誘惑
アンドロイド 斎藤モデル編
(斎藤×千鶴)
近頃斎藤は不安を感じるようになっていたが、それを決して千鶴に悟られてはいけないと得意のポーカーフェイスを決め込んでいた。
しかし、とある店の前に行くと不安が増殖し、いつになく早足で歩いているのには自分でも気付いていなかった。
自分は千鶴の為に存在する。
ただの携帯電話ではない。千鶴をありとあらゆる物から守るのが使命だと言わんばかりに千鶴の隣を占領していたのだが、ふと周りを気に掛けると「不愉快」な光景ばかりが目に入る。
「斎藤さん? どうかされたんですか?」
早足で歩く斎藤を少し小走りする形で千鶴が追いかけ、いつもと違う斎藤を気に掛け、外ではあるが、斎藤の手をそっと握ると
「あ、いや…別に充電があやうくなって早足になったのではない。すまない」
言いながらも、千鶴の手を自分からは離したりはしないのは充電とは関係なく彼女の柔らかい手に触れていたいという願望からだろう。握り替えされた手を千鶴も離そうとせずに
「だったらいいんですけど。斎藤さん、最近少し変ですよ?」
まさか自分の変化を気付いているとは思わずに驚いたが、ほんの少しの変化でさえ千鶴は感じ取ってくれるのだろうと思うと、自分の主人が千鶴で良かったと、何度感じたか解らない幸福感に満たされた。だが、今回だけはその理由を決して悟られたくなかった。
「本当に何でもないのだ」
笑みを浮かべる斎藤に「深刻な問題を抱えているわけではない」と千鶴も理解はしたものの、些細な事でも何でも話をして欲しいと
「でも……」
と、表情を曇らせ、俯いた。
「すまない。千鶴にそのような顔をさせたいわけではない。本当に何でもないのだ」
指を絡め、自分に引き寄せると覗き込むように千鶴の顔を見ると、千鶴は少し頬を染めて「はい」としか返事が出来なかった。
「もう! 本当に千鶴ちゃんの彼氏みたいね」
後ろから聞こえてきた声に振り返ると、千鶴の親友の千と千鶴を守る斎藤のように千の隣には君菊が立っていた。
「か、彼氏って…!! お千ちゃん!」
更に頬を染めて「そんな事はない」と言いたげな眼を向けるが
「斎藤さんに今充電は必要なさそうに見えるけど?」
「そ、それは…千鶴が充電が必要ではないかと思ったからだ」
「でも、必要ないのでしょ? だったら手を離しなさいよ」
それとも、離したくない理由でもあるのかしら? と、続けると、渋々斎藤から千鶴の手を離した。少し充電は減ってはいたが、繋ぎながら歩いていたおかげで、今は充電は満タンである。見た目では斎藤以外の誰もその量には気付く者はいないが、手を繋ぎながら歩いていたのだからほぼ充電は一杯であると周知の事だろう。
「あのね、千鶴ちゃん。周りを見てごらんなさいよ」
「え?」
「余程の事がない限り、スマホと手を繋いで歩くなんて人はいないでしょ?」
実際、千鶴は殆ど眼にしたりはしなかったが、何故か斎藤と手を繋ぐのは自然の事のように感じていて、周りにどう思われているのか等考えた事がなかったのだ。
「いない、けど……」
「だから、恋人が出来ないのよ?」
「で、でも…今別に好きな人もいないし、彼氏が欲しいとかも思わないし……」
「それは解ってるけど、自分から恋愛を遠ざける必要もないと思うけど?」
「別に遠ざけてなんかないよ」
「斎藤さんとああして歩いてるだけで、遠ざけてるような物なのよ」
「そんな事……」
「ないって言い切れるの?」
もし、自分が好意を寄せている人がスマホと恋人繋ぎで歩いてごらんなさいよ。千鶴ちゃんはどう思うの? 等と言われてしまうと千に言い返せる言葉は見つからない。
それでも、千鶴には不満がなかったし、斎藤と手を繋ぐのは千鶴も好きだったのだ。きっと他の携帯電話だったらこんな気持ちにはならなかっただろうというのも確信していた。
斎藤だから。
それだけの理由で。
しかし、それを言葉に出来なかった。この気持ちを解って貰おうとも思わなかった。例えそれが無二の親友であっても。
いつか好きな人が現れるかもしれないが、それはその時考えればいい事だし、斎藤も理解してくれるに違いないという自負もあった。
「いい切れないけど、いいの」
一度意思表示をすると絶対に折れたりしないのを知っている千は「千鶴ちゃんがいいなら、いいのよ」と、漸く笑みを浮かべた。
(千鶴に恋人…か)
考えた事がないわけではない。今千鶴の隣に千がいて、千鶴の後ろを君菊と並んで歩いているように、恋人同士達もまた同じようにして歩いているのを斎藤も何度も見かけたし、今もまたそうして歩いているカップルが周りにいる。
いつか「その日が来るだろう」というのは解っていて、それに大きな不安は持っていない。千鶴が幸せならば、斎藤はそれで満足だった。嫉妬しないと言いきれはしないが、今抱えている不安と比べると大きな問題ではないと感じるのは今千鶴に好きな人もいないからなのだろうか。
「そう言えば、千鶴ちゃん。私、タブレットを持とうか考えてる所なの」
「タブレット?」
「うん、君菊だけで充分だとは思うんだけど、レポートを作成するのにタブレットがあったら便利じゃない?」
「レポート?」
「うん。授業でもタブレットを使ってる子いるじゃない?」
ノートに取るのではなく、カメラに写して残すというのも今では当たり前のように行われているし、先生達もそれを見越してホワイトボードを使っているから、千鶴はノートを使っているが、慌ててカメラを使う事も少なくは無い。
「いるけど、やっぱり私は自分で書いた方が頭に入るし」
例えその場はカメラに納めても、家に帰るとそれらをノートに纏めて、頭に入れていて、便利ではあるが、決してそれは勉強ではないと、千鶴はその辺はもっぱらアナログ重視である。
(千鶴にはそのような物は必要ではない!)
どれだけ叫びたかったか解らない。斎藤は心で叫ぶしかなかった。
電車の中、カフェ等でも、携帯電話を蔑ろにタブレットと戯れている人を多く見かけるようになった。
(俺達はもう必要ないのか)
淋しそうに主人の後ろで待機する携帯電話を見ると堪らない気持ちになっていたのだ。
決して千鶴は自分をそのように扱ったりはしないと思っていても、もしタブレットを所有すれば、あのような光景が実際に自分に降りかかってくる場面も出てくる。折角、それらが置かれている店の前を歩かないよう、歩いても斎藤が視界を避けるように立ち、千鶴の気持ちがタブレットに向かないようにしているというのに、まさか千の口からそのような発言があるとは思ってもみなかった斎藤は焦りを感じていた。
「でも、タブレットだったら、どこでもレポート書けると思わない?」
電車の中、机のない場所では確かにタブレットがあると便利だろうとは思うし、調べ事するにも、画面の大きなタブレットは見やすいという部分もある。
「思うけど、やっぱり私には必要ないかな。斎藤さんがいるし」
「私だって、君菊が不満なわけじゃないんだけどさ」
周りを見てると便利かも…と思ってしまったというわけである。
千鶴の言葉を聞いてホッと肩をなで下ろした斎藤だったが
「不満じゃないんだけど、放課後に見に行ってみようと思うから、千鶴ちゃん付き合ってよ」
「付き合うのはいいよ」
(ち、千鶴……!!)
千鶴を信用していないわけではない。先程の「私には斎藤さんがいるし」の言葉はメモリーに入れたので、これから何度も再生しては千鶴への想いを膨らませていくが、未来永劫千鶴も同じ気持ちでいてくれる自信は斎藤にはなかった。斎藤も細かな更新をし、バージョンアップはしているが、そもそもの端末…自分自身のスペックは変わらない。だから、機種変更も含めて、千鶴が新しい、斎藤以外の物を買い換える日がいずれ来るのを斎藤には阻止出来ない。
(今はタブレットも欲しいと思わないと言ってくれているのに、もしも店員に強引に薦められ、買わなければならない状況に陥ったらどうしてくれるのだ!)
斎藤の心の声は千鶴には届かなかったようで「見てみるのは楽しいしね」と、嬉しそうにしている千鶴に哀しげな視線を送りながら、トボトボと後ろから歩いていた。
「諦めるのも必要よ」
それまで黙っていた君菊が斎藤の気持ちを察したのか、声を掛けると
「別に、そのような……」
否定の言葉を並べてみるものの、まずは放課後までに千鶴の気持ちが揺れないように何とかしなければいけないと、策を練るのだった。
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