うさぎの受難

(斎藤×千鶴)

 あの日から、千鶴の報告を心待ちにしているというのに、今までと何ら変わらぬ日々が送られている事に不満を感じずにはいられなかった。
 俺にみたてた黒うさぎに何もしていないという事なのか、それはもしや俺に対して「愛しい」と思わなくなってしまったという事なのか。いや、そのような事は考えたくもないし、千鶴の様子を見る限り考えられないだろう。
 何故俺がいない間に黒うさぎに何もしていないのか。前に「我慢しろ」という言葉を鵜呑みにしているというのか。その我慢は俺が眼の前にいても続いているというわけではなかろうか。元々千鶴は控えめな性格をしている故可能性はあるが、千鶴と離れ離れになっていた時期に俺は幾度となくお手玉うさぎに触れていた。心を通わす前も、斗南に来る前謹慎生活を余儀なくしていた時期は特に千鶴を想って触れた。それはいつ謹慎が明けるのか、明けて自由の身になったとしても隣に千鶴がいるかどうかも解らなかった故、あの頃の俺と今の千鶴の気持ちは違って当然なのかもしれぬが、今でも俺は千鶴が傍にいない時も千鶴に愛しさを感じる事が多い。もしも、傍にお手玉うさぎがあればきっと触れているに違いない。
 だからといって千鶴に「何故黒うさぎに触れない」と問う訳にもいかぬ。しかし、気になる。
 微妙に位置が違うのは毎日掃除をしているからだろう。互いの口を合わせる形で置かれている事に思わず頬が緩んだが、千鶴の俺への想いは変わっていないのならば、尚更報告がない事が腑に落ちなかった。

 珍しく仕事が午前中で終わり、すぐに家路についたが、買い物に出かけているのか千鶴の姿が見当たらなかった。書物でも読むか…と、自室に入るとほぼ日課になってしまっているのだろう、並んだうさぎに必ず眼が行くようになっている。今日も朝から掃除をしたのだろう出かける時にはぴったりくっついていたうさぎたちが少し離れて置かれてあったのを見て、そっと口と口を合わせるようにくっつけた。
 書物を読むのも忘れ、特に何をするわけでもなく、ただふたつのうさぎを見つめてあたたかい気持ちになっていた。……なっていたのだが、俺よりも千鶴の方がこのうさぎを眼にする時間が長いだろうと思うと、どうしても千鶴の一日の行動が気になった。
 玄関に行き、自分の履いていた雪駄を持ち自室に戻り、押入れに潜んだ。千鶴が帰って来たとしても掃除が済んだであろうこの部屋に入る確率は低い。しかし、入らないとも決まったわけではない。息を潜め千鶴が帰ってくるのをここで待つ事にした。

 何をしているのだろう。こんな姿を副長に見られたら呆れられたに違いない。こんな事はやめて、居間で千鶴を待つべきではないのか、否、こうでもしなければ、この機会を逃せばきっと悶々とした気持ちのままでいるに違いない。押入れの中で葛藤を続けていると、玄関から物音がし、千鶴が帰宅した事に気付く。ごそごそと物音をさせ、部屋に入ってくると、真っ先にここに来て、黒うさぎを手に取り「斎藤さん、ただいま戻りました」と告げ、唇を当てた。
「!!」
 その姿はとても自然で、こんな所に隠れずに居間にいたのならば俺にそうしてくれたのではないのかと後悔をした。千鶴が俺を迎え入れてくれるのが普通で、俺が千鶴を迎え入れるという事は殆どない。しかし、恥ずかしがり屋の千鶴だから、今黒うさぎにしたように俺に口付けをして迎えてくれる事はおそらくないだろう。
 嬉しいような、淋しいような気持ちでそのまま千鶴の行動を監視…いや、引き続き見る事にした。洗濯物を取り込み、この部屋で黒うさぎに眼をやりながら畳んで、引き出しにしまう。その合間に手に取り抱き締め、頭を撫で、口付けをして微笑む。
「今日は斎藤さんの好きなお豆腐が手に入りました。お味噌汁の具にしますね」
 と、黒うさぎに言い。
「楽しみにして下さいね」
 また頭を撫でて嬉しそうに白うさぎにくっつけて微笑む。
 夕餉の下ごしらえが済むとまたここに来て黒うさぎを撫でる。

 どうやら千鶴は何か済ませる度に黒うさぎに話しかけ、抱きあげて撫でて、口付けまでしていた。もしかするとこの部屋に入る事もなく、空しくこの部屋からそっと出て仕事から帰る振りをしなければならないのではないかと思っていたのに、俺以上に愛されているように見える黒うさぎに対して何とも言えない気持ちになった。

「千鶴、この黒うさぎを作った時に交わした約束を忘れたのか?」
 そっとこの部屋から出て、普段通りの時間に帰る振りをしようと思っていたのに、気が付いたら押入れから雪駄を持ったまま千鶴に歩み寄っていた。
「さささささ、斎藤さん?」
「おまえはちゃんと報告すると誓った筈だ。何故その報告を怠ったのか、理由を聞かせて欲しい」
 驚きながらも大切そうに胸に抱いている黒うさぎが眼に入り、思わず奪い取って投げ捨てた。
「あぁ! 斎藤さんが…!」
「それはただのお手玉うさぎで、俺ではない。俺はここにいる」
 畳の上に転がっている黒うさぎを拾い上げ、また愛しそうに頭を撫でる。
「おまえは俺よりもこのうさぎの方がす…好きなのか?」
「そんな事ありません!」
「しかし、帰ってきてからのおまえはとても嬉しそうにこのうさぎを愛でていたではないか」
「それは…」
 また千鶴は俺ではなく黒うさぎを優しく撫でた。
「今は俺が眼の前にいる」
 千鶴の腕を掴み、引き寄せて腕の中に閉じ込めた。戸惑いながらも俺に身を任せてくれた千鶴に安堵の息を漏らし、そのまま柔らかい髪を撫で、背中に手をまわした。
 気まずい空気のまま、それでも千鶴を離す気にもなれず、抱き締めたままでいると話題を変えようとしたのか、元々疑問を感じていたのか
「あの…斎藤さんはいつからここにいたのですか?」
「!!」
 あまりにもの出来事で、俺は千鶴の眼を盗んで外に出て玄関から戻る予定だった筈だというのに、押入れから出てしまった事を今更ながら思い出した。
「斎藤さん?」
「別に、そのような事はどうでもいいだろう」
「良くないですよ。押入れの中で一体何をしてたんですか? 探し物…でしょうか」
 まさか、おまえを見張っていたのだと言える筈もなく
「あ、あぁ。仕事が早く終わって帰ったのだが、おまえがいなかったのでな。書物でも読もうと思い、探していたらおまえが帰ってきて出るに出れなくてそのままでいたら、黒うさぎに口付けをする姿を見た」
 探し物をするのにあの暗い押入れの戸を閉めるというのは明らかにおかしいが、おそらくそこまでは考えが及ばない筈。しかし、もしもその事について聞かれた場合はどう対処しようかなどと考えていたら
「……あの黒うさぎは斎藤さんの代わりで、確かに毎日話しかけたり、撫でたりしてますが、やはりそれを斎藤さんに報告をするのは恥ずかしいです」
 頬を染めて帰ってからの一連の行動を知られたからと、素直に答えてくれたが、どうしても納得出来ずに「何故だ」と聞いたが「恥ずかしい」の一点張りで、これ以上話をしても堂々巡りになるのが見えていたので、話題を変える事にした。
「今日の味噌汁は豆腐だったな」
「あ、はい! そうなんです。おなかすきましたか? 作り始めますね。待ってて下さい」
 と、嬉しそうに勝手場に向かった。その姿を見て、確かに千鶴からの口付けや抱擁をして欲しいとは思うが、決して千鶴の気持ちが変わったわけではなく、ただ恥ずかしいという理由だけなのだから、後ろ髪はひかれたが報告をして欲しいという約束はなかった事にしてもかまわないかもしれぬ。
 雪駄を戻し、千鶴の作った料理を食べ、結局いつも通りの夜を過ごしたが、布団に入ってからも黒うさぎに口付けをする千鶴の姿が頭から離れず、黒うさぎなど作って貰うべきではなかったのではなかろうか、いや、白うさぎ一匹のままでは淋しいだろう。しかし、ここまで千鶴が黒うさぎに対して愛情を示すものだとは夢にも思わず、何故自分にみたてた黒うさぎに嫉妬などしなければならないのか、否、他の男に嫉妬するよりはいい。屯所時代の方が今よりももっとヤキモキしていた事を思い出した。身近に女子がいなかったというのもあったのかもしれないが、千鶴は幹部達の心を鷲掴みにしていて、千鶴が誰を好きになってもおかしくない状態だったというのに、何故口下手で愛想もよくない俺を好いてくれたのか。黒うさぎに対しての行動も俺への気持ち故のものだから、感謝こそすれ、黒うさぎを投げつけるなど子供っぽい事をしてしまったと反省をしていたら、隣の布団がもぞもぞと動く気配があり、千鶴も眠れないのだろうかと、振りかえる前に頬に柔らかい感触がして「好き…です」と小さな声が聞こえた。
 振りかえって、そのまま抱きしめたい衝動にかられたが、俺達は夫婦というわけではないし、俺は羅刹だ。決して遠くはない未来に灰になってしまうだろう俺と婚姻を結び、契りを交わすのは千鶴にとっては良くないのかもしれぬと、ただただ千鶴に優しい時間が流れる事を願いながらも、頬ではなく、唇に直接口付けをして欲しいなどと欲張りな事を考えながら眠りについた。


 「隠密」の続きといいますか、隠密の癖がつい出てしまう事ってあるかも…と、押入れの中で千鶴を監視する斎藤さんをギャグ視点で書きたくなって書きました。
 風間さんの事を言ってられない位に怪しいです。両想いなのにこのストーカーっぷりったら…と、ごめんね、斎藤さんと思いつつもきっとそんな事もしてしまうのではないか、と思うのは私だけでしょうか。