血の絆
刻印 3

(斎藤×千鶴)

「守って、いた?」
 確かにさっきは危険な目に遭ったし、交通事故にも遭った。この所の千鶴は災難続きである。だがしかし、災難が続いただけで、友達だと言い切れないまだ出逢ったばかりで、ふたりの間にはどういう関係か言葉に出来ない状態なのに、斎藤が千鶴を守るというのはどう考えても不自然だったからだ。
「……あぁ」
 どうして、と言葉にしてしまったら、知らない方が良かった事まで聞いてしまうのではないかと、途端に躊躇いが出る。知りたいと心の底では願っているというのに、言葉が出なかった。
 千鶴の返答を待っているのか、これ以上言うつもりはないのか、斎藤は黙ったまま視線を少し下に落とした。
「どうして…ですか?」
 しばしの沈黙の後、千鶴が口を開いた。
「何故だろうな」
「でも、避けて…ましたよね?」
 なのに、何故と言わんばかりの視線を投げかける。
「そうだな」
「嘘もつきました」
「……」
 車に轢かれそうになった時、遠くにいた筈の斎藤は一瞬で千鶴の傍に移動し助けたのだ。決して幻では無い。皆事故ばかりを見ていて斎藤の動きに気付かなかったのだ。
「あの時、斎藤さんは傍にいませんでしたよね?」
「あぁ」
 気付いたら、身体が動いていた。呟く様に、それでもまっすぐ千鶴を見て言うと
「あ…はい、あの…助けて下さって有難うございます」
 何度言っても足りない言葉であるが、どうしても気になってしまうのだ。普通の人間ならば出来ない事を当たり前のようにやってしまう斎藤の事が。
 人間ではないのかもしれない。
 でも、どこからどう見ても斎藤は人間にしか見えない。この間聞いた伝説の話や読んでいた本に書いてある「彼ら」もまた人間にしか見えなかったのだろうか。違いに簡単に気付いたりはできないのだろうか。だから、人間の中に溶け込んでいたのだろうか。
 しかし、千鶴が読んだ本に書かれてあった「彼ら」の特徴は斎藤には当てはまらなかった。
(本の読み過ぎ…だよね)
 必死にあれは本の中の架空の生き物なのだ。海で聞いた話も「伝説」であり、事実ではないと言い聞かせるように繰り返すのだが、斎藤の行動はあまりにも常識からかけ離れていた。
「聞きたい事があるのだろう?」
 聞けばどんな事でも話す。
 言葉にはしていなかったが、斎藤の表情が物語っているように見えた。斎藤の正体を知っている…いや、きっと斎藤と「同じ」である沖田達が危惧していた斎藤だけでなく、彼らに関わる問題になるかもしれない話をしてくれようとしているのだ。
 勿論、千鶴が故意に斎藤達の存在を危険に晒す真似はしないが、千鶴が知る事で不安を感じさせるのも事実であり、例えば彼らを暴こうとする者が現れ千鶴が彼らの真実を知っている者だと気付かれれば間違いなく利用されるだろう。千鶴の意志は関係なく簡単に吐かせられる。もしも薫を人質に取られ、両天秤にかけられどちらかを選ばなければならない時、斎藤を選ぶと約束は出来ないからだ。
「私が危ない目に遭っていると…解ったのはどうしてですか?」
 それでも、聞かずにはいられなかった。千鶴の視野の中には誰もいなかった筈なのだ。囲んできた男達も確認した上で千鶴を囲み、絡んできたのだろう。斎藤が現れなければ連れ込まれて、何をされていたか解らなかった。
「潜んでいた」
「嘘です。近くに誰もいませんでした」
「近くだとは言っていない」
「だったら気付かないですよね?」
「聞こえたのだ。あの男達の声が」
 誰一人大声は出していない。寧ろ小声で千鶴を脅すように、恐怖心を煽るように話しかけてきたのだ。
「まさか……」
 今浮かんだのはあり得ない話だ。普通じゃ無い。なのに……
「考えている事が、読める……?」
「俺はここにいる全員の考えが読める」
 周りで食事をする人達の心の声をひとりひとり呟いた。
「しかし、あんたの心だけは読めない」
 それが何故なのかは自分でも解らないと、薄く笑みを浮かべる。
「それは私に何かがあるという事ですか?」
 斎藤に心の声が読める力があるように、千鶴にはそれをブロックする力があるのか。
「あんたに何かがあるとは思えない」
 どう見ても普通の女の子だ。自分と違って。その言葉は飲み込んだ。
 何故、こんな物語のような話を聞かされて、自分は平然としてられるのだろうか。斎藤の言葉を信じていないのか? いや、全て信じている。確証はないが、本当に斎藤には自分以外の皆の心を覗く能力があるのだろう。今はたまたま千鶴の心が読めないだけで、いつか可能になる日が訪れる可能せいだってある。なのに、怖いとも、気持ち悪いとさえ感じなかった。
「限界、なのだ……」
 苦しそうに呟く斎藤を見上げると
「力が保てない。あんたと距離を置く力が」
 もう、どこにも残っていないと、切なげな視線を千鶴に投げかける。
「じゃぁ…近付いて下さい。避けないで…下さい」
 ここ暫く続いていた、あの哀しい距離に千鶴もまた限界を感じていたのだ。知り合ってほんの少ししか経っていないのに、斎藤に心を預けていた。今まで薫がいつも傍にいたから、淋しさを感じたりしなかったのだろうか。薫の代わりの誰かを千鶴は求めてしまったのだろうかと、考えを巡らせた。
(違う。薫が働くようになって、一緒に過ごす時間が減ったからじゃない)
 これはこれまでと同じように、薫も同じ学校に通い、共に過ごしていても生まれた感情だ。
 斎藤が気になる。
 斎藤の傍にいると嬉しい。
 斎藤に避けられたら、淋しい。
 斎藤が、愛おしい。
 どんな怖い一面を持っていても、千鶴の心は斎藤から逃れられない。
「そのような言葉を簡単に言ってはならぬ」
「でも、保てないって言ったのは斎藤さんです」
 だから、千鶴も正直に答えた。傍にいたいから。
 もっと、距離を縮めたいから。
「……送ろう」
 この話はこれまでと言うように、席を立ち、助手席に千鶴を乗せた。

「近付けたと思ったのは…私の勘違いかな……」
「何? 聞こえないよ、千鶴」
 リビングで千鶴の声に反応したのは薫である。
「帰ってからおかしいぞ。学校で何かあった?」
「ううん、何もないよ」
「おまえは嘘が下手だと何度も言っただろ?」
「うん、聞いた」
 なのに、まだそんな下手な嘘をつくのかと、キッチンで夕飯の支度をしている千鶴の隣に立った。
「最近本当におかしいよ。事故の時、どこか打ったんじゃないの?」
「検査して貰ったけど、大丈夫だったの、薫が確認したんでしょ」
「精神的に、とか?」
「確かに怖かったけど、後遺症が残るような恐怖じゃないから大丈夫だよ」
「何かあったら何でも俺に言うって約束したよね」
「したよ」
 何度も何度も、手紙でやりとりしていた頃から薫が言い続けていた言葉だ。千鶴も同じ言葉を薫に言い続けた。ひとりで悩まないで欲しいと、たったふたりの兄妹なのだから、何でも相談してほしいと。
(でも、恋の問題は…恥ずかしい)
 ただ恥ずかしいだけだったら良かったのにと、思いつつも
「千鶴?」
「パーティに誘われて、それが億劫なだけだよ。折角出来た友達とだから、断りたくなかったんだけど」
「断れよ」
「別に変な事はしないよ? 私は…隅っこで何か食べてるだけになると思うし」
 いつもの事だ。派手な事を好まない千鶴はそういう場所にいても、中心には行かない。
「変な男に着いて行ったりするなよ」
「変な男って……」
「おまえはボーっとしてる所があるからな」
「大丈夫だよ」
「俺も行こうかな」
「仕事があるんでしょ?」
 有給を取りかねないと思いつつも、薫がそれをしないのは解っていた。千鶴と同じように進学しなかったのはふたりの生活の為。千鶴も就職するというのを止めたのは千鶴の為。昔から真面目で、成績も良かった。今は特に決まった夢を持っているわけではないが、可能性を潰したくないと、薫は千鶴を守る事に徹底していた。
「ねぇ、薫」
「何だよ」
「薫も薫のしたい事、ちゃんとしてね」
「突然どうしたんだよ」
「突然じゃないよ。いつも思ってるもん」
「したい事してるよ」
 俺は千鶴を守りたいだけだ、と斎藤同じ言葉を何度千鶴に言ったか数え切れないその言葉を当たり前のように言った。