垢な瞳で 前編

(斎藤×千鶴)

 文久三年。千鶴は連絡の途絶えた父、綱道の行方を探すべく江戸から京へひとりで旅をしてきた。道中は何も起こらなかったが、やはり京は噂通り治安が悪く、千鶴は幸か不幸か、新選組預かりの身となり、軟禁状態となっていた。
 はじめは恐ろしい人達ばかりだと思っていたが、意外と話を聞いてくれる人ばかりで、噂とは違う印象に少し戸惑いを感じつつも、この生活に慣れてきていた。といっても、碌に部屋から出る事は出来ないでいるのだが。
 部屋の前にはいつも幹部の誰かが「監視」という名目で座っていたが、監視しているというよりも、どちらかといえば他の隊士から守っているという印象を受けていたのは彼らが千鶴の話相手になっている事が多かったからだろう。
 局長の近藤をはじめ「外に出たついでだ」と菓子を買ってくる事が多く、それを食べながら綱道探しの手がかりとして、江戸での綱道の話をする事も多い。
「しっかし、まさかあの綱道さんに娘がいたとはなぁ…」
「オレ、娘がいるって話は聞いた事あったんだけど、確かに、想像はつかなかったよな」
 千鶴を囲んで話をしているのは監視中の原田と、巡察から帰って来たばかりで隊服の羽織を着たままの藤堂である。
「父はここで皆さんの健康状態を診ていただけで、雑談とかはしなかったのでしょうか?」
 まさか人を羅刹に変える為の薬を使って人体実験をしていた…とは言える筈もなく、千鶴は屯所に来て、怪我の治療をしたり、病気を診たりしているものだと勘違いをしており、それを訂正される事はなく千鶴は勘違いをしたままだったが、皆が皆「綱道さんに娘がいたとは」という言い方をするのが気になっていた。皆が皆といっても、勿論幹部隊士の全てがそう言っているわけではなく、土方や山南、そして斎藤は綱道について聞いてくる事はあっても、千鶴という存在について「意外」だなどという言い方はしてこなかったし、沖田に至ってはそもそも綱道の家族について興味がないようだった。
「――雑談は…ねぇな」
「ありえねぇし」
「そうなんですか? 江戸にいた頃は皆に慕われていたので、町の皆さんが怪我や病気でもないのに診療所に来て世間話をして帰る…というのが多かったので」
「し…慕われていた?」
「はい。父はあの通り優しい人なので」
 あの通り…と言われても、原田や藤堂からしてみれば「怪しさ満点」としか言いようがなく、すぐに返事が出てこなかった。
「そう言えば、京に来た理由は『綱道さんからの文が途絶えたから』と、言っていたな」
 話に参加してきたのは茶を運んできた斎藤である。
「おぅ、斎藤すまねぇな」
「いや、構わぬ」
 綱道の話をしていたからなのか、斎藤も腰をかけた。
「あ、はい。父はいつも文をくれていたんです。京での生活を綴ったものなんですが……」
「京での生活を……?」
「はい。特に江戸にいた頃と変わりないようでしたが」
「変わりがない、とはどのように?」
「え? 診療所で怪我や病気の方の診察をしたり、往診に出かけたり…と、いった事なんですが、ここにも往診に来ていたんですよね?」
 きょとんと首をかしげる千鶴に
「あぁ、勿論そうだぜ! 綱道さんはオレたちの怪我の治療をしてくれてたんだよな、な? 一君」
 何故俺にその話を振る、と言いたげな視線を藤堂にやり
「そう…だな」
 何とも歯切れの悪い返事に「父は皆さんとはあまり話さなかったのでしょうか?」という、彼らにとっては返答に困る質問を投げかけた。
「話さなかったっつぅか、話す機会がなかったっつぅか……なぁ、斎藤」
 だから、何故俺に話を振るという視線を原田にやり
「俺は怪我をする事もなかったし、健康状態も万全だ。故に、綱道さんに診て貰う機会がなく、直接話をする事は殆どなかったのでな」
「そ、そうですか」
「おっ、この饅頭美味ぇな。やっぱ、ここの饅頭を買ってきて良かったぜ」
 わざとらしく話を逸らし、買ってきた饅頭を頬張り、普段甘い物等食べない斎藤までもが「……悪くはない」と、頬張り始める。
「ほら、千鶴も食えよ。折角平助が買ってきたのに、おまえの分がなくなっちまうぜ」
「はい。有難うございます」
 残り僅かになった饅頭に手をやると、食べ慣れないものを食べたせいか、喉を詰まらせているようなそぶりの斎藤が視界に入った。
「あの…斎藤さん、これを」
 先程斎藤が淹れて来た茶を差し出した。
「いや、これはあんたのだ」
 元々斎藤はここに留まる気がなかったのだろう。湯飲みは三つしかないが、そのひとつを渡した。
「喉を詰まらせていらっしゃるようなので……」
「しかし、それでは雪村が……」
「私は構いません」
 優しい笑みを浮かべ「どうぞ」と渡すと、少し頬を染めて「すまない」と湯飲みを受け取った。
「なーに、照れてやがんだ。っつぅか、おまえがそんな顔をするなんて珍しいな」
「そうだよな。一君が照れた顔なんか初めて見たな」
「なっ…! 照れてなどいない」
「まぁ…おまえに対してそんな風に笑顔を見せる女なんて、珍しいからな。照れるのも解るか」
「だから、照れてなどおらぬ」
「あぁ、確かに。島原でも一君モテるのに、まるで無表情のままだもんな」
「島原の妓達は言い寄っては来るけど、千鶴のような笑顔を見せたりはしないからな。新鮮なんだろう」
「その話はもうよせ。雪村が困っている」
 困っているのは千鶴よりも斎藤なのだが、原田や藤堂の言葉の意味が解らないようで、大きな眼をクリクリとさせながら、皆の顔を交互に見つめていた。
「皆さん、島原に行かれてるんですね……」
 彼らを見つめる眼はどこまでも純粋なままで、誰ひとりその眼を直視出来る者はいなかった。
「ばっ…! べ、別に…行ってねぇよ」
「でも、今……」
「ただ、オレ達は酒を呑みに……」
「島原に行ってるの?」
「おうよ! あ、いや…その…べっ、別にやましい気持ちで行ってる訳じゃ……」
「千鶴はよ…島原に行く男ってどうだ?」
 しどろもどろになっている平助を遮るように原田が問うた。
「どう、と言われますと?」
「例えば、恋い慕う男がいたとして、その男が島原通いしてる男だったらどう思う?」
「……男の方の甲斐性…のようなものですから……」
 と、無難な答えをしたが「一般論を聞いてるわけじゃねぇ。今後の参考までに女子の意見を聞いておきたいんだよ」と、言うと
「はぁ……」
 原田の言葉に藤堂もまた千鶴の意見が聞きたいようで、じっと見つめると
「母様は私が赤ちゃんの頃に亡くなったようなのですが、父様はそういう場所に行った事がなく、母様と私を大切にしてくれていたので……だから、私も行って欲しくない…とは思います」
 言葉を濁すように言ったのは斎藤は行っていないようだったが、他のふたりはよく行ってるのを目にしていたからである。
「あぁ、あの綱道さんなら島原とか言ってなさそうだよな」
「はい! とても優しい自慢の父なんです」
(優しい…?)
 三人が、いつも無表情で何を考えているのか解らないといった綱道しか知らず、千鶴が嬉しそうに話す「父様」と綱道がとても同一人物だとは思えず
「綱道さんってさ…剃髪の人だよな…?」
「はい。医者ですから」
 他にどう言えばいいのか。特徴は剃髪だけではないのだが、後は千鶴が言う「父様」とはかけはなれた「無表情」だとか「何を考えているのか解らない」だとか「蘭方医なのに変若水の研究をしている、とても医者の醸し出すものとは思えない恐ろしい雰囲気を出している」という言葉を飲み込み
「だよな」
 と、だけしか答えられず
「そりゃ、こんな可愛い一人娘がいるんだもんな。家族思いなのは当然か」
「父と私だけの家族ですから…大切にしてくれてました。京からも毎日文を書いてくれてましたし……」
「毎日?」
「はい。私が返事を書いて、届けようとする前にもう次の文が届いてました。案じているのは父だけでなく、私もそうだったのですが、父様はいつも江戸にひとり残してきた私の事を考えてくれてました」
 なのに、突然その文が来なくなった。と、いう言葉を千鶴は続けなかった。
(新見さんと逃げようとしたあの時以降、文を書けなくなったのだろうか。それとも火事の後、行方不明になってからなのだろうか)
(あの綱道さんが毎日文を…そりゃ、文が途絶えたら千鶴も心配になるよな。男装までして来るなんて、余程の事だよな)
(優しい父親だったんだろうな。毎日文を書いてたなんて、想像もつかねぇが、こんなに可愛い娘がいたら心配して当然、か)
 彼らにとっては恐ろしい印象しかない綱道だが、千鶴にとっては唯一の家族だったのだ。幕府の命を受けてここ京にまで来たが、変若水の研究等、医者とはまるで反対の仕事を受ける羽目になり、江戸にひとり残してきた娘を案じて当然なのだ。無表情そうに見えて、心の奥底では娘を思っていた…のだろう。と、それぞれ頭の中で同じような事を考えていたのか、難しい顔をしている三人に
「あ、あの…?」
「ん? どうした?」
「いえ。皆さん難しい顔をしてらっしゃるので、何かおかしな事を言ってしまったのかな…と」
「いやいやいや。そんな事はないぞ。その…あれだ…」
 しどろもどろになっている藤堂の言葉を遮るように
「千鶴ちゃんの父親である綱道さんをまさか怪しいだとか、何を考えてるのか解らないとか、怖そうだとか、そんな事は考えてないよね?」
 背後から聞こえる声の主を確かめる必要もないが、振り返るとそこにはそれこそ何を考えているのか解らない千鶴にとってはとても不気味な笑顔を浮かべている沖田の姿があった。