ずかしさが勝ってしまい、千鶴も愛しい夫の顔を見たいのに、素直に顔を上げる事が出来なかった。
 恥ずかしがっているのが伝わってはいたが、それでもどんなに顔を真っ赤にしていても、いや、真っ赤にしているからこそ、その顔を見逃したくないと、顔をあげさせようと背中を下から上へと指で撫で上げた。
「ひゃっ…!!」
 身体を硬直させ、のけぞらせた時に一と視線が合う。千鶴の顔を見ていた筈の一の視線が千鶴の胸元で止まる。一の方が顔を真っ赤にさせ、それでもそのまま視線は胸元を見続けたままでいると、千鶴は自分が何も纏っていない事に気付き「きゃぁぁぁぁ!!」と悲鳴を上げて、掛け布団で身体をくるませ「斎藤さんのばかぁぁぁ」と、涙眼で一を詰る。
「ち、千鶴……」
 呼び名まで元に戻ってしまい、先ほどまでの甘い時間はどこへいったのか、一は千鶴を抱き寄せようと手を伸ばすが、ペシッといい音ではたかれてしまう。
「千鶴…そのように恥ずかしがらなくとも、夕べおまえの全てを見、この腕で抱いたのだから…」
「きゃー! それ以上言わないで下さい」
 慌てて布団の中から手を出して一の口をそれで塞ぐが、冷たい空気が外に晒された肩に触れ、小さく震えた。
「肩を出したままだと風邪をひく」
 千鶴のほんの少しの気の緩みの間に、一は腕を伸ばし妻をその腕の中に閉じ込めた。簡単に腕の中に収まってしまった千鶴はやはり恥ずかしさで俯いてしまう。初夜を迎えたというのに、この初々しさは何だろう…と、愛おしさでいっぱいになり、頬を染めた顔を見たい気持ちを捨て切る事は出来なかったが、千鶴の体温を自分の肌で感じると、昨夜の千鶴を思い出し、無理をさせた事を忘れ、また貪りたい気持ちが高鳴り、前髪越しに千鶴の額に口付けを落とした。背中を撫で、腰に手をやると、ビクッと身体を震わせ、硬直したのに気付き、流石にもうこれ以上無理をさせるわけにはいかないと「今は何もしない。ただ、おまえの温もりを感じていたい」と、耳元で囁いた。
「で、でも…朝餉を……」
 抱き留められただけでなく、足まで絡められ、どうしたらいいのか解らないまま、ただただ恥ずかしくて朝餉を理由に初めての一の甘い雰囲気から逃れようとするが
「朝餉を食べなかったからといって、身体を壊す事もあるまい」
 その上「今は特に腹も減っていない」等と言われてしまうとどうしようもなく、幸せだけれど、何をどうすればいいのか、身を任せるのも恥ずかしく、挙動不審になってしまっていた。
「あの…斎藤さん…私はどうすれば……」
 いいのでしょうか…と、続けるつもりが、唇を一のそれで塞がれ、息苦しくなるまで続き、うらめしい眼で見つめると、怒っているような、拗ねているような初めて見る一の表情に戸惑いを隠せず「斎藤さん?」と、問いかけると深い溜息がかえってきた。
「あ、あの…さい……」
 とうさん…とまた続ける事が出来ずに、唇を塞がれる。
「解らぬか?」
 問いかけたいのは千鶴の方なのに、一が何を言いたいのか、気付かないのか、と言ってくる。
「すみません…解らないです……」
 深い溜息をつき「名前で呼べと言わなかったか?」と言われて漸く自分が「斎藤さん」と呼んでいた事に気付いた。
「す、すみません…でも、ずっと斎藤さんと呼んでいたので、癖が中々抜けないです」
「俺も以前はおまえを名字で呼んでいたが、名前で呼ぶようにしてから間違った事はない」
「でも、私の方が長く呼んでいたわけですから、癖がついてしまっているんです……」
 言い訳がましいのは解っていたが、慣れというのは中々抜けるものではないのも事実。
「解らぬとは言わないが、夫婦となったのに名字で呼ぶのはおかしいし、俺はおまえに名前で呼んで欲しい」
 人差し指で千鶴の唇をなぞり「おまえの声で、俺の名を」と甘えるような顔でせがむ夫に「はじめさん……」そう呼ぶと、押し倒される格好になり、優しい口付けが降って来た。
「もう少しこのままでいたい。寒いのならば、こうやってくっついていればいい」
 耳元で囁き、首筋にも口付けを落とし、背中や腰を撫で、足を絡ませる。「これ以上の事は今はしない」そう言われてはいたが、明るい場所で、こんな風に触られるのも恥ずかしいと、真っ赤になる千鶴だったが、そんな反応に一は幸せそうに笑うと、昼までこの甘い時間を堪能するのだった。


 きっと、それまで色々我慢していただろう斎藤さん。晴れて夫婦になったら、今まで甘えなかった分、物凄く甘えそうだし、名前呼びのあのエピな斎藤さんは絶対に千鶴にも甘々なんじゃないの? みたいな(笑)
   おそらく、暫くはこんな甘々過ぎる日々が続いたのではないでしょうか。いや、続いていて欲しい。