を奪う

(斎藤×千鶴)

 千鶴が勝手場も出入り出来るようになってからというもの、新選組の食事事情がガラリと変わったのだが、今日は千鶴が来る前のような酷い献立が並んでいた。この日の当番は沖田と永倉。このふたりが組んだ時の食事は最悪としか言いようがない物である。あまりこのふたりが組んで食事を作る事はないのだが、たまたま非番だったふたりが作る事になり、皆げんなりした表情で夕餉を食べていた。
 本当ならば千鶴も夕餉の支度をする筈だったが、熱を出し、寝込んでいたのである。「客人」扱いである千鶴に当たり前のように当番させるのはおかしな話であるものの、何もせずにただ部屋で過ごさせるのも忍びないと、雑事ではあるが洗濯、炊事等を任せていた。
 非番でたまたま屯所にいた組長ふたりが夕餉の支度をする羽目になり、今に至る。
 すっかり千鶴が作る料理に慣れ、舌が肥えてしまっている彼らに、永倉と沖田が作った食事は食べれたものではなかったが、だからといって、夕餉抜きになるのと、不味くても胃に食べ物を入れるのとでは後者を取らざるを得ないというか、食べ物を残したり、捨てたりすると、普段穏やかな井上が黙っていないのは解っていたので大人しく…いや、文句を言いながら食べていた。
 慣れというものは恐ろしいものでこういう食事が当たり前だったというのに、今ではそれが苦痛になっている。深い溜息をつきながら、幹部達は早く千鶴が回復する事を願わずにはいられなかったのである。

 千鶴にも少しでも何か食べて貰おうと、斎藤が粥を作り部屋に持って行ったのだが、弱弱しく「すみません、今は…食べられそうにありません」と、起き上がる事もままならないようで、苦しそうに咳をしながら答えた。
「しかし…朝から何も食べていないと聞いた。一口でもいいから食べた方が良い」
 あまり表情の変わらない斎藤だが、この日ばかりは心配そうな顔で千鶴を覗きこみ、懇願するように言われては「じゃぁ…一口…だけなら…」と、その一口でさえ苦しいのが解っていたが、頷いてしまう。
「そうか」
 嬉しそうな顔で「起き上がるのは辛いだろう。匙を口に運んでやる故、口を開けろ」と、言われては何とも恥ずかしい状態になっているのに気付いていたが、熱のそれではない熱さで頬を更に染めて小さく口を開けると、梅干しと粥が運ばれた。
「美味いか?」
「……すみません。味が解りません」
 申し訳なさそうに言うと
「いや、構わぬ。薬も持ってきた故、飲むといい」
 出したのは斎藤が愛用している石田散薬である。その薬の存在を知らなかった千鶴は何も解らないまま飲めない酒でそれを飲まされてしまったのだ。喉と鼻をやられてしまっていた千鶴は水と思って飲んだそれが酒だと気付くのはゴクゴクと飲みほした後で、急に喉が熱くなり咳き込むと、斎藤は風邪のそれだと思い背中をさすって、その後薬を飲ます為に少し起こさせた身体を横にさせて「ゆっくり眠れ」と、寝かしつけるべく傍に座っていたのだが、眠る所か段々顔は赤くなり、熱は高くなっていく上に、頭痛や嘔吐までもが千鶴を襲い始め、万能だと思っていた、いや、万能な筈の石田散薬が利かない事に驚き、どんどん病状が酷くなっていく千鶴を助けるべく、自分ではどうにも出来ないと土方を呼びに行こうとした時に、隊務から帰ってきて、他の隊士に顔を見られないよう裏口から入って来た山崎の顔を見ると
「山崎君。丁度良い。千鶴の具合が悪化してしまった故、診て貰えぬか」
 悪化したと言われても、数日屯所を空けていた山崎は千鶴が体調を崩していた事を知らなかったので「雪村君が寝込んでいるのですか?」と、どのような具合なのか尋ねながら小走りの斎藤の後ろを同じ歩調で千鶴の部屋へと向かう。
「食欲もなかったが、粥をひとくち食べさせ、薬も飲ませたのだが――」
「ま、まさか…薬って……」
 嫌な予感がして、尋ねると
「無論、石田散薬だ」
 確認するまでもない。斎藤が「薬」と言えば「石田散薬」しかないのは解っていた事なのだが、溜息をつかずにはいられなかった。
「高熱でうなされている雪村君に、何て物を飲ませたのですか!」
「何て物とは何だ」
 反論する斎藤を押しのけ、部屋に入ると、嘔吐を繰り返し頭痛も激しいのだろう、高熱がある筈なのに青い顔色で苦しげに寝返りを打つ千鶴の姿が目に入る。症状は酷くなる一方で、医療に明るくない斎藤は「も、もう一度薬を…」と、懐から石田散薬を出すのだが
「やめて下さい。悪化しますよ」
「しかし、これは万能薬故――」
「万能薬ではありません。そもそもそれは薬ではないです!」
 ビシッと言われ、普段山崎が斎藤に強気に出る事はないし、反論する事も少ないが、この時ばかりは違う。
「とにかく、黙っていて下さい。もし手に持っているそれを飲ませようとすれば、追い出しますよ」

 てきぱきと看病をした山崎のおかげで漸く千鶴の顔色が元に戻り、頭痛や吐き気も治まり眠りにつくと、ふたりはほっと一息ついて部屋を出た。
「もう大丈夫なのか?」
 部屋から出ると、土方が立っていた。
「副長!」
「はい、後は安静にしていれば大丈夫かと」
「そうか」
「後…もう石田散薬を処分していただけないでしょうか」
「山崎君、何を言い出すのだ!」
 石田散薬の事を言われたのではたまったものではないと、反論する斎藤だが、この件では斎藤の言い分を聞けないと
「副長から斎藤組長を説得して欲しいのです」
「………」
「副長…」
 土方の言葉をじっと待っていると、意を決して
「斎藤…あれ…な……」
「はい」
「効かねぇんだ」
「……!!」
 何を言われたのか理解出来ないで、いや、認めたくないといった風にじっと土方を見ていたが、その視線をかわすように自室に戻る土方の背中を黙って見送った。
「効かない……」
「熱でうなされている、酒の飲めない雪村君に…いや、あなた自身にも他の誰にも石田散薬は使用しないで下さい」
 呆然と立ち尽くす斎藤に追い打ちをかけるように言うと「では、俺は副長に報告があるので、これで失礼します」と、踵を返し、後を追うように副長の部屋へと向かった。

 安定した寝息を背に、斎藤も自室に戻ったが、まさか土方自ら「石田散薬は効かない」と言われると思わず、未だその事実を受け入れられずに部屋で正座し、手元にある石田散薬を見つめていた。
(石田散薬の効用以前に、確かに酒の弱い千鶴に酒を飲ませたらどうなるのか考えずに飲ませてしまった俺が悪い)
 しかも、高熱でうなされている千鶴に、だ。冷静に考えれば、突然の頭痛や嘔吐は酒に酔ったそれでしかないのである。治したい、楽にさせてやりたいという気持ちから飲ませたものであったとしても、やってはいけない、犯してはいけない事をしてしまったのだと自覚すると、いてもたってもいられず、再び千鶴の部屋へと向かっていた。
 亥の刻(二十一時すぎ)も回り、女子の部屋に行くのを躊躇われる時間ではあったが、戸を開け千鶴の横に座ると、規則正しい寝息をたてて眠る千鶴の額に手をやると、先程触った時よりも熱は治まっており、頬も少し朱に染まってはいたが、苦しんでいた時よりは赤みも治まり優しく撫でていると
「さい…と…さん…心配かけ…すみ…ま…せ……」
 熱のせいか舌足らずな物言いに
「すまない、起してしまったか?」
 その問いに答える言葉はなく、相変わらず瞼は閉じたままで、千鶴の寝言だった事に気付くと、眠っている時でさえ斎藤を気遣う言葉に困ったような笑みを浮かべた。
「謝るのは俺の方だ。すまない、千鶴」
 顔を近付け「移すと治ると聞いた」言い訳するように、唇を重ねた。


 大河の土方さんのセリフで、石田散薬の事を「効かねぇんだわ」と言っているのがあったのですが、そのセリフをこっちの土方さんに言わせたいばかりに千鶴を寝込ませてしまいました。ごめんなさい。
 もし、この言葉を斎藤さんが聞いたらどうなるんだろうというだけの話なんですが、最後は斎藤さんにちょっとおいしいおまけをつけてしまいました。勿論、千鶴の苦しみを分けて欲しい、苦しみから解放させてやりたいという思いからなんですよ。決して下心では……(笑)