くて、たまらない

(斎藤×千鶴)

 最近はじめさんの様子がおかしい。ううん、いつも通りなのはいつも通りなんだけど、婚姻するまでの緊張感がなくなったというか、ふたりの距離が急速に縮んだような気がする。
 ふたりだけの祝言をあげ、初夜を迎え、名実ともに夫婦になったのだから、それは当たり前の事なのかもしれない。それでも、斎…はじめさんは今までと変わらないものなのだと思っていたのに……

「ただいま、千鶴」
「おかえりなさい」
 いつも注意しているというのに、今日もまた薄着で出かけてしまったはじめさん。雪が降っていたのか、髪や着物が少し湿っていた。
「いつ雪が降るか解らない天気なのですから、傘を持って行って下さい。それと、もっと温かい格好で出かけて下さい。風邪をひいてしまいますよ」
 手ぬぐいではじめさんの髪を拭き「別に、寒くない」と、微笑んでくる彼を見ると何も言えなくなる。出逢った時から、はじめさんはとても優しかった。目に見える、解りやすい優しさではなく、さりげない気遣いをしてくれる人で、私ははじめさんのそういう部分に惹かれ、だんだん好きになった。それは今でも変わらないけれど、それ以上にこの蕩けるような視線に、私はどうにかなってしまいそうだった。
 原田さんならば容易に想像つくけれど、まさか斎藤さんが…はじめさんのこんな甘い表情を見る事になるなんて夢にも思わなくて、途端に私は緊張で身体を硬直させてしまうのだ。
「……千鶴? どうした?」
「い、いえ…何でも…あの…おなか空きましたよね? すぐに仕度します」
 慌てて逃げるように勝手場に向かおうとしたけれど、何故か前に進まなかった。
「?」
「逃げるように行かずともよい」
 気がつくと後ろから抱き締められていた。
「さ、斎藤さん……!」
「名で、呼んで欲しい」
 強く抱き締められて、供血していた時のように耳に唇を当てて、大好きな声で囁かれたら本当にどうにかなってしまいそうなのに、はじめさんは解ってそうしているのか、いつもこうやって私を黙らせてしまう。
「千鶴、名で」
 視線だけでなく、声まで甘い……そんな近くで、息もかかる距離で、私を呼ばないで欲しい。はじめさんはどうしてなのか解らないけれど、名前で呼ぶ事にとても拘りを持っていた人で、夫婦になった途端に「いつもおまえは斎藤さんと呼ぶ」と、それまでずっと気にしていたようで、何度も何度も呼びなれない私に練習をさせた。真っ赤な顔をしてまで。なのに、今は…今も頬を染めたりはするけれど、以前とは違って、遠慮がなくなった気がする。夫婦だから…当然なのかもしれない。でも、私は夫婦になったからこそ余計に恥ずかしくて、戸惑う事だらけだというのに、それは男と女の差なのかも……なんて考えていたら
「ひゃあ!」
 耳朶を舐め…舐めて…
 後ろにいた筈のはじめさんが、気が付いたら私の上にいた。
「何故硬直している」
「そ、それは…それはさい、さい…さ…はじめさんが…はじめさんが」
「千鶴、落ち着け」
 落ち着く事なんて出来るわけない。
「はじ…はじめさん……」
「どうした」
 どうしたと言われても、こんな体勢で、何からどう話せばいいのか解らないのに……
「はじめさんはいじわるです!」
「……いじわる? 何故そう思う」
「だ、だって…だって…こうしてすぐに触れてくるし、抱き締めてくるし…それに、今まではこんな風に甘い眼や声じゃなかったです! 私をからかって遊んでるんですか?」
 どもらないよう、一気に言うと、面食らったような顔のはじめさんが言葉を詰まらせていた。
「遊んでなどいるわけがなかろう」
「で、ですが…私が逃げようとすると、いつもこうして…」
 触れてくるじゃないですか、と言いたかったけれど、私の唇ははじめさんの唇で塞がれてしまい、何も言えなくなってしまった。
「んぅぅ!」
 角度を変え、息苦しくなる位の口付けを与えられて、呼吸困難から唇を少し開けると、待っていたかのようにはじめさんの舌が入ってくる。
「んぅ…んっ……」
 離して欲しいという意味ではじめさんの胸を両手で力いっぱい押してみるけれど、私の力なんて彼にとっては微々たるもののようで、びくともしない。
 舌を絡められ、口付けの甘さを与えられ続けて、私の力も抜けていく。
「はぁ……」
 漸く唇を離されたけれど、お互いの唇から銀色の糸が引くのが見えると、恥ずかしくてはじめさんから視線を反らしてしまう。
「……嫌か?」
 先程までの甘い声から一転して切ない声で聞いてくるはじめさんを見ると、声以上に寂しそうな顔をしたはじめさんが私をじっと見つめていた。
「嫌…ではないです」
「では何故、こう逃げようとするのだ」
「だって…今までこんな風に、はじめさんが私に触れてくる事ってなかったじゃないですか」
「そ、それは夫婦ではなかったのでな」
「ですが、夫婦になったからといって、こんな急に……」
 やはりはじめさんと視線を合わせる事の出来ない私の額に優しい口付けを落とし
「急に、ではない。ずっとおまえに触れたいと思っていた」
「……ずっと?」
「あぁ」
「どうしてですか?」
「……解らぬか?」
「……すみません」
 先程とは違う、触れるだけの口付けを唇に落として
「おまえが愛しいからだ」
 そういって、また強く抱き締められ、私ははじめさんから逃れる理由が見つからなくなり「私も、はじめさんを愛しいと思ってます」と答えると、幸せそうに微笑んでくれた。


 暫く甘い、甘すぎる話を書いていなかった時にその反動で拍手用に書いた話です。
 何年も好きで、一緒にいたのに手を出す事も出来ずにいた斎藤さんはきっと、祝言を上げ、契りを交わしたらそれまでの我慢を全く抑えなくなってしまったのではないだろうか…と、思いこんな話になってしまいました。
 何もかも初めての千鶴にとっては恥ずかしくてどうしたらいいのか解らない状態だっただろうに、遠慮のない斎藤さんにドキドキさせられるってのいいな…と、妄想が膨らんで、15分位で書き上げてしまいました(笑)