紅い花に込めた想い 2 (斎藤×千鶴) それから、一は毎晩帰ってくるのが遅くなった。だからといって、千鶴に対する態度が変わるというものではなく、もしもあの言葉を聞いていなかったら「忙しい時期なのかもしれない」と一の身体を気遣うだけで済んでいただろう。しかし、井戸端会議の度に一は話の肴にされ、口付けをしている姿はそれ以来見たという話は聞かなかったが、一緒にいる所は何度か見たという人が何人かいた。 「ひ、人違いでは……」 「いーや、私が見間違いするわけないよ。それに、見たのは私ひとりじゃないんだからさ」 「もう、それ位にしてやんなよ」 果てしなく続きそうな話を終わらせようとしてくれたのは婚姻の際に骨を折ってくれた隣家の奥方だった。 「でも、あんたも見たじゃないか」 「一緒にいる所は見たけど、だからといって、妾だとかそういうのだと決めつけるのは良くないよ」 一が千鶴を大切にしているのは近所に住む人ならば誰でも知っている事だ。だからといって、妾を持たないというのはまた別の問題だった。 「とにかく、今日はもうお開きにしようね」 真実を知りたい。でも、もし本当だったらどうすればいいのだろう。もしも「別れてくれ」と言われてしまったら。一がいないと悪い方へ悪い方へと思考が行き、こんなのじゃ駄目だ。そう首を横に振り、気持ちを切り替えようとした時、一の後ろ姿が眼にとまる。 (今日は仕事が早く終わったのかな) 一のもとに駆け寄ろうとすると、千鶴よりも先に知らない女の人が一の方へと駆け寄り、抱きついた。一もそれを振り払おうとせずに、家とは違う方向へと足を進めた。 どれくらいの時間が経ったのか千鶴自身解らなかった。一はあの後どこに行ったのか、考えたくない。でも、考えてしまう。一に抱きついた女の人。それを拒まなかった一。ふたりは皆の言うとおりそういう関係なのだろうか。 (私は飽きられてしまったのかな……でも、どんなに遅く帰ってきてもおなかを空かせているみたいで、私が作ったごはんを美味しそうに食べてくれる。夜だって…繋がりを求めてくれる。ただ、私以外の人も好きになっただけ) 自分の考えに落ち込みながらも、前に誓ったように、出来る事を精一杯するのみなのだと、重い身体を立ちあがらせ、家事を始める。ただ、愛しい夫の為に。 その日もやはり遅く帰って来たが、いつもと何ら変わりがないように見えた。おなかを空かせているようだったし、千鶴が作った料理をペロリと食べ、布団の中では千鶴を求めた。それがとても幸せな事だと解っていたけれど、どうしても離れたくなくて、いつもの千鶴ならば恥ずかしくて一の顔を見る事が出来ずにただ俯いて眠るのに、この日はどうしても一の顔を見たくて、頬を染めながらもじっと一の顔を見つめた。 「千鶴? どうした?」 「いえ、何でもないです。ただ…幸せだと…思ったので……」 一に抱き寄せられる前に自ら一の腕の中に収まり「好きです」と、小さな声で呟き、鎖骨に唇を当てて、軽く吸い、千鶴の身体にあるそれと同じ花をひとつ咲かせた。 (こんな事をしても、意味がないのかもしれない。ただ、嫉妬深い妻だと思われるだけかも。でも、はじめさんに妾がいて、私がそれに気付いているって知られているわけでもない…でも……) 「千鶴?」 どう考えてもいつもと様子の違う妻に、両手で千鶴の頬を包み自分の方へと顔を向けた。 「何かあったのか?」 「……いいえ。ただ…ど、どういう感じなのかな…と思いまして」 「どういう感じ、とは?」 「はじめさんと同じ気持ちになってみたくて…つけちゃいました。すみません」 「いや、別に構わぬが」 やはりいつもと違う千鶴に戸惑いながらも、一にとって嫌な行為である筈もなく、何か感じる所があったのだろうと、千鶴の唇を吸い、腕の中に閉じ込めて「おやすみ」と眠りに落ちた。 人から聞いた話だけでなく、実際に眼にした衝撃で、千鶴はいつもならば要領よく家事を済ませていたのに、今日は朝から失敗ばかりしていた。朝餉も味噌汁に具を入れるのを忘れてしまったり、漬物も切らずに出したり…と、一の眼の前でも失敗を幾つかしてしまっていた。きっと最近睡眠をちゃんと取れていないからなのかもしれないと一は「無理をさせて済まない。今日は休むといい」と言い、出かけた。 休むといいと言われても、こんな状態で休めるわけもなく、このままでは呆れられて嫌われてしまうと思うとどうしても身体がついてこなくても、家事をしないわけにもいかず、一と女の人の姿が頭から離れないまま、それでも信じたい。頭の中がぐるぐると混沌としながらも家事を続けた。 |