想いの跡形
(斎藤×千鶴)
斎藤と恋人同士になって数カ月。ゆっくりと、少しずつではあるが、ふたりの距離を縮め、愛情を育んできた。
もうすぐクリスマス。何かを買ってプレゼントするのも悪くはなかったが、弁当をあれだけ嬉しそうに食べるのならば、きっと手作りの贈り物をすれば、同じように幸せそうに微笑みかけてくれるかもしれない。元々手先は器用だし、家族にプレゼントした事もあるので、どれ位で作れるのか解っていたし、何よりもいつも斎藤の首元が寒そうだと、初めてのクリスマスには「手編みのマフラーを」と考えていた。私服はいつも黒ばかりを着ている斎藤だから、白いマフラーがとても似合うのではないかと、肌触りの良さそうな白い毛糸を選び、どんな模様にするか、贈ったマフラーをつける斎藤を想像すると口元が自然と緩んでいた。
(喜んでくれるかな)
慣れた手つきで編み棒を操り、ふんわりとしたマフラーが仕上がって行く。頭の中にあるのは出来あがったそれを首に巻いた大好きな斎藤の姿。
(いつもシンプルな服装だから、マフラーのデザインもシンプルに…でも、真っ白だから模様に少しアクセントを入れたら…凄くいいかも)
考えるだけで、どうしようもなく幸せな気分になり、編んでいる手も自然と速くなる。思った以上に早く出来あがったマフラーをラッピングするべく、包装紙を買いに外に出る事にしたのだ。
シックなデザインの包装紙、リボン、メッセージカードを買い、ほくほくした気分で駅に向かう途中で、斎藤らしき後ろ姿が目に入り、あまりにも斎藤を想い過ぎて幻覚でも見たのかと思いながらも振り向くと、ショーウィンドウ越しだったが、確かにその後ろ姿は斎藤本人だった。
「せんぱ……」
千鶴のいる場所から声をかけた所で聞こえる筈もないのに、駆け寄ろうと足を踏み出したが、斎藤の隣には寄りそうように綺麗な女の人が立っており、斎藤のいるその場所はジュエリーショップだったのである。どう見ても恋人同士がクリスマスのプレゼントを選んでいる絵にしか見えなくて、その場に立ち尽くした。
ショックで動く事も出来ず、だからといって「その人は誰ですか?」と聞ける勇気もなく、ただぼんやりと感情の籠らない眼で見つめていると、千鶴の視線を感じたのか、たまたまなのか解らないが、斎藤が振り向き、ふたりの視線は絡み合う。
一瞬、笑ったように見えた。それは何を意味するのか、千鶴には解らなかった。ただ、その場から逃げたい。嫌な結末しか想像出来なくて、その結末を迎えたくなくて、さっきは動かなかった足は自由に動き、踵を返して全速力で走った。もう必要がないのかもしれない買ったばかりのラッピングのセットが入った袋を大事そうに抱えながら、千鶴は自分がどこに向かっているのか解らなかったが、ひたすら走った。
「千鶴っ…!」
「待ってくれ、千鶴!」
振り向かなくても、その声の主が斎藤である事は解っていた。振り返って、その胸に飛び込みたかった。でも、今はそれが出来なかった。追いつかれるのは時間の問題だと解っていたが、千鶴は走るのを止められなかった。例えこの先に別れが待っていたとしても少しでも長く、斎藤と「恋人同士」という関係でいたかった。斎藤の声で「他に好きな人が出来た」等と聞きたくなかったのだ。
千鶴の願いも虚しく、あっけなく追いつかれ、きつく腕を握られ、全速力で追い掛けたのだろう、珍しく乱れた吐息を落ち着かせるように深呼吸をすると
「千鶴……」
切なげな声で呼び、まだ逃げようとする千鶴を自分の方へと引き寄せた。
「私…解ってます」
「千鶴、話を聞いてくれないか」
「でも、私…先輩の事…好き…なんです。だからっ……」
「頼むから俺の話を聞いてくれないか」
「迷惑かもしれないですけど――」
「千鶴!!」
大声で呼ばれ、ハッと斎藤を見上げると、見た事もない哀しい色をした眼で千鶴を見下ろしていた。
「俺の話を聞いてくれないか」
きっと、こんなに想いを寄せ続ける千鶴に別れ話をするのは忍びないと感じたのだろう。千鶴は俯いて首を横に振り「嫌です」と、蚊の鳴くような声で答えた。
「頼むから、俺の話を……」
何をどう言っても斎藤の言葉は千鶴の心に届いていないという事に気付き
「来い!」
普段ならば女子に…いや、千鶴に対して力任せに腕を引っ張り、引きずるように連れ出す事等ないのだが、千鶴がどれだけ抵抗をしても、斎藤はその腕を離そうとせず、人通りのない、建物の間に連れ込み、壁に押し付け、荒々しく唇を自分のそれで塞いだ。
啄ばむように何度も口付けをし、千鶴の力が弱まった頃、漸く解放し、もう一度「誤解だ、千鶴。だから、話を聞いてくれないか」ねだるように視線を絡ませると
「……はい」
弱弱しく返事をする千鶴の頭をポンポンと撫でた。
「一緒にいたのは姉だ」
「えっ…?」
「その…おまえへのクリスマスプレゼントを買おうと出かけようとした時に、姉に捕まってな。千鶴へのプレゼントを買うのだと説明したのだが、いい店を知ってるから一緒に行くと強引について来たのだ。俺も…特にこれといった店が決まってたわけでもなく、正直な所、あの手の店はよく解らん。だから、付き合って貰う事にしたのだ。本当ならば、クリスマスイブの日に渡したかったのだが……」
ポケットから出したのは長方形の小さな箱。開けてもいいですか、と言いたげな視線を斎藤にやると、照れくさそうに頷いた。
「これ……」
包みを開け、箱を開けると、この時期には珍しい桜の花びらがモチーフのネックレスが入っていた。
「出逢ったのは桜の木の下だからな。思えば俺はあの瞬間からおまえが好きだったのかもしれぬ」
「斎藤…先輩……」
千鶴の手からネックレスを取り、それを首につけてやると「やはり千鶴には桜がよく似合う」と、柔らかく微笑んだ。
「先輩…ごめ…なさ…私…勝手に誤解して――」
ポロポロと大粒の涙をこぼし、その涙は斎藤の想いが変わっていないという安心感からなのか、信じる事が出来なかった罪悪感からなのか解らなかった。
「泣かないでくれ、千鶴」
「で、でも……」
「頼むから、泣きやんでくれぬか」
両手で千鶴の顔を包み、親指で零れ落ちる涙を拭きとってやる。
「ごめんなさい…先輩」
「いや、あのような場面を見てしまったのならば、誤解をしても仕方がない。姉がいる事も話してなかった」
「でも、先輩を信じなきゃいけなかったのに……」
構わぬ、そう言いたかったが、その言葉を言った所で、千鶴の罪悪感を取り除いてやれないと気付き
「では、約束をしてくれないか」
「約束、ですか…?」
「そうだ。俺はおまえを裏切る事はしない。だがもしも、おまえが誤解をしてしまうような場面を目しても、逃げないで欲しい。必ず声を掛けてくれないか」
「声…を? でも、掛けにくい時も…あると思います」
「ならばメールを」
「はい」
「あと一つ」
「ひとつ…?」
「俺を拒まないで欲しい」
見上げると、哀しそうな眼に、心臓を鷲掴みされたように苦しくなった。
「こ、拒んでなんて……」
「俺に背を向けたのは拒んだと言わないか?」
「だって、それは――」
「俺はいつでもおまえを見ていたい。後ろ姿でなく、きちんと向き合って千鶴を見ていたいのだ」
普段言葉数の少ない斎藤だったが、逸らす事のないとても真剣で真っすぐなのに切なげな視線を送りながらの隠す事もしない心からの言葉はとても破壊力があり、まるで金縛りにあったように千鶴は動けなくなり、じっと斎藤を見つめ返した。
「私も…先輩と向き合っていたいです」
「あぁ」
「もう、先輩に背を向けたりしません」
まっすぐに見つめ返していた少し強張っていた千鶴の顔が綻び、斎藤が見たいと思っていた優しい笑顔に変わった。漸く見る事の出来た千鶴の笑顔。斎藤の眼もまた切ない色から艶やかなものに変わっていた。
千鶴の顎に触れ、少し口を開けさせて、千鶴を見つめながら、その唇に自分の唇を重ね、すぐに舌をすべり込ませる。
「んっっ…!」
突然の感触に驚いた千鶴は咄嗟に斎藤から離れようと両手で胸を押したが、本当に嫌がってというわけではなく、恥ずかしさからだった為、その力は弱弱しく、斎藤にとって抵抗でも何でもなく、より深く口付けたい衝動になるきっかけにしかならなかった。千鶴の鼓動は高鳴るばかりで、どうしていいか解らず、視点も定まらないのか、口付けをしたまま斎藤と見つめ合った。絡まる舌の感触にただ力がなくなり、縋りつくように斎藤の服にしがみ付いた。
離れないように両手で千鶴の顔を包み、何度も角度を変えて、千鶴の舌を貪る。初めての感触に眼を閉じるのを忘れ蕩けそうな視線を斎藤にやり、その視線が煽っている事にも気付かず、いつもの触れるだけの口付けは何だったのか。初めて感じる斎藤の熱に、くぐもった声を出すしかなかった。
一体どれ位、千鶴の唇を味わったのだろう、漸く唇を離すと、銀色の糸が名残惜しそうにふたりを繋いでいた。もう一度、今度は触れるだけの口付けを落とし、千鶴の顔を見ると、眉毛をハの字に下げて、所在なさげに俯いていた。
「千鶴……」
「……はい」
小さな声で返事をするが、斎藤を見ようともしなかった。先程のあの斎藤を煽るような視線はどこへ行ったのか。目の前にいる千鶴は眼を伏せ、その輝きは斎藤に届かなかった。
「千鶴」
もう一度呼んでみたが、やはり千鶴は斎藤の方を見ようともしなかった。頬を染めているので、恥ずかしがっているのは解っていたが、それでも、自分を欲しがるような視線が見たかったのだ。両手で千鶴の頬を包み込み、自分に向けさせるが、潤んだ眼は斎藤のそれと合わない。
「千鶴」
「み、見ないで…下さい」
「嫌だ」
「せ、先輩…!」
「好きだ」
「あ……」
「おまえが俺のものだという証が欲しい」
「ほ、欲しいって言われても……」
「いや、欲しいというよりも、印をつけたい。少し痛いかもしれぬが、我慢してくれ」
痛いと言われて、一体何か行われるのか想像もつかず、身体を余計に強張らせる千鶴に、困ったような笑みを浮かべ、千鶴の肩に顔を埋め、首筋に唇を当てた。
「んっ!」
強く吸われ、ちりりとした痛みを伴ったが、それ以上に斎藤の唇から発する熱に、斎藤の想いに、逃げる事も出来ずにきつく眼を閉じていると、それは終わり、ゆっくり眼を開けると満足そうに千鶴を…いや、その場所を見つめる斎藤が眼に入った。
「あ、あの…?」
「今はこれで我慢をする。おまえを大切にしたい故、無理はしない。だが……」
何を言っているのか解らないと、きょとんとした眼で斎藤を見る千鶴の耳に顔を寄せて「その内我慢が出来なくなる日が来るかもしれぬ」と、囁いた。
「先輩…?」
「いや、何でもない。大切にする」
女の千鶴よりももっと色気のある視線を投げかけ、優しく、甘く微笑みかけた。
家に帰り、斎藤から受けた口付けの痕を見つけ「印」の意味を理解すると、顔を真っ赤にして「暫く、髪の毛を結う事が出来ない」と、急な斎藤の豹変に驚きながらも、決して嫌ではなかったと、あんなに強く想われて、自分はその想いにどう応えればいいのかと、頭を悩ませるのだった。
クリスマスイブ当日。あの日買った包装紙で可愛くラッピングした手編みの白いマフラーを会って早々渡すと、幸せそうな笑みを浮かべ、その場でマフラーを巻き、色違いのお揃いのマフラーをしている千鶴の首元に手をやり、数日前につけた印の場所を指でなぞった。
「さっ、斎藤先輩…!!」
「消えてしまったのだな。残念だが、今はこれがあれば大丈夫だな」
あの日贈ったネックレスに目をやり、艶やかな笑みを浮かべる恋人に、千鶴は恥ずかしさで何も言えなくなっていた。
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