(斎藤×千鶴)

 慶応三年七月、斎藤は新選組から離れて暫く経ち、間者としてそつなく隊務をこなしていた。
 いつものように報告の文を外で変装して待機している山崎に渡すと、その場を去ろうとしたが
「落としましたよ」
 と、山崎に追いかけられ、文を手渡された。副長からの言伝かと、それを木陰で開くと
「この場所に来てください」
 そこには指定の時間と地図が描かれてあった。今までこんな事はなかった為、何かあったのかと、時間よりも早くに人気のないその場所へと足を運んだ。
 先ほどの変装とはまた違った変装で現れた山崎は指定した時刻よりも早く、落ち着かない様子で立っている斎藤を見つけると、涼しげな顔で近付いた。
「何かあったのか?」
 山崎の顔を見るやいな、問い掛ける斎藤に苦笑すると
「いえ、隊務の話ではなく、雪村君の事です」
「ちづ…雪村がどうした」
「先日の送り火の時に、あなたと会った話を聞きました」
 鬼に襲われた等の事件でない事に安堵したが、偶然とはいえ、御陵衛士と新選組隊士ではなくとも、新選組と共にいる千鶴と不用意に接触した事に気まずさを覚えながらも「それがどうした」と、視線を反らした。
「斎藤組長と別れた直後で、様子がおかしかった為、俺から尋ねました。勿論、誰にも話をしないという約束の上です」
「そうか」
「あまりにも哀しそうな顔をしていたので、詳しくは話しませんでしたが、いつか以前のように話せる時が来るだろうと言いました」
「そのような事を言えば、俺が間者として御陵衛士にいると気付かれるのではないのか?」
 鈍いようで、変な所で鋭い千鶴が勘づくのではないかと、危惧したが
「それは大丈夫だと思います。新選組と御陵衛士が歩み寄る日が来るという解釈をしていたようです」
「……ありえぬな」
 小さな溜息を洩らしながら言うと、山崎も「そうですね」と苦笑いを浮かべる。
「しかし、何故そのような事を言う必要があった」
「先ほども言ったように、哀しそうな顔をしていたからです」
「それはただのひとときの事であろう」
 偶然に出会い、懐かしいと話をする事がままならない関係だと、その時ばかりの感情ではないのかと、問う斎藤に
「いえ、斎藤組長が新選組を離れてからの雪村君は表向きには元気なそぶりをしていますが、その笑顔も曇ってしまって、そんな彼女を見かねた局長が、浴衣を用意し、ここに連れて来たんです。少しでも気晴らしになれば、と」
「………新選組から離れたのは俺だけではない。平助との方が仲良くしていただろう。寧ろ平助との別れに心を痛めているのではないのか?」
 言いながらも、桜の木の下で交わした千鶴との言葉を斎藤は思い出していた。「平助との方が」と言いながらも、あの時、平助ではなく自分の元に来てくれた意味を考えていた。
「先日、雪村君は斎藤組長と、藤堂組長のおふたりが歩いている所を見かけたそうです。そして、斎藤組長を追いかけた。その意味をあなたならば解るのではないですか?」
 確かに、千鶴は平助と友達のように仲良くしていた。友達というよりも、まるで兄妹のように。勿論、平助は新八のように千鶴を妹分だとは思ってはいない事等、千鶴の事を知る幹部達は全員知っていたのだが。
 しかし、千鶴が一番に呼ぶのは平助ではなく、斎藤だった。それは土方から斎藤が「面倒を見てやれ」と命を受けていたというのもあり、一緒にいる時間が長かったからだと、斎藤は思っていた。いや、思うようにしていたのかもしれない。それは自分の気持ちを誤魔化す為か、千鶴の気持ちの真意が計れなかったからなのか、本人も解らずにいた。嫌われてはいないのだけは解っていたのだが、斎藤自身、女性に対して特別な感情を持った事等なく、ただ新選組の為に生きて、武士としての人生を全う出来ればいいとしか考えていない男だから、気の利いた言葉等掛けてやれる余裕は持ち合わせてはいなかった。
「雪村の気持ちは雪村にしか解らぬだろう。しかし、何故おまえはそんなに雪村の事を気に掛ける? あいつに頼まれたわけではなかろう」
「気に掛けているのは俺だけじゃありませんよ。御陵衛士である斎藤組長にまで働きかけたのは確かに俺だけですが、雪村君は今では隊士達の元気の源のようになっているのはお解りの筈です。雑務をこなし、特に料理は評判がいい。巡察から帰って来た時の彼女の笑顔は癒しを感じる」
「―――やけに饒舌だな」
「い、いや……」
 視線を逸らし少し頬を染めて誤魔化すように「俺の事はいいんです」と答える山崎を見つめた。「隊士達が」と言っていたが、山崎自身もまた千鶴に癒されているひとりなのだろう事は容易に想像出来た。
「仲間だと思っていた者が、次の日には敵になっている事はこの混乱の時代、覚悟しておかねばならぬ。それにいちいち淋しい等という感情に囚われていては何も出来ぬ。雪村とて、それは解っている筈だ」
「それは…!」
「雪村に気休めを言うのは構わぬが、何故それを俺に報告する必要がある? 聞いた所で俺が雪村にしてやれる事等何一つない」
「解っています。ただ…彼女に約束をしたという報告をあなたにしたかっただけです」
「………」
「斎藤組長がいつ新選組に戻れるかなんて、俺にも解りません。勿論、副長も解らないでしょうし、この事は極秘だから、雪村君に話すわけにもいかない。ですが、ただでさえ心労を重ねている彼女にささやかだが約束をしてやりたかっただけです」
 それと、監察方の山崎だから理解出来る、間者としての斎藤の心労を少しでも和らげる事が出来ればという気持ちもあった。決して理解して貰えない仕事だからこそ、誰にも言えない疲労がつきものだ。島原潜入捜査時に見せたあの斎藤の反応はきっと千鶴に対して特別な感情を持っているからくるものだというのはその場にいれば誰もが解る事だ。当の本人である千鶴以外は…だが。
 疲れなど全く見せない斎藤だが、彼にもまた癒しを…という山崎の配慮であった。千鶴が待っている。ただそれだけできっと危険な場所でさえ括り抜けてくれるに違いない。そう願いながらも、斎藤だけに対してではなく、きっと千鶴の心からの笑顔を山崎自身も見たかったのではないだろうかと、そう思うのだった。


 「繋いだ手」と対になる話です。斎藤さんルートではなく、山崎さんルートバージョン。
 話をしたくても出来なかった千鶴と斎藤さんが切なくて、でも、山崎さんのあの約束をにおわせる言葉がとても良くて、本人よりも斎藤さんや千鶴の気持ちが解るのではないか…と思わずにはいられません。