い花に込めた想い 1

(斎藤×千鶴)

「あんたの旦那さん、昨日そこの林で綺麗な女の人と口付けしてたよ」
 毎日ではないが、ここ斗南で暮らすようになってから近所の人達と井戸端会議のようなものをするようになった。それはそれぞれ持ち寄ったおかずを交換する事から始まり、特に日にちは決めてはいなかったが、自然と集まり、旦那の愚痴、姑の愚痴など、家では言えない事をこぼして憂さ晴らしをするというものだった。
 千鶴は姑と一緒に暮らしているわけでもなく、斎藤に不満があるわけではないので、食料を交換したら皆の話をただひたすら聞いて、頷いて帰るのが決まりになっていたのに、今日の話は千鶴の夫、一の事が中心だった。
「はじめさんが……? まさか、そんな事……」
「あー、あれね。私も見たんだよぅ。見間違いなんかじゃないよ。その内妾が出来たって言われるかもしれないね」
 周りの声が聞こえなくなり「まさか、はじめさんが」と信じようとしていたが、人の心は移ろうもの。いつまでも自分を好きでいてくれる保証などない。そう思うと、どうすればいいのか解らず「すみません。そろそろ、夕餉の支度があるので、失礼します」と、呟くように言い、その場を立ち去る。
「気を落とすんじゃないよ。男なんてそんなもんだよ」
 千鶴の背に向けて言葉がかけられたが、もう何も耳に入らなかった。

(そういえば、あの優しそうな近藤さんにも妾さんが……)

 考えれば考える程、悪い方へとしか行かず、ただひたすら尽くして愛想尽かされないようにしなければいけない。そう思い、貧しいながらも、工夫をして夕餉を作り、昼間に済ませた掃除ももう一度念入りにし、洗濯ものも丁寧にたたんで愛する夫を待っていたが、いつもならば帰ってくる時間に一は帰って来ず「もしや、妾宅をすでに持っていてそこに寄っているのでは」などと考え、涙があふれそうになったが、たかが妾が出来たからといって、泣く嫁など鬱陶しいと嫌われるかもしれない。いつものようにふるまわなければと、考えないように、ただ今までの生活を思い出して、ただ傍にいられる事が幸せなのだと、その気持ちを忘れてしまっていたのかもしれない。そんな事をぐるぐると考えていると、いつの間にかちゃぶ台に突っ伏して眠っていた。

「千鶴…千鶴?」
「ん…?」
「こんな所で寝ていては風邪をひく」
「あ! は、はじめさん。すみません」
「謝る必要はない。遅くなってすまぬ。待っていてくれたのだろう?」
「ですが、眠ってしまいました」
「構わぬ。仕事で遅くなってしまった。千鶴は何か食べたか?」
「いえ、はじめさんを待っていましたので、何も……」
「そうか。俺も何も食べていない。こんな時間ですまぬが、用意してくれるか?」
「はい! ただいま用意しますね」
「あぁ、頼む」
 夕方聞いた話を忘れ、千鶴はいそいそと夕餉の支度を始めるべく、勝手場に向かう。本来、妻は夫と一緒にご飯を食べたりはしないが、新選組時代に一緒に食事を取っていた事もあったし、何よりも一が一緒に食事を取りたがったので、朝と晩、一緒に食事を取っていた。

 一が風呂に入っている間、それまで忘れていた「綺麗な女の人と口付けをしていたよ」という言葉を思い出し、涙があふれそうになったけれど、今眼の前にいる人を大切にしなければきっと後悔する。そう思い、今は聞かなかった事、忘れる事にした。

「私も入ってきますね。もう遅いですし、先に休んで下さい」
 一を待っている間眠ってしまったというのもあって、今夜は眠れないかもしれない。それでも、絶対に涙を見せてはいけない。傍にいられるだけで幸せだったのに、夫婦にまでなり、これ以上の幸せを望んではいけない。ため息もつかない。
(ただ、もっと好きになって貰えたら…それにもしかすると、ただの見間違い…という事だってある。まだ決まったわけではないのだから、決めつけてしまうのは良くないよね)
 まずは妻としての務めをしっかりやり、安心出来る場所を作らなければ。これまで以上に頑張ろうと湯船に浸かりながら誓いを立てるのだった。

 寝室に入ると、眠っていると思っていた一が灯りをつけて本を読んでいた。
「はじめさん、そろそろ眠った方が良いのではないですか? 明日もお勤めなのでは……」
「あぁ、そろそろ寝ようと思っていた所だ」
「そうですか。今日は遅くまで働いていたのですから、ちゃんと休んで下さいね」
「…あぁ。解っている」
 読んでいた本を閉じ、千鶴が隣に敷いてある布団に入ろうとすると、手を引き抱き込む。
「は、はじめさん?」
「……千鶴」
 触れるだけの口付けを落とし、少し離してはまた唇を重ねる。段々それは深くなっていき、そのまま一の手は千鶴の胸元をまさぐり始める。
「んっ…はじめさん…駄目です」
「何故だ?」
「今日は遅くまで仕事をされてたのでしょう?」
「……そうだな」
「明日もまた朝早くから仕事ですよね?」
「あぁ」
「身体がお辛くなりますよ」
「このまま眠りにつく方が辛い。嫌か?」
「……そんな風に聞くのはずるいです」
「おまえの嫌がる事はしたくない。嫌なのならば、おとなしく寝よう」
「………」
 例え一の身体を思っての事だとしても嫌じゃない事を嫌だと言えるわけでもなく、ましてや今日は千鶴自身触れて欲しい、愛して欲しい、そう思っていたから余計に「嫌だ」と答える事が出来ずにいると、一は耳朶を甘く噛み、千鶴が意識を失うまで妻を拘束した。