血の絆
約束 1

(斎藤×千鶴)

「千鶴、大学はどう? 慣れた?」
 邪念を振り払うべく、帰るなり「今日は少し手間のかかる晩御飯を作ろう」と、キッチンに眉間の皺を寄せ、とても料理を作っているとは思えない程の形相で食材とにらめっこしていた千鶴に話しかけたのは生活を共にしている双子の兄、薫である。
「あ、うん。慣れた…かな」
 大学には慣れていた。高校を卒業し、元々住んでいた場所とは全然違う遠方の大学に進む事になり、引っ越しをして全く異なる環境になった為、単に大学生になったからというだけのものではなく、生活環境全てが変わったので、精神的に不安定になっていないか、毎日のように薫は千鶴に尋ねていた。心配性な兄だが、それだけ大切にしてくれているのだと、千鶴は疎ましいとは思わず、生活環境が変わったのは薫も同じなのだから「薫こそ、仕事は大丈夫?」と必ず返していた。
「俺はどこに行っても大丈夫だよ。順応性が高いからな」
 その言葉に勿論悪気はない。だが、千鶴は「ごめんね」と謝ってしまうのだ。その度に「――全く」と、千鶴に近付き頭を撫でてついでにデコピンをする。
「ちょっ…! 痛いよ」
「おまえが下らない事を言うから悪いんだよ」
「でも……」
「おまえが悪いだなんて思ってないって何度言えば解るのさ」
「……うん」
「確かに幼い頃に父さんと母さんが事故で死んじゃって、離ればなれに暮らす事になった。そこに俺達の意思はなかった。子供だったんだから、選択権がないのも当然だろ?」
「うん」
「いきなり子供ふたりも引き取るのは経済的にも大変だったって、今なら解るだろ?」
「うん」
「たまたま俺が引き取られた所の人達の性格が底意地悪かっただけだよ」
「底意地悪いって……」
「他に言いようがないじゃない。でも、千鶴と連絡取れていたから、それが救いだったけどね」
 子供の頃からふたりは引き裂かれる事となったが、連絡が取れなかったわけではない。小学校、中学校は別々だったが、高校は同じ学校を選んで、共に過ごす時間を増やし、卒業したら一緒に暮らそうと、両親がふたりに残した遺産はあったが、それは千鶴の大学資金に使う為、引っ越し等に必要な資金は薫が全てアルバイトをして稼いだ。千鶴もアルバイトをしようとしたが「おまえは受験勉強に励め」と、取り合わず、就職の道を選ぶ事も許さず「千鶴はまだ勉強したい事があるんだろ?」と、決して薫が就職するのは妥協でも千鶴の犠牲でもなく早く自立したかったのだと笑顔を見せた。ならば、千鶴は薫の思いに応えるべく勉学に励み、進学の道を進んだ。薫もまた必死で勉強をし、バイトも進路の役に立つものを選び、まだ資格はとれていないが弁護士への道を進むべく、法律事務所で事務員として働きながら、勉強をしていた。父親が医者で、大きな病院の跡取り息子であったが、事故で他界した事により、親族同士の争いがあり、その為に薫と千鶴は離ればなれに暮らす事となったのだ。跡取りの権利は薫にあった。だが、薫は蚊帳の外にされた。子供だという理由だけで。当時の薫は…薫と千鶴は何が起こっているのか全く解らないままではあったが、親族同士がこのように争うのは醜いと、自らの意思で抜け出したのだ。遺産の事があるから、引き留められるのが解っていた為、黙って。
「それで?」
「何が?」
「環境の変化で疲れているのじゃないなら、どうしてそんなに落ち込んでるの?」
 何でもない振りをしたかったが、薫の気配に気付かずに険しい顔をしていたのを見られていた事を思い出した。
「何でもないよ。ちょっと…レポートの事を考えてただけだから」
「ふぅん」
 千鶴の強がりは見破られている。それでも、突っ込んで聞いてこないのは「千鶴自身が解決する」と、信じて貰えているからだ。勿論異性問題は別だが。
「おまえに近付いてくる男はいないだろうね」
「近付いてくるって…女子大じゃないんだから、話す機会とかはあるよ。ない方が不自然だってば」
 実は毎日のように、この会話は繰り広げられていた。酷い時はメールを見られる場合もある。何故ここまで妹の恋愛事情にうるさいのかは理解出来ないが、実はふたりが中学の頃から薫はまるで娘を溺愛する父親のようにうるさかった。故に高校の頃は誰一人近付かないようにガードしていたのである。千鶴も自分から「彼氏が欲しい」というタイプではなかったというのもあり、実は薫のガードに気付いていなかったのだ。ずっと離ればなれだっただけに、一緒に過ごせる時間が嬉しくて、時間があれば薫と一緒にいたいと自ら薫の元に寄っていたからである。そんな千鶴が大学生になったからといって、すぐに彼氏を作るとは思えないが、素直な性格と、可愛らしい容姿というだけで、寄ってくる男がいるのは容易に想像がついた為、千鶴にその意思がなくとも、寄ってくる男がいるに違いないと、口うるさくなっていた。
「男は下心ばかりだから、簡単に信用するなよ」
「それって、薫も下心ばかりなの?」
「そんなわけないだろ」
「じゃぁ、薫みたいに下心ばかりじゃない男の人もいるって事だよね」
 今までこんな風に千鶴が返した事はなかった。だから、恋人同士ではないが、友達よりは親しい仲になりつつある可能性がある男がいるという事だろう。
(探って…みるか)
 と思いつつも、仕事と勉強の両立をしている薫にはそんな時間の余裕はないし、少し沈んでいるように見えるこの状態から、上手く事が運んでいるというよりも、落ち込む要素があったという事だろう。環境が変わっての戸惑いから気疲れしているとも考えられるが、おそらく初めてだろう恋心からの感情のコントロールが上手く行っていないという所だろうと推測した。
 離ればなれで暮らしていたとはいえ、双子である千鶴の考えや感情の揺れは手に取るように解るのである。過保護だと注意されたのは一度や二度の話ではない。シスコンだと言われても、全ては千鶴の幸せの為だと構うのをやめなかったのは千鶴が本気で嫌がっていなかったでもある。
「それで、今日の晩ご飯は何なの?」
「じゃがいものニョッキだよ。クリームソースがもう少しで出来るから、待っててね」
「時間かかる?」
「うーん、後二十分位かな……」
「そ、じゃあ先にシャワー浴びてくるよ」
「うん」
 とりあえずは誤魔化せたかなと、安心していたのだが、全てお見通しである。千鶴を守る為という名目で、黙って携帯電話をチェックされたり、跡をつけられているのは全く知らない事だ。
「薫はちょっと心配性だから」
 どこら辺が「ちょっと」なのか、千鶴も友達に「よく我慢してるね」と言われるのだが、全く我慢をしているわけではなく、ただ一緒に住めなかったから「とても大切にしてくれている」のだと説明してはいるものの、誰一人信じてはくれていない。
 ボイルしたジャガイモと小麦粉を混ぜ合わせて丸めたニョッキをゆでるべくお湯を沸かし、クリームソースの味見をし、先に作っておいた豆腐サラダを冷蔵庫から出してテーブルに置いた。 鍋から浮いてくるニョッキ達をすくい上げて、皿に盛り、ホワイトソースをかける。意外に多く作ってしまったニョッキを見つめて
「食べきれる…かな。全部茹でちゃったし……」
「食べるよ。仕事と勉強で頭と体使って、疲れてるんだからね」
 いつの間にか風呂から上がった薫が背後に立ち、ニョッキをひとつ口に運ぶと
「うん、相変わらず美味いね」
「そう? 嬉しい! 急にニョッキ食べたくなっちゃって。かぼちゃと迷ったんだけど、クリームソースにしたかったから、じゃがいもにしちゃった」
「トマトソースも食べたいから、今度ニョッキ作る時はかぼちゃにしてよ」
「うん」
「これ、もう運んでもいいんだろ?」
「うん、お願い。お茶淹れるから、先食べてていいよ」
「それ位の時間は待つよ」
 多めに入れた皿を自分の席に置き、既に用意されていたサラダをちらりと見る。パスタとサラダ。特に何でもない組み合わせの食事だが、薫にとっては御馳走だった。
「お待たせ! 昨日のオニオンスープが残ってたから、これも食べてね」
「勿論だよ。じゃ、いただきます」
 兄妹水入らずの時間である。離れて暮らすようになってから、薫がずっと求めていたものだ。両親によって守られていた世界が一変して、大人の汚い世界を知る事になった。子供の頃は知らなくてもいい事情まで頭に入ってくる。千鶴も同じ思いをしていないだろうか。せめて千鶴だけは、この現実を知らないままでいてくれたらいいと願った通り、千鶴を引き取った遠縁である雪村綱道は千鶴を大切に育てた。薫を引き取った南雲家は薫をぞんざいにしか扱わなかった。何故ぞんざいに扱われた意味も知らされながら。きっと千鶴は大丈夫だ。辛い思いをしていないのならばいい。
 でも、俺を忘れないで。
 ずっとそう願っていた。
 そう願った通り、千鶴は薫を忘れなかった。薫が住んでいる住所を聞き、手紙を送り続けた。一緒によく作った折り紙を入れて。綺麗に折られた鶴をほどくと、そこには文字が書かれてあった。
「薫ちゃん。会おうよ」
 それと、待ち合わせの日付と時間が書かれてあった。鶴をほどかなかったら薫にさえ知られない事だ。何故千鶴がここに書いたのだろう。届いた手紙は薫が開封する前に既に開けられていた。薫にプライバシーはない。これを同じように幼い千鶴が知る筈もないのに、まるで「先に誰かが読んでいる」のを知っていたかのように。