混血の絆
目覚め 2
(斎藤×千鶴)
昨日の具合の悪さが嘘のように体調はすっきりしていた。しかし、また彼女に会えば同じようになってしまうのかと思うと、気分は重かった。だが、学校を休む訳にもいかないと、起き上がる。今日は昨日の授業は入っていない。もしかすると、顔を合わせる事はないかもしれない。そう思うとほっとするのではなく、何故か淋しい気持ちになった自分に驚いていた。
(まさか、会いたい…とでも…?)
そんな筈はない。あれだけ苦しかったのだ。だが、ずっと心の隅にあった事、そして土方もそうなのではないかと言っていた例の事が浮かぶ。その可能性がゼロではないのは確かだ。
自室で悩んでいても何も解決はしない。意を決して…というには大袈裟ではあるが、土方達とは違う部分があるのは事実なのだから、この先に自分に降り注ぐどんな事も乗り越え、そして受け入れなければいけないと、今までのように行かない道が待っているのだと、確信するのだった。
斎藤は土方歳三、原田左之助、永倉新八、沖田総司、藤堂平助、山崎烝と共に生活をしていた。皆血の繋がった家族ではなく、全員が赤の他人であったが、ただひとつ彼らは属しているものがある為、男ばかりでむさ苦しい状態ではあるが、共同生活をしていた。
土方、原田、永倉、山崎は社会人として、会社勤めは少々問題があったので、探偵事務所を営んでいた。沖田、藤堂、そして斎藤は大学で学生生活をしていた。皆裏の顔があるのだが、それは他の誰もが知る所のない事である。
家事は洗濯や掃除はそれぞれが行い、食事は当番制にしていた。今日の当番は沖田だったのだが……
「総司、この味噌汁は何だ」
「何だって言われても、お味噌汁としか言えないんだけど?」
「味噌汁っつぅか…単にこれはお湯に味噌を溶かして、豆腐を浮かせただけなんじゃ……」
ズズッと啜りながら、げんなりした様子で呟いたのは藤堂だった。
「やっぱり出汁を使わなかったって解っちゃった?」
「解るに決まってるだろうが! ったく、毎回毎回手ぇ抜きやがって」
「僕には料理って向いてないんだよね。だからさ、料理の当番から僕を外してくれないかな」
悪びれもなくにっこりと微笑むのだが
「だったら俺だって、料理なんて向いてねぇからよ、外してくんねぇかなぁ」
便乗して名乗り上げたのは永倉である。
「何馬鹿な事言ってんだ、てめぇら! そんな事言ってたら、料理当番は斎藤ひとりになっちまうだろうが!」
土方も料理を不得意としていたが、下手なりにも努力をしていた。でなければ示しがつかないし、この中で美味く料理を作れるのは斎藤のみ。一応、山崎も作れないとは言わないが、斎藤程の腕は持ち合わせていなかった。誰かに負担をかけるのは共同生活をする上で良くないと、こうしてきちんと分担し、当番制にしたのだ。
「だったら、土方さんが誰か料理の上手な女の子をひっかけて毎日作らせりゃいいじゃない」
「てめぇ、何言ってやがるんだ」
「無駄に女の人にモテる顔してるんだから、利用しないなんて勿体無いんじゃない?」
「てめぇだって、女にモテてんだろうが。そう言うんなら、自分でしやがれ」
「いやだなぁ。僕がそんな非道な事出来るわけないじゃない。一緒にしないで欲しいな」
ふたりが言い合いをしている間、斎藤は味噌汁の味付けをし直し「おっ、斎藤。俺にもそれくれや」と、原田が台所に駆け寄り、それを見ていた永倉や藤堂も席を立ち、山崎は他の食事の味付けをするべく「斎藤さん、俺も手伝いますよ」と、コンロの前に立った。当番制にしていても、結局はこうなるので、意味がないようにも見えたが、全員を台所に立たせる事に意味がある。でなければ共同生活が成り立たない。それが解っているから、沖田も文句を言いながら、しかし、全く上達しない料理を作っていた。
男所帯でむさ苦しさはあるが、その生活の長い彼らは不満を感じず「当たり前の日常」として、この賑やかな朝はいつもの事だ。特に沖田が食事当番の時は決まって土方とのバトルが恒例となっており、ふたりを放置して、自分達の支度を始めるというのもこれまた日常のひとつである。体調は元に戻ったものの気分が沈んだままの斎藤だったが、日常に触れ、何も始まっていない上に、これから始まるかどうかも解らない事に不安を抱いている自分がちっぽけに思え、漸く普段の自分を取り戻した。
昨日とは違う講義。彼女は別の講義を取っているようで、朝から顔を合わす事はなかった。沖田や藤堂も違う講義を受けているので、他の学友とつるむ事もなく、ひとりで授業を受け、ひとりで休憩時間を過ごしていた。昼休みも弁当を用意しているわけではないので、食堂でいつものように日替わり定食を頼み、ひとりで食べる。たまに沖田や藤堂と一緒に食事をとる時もあるが、それはあくまでタイミングがあった時のみだ。
いつも食堂は賑わっていた。斎藤のように弁当を用意していない生徒は勿論の事、弁当を用意していても、友達と一緒に食べる為に食堂に来る生徒もいれば、ひとりで、弁当も用意していても食堂で昼食を取る生徒も勿論いた。
空いている席を探し、そこに座ろうとすると、向かいには昨日視線を交わした女子生徒がいた。斎藤に気付かず、弁当を食べながらレポートを書いているようだった。空腹だというのに、折角の温かい定食を目の前に斎藤は真剣にレポートに取りかかっている彼女の姿から目が離せなくなっていた。昨日のような苦しさはない。変な汗も出てこない。ただ、目が離せないだけ。
「あの…昨日、授業の途中で具合…悪くなった人…ですよね?」
教科書や辞書、レポートとにらめっこをしているように少し眉間に皺を寄せていたが、ふいに顔をあげ、真っすぐに斎藤の顔を見つめた。
「えっ…あ、あぁ……」
見つめていた事が悟られたのだろうかと、視線を逸らしながら気まずそうに頷くと
「もう大丈夫なんですか? 顔色は悪くないようですが…」
その眼はレポートに向かれていた真剣な、なのに睨みつけているような物ではなく、丸く大きな眼を更に大きく開かれその色はとても心配そうな輝きを放っていた。
昨日は近くの席に座っていたわけでもないし、教室を出る時も目立たないように、そして教授にも、他の生徒にも何も言わずにこっそりと出たのだ。元々目立つ存在でもない斎藤がひとりいなくなった所で気に留める者等いなくて当然だと思っていたし、何度も早退をしているというわけではないが、用事等でやむなく授業中に早退する事もあったが、その時誰ひとりいなくなった斎藤に気付いた人はいなかったし、例え気付いた人がいたとしても、後日「どうしたのか」と尋ねてくる者はいなかった。それを淋しいとも、哀しいとも感じる事はなく、寧ろほっとしている部分もあった。
「あぁ、もう大丈夫だ」
「そうですか。凄い顔色で出て行かれたので……」
心配していたんです。その後の言葉は言わなかったが、言われなくてもその眼で伝わっていた。
「軽い貧血のようなものだ。もう問題はない」
おそらくその「貧血」の原因であろう彼女とこうやって話をしていても昨日のような眩暈はなく、寧ろ離れたくないとまで思っていたのだ。
「そうですか。良かったです」
「心配をかけたようだな。すまない」
「あ、いえ。私が勝手に心配していただけですから。あの……」
「何だ」
「こんなに話してしまって今更な気がするのですが…私、雪村千鶴と言います」
「俺は斎藤一だ」
千鶴に言われて斎藤も自己紹介をすると、昨日眼が合った時の笑顔を浮かべると、つられるように斎藤も笑みを浮かべるのだが、それは今まで誰にも見せた事のない柔らかい笑みだった。
離れがたい。
斎藤の心の中はその言葉で埋め尽くされていた。何故こんなに千鶴の声を聞いていたいと思うのか、何故こんなに彼女の笑顔から眼が離せないのか。千鶴もまた、レポートする手を止め、まるで昔からの友達のように話をした。
「ねぇ。さっきのあれなんなの?」
斎藤と沖田は同じ講義を取ってはいなかった。しかし、午後の授業中、沖田は斎藤の隣にいた。
「おまえは午後の講義はなかっただろう。何故こんな所にいる」
「あれ? 僕の質問聞こえてなかったの?」
「さっさと家に帰れ」
「ねぇ、さっきの、昼休みのあれ、なんなの?」
当然先程の沖田の問いは聞こえていたし、それは沖田も解っていた事だが、今度はゆっくり、はっきりと斎藤の顔をじっと見つめて、不敵な笑顔を浮かべてもう一度問うた。
「あれとは何だ」
わざと大きめの溜息をつき、睨むように沖田へと視線をやる。
「堅物の代名詞と言われてる一君が女の子とニヤけた顔でずっと話しこんでる姿ってさ」
「にっ…ニヤけてなどおらぬ!」
「あ、無自覚だったんだ。写メ撮っておけば良かったな。さっきの一君のしまりのない顔ったら見物だったんだけどな」
「おまえには関係ないだろう」
少し顔は緩んでいたかもしれない。自覚はあった。しかし「ニヤけた顔」と言われては抗議せざるをえない。
「ま、ニヤけた顔の事はどうでもいいんだよね、僕」
「では、何しに来たというのだ」
「だからさっきも言ったでしょ。あの女の子は誰? 何話してたの?」
「それもおまえにはどうでもいい事ではないのか」
「うん。どうでもいいんだけど、面白そうじゃない? 一君が女の子と一緒にいるなんて何が起こったのかと思っちゃったんだよね」
「何も起こって等ない」
話すまではここを動くつもりはないと、机に頬杖をつき、うすら笑いを浮かべじっと斎藤を見つめるが、話した所でからかわれるだけで斎藤にとって何の得にもならない、寧ろ損をするだけなのが目に見えて解っていたので、口を閉じ、集中出来ずにいたが教授の言葉に耳を傾けた。
「昨日の貧血と何か関係あるのかなぁ」
「………」
「可愛い子だったよね。名前は何て言うの?」
「………」
暫く質問攻撃が続いたが、答えると沖田の思うつぼだ。もう授業等全く頭に入って来なかったが、ひたすら無視を続けていたのだが
「雪村千鶴ちゃん…だったよね」
「……!!」
何故名前を知っているのだと言わんばかりの顔で振り向くと、勝ち誇ったような表情で、昨日千鶴と出会い、講義中に青い顔をして教室を去った事を言ってのけた。
「何故その事を…」
聞かなくても解る事だ。ここに来るまでに、千鶴に声を掛け、話を聞いたに違いない。「僕は一君の親友なんだよね」とでも言ったのだろう。知った上で斎藤をからかう為だけにここにいるのだ。
「それで?」
「何が聞きたい」
「君の血が騒いだの?」
「―――さぁな」
それが真実だとしても、今の斎藤にはそれをどう対処すれば、受け入れればいいのか答えが出ているわけでもない。
「そう。でも、難しく考える事ないんじゃないかな。一君は真面目だから無理なんだろうけどさ」
「………」
「千鶴ちゃんが受け入れてくれるかどうかは解らない事だけどさ」
僕は悪くないと思うよ。
そう言うと、少し嬉しそうな顔で教室を出て行った。何故沖田が嬉しそうな表情を浮かべたのか理解は出来なかったが、おそらく沖田なりに斎藤を心配しての事なのだろう。沖田の背中に視線をやりながら、小さな溜息をつき、もう講義の時間も終わりに近付いており、今から聞いても理解出来なかったが、そのまま授業を受けた。
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