紅い花込めた想い 4

(斎藤×千鶴)

 夜、いつものようにはじめの腕の中で眠っていたが、いや、眠ろうとしていたが、どうしても睡魔が訪れず、それでも一を起こしてはいけないと、おとなしく腕の中に収まっていた時に、ふと寝間着の合わせから昨夜千鶴がつけた口付けの後が眼に入る。夫を取られたくなくて、嫉妬から自分の印をつけてしまった事を恥じた。本来ならば信じていただろう事なのに、色んな事が重なると人の気持ちはこんなに簡単に揺らぐものなのだと知った。
(ただ傍にいられるだけで幸せだったのに、私はいつからこんなに貪欲になってしまったんだろう)
 そっと、唇の後を指でなぞる。一が起きないか確かめるように見上げると、規則正しい寝息が聞こえ、安心したようにもう一度そこに触れた。
「はしたない事…しちゃった…ごめんなさい」
 謝りながらも紅い印から眼を反らせず、二、三日もすればきれいになくなってしまう事に淋しさを感じずにはいられなかった。
「もう、こんな事をする必要はないって解ってるんだけど……」
 上からもう一度吸えば…と、考えなかったわけでもない。だが、やはり女がこんな事をするのははしたないと、唇を寄せるだけに留まる。
「私って駄目だな…はじめさんを信じてるって言いながらも、思いながらも、結局疑って、こんな印までつけて…これじゃ本当に嫌われちゃうかも」
「俺がおまえを嫌う事などないと何度言えば解るのだ?」
「は、はじめさ……」
 大きな眼を更に大きく開かせ驚く千鶴をぎゅっと抱き締め
「おまえは昔から変わらぬ。心の声のつもりかもしれぬが、全て音に出ている」
「あ……」
 初めて会った頃から変わらない千鶴の独り言。心の中の言葉のつもりなのに、気が付いたら声に、音にしてしまっている。
「お、起しちゃいましたね……」
「いや、元から起きていた。おまえが眠れぬようだったからな。それに……」
「?」
「まだ何かわだかまりを持っているように感じていた。昨夜の行動も気になっていた。何故千鶴がこのような大胆な事をしたのか、理由が知りたくてな」
 穴があったら入りたい。そう思っているだろうと、何でも顔に出てしまうから、こういう時は千鶴が何も言わなくても、何を考えているのか手に取るように解る。そういう所も一は好きで、頬に手をやり、優しく撫でた。
「別にはしたないとは思っていない。だが、何故こういう行動に出たのか知りたいと思っていた。もし俺に妾がいて、肌を見せるような事があった時の為、ここにおまえの印をつける事で牽制をしていたのだな」
「い、言わないで下さい」
 胸に顔を埋め、首を横に振ってこれ以上この話を続けたくないと意思表示をしてみせたが、認めてくれるわけもなく
「信じて貰えなかった事は哀しかったが、そのような気持ちを抱いてくれたのは嬉しい」
「うれ…しい?」
「それだけ俺を想ってくれているという証だろう?」
「…それは…そう、ですけど……」
 千鶴の寝間着の合わせを少しはだけさせて、夕方につけた紅い印を指でなぞる。
「俺も似たようなものだ。おまえは俺のものなのだと、俺の妻なのだと、誰にもやるつもりはないという印だ。着物を着ても見える位置につける事もある」
「えぇぇ!?」
 全く気付いていなかった事に驚きを隠せずに「どどどどど、どうしてですか?」とどもりながら尋ねると
「おまえに懸想している男に威嚇をする為だ。気付いていないようだが、独身の男どもが…いや、結婚している男もおまえを見る眼が恋い慕うそれと同じだ」
「はじめさんの勘違いです」
「いや。首筋の紅い印を見ると落胆する顔におまえは気付いていないだけだ」
 どれだけ千鶴が否定をしても、頑として譲ろうとしない一にクスクスと笑うと「漸く笑ったな」と、安心したように一も口の端を少し上げた。
「はじめさんの事、信じたい…いいえ、信じてた筈なのに、疑ってしまってすみません。今日は家事も失敗ばかりで……」
 ずっと不安ばかりで、普段の一の行動を見れば千鶴だけを大切にしているのが解る筈なのに、ほんの少しの事でこんなにも揺らいで、冷静でいられなくなっていた事に気付いた。
「いや、誤解を招くような行動を取っていた俺にも非はある。これからは一人で考え込まずに、俺に聞け。すぐに誤解を解こう。いいな?」
「はい」
「それと、ずっと取り決めやら、色々あって、遅くなっていたが、明日…いや、今日からなのだが、またいつもの時間に帰れるようになった」
「あ、そういえば、今日早かったですね」
「あぁ、色々あってな。明日にでもゆっくり話をしよう」
 千鶴の顔を覗きこみ、額、瞼、頬、唇に口付けを落として「ずっと心労が続いていたのだろう? 今日はゆっくり休め」と、髪を撫でた。
「はい、おやすみなさい」
 身も心も擦り切れていたのだろう。一の言葉の通りストンと意識を飛ばし、安心しきったように眠る千鶴を抱き締め「気付いてやれずにすまなかった」と、もう二度とあんな風に泣かせる事はしないと、誓うのだった。


 斗南の暮らしはとても貧しくて、実際にそういう事が行われていたらしい…と、以前本で読んだので、もしもその話を斎藤さんが知ったら全力でそれを千鶴に知られないようにしたのではないか…と思いました。
 そして、この時代は妾がいるのは男の甲斐性とも言われていたようですが、この頃の女の人はそれに対してどう思ってたんだろう。と、この辺の女の人の反応は想像で書きました。