血の絆
目覚め 5

(斎藤×千鶴)

 朝食を摂りながら、コピーを渡して昨日復習した通りに説明をした。飲み込みが早いのか、斎藤も特に質問をせずに千鶴の説明をコピーを見ながら黙って聞いていた。予定していたよりも早く終わり、大学へ行くにも少し早いし、互いに離れがたかった。勿論それを口にする事はなかったが、行動には現れていた。
「デ、デザートでも食わないか。別腹だと聞いた事がある」
 朝からデザート等食べたりはしませんよ。そう言いたかったが、それを言ってしまえば「では、ここで」と別れてしまう事になると、思わず頷いていた。
「では、荷物番をしていてくれ」
 先程と同じように、千鶴を席に残し、デザートを買いに行くのだが、いざレジの前に立つと千鶴から何が食べたいのか聞くのを忘れてしまい、ポケットの中の携帯電話を取り出し、電話をかけようと思ったが、混雑しているという程ではなかったが、後ろに何人か並んでいた為に適当に見つくろう事にした。
「すまない。何が食べたいのか聞くのを忘れてしまった故、幾つか買ってみたのだが、食べたい物はあるだろうか」
 ずらりと並べられたデザートはアイスクリーム二種、ティラミス、プリンが並べられていた。千鶴がひとつ選んだとして、残りは一体どうするつもりなのだろう。疑問を感じたが、斎藤が残ったデザートをぞんざいに扱うとは思えず、きっと責任を持って食べるに違いないと、流石にアイスクリームふたつは厳しいだろうというのと、みっつもデザートを食べさせてしまうのは申し訳ないと「じゃぁ、チョコのアイスとプリンをいただいてもいいですか?」と、言うと安心したように微笑んだその笑顔が好きだと感じた。
 斎藤もまた、千鶴にひとつだけ選んで貰えばそれでいいと思っていた。買い過ぎていたが、それだけの選択肢を与えてやりたかっただけで、残りの三つは自分で食べるつもりだったのを千鶴は見抜いてふたつ選んだ事に気付いていたが、今度もまた「幾らでしたか?」と、奢られる事が当たり前だと思っていない所も好感が持てた。
「構わぬ」
「でも、先程も出していただきましたので……」
「これは俺の我儘故」
「我儘…ですか?」
「用事は済んだのに、ここに留まるのを誘ったのは俺だからな」
 それに、甘い物が実はあまり得意ではないのに、何が食べたいのか聞くのをつい沢山買い過ぎてしまったというのに、半分引き受けてくれた御礼もあったのだが、それは口にしなかった。自分らしくない行動を取ってしまったが、それもまた運命がなす故の事だと認めざるを得なかった。
(運命、か)
 ただ、それだけだとは思えない。もし、運命でなくとも、きっと斎藤は千鶴に惹かれたのではないだろうか。認めてしまえば溢れる想いを否定する理由がなく、素直に気持ちを伝えてしまおうかとも思えてしまう程である。しかし、まだ出逢って間もないというのに、このような気持ちを抱き、伝えるのは軽薄だと思われないかという心配も同時に芽生える。
 鞄の中から財布を取り出そうとしていた千鶴だったが、有無を言わさぬ言葉に「御馳走になります」と、斎藤の好意に素直に甘える事にした。
「そういえば、タブレットを使った授業が始まるって聞いたんですけど、私実はタブレットって使った事がなくて、ちょっと不安なんですけど、斎藤さんは使った事ありますか?」
 世間話をしていても、ついつい授業の話、勉強の話になってしまうのは決して話題に困ったからではなく、ふたりがどこまでも真面目な性格をしているからだろう。
「いや、俺も持っていないので、詳しく使い方は知らぬ。携帯電話もこの通り、昔の型故、難しい使い方は解らぬが、仕事で使う事があるから、全く使った事がないわけではない。授業で使うと言ったが、俺と同じ講義か?」
「あ、はい。そうなんです。来月から導入されるみたいなんです。でも、お仕事って…バイトですか?」
「バイト、という程の事ではないが、その、一緒に住んでいる家族のような人がいるのだが、時間がある時はその人の仕事を手伝っている。調べ事をするのにパソコンだけでなく、タブレットを使う機会が増えていてな」
 家族のような人。しかも、一緒に住んでいるというのはもしかして同棲している人がいるのだろうか。仕事をしている女の人という事は年上なのだろう。斎藤は学生だが、少し大人びて見える。だから例え年上の女性と歩いていても違和感はなさそうだ。別に告白をされたわけではない。千鶴が勝手に好意を寄せただけだ。なのに、どうして裏切られたような気持ちになるのか。だが、それを表に出してはいけない。自分から始めた話でもあるから、ちゃんと聞かなければいけない。
「では、授業で使う時は教えて下さい」
「あぁ、教えられる程俺も知らぬが、ひとりで悪戦苦闘するよりは良いだろう」
 これで千鶴の隣の席に座る理由が出来たと、実は隣に座る理由を考えていた所だっただけに、棚から牡丹餅な気分だった為、千鶴の笑顔に陰りが出ているのに気付かなかった。
(今日はこのまま話しながら、共に授業に出られる故、隣に座るのに理由はいらないだろう)
 携帯電話にも特に不満もなかったし、まだまだ壊れるとは思えなかったから買い換える必要もないと思っていたが、少しでも千鶴と話をする機会を増やす為に新機種に変えるのも悪くないと、その後、気持ちが沈んだままの千鶴に気付く事もなく、講義の事、そして仕事の話をポツポツと話しながら学校へと向かった。
 千鶴も今日はそのまま隣の席に座れると、密かに楽しみにしていたというのに、その楽しみがなくなってしまいその分哀しみと切なさが千鶴を襲った。
(斎藤さんは何も悪くないのに、勝手に私が好意を持って、勝手に失恋しただけ)
 なのに、こんなに苦しくなるなんて、隣にいるのがこんなに辛いだなんて、さっきまでは想像すらしなかった。初恋は実らない。誰かがそう言っていたが、その通りなのだなと、早く授業が終わればいいのに、前を向いて、出来るだけ隣を見ないよう、意識しないようにしていたが、教授の声は右から左へとただ流れるだけで、全く頭に入って来なかった。

「その…今日の授業なのだが、後いくつ取っている?」
「え…?」
「いや、特に他意はないのだが、もしも時間があるのならば、先程の講義について雪村の意見を聞いてみたいと思っている」
 誘いは勿論嬉しかった。もしも朝に仕事の話を聞いていなければ喜んで誘いに乗ったに違いない。しかし、斎藤には待っている人がいると思うと、純粋に勉強をするだけで誘ってくれているのに、自分には邪な思いがあるから一緒にいてはいけない。これ以上好意を抱いてはいけない。結婚している相手ではないが、それでも一緒にいれば自分の想いは膨れ上がり、取り返しのつかない状態になってしまうのではないかという確信があった。今日は何故か優しい笑みを沢山見ているような気がする。きっと親しくなれば、無表情に、いや、少し無愛想に見える斎藤の表情はとてももっと柔らかいものになるに違いない。そう思うと、斎藤の傍にいるであろう恋人の存在をどうしても意識してしまうのだ。
(一緒にいたい。でも、一緒にいたらもっと辛くなる)
 返事を待つ斎藤は千鶴に好意を持っているように感じられる。でも、それは「友人として」なのだ。クラスメイトとして、同じ講義を取っている仲間として。今朝一緒に勉強をしていて、感じた「同じ価値観」を斎藤も少なからず感じてくれているからこそ、こうして誘ってくれているのだ。それを無下にはしたくない。そう思いつつも
「すみません。まだ講義が残っていて、その後も、友達と約束があるんです」
「そうか。ならば仕方がないな。今朝あんたと話をしていて、これから共に勉強していく上で、互いの意見がとても有意義になるのではないかと感じた。また雪村の意見が聞きたいと思っている」
 勿論その理由もあるが、それは僅か一割程度しかなく、ただ千鶴の傍にいたい、一緒の時間を過ごしたいだけなのだが、それをまだ出逢ったばかりの千鶴に言うのは警戒心を持たれてしまうかもしれないと、それでも、千鶴に好意を寄せているという意思は見せたいと思い、言葉を選びながら「この次」を期待しているという意味を込めた。こんな風に異性に期待をするのは初めてだった。まさか自分にこのような時が来るとは夢にも思っていなかったのだ。異性と過ごすのはとても面倒だと感じていたというのが僅か数日前だとは思えない程、千鶴の傍が居心地良いものになっていた。
「はい。では、また……」
 ちゃんと笑顔を浮かべられただろうか。多少ぎこちなかったかもしれないが、まだ知り合ってそんなに経たない斎藤には気付かれていない筈だ。軽く会釈をすると、離れがたいと感じつつも、同時に早く斎藤の傍を離れたかったのだ。
 実際にまだ講義は残っていたが、受ける気にもなれず、泣いてしまいそうな気持ちをどうにか堪えて、家へと足を向けた。

 随分浮かれていたのだろう。洞察力に長けている斎藤ではあったが、千鶴がどんどん気落ちしていく様に全く気付く事なく、この感情に間違いがないと、これは運命なのだという確信を持って、自分の持っている愛情全てが千鶴に向かって行くのを否定せずに、受け止めていた。その様子に気付いたのだろう、ほんの僅かだが、唇の端を上げて部屋へと向かう斎藤が視野に入り、土方は斎藤の部屋に訪れ
「やはり当たっていたか」
 自分の事のように嬉しそうにそう言うと
「はい。間違いなく『絆』でした」
 だが、それだけではないような、運命的な物も感じます。流石にこの言葉は飲み込んだ。
「お前の中に、ちゃんと狼の血が残っていたというわけだな」
「そうですね」
「ちゃんと認められたか」
「はい」
「認めた上で、俺達と共にいるか」
「勿論です」
 元々、この血が表に出る事がなくとも、傍にいようと心に決めていたのだ。土方は斎藤にとって、命の恩人でもあるのだから。