無垢な瞳で 後編
(斎藤×千鶴)
「総司!」
咎めるように沖田の名前を突然呼んだ藤堂に驚いた千鶴は
「どうしたの? 平助君」
と、不思議そうに顔を覗きこむと
「い、いや。何でもねぇよ」
まさか心の奥を読んだのでないかという位、彼らの心の声を見事に千鶴に伝えた沖田に非難の言葉を浴びせるには千鶴に対して、それを肯定してる以外の何物でもないという事は解っていたので、文句を言いたいが、言える筈もなく、恨めしい眼で見ていると
「僕も饅頭貰っていい?」
残りひとつになった饅頭を誰の返事もないのに頬張り「うん、美味しいね」とにこにこと微笑む。
「左之さんは見張りなの解るけど、平助君は何してるの? 巡回が終わったのなら近藤さんに報告をしに行かなくちゃいけないんじゃないの。それに、一君までここで何してるのかな。珍しいね、君が女の子の傍にいるなんてさ」
千鶴の隣に当たり前のように座り、甘い物は苦手な筈なのに、饅頭を頬張り、藤堂から奪い取った茶まで啜っている姿は沖田でなくても、違和感を覚えるだろうその姿を指摘されたが
「綱道さんの話をしていたのでな。何か探す手掛かりでもないかと…聞いていた。それにもうすぐ交代の時間だ」
「ふぅん。ま、そういう事にしてあげてもいいけどね。それで?」
「それで、とは?」
「千鶴ちゃんから綱道さんの話を聞いてたんでしょ? 何かいい情報でもあったの? 行きそうな場所とかさ」
「いや、それは…今は綱道さんの人となりを聞いていた」
「人となり…ねぇ」
そんなものを今更聞いてどうするのさ…と、言いたげな視線を斎藤にやるが「おまえは何をしているのだ。夜の巡察だろう? 今の内に休んでおかねば隊務に差し支えるぞ」と、しれっと言い「休んでたんだけどね、外がうるさいからさ…来てみたら千鶴ちゃんを囲んで楽しそうにしてるじゃない? それに饅頭もあったしね」と、ニコニコと笑ってはいたが、何を考えているのか解らない印象の沖田に、少し警戒心を抱いているのか、その視線から逃れるように千鶴は俯いていた。
「それで?」
「なんだ」
「綱道さんの人となりを聞いてたんでしょ? 娘から見た綱道さんってどんななの?」
視線を斎藤から千鶴に移し、今まで沖田から綱道について質問等をした事はなかったが、幹部達が不思議そうな顔をしていたのが気になったのだろう。珍しく質問を千鶴に投げかけると、驚いたように沖田を見つめ返し
「凄く優しい父です。特に変わった所はないと思いますが……」
「……優しい?」
他の幹部達と同じように顔を顰めるが、その表情の意味も解らないまま「はい」と嬉しそうに微笑んだ。
「近所の方からもとても慕われてましたし、子供達とはよく遊んでましたし、よく笑って、明るい父です。勿論患者さんを診てる時は真剣ですけど…それでも、眼が…優しいんです」
江戸にいた頃の父を思い出し、微笑むその姿を見ても幹部達は自分達の知る綱道を思うとどうしても同一人物とは思えず、返答に困っていた。
「それに…可愛い所もあるんです」
(か、可愛い…?)
信じられないような言葉を聞いたような気がして、皆が皆、千鶴が何を言ったのか確認をするように頭の中で彼女の言葉を頭の中で復唱した。
「か、可愛いって…ど、どう…どう可愛いんだよ」
勇気を出して声を出したのは藤堂だった。
「そうですね…ご飯を食べている時に頬に米粒がついたのに気付かずにそのままだったり…近所に小さな女の子が住んでるんですが、とても懐かれていて、あやとりやお手玉をしてる姿が可愛いんです」
(ありえねぇ…いや、考えられねぇ)
勿論これも、千鶴以外全員の心の声である。
「おい、おまえら、そんな所で何してやがる。サボってんじゃねぇぞ」
騒がしくしていたせいか、土方まで顔を出したが、とても不機嫌そうな顔で幹部達を睨みつけると「さて、夜の巡察まで時間があるから寝ようかな」と、沖田が去り
「巡察の報告はどうした。こんな所で油売ってんじゃねぇ」
「あ、おぅ!」
踵を返して自室に戻る土方の後を藤堂が小走りで追い「よう、左之! 島原に繰り出さねぇか? 平助も帰って来てんだろ?」と、稽古を終えた永倉が顔を出した。
「しょうがねぇな。んじゃ、この後の当番は斎藤だったな。千鶴の事、頼んだぜ」
仕方がないと言いながらも、酒が呑める嬉しさが滲み出ており、原田は嬉しそうに永倉の後を追った。残されたのは斎藤と千鶴のふたりで、まるで嵐が去ったような静けさの中「皆さん行ってしまわれましたね」と独り言のように呟くと「そうだな」と、返事をした斎藤に、普段から物静かで無口な人だが、決してふたりでいても居心地が悪くなく、いや、寧ろ落ち着くからか、斎藤の傍にいるのが好きだった。
原田のような話相手になるという事はないが、無愛想な物言いではあるものの、ぽつぽつと話をしてくれる言葉に優しさが込められているのに気付いていた。
「あの…」
「どうした?」
「実は…さっきから気になっていたのですが……」
「なんだ」
「私が父の話をすると、皆さんがとても困っていらっしゃるような気がして……」
困っているというよりも、固まっていた。それは勿論斎藤も含まれているのである。
「あ、あぁ…」
返答に困り、視線を逸らす斎藤に
「父はここで、どのように…していたのでしょうか」
「どういう意味だ」
「ここでは江戸にいた頃とは違っていたんでしょうね」
笑顔ではなかったのだろうか、優しくなかったのだろうか。では、どのようにしていたのか。想像がつかないでいると言いたげな顔を斎藤に向けていた。
「……町で医者をしているのと、幕府に呼ばれ、我らをはじめとする者たちを相手にするのでは違って当然だろう。しかし、どちらも綱道さんではないのか?」
「そ、そうですね」
「同じ仕事でも、立場が変わると、普段の顔をしていられなくなるものだ。感情を殺さねばならぬ事も多い。江戸と京では環境が違いすぎる。京は治安が悪い。平和におまえと暮らしていた時の用にはいかぬ」
「……はい」
「だから、おまえが気にする必要はない。綱道さんは幕府の命を受け、仕事をしているだけだ。何ら変わりはない。違うか?」
「いえ」
「だったら、そのような顔をするな。父に会えなくて淋しいだろうが、少し我慢してくれ。我々も綱道さん探しに全力を尽くしている。だから、おまえの情報をこうやって聞いているのだ」
「はい」
「……すまない」
突然謝り出した斎藤に、驚いてじっと見つめると
「本来ならば、おまえを伴って探すのが一番良いのだろうが、知っての通り最近は不逞浪士が多い。故に、おまえを外に出してやる事は出来ぬ」
「いいえ! 斎藤さんが謝る必要は……」
「俺でなくともよい。淋しい時はこうして傍にいる者に話を聞いて貰え。そうすれば気持ちも紛れるだろう」
「……はい。有難うございます」
最近少しずつ見せるようになった千鶴の笑顔。ただ話をするだけでも、こんな風に笑顔になるのならば、早く父を綱道を見つけ会わせてやりたいと思った。例えそれが千鶴の言う綱道の印象とはまるで逆の恐ろしい印象しか持たなかった綱道だとしても、きっと娘の前での彼が本来の姿なのだろうと思い、綱道もまた、不本意な医者とは真逆の命令を受け、あのような堅い表情になっていたのではないかと、少し胸を痛めた。
新選組もあのような実験をいつまで続けなければいけないのか、早く解放され、本来の武士としての道を全うしたいと願いつつも、千鶴に本来の笑顔を戻してやりたいと、このように男装をさせたままではなく、普通の女子と同じ暮らしに戻してやりたいと強く思った。決して血生臭い場所にいるべき女子ではないのだと改めて感じ、何かしてやりたい気持ちになったが、今自分に出来るのはこうして少しでも心労を取ってやる事しかないのだと、歯痒い思いを押し殺した。
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