混血の絆
目覚め 3
(斎藤×千鶴)
千鶴と別れて、淋しさが斎藤を襲う。
こんな事も初めてだった。千鶴と出会ってから、今までモノクロに見えていた世界が鮮やかに彩付いて見えるのもまた斎藤にとって初めての経験ばかりだ。大切だと思っている仲間は共に暮らしているから「淋しさ」を感じる事はまずなかったし、男同士で傍にいないから「淋しい」という感情が生まれるわけでもない。今まで女に対して特別な感情を持った事はなかった。付き合った事がない…とは言わないが、それも斎藤から付き合いたいと思ったからではなく、押されて、押されて、あげく仲間…特に原田にだが「一度付き合ってみたらどうだ。俺達には仲間がいるが、本来孤独のようなもんだ。だから淋しさ、空しさを紛らわすには女が手っ取り早い」そう言われ、付き合った事はあった。斎藤自身「淋しい」と原田の言う言葉の意味を本当に体験はしていないが、頭で理解をしているだけだった。ただ、自分はこのような性格だから気付いていないのかもしれないと、言われた通り付き合ってはみるものの「違う」と感じたり、相手が斎藤の気持ちが自分に全く向いていないのに気付き、別れる事になる場合もあったが、殆どが自然消滅だった。それらを経験したから今は誰に何を言われても、遊びでも…元々遊びで付き合おうとは思ってはいないが、女と付き合う事はなくなっていた。
しかし、まだ二回しか会っていない、しかも話をしたのは今日が初めての相手に何故このような気持ちになるのか。表向きは冷静を保っていたが千鶴の顔が浮かび、鼓動は高鳴り続けていた。
午後の授業が終わり、気がつけば千鶴を探している自分がいた。
「一君。もしかして千鶴ちゃんを探してるのかな?」
いつの間にか斎藤の後ろにいた沖田が声をかける。いつもならば斎藤が易々と背後を取られる事等なかった。人の動きが読めない程千鶴に気持ちを囚われていたのかと驚いたが、それを顔に出す事はなく
「そっ…そのようなわけがなかろう」
なんでもない顔を装い振り向くと、そこには沖田と、千鶴が立っていた。何故沖田と一緒にいるのか、千鶴とは今日初めて話をしたばかりで、友とも言える仲ではないのだが、それは沖田と千鶴も同じ事で、どうしてあたりまえのようにふたりは一緒にいるのか、そして、このどす黒い感情を何と呼べばいいのか解らず、黙っていると
「千鶴ちゃんとそこでばったり会っちゃってさ。話をしてたんだよね」
ね? 千鶴ちゃん、と普段女子と接するような小馬鹿にした態度ではなく、昔からの友人のような沖田の態度が解せなかった。
「何用か」
初めての感情に戸惑いつつも、沖田にだけは気付かれてはいけないと、感情の籠らない声で、表情で千鶴と眼を合わせずに言った。
「用がなければ一君に声をかけちゃいけないの? 僕達仲良しなのにねぇ」
何ともわざとらしい言い回しではあったが、その言葉の裏を千鶴は読む事が出来ず、きょとんとした眼差しで斎藤と沖田を交互に見ていたのだが
「あの…また具合でも……?」
斎藤の方に歩み寄り、心配そうな表情を浮かべていた。おそらく、無表情な斎藤を見るのは初めてで…といっても、会うのはこれで三度目なのだが、それでも彼女にとって斎藤は「優しい笑みを浮かべる人」という印象が強かったのである。
「いや、大丈夫だが……何故そう思ったのだ」
「え…あ、すみません。なんだか先程と違って見えたので、もしかして具合が…と思っちゃったんですけど」
違うようですねと、千鶴に向けた斎藤の視線を見た時、先程の表情と変わりがないので安心したように微笑むと、つられて斎藤も同じように優しい笑みを浮かべた。
「へぇ…一君でもそんな顔、するんだ」
珍しい物を見たような、いや、実際に珍しいものではあるのだが、いつもならからかってしまう所なのに、初めて見る斎藤の表情に今彼に何が起きているのか理解し、少し羨ましく感じ、からかうのを止めた。
「それで、あんたたちはここで何をしているのだ。総司、今日はもう講義はなかった筈だが」
「うん。ちょっと気になる事があったから残ってただけだよ。これから家に戻る所」
「そうか。俺も講義はもうない。土方さん達の手伝いをしようと思っている」
「あー、僕も土方さんから手伝えって言われてたんだ。面倒臭いなぁ。で、千鶴ちゃんは?」
「私は講義が残っているので、まだここにいます」
「そ。じゃあ、またね、千鶴ちゃん」
手をひらひらと振り、背を向けた。これから講義があるので、と断っていたというのに沖田はしつこく話しかけてきたのだが、こうも簡単に帰ってしまうというのは一体どうしたのだろう…と千鶴は首をかしげてした。
「総司は気まぐれな奴だから、気にする必要はない。それとも、何か言われたか?」
「い、いえ。特に何も……」
本当に特に何かを言われたわけではなのである。ただ、斎藤とどんな話をしたのか聞かれただけなのだが、何故斎藤を親友だと言う沖田が今日初めて会った自分に斎藤の事を聞いてくるのか不思議でならなかった。しかし、それを斎藤に言うわけにもいかないと、言葉を濁したのは良いが、次の言葉が浮かばなかったのである。
「やはり何か言われたようだな」
「いえ! 本当に何も言われてないです」
「あんたの事ではなく、俺の事でも聞かれたのだろう」
「あ、あの……」
「これからも総司にはおかしな事を聞かれるだろうが、気にするな」
気にするなと言われても、どうやら沖田に絡まれるのは決定のようで、逃げる術はないらしい。
「斎藤さんと沖田さんは…友達同士、なんですよね?」
仲は悪そうではない。沖田が一方的に斎藤に好意を抱いているようにも見てとれるが、その割には斎藤が邪険に扱っていない。寧ろ「またか」と、慣れた対応をしているので、友人であるのは確かなようだが、通常の関係ではないように感じられた。友人というよりも、家族のような、そんな印象を千鶴は持ち始めていた。
「友達、か。少し違うな」
「?」
友達でなければ、何なのだろう。そういう視線を斎藤にやると
「昔馴染み。腐れ縁というやつか」
学生同士で「昔馴染み」という表現に違和感があった。昔馴染みではなく、幼馴染と言わないだろうか。そう思いながらも千鶴は斎藤の言い回しを受け流す事にした。
「昔馴染み…という事は幼い頃からのお付き合いですか?」
「あんたには関係のない事だ」
言った後でしまったと後悔をしたが既に後の祭りで「そ、そうですよね。すみません。立ち入った事を聞いてしまいました」和やかな雰囲気が一転し、萎縮してしまった千鶴に対してどう対応すれば良いのか解らず、斎藤は困惑していた。原田のように話術に長けているわけでもなく、女子に優しいわけでもない。土方のように、視野を広く持ち、何でも対応出来るだけの器量があるわけでもない。藤堂のように誰でも和ませる性格でもない。沖田のように、相手の事を考えず自分の本能のままに行動出来る程我儘でもない。永倉も空回りする事はあるが、優しい一面を持っており、それを示す事が出来る。しかし、斎藤はそれらを持ち合わせていない。特に異性に関しては気遣いを上手く現わす事が出来なかった。表情も薄く、時に恐れられる事もある。整った顔をしているから、言い寄られる事もあったが、その性格故、特に異性とは例え友人関係としても長続きはしなかった。元々斎藤自身が望んだものではないから仕方がないし、後悔もなかった。
だが、たった今言った一言で、出逢ったばかりの目の前の女子の表情が暗くなっていくのを斎藤の眼にはまるでスローモーションのように映っていた。そんな顔をさせるつもりはなかったのだが、斎藤のそっけない物言いはどうしても簡潔すぎて時に人を傷つけてしまう事があった。親しいものならば少ない言葉の根元にある真意を見出せるが、それが出来るのは共に生活している彼らだけだろう。斎藤自身その自覚はあっても、長年培われたものはそう簡単に変えられるものではない。
「すまない。あんたの言う友人というのと、俺と総司の関係はまた別の物だ。決して仲が悪いというわけではないが、それを言葉に現わすのは難しい」
説明するのが面倒なのだから「そうだ、友人だ」と言えばいいだけの事。今までも「友人」と紹介し、紹介されていたのに、どうして表面だけの言葉で済ませたくなかったのか。
斎藤の言葉の真意が解らないなりにも、彼が嘘を言っていないのは伝わっていた。
「ですが、親しい事には間違いないんですよね?」
真っすぐに眼を見て、微笑んだ。
「あぁ」
「今日はもう講義はないんですか?」
きっとこれ以上この話を続けても互いに気まずくなるだけだと千鶴も気付いていたからだろう、沖田が一緒にいた時に話していた内容に戻した。
「あぁ、俺も今日の講義は全て終わった。家に戻ろうと思っていた」
「そうですか。じゃあ…また明日」
「明日?」
「はい。明日は同じ講義がありましたよね?」
昨日受けていた講義が明日もある。
「そうだったな」
「良ければ、昨日私が取ったノートをコピーして明日渡しましょうか? それとももう別の方から昨日の講義のノートを借りたりしましたか?」
「いや、借りていない」
「では、コピー取って持ってきますね。頭に入れてから講義を受けられた方が良いので、早めに渡しましょうか。お時間はありますか?」
「時間は…大丈夫だが、それだとあんたに悪い」
「実はノートを取ったのですが、ちょっと解らない所もありまして、復習もしたいと思っていたんです」
「そうか、ではお言葉に甘えよう。すまない」
「いえ、では明日の朝、駅前のファーストフード店で待ち合わせしましょう」
「あぁ、解った。念の為、連絡先を……」
携帯電話を取り出し、赤外線で電話番号とメールアドレスを交換し合い、その場は別れた。
家に帰ると、きっと沖田にまたからかわれる事になるだろうと心構えをしていたが、沖田の姿はなく、代わりに「総司の奴、またサボりやがって」と、土方達がやっている仕事を手伝う事となっていたのに、それから逃げ、眉間の皺を深くして機嫌を悪くしている土方の元に寄り「俺が手伝います」と、元々そのつもりで家の一階にある事務所に顔を出した斎藤が「昨日は体調を悪くしていた故、手伝えなかった」変わりに沖田の分まで働くと申し出、夜遅くまで土方と共に仕事に打ち込んだ。
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